file003:朝食
朝になるとシャーロックは私を叩き起こした。
「起きたまえ、ジョン、朝だ」
明け方まで眠れなかったのはこの男のせいだというのに、私だけ寝不足なんて理不尽だと口を尖らせて文句を言うと、彼は相手を怯ませる視線の目元をフッと緩めて言った。
「だって主人を起こすのも、飼い犬の役目だろう?」
「またそんな事を…」
シャーロックは機嫌良さ気に自身の首に巻いてある首輪を弄ぶ。それは探知機付の首輪で、私が「腕」に巻いてくれと頼んだのにシャーロックが自分で勝手に「首」に巻いたものである。
そしてそんな事はお構いなしに自分の欲求を伝えてきた。
「僕は朝食が食べたいのだが、どこか良い所は知っているかい?」
シャーロックの問いに、まだ頭の働かない私はすぐに答えられなかった。
「私も数年ぶりのロンドンだからね。馴染みのパブが残っていればいいんだが…」
学生の頃の記憶を辿っていると、扉を叩く音がして「開けてくれ」とスタンフォードの声が聞こえた。私は施錠の魔法を解いて扉を開ける。
「おはよう。良かった。ちゃんと居てくれたね」
スタンフォードは中を覗き込んでシャーロックを確認するとホッとした。どうやら心配だったらしい。
「それにしても随分と早いね」
スタンフォードを招き入れながら私が言うと、彼は荷物を良く見えるようにして答えた。
「君たちがお腹を空かせてると思って、朝食を持ってきたんだよ」
早速、スタンフォードは研究用の平机に荷物を置き、中から皿や食べ物を取り出したので、さすがに目の覚めた私もコーヒーを淹れる準備をする。シャーロックだけ何もせずに見ていた(彼の言い分では観察していた)ので、私が指摘すると、意外と素直に手伝い始めた。
研究室の隅でトーストを焼き、フライパンの上にベーコンと卵を入れる。ジリジリと焼き上がるのを待っていると、そこにコーヒーの香りが混ざっていく。学生時代に研究で寝泊まりした時代を思い出す。
「コーヒー、トースト、目玉焼きとベーコン、キッパーにトマトか」
並べられた食事を見てシャーロックは呟き、そして余計なひと言を付け足した。
「ベイクドビーンズ、ブラックプティングにケジャリー、フルーツが足りないな。それに僕は半熟卵の方が好みだ」
「贅沢言わないでくれ…」
研究室で食べられる朝食としては合格点だとスタンフォードは控えめに反論し、それぞれ席について朝食が始まった。
朝食の話題はやはり昨日の事件になり、私は眠る前に考えていた事を話し出した。
実験棟で見つかった被害者は金持ちの学生で、外傷は無く、毒殺の可能性も薄い。そして周りには飛び散った血と焦げた跡があったという。
魔法で殺されたという話だが、どんな魔法を使ったのか、私はそれを考えていた。一見外傷が無いのなら、水系、風系、雷系、闇系と幾つか思い当たるが、焦げた跡や飛び散った血が不可解である。
焦げたというなら炎系が考えられるが、被害者に火傷や服の燃えた形跡は無いとシャーロックは言っていた。被害者が反撃したのだろうか?だとしたら、犯人は火傷を負っている筈だ。
それから飛び散った血。これが犯人のものなら怪我をしている事になるので手掛かりになるのではないだろうか?
「食事中にそんな話はしないでくれよ」
話の途中でスタンフォードは食欲が無くなるからと不平を漏らした。
「大体、なんでそんなに事件に興味があるんだい?」
聞かれて私は口を噤む。実の所、私の動機は野次馬である。船上の一ヶ月は大して面白い事も起こらず退屈であったし、大学に戻ったもののワックスフラッダー教授には会えず、少し気が抜けていた所に魔法絡みの事件が起こったのだから、興味が湧かない訳がない。
しかしシャーロックの答えは違っていた。
「それが僕の仕事だからね」
「仕事?」
「探偵さ」
「探偵だって?」
私とスタンフォードは同時に驚いた。シャーロックの事を古道具屋か何かだと思い込んでいたからだ。
「探偵と言うと、人探しや身辺調査をするやつかい?」
「そういうものと一緒にしないでくれ。僕の言う探偵はもっと謎を愛する存在だよ」
シャーロックはそう言って謎の魅力について語り出した。
一つ一つの現象は繋がっており、現象は起こるべくして起こっているものと考えるなら、謎とは結果から原因までの繋がりを導き出す過程に隠れている事象で、それを見つけ出す閃きを得る喜びは最上であると。
それを聞いて、私は魔数の問題を解く魅力に似ていると思った。
さておき、シャーロットは巻き込まれた時から、この事件は謎に満ちており、自身が解き明かすものに相応しいと感じていたのだそうだ。
「それで君はどう思う?」
私の質問にシャーロットは人差し指で顎をトントンと触りながら答えた。
「うん、まだ情報が足りないな。それに大事なものが抜けているよ」
「それはなんだい?」
「被害者の情報さ。あの場所であんな殺され方をした人物がどんな人間だったのか。殺害方法だけでなく、何故殺されなければならなかったのか、全てを明らかにしてこそ、謎の解明といえるからね」
確かに被害者について調べた方が良さそうだ。そう私が思った時、スターンフォードが口を開いた。彼はここに来る前に大学の本部に寄ってきたという。シャーロックについての報告の為だが、その時、事件について多少の情報を仕入れたというのだ。
被害者の名前は「イーノク・J・ドレバー」。アメリカからの留学生で、評判はあまり良くない。錬金術研究科創生部に所属しているが、少し前に精霊研究科で騒ぎを起こしていて、警察はその時の関係者に話を聞くらしい。
それから、ドレバーと一緒にアメリカから来た留学生がいるのだか、その学生とも連絡が取れないという。名前は「ジョーゼフ・スタンガスン」。こちらも警察が探してる。
一体、彼らはどんな事件に巻き込まれたのだろうか。私が考えを巡らせていると、一足先に朝食を食べ終わったシャーロックが「美味しかったよ。御馳走様」とスタンフォードに言っているのが聞こえた。そして私に向かって声を掛ける。
「ジョン、早く食べたまえ。出掛けられないじゃないか」
「どこにだい?」
驚いた私が聞くと、当然のように返す。
「もちろん、事件の捜査にさ」
それを聞いたスタンフォードは慌ててシャーロックを止めた。
「ちょ、ちょっと持って。勝手な事をしないでくれよ」
「スタンフォード、警察は僕にロンドンを出るなと言っただけだ。なら僕が外出するだけなら何も問題はないだろう?」
シャーロックの返答に、スタンフォードは半泣きで私に助けを求めてくる。
「ジョン、止めてくれ。大学に怒られる」
可哀そうな彼に助太刀したかったが、私としては事件への興味の方が勝り、そしてこういう時には悪知恵が働くもので、すぐに良い理由が見つかった。
「まあまあ、せっかくだからシャーロックが付けている探知機のテストをしようじゃないか。いざという時に役に立たなかったら問題だろ?大学にはそう説明すればいい」
私からの援護が得られなかったスタンフォードは渋々承知した。
「けどあまり遠くに行かないでくれよ」
「分かっているよ」
それだけはしっかりと約束し、私は朝食を急いで食べ終わると、シャーロックと共に研究室の外に出た。
「それでどこに行くんだい?」
私の問いに、朝の陽の光を浴びたシャーロックは清々しく宣言する。
「勿論、事件現場さ」