file016:アーサー5「謎の人物」
【登場人物】
シャーロック:探偵と名乗る頭の切れる謎の人物。魔法の知識は無い。
ジョン(私):帰国したばかりの魔法博物学の臨時教職員。
アリス :ロンドン大学・精霊研究科に所属する一年生。
アーサー :アリスの兄。海軍所属。
ドレバー :実験棟で殺されたアメリカからの留学生。
【あらすじ】
大学内で殺人事件が起こり、その調査を始めたシャーロックとジョンは、資料館でアーサーを見つける。そこで泥の少女と対峙するが、少女は嗤う太陽と共に消えてしまう。そして怪我をしたアーサーにジョンは駆け寄った。
倒れたアーサーに駆け寄った私は、すぐに治療を始めた。
傷は背後から刃物で刺されたものらしい。浅くは無いが、致命傷という訳でもない。私の拙い治療魔法でも応急処置は出来そうだった。
しかしドレバーの時も、私達が襲われた時も、今まで物理的に攻撃してきた事は無い。だとしたら、これは一体誰の仕業だろうか?
「アーサー、君に聞きたいことがある。」
治療中だというのに、シャーロックが空気を読まずに話し掛けてきた。まるでアーサーの憔悴した姿が目に入っていない態度だったので、私は強い口調で嗜める。
「まだ治療の途中だよ。」
「大事な話なのだけどな。」
返事に僅かな不平を感じたが、シャーロックは素直に従い、辺りを確認してくると言って、その場を離れた。
私は静かさの戻った埃っぽい部屋で、しばらく治療魔法を掛け続け、簡単にだが傷口を塞いだ。
「とりあえず動けるとは思うけど、後でちゃんと病院に行った方がいいよ。」
「ありがとう。魔力が低下していて自分ではどうしようも無かったんだ。」
慣れない事をして疲れたが、アーサーのしっかりした返事を聞き、私は安心する。
それにしても一日でこんなに治療魔法を使うなんて想像もしなかった。こんな事なら本格的に習うべきだったかもしれないと私は学生時代の選択を仮想する。
「もう話をしても良いかい?」
いつの間にか戻っていたシャーロックが、私を驚かせる。
「程々にね。」
「努力しよう。」
少々信用ならないが、疲労した私に止める気力は無かった。
「アーサー、君の現状を説明するから聞いて欲しい。」
先程とは違い丁寧に話し始める。私の注意が考慮されているのだろうか?
「君は今、警察からドレバー殺しの犯人として追われている。」
その一言にアーサーは強く憤慨する。
「俺は何もしていない!」
「知っているよ。しかし警察はそう思っていない。現状でドレバーを殺す動機やチャンスがあるのは、君しかいないからね。」
シャーロックは首を軽くすくめ、ただ事実を話しても無駄だと忠告した。
「警察には犯人が必要なんだ。だから君を守るには真犯人を捕まえなくてはいけない。」
「……」
シャーロックの言葉を聞くと、突然、アーサーは沈黙した。視線を自分の組んでいる手に合わせ、彫像のように考え込む。私はシャーロックへ視線を送ったが、彼も分からないようだった。
(どうしたのだろう?)
しばらくして、やっとアーサーが顔を上げた。
「頼みがある。」
「頼み?」
「あの娘を助けて欲しいんだ。」
「それは泥の少女の事だろうか?」
ドロドロの塊から少女に姿を変えた、人なのか怪物なのか、いや、生物なのかも分からない緑の瞳を持つ人型の泥である。
「そうだ。」
アーサーは強い意志を感じさせる視線で、私とシャーロックを交互に見た。
「しかし…」
私が困惑していると、シャーロックが静かに口を開く。
「あの泥がドレバーを殺したからかい?」
「何でそれを!?」
私はもちろん、アーサーもその一言に驚いた。そしてその反応を見たシャーロックは予想通りだという感じで少し目を細めると理由を語る。
「ドレバーの死体には窒息の症状が見られた。唇や指先が青っぽい紫色になっていたからね。」
シャーロックはドレバーの死体を直接見ているので、確かな情報である。
「窒息の方法は、絞首、水没、布などによる鼻口の閉塞、毒の作用などだが、どの痕跡も無かった。」
その為、何らかの魔法による殺害だと推測されたのだ。
「それに、苦しむ時間がありながら抵抗した跡が無いのも奇妙な点だ。相手から逃れようとして暴れたり、息が苦しければ自分の喉の辺りを掻きむしったりするものだからね。」
シャーロックは死体の不自然さを指摘する。
「どのような状況ならあんな状態になるのか、僕は考えていたんだが、あの泥を見た瞬間に分かったよ。」
私は先程の泥の動きを思い出す。ドロドロと動く泥の塊が素早く移動し、物を投げたり、一部を分離して打ち出し攻撃していた。
「泥により気道を塞がれ、抵抗してもドロドロの泥をかき混ぜるだけ。そうかと思えば体を拘束されて逃げ出す事もできない。そしてその泥は自在に形を変えられるなら、証拠も残さない訳だ。」
シャーロックはドレバーの殺害方法を説明する。
「僕にとって初見の技術だったのは盲点だったが、いや、それでも窒息の証拠はあったのだから、それらを考慮した上で仮説を立てる事は可能だったかもしれない。今後の課題だな。」
しばらく独り言を続けた後、シャーロックはやっとアーサーの方を向く。
「これがドレバーの殺害方法で間違いないかい、アーサー?」
「そうだ。俺はその場にいたから間違いない。」
アーサーはシャーロックの推理を肯定したが、すぐに言葉を続ける。
「ドレバーを殺したのは彼女だ。だけど俺を助けてくれたのも彼女なんだ。だから俺も彼女を助けたい。」
意気込むアーサーに押されながらも、シャーロックは話を聞かせてくれるように宥めた。
「昨夜、一体何があったのだい?状況が分からなければ、助ける方法を考える事もできないからね。」
「分かった。」
アーサーから短くはっきりとした答えがあり、私達は昨夜の事件についてやっと知る事が出来たのだった。
昨夜、アーサーは海軍の休暇で家に戻っていたそうだ。そしてアリス嬢に会った時、すぐに指輪が無い事に気付いた。
「あの指輪は大切な物だから、アリスが外すなんて考えられない。」
指輪とはアリス嬢の実父の家に伝わるミスリル銀の指輪で、特別に預かっている物である。
『アリス、指輪はどうした?』
『ええと…実験で使わせて欲しいと、ブラックウッド教授がおっしゃったので、お貸ししたのよ。』
アリス嬢はそう答えたが、すぐに嘘だと分かったという。
「アリスは隠し事をする時、目線を逸らして髪をかき上げるんだ。」
アーサーはアリスの事なら何でも分かるのだと自慢する。仲の良い兄妹というのは本当のようだ。
「子供の頃、親の再婚でからかわれた時も、精霊使いの能力を妬まれて物を隠された時もそうだった。」
何か話し辛い事が起きたのだと気付いた。
「その時、不意にあいつの顔が思い浮かんだ。」
しばらく前にドレバーがアリスの指輪を強引に買い取ろうとした事をアーサーは思い出した。異常に執着して、しきりに売るように迫ってきたのだ。
『あいつに取られたのか!?』
『ち、違うわ。』
アリス嬢は否定したが、それで確信したという。
「アリスがあいつに無礼な事を言われたのかと思うと、それだけで腹が立ったよ。」
アーサーはあからさまに不快な表情になる。
「何か卑怯な手段で奪ったんだ。」
それで指輪を取り返してやろうと家を飛び出したのだという。
「指輪には紛失防止の魔法が掛けてあるから、場所はすぐに分かったよ。」
「どこにあったんだい?」
「大学だ。」
しかし精霊科の建物では無かった。
「魔力の矢印はハドソン実験棟を指していた。何でこんな所にと思ったけど、実験に使うという言葉を思い出して、それ以上は深く考えなかったんだ。」
そして実験棟の扉を開き、ドレバーを発見した。
「中にはあいつがいた。でも…その時にはもう泥の塊に飲み込まれていたんだ。」
アーサーの目の前には、泥に覆われ顔の半分がやっと見える頭と、手や足の先が飛び出しているドレバーがいたそうだ。
「実のところ、既に死んでいたんじゃないかと思う。」
アーサーはその時の気持ちを打ち明けた。
「でも、あいつが死んでいたとしても、助けない訳にはいかなかった。」
纏わりついている泥を魔力で吹き飛ばそうと、アーサーは力を集中した。そして波動の魔法を放とうとした瞬間、背中に激痛が走ったそうだ。
「何が起こったのか分からなかった。頭が真っ白になったのと同時に、悲鳴が聞こえたんだ。」
「悲鳴?」
「俺には悲鳴のように聞こえたよ。だから声の方を向いた。」
すると泥の中に緑の瞳があり、アーサーを見つめていた。そして見る間に泥は少女の姿に変わっていったという。
「彼女は俺に走り寄って抱きしめ、それと同時に泥が俺を包み込んだんだ。」
その時、傷口を守ってくれた気がするとアーサーは付け加えた。血の跡が外に続いていなかったのは、そういう訳だったのか。
そしてアーサーは泥に包まれたまま外に移動したという。
「彼女はとても怖がっていた。そんな風に伝わってきたんだ。」
だから少女を安全な場所に匿おうと考えた。
「警察には頼れなかった。彼女を保護するどころか、ドレバーを殺した犯人として逮捕するだろう。もしかしたら人とは認めずに消してしまうかもしれない。」
その時に思い出したのが、アリス嬢から教えてもらった秘密の場所である。
「ここに行くように話したのか、考えただけなのかは分からないけど、何故か伝わったんだ。」
しっかりと憶えているのはそこまでらしい。
「段々と意識が遠のき、気付いたらここにいた。そしてしばらくしたら、貴方達が来たんだよ。後は知っての通りだ。」
話し終えると、アーサーは私達に問い掛けた。
「彼女を助けてくれるよな?」
「何とかなりそうだ。」
シャーロックは余裕のある笑みを浮かべて答える。
「ドレバーは何かを操る指輪を作らせていた。もし、その指輪で泥が操られていたなら、泥に殺人の責任は無い。ただの道具だからね。」
「道具という言い方は酷いよ。」
正体不明とは言え、泥の少女を「道具」とい言った事に私は抗議する。人ではないかもしれないが、少なくともアーサーを助けたのだから。
「泥が自分の意思でドレバーを殺したなら擁護できないだろう?道具だった事にした方が都合が良いんだよ。」
「そういう事か。」
私が納得したところでアーサーが割って入る。
「指輪で操るっていうのは本当か?」
「現場には君を刺した第三者が居たんだろう?そいつが操っていた可能性は大いにあるよ。」
「確かに!」
「それで、幾つか確認したい事があるんだ、アーサー。」
シャーロックは先程聞いた話で浮かんだ疑問について、追加で質問を始めた。
「実験棟の扉に鍵は掛かっていなかったのかい?」
「え?ああ…そういえば鍵は掛かっていなかったな。そのまま開いたよ。」
「妙だな。」
「そうだね。通常の実験をする時でも鍵は閉めるのが規定だからね。」
私も相槌を打つ。
「それから、君を刺した奴は見たかい?」
「…見ていない。彼女の方に気を取られてたから。」
「誰が刺したのか分かれば、かなり重要な情報だったのだが、仕方が無いね。」
緊急事態だったとはいえ、もし犯人を見ていたなら状況は変わっていただろう。
「最後に、さっき現れたあのふさげた太陽は現場に居たかな?」
「いいや。」
アーサーは考えるまでもなく即答する。
「あんなのが居たら気付くはずだ。」
「君が乗り込んだ時には居なかったという事だね。」
ハドソン実験棟で見つけた謎、「ドレバーの殺害方法」、「焦げ跡」、「飛び散った血」は全て解明した。しかし事件は解決せず、更に謎が出現した。
「アーサーを刺した人物、そしてふざけた太陽を操っている人物、謎の人物が新たに登場だ。」
シャーロックは残念というより、むしろ楽しそうにそう言った。
「次に僕等がする事は、こいつらの謎を解く事さ。」
「泥の少女の正体は?」
「それは専門外なので君に任せるよ、ジョン。」
魔法関連について、彼は本当に興味が無いらしい。
ここまで言うと、シャーロックは次の行動について相談する為、アーサーへ話し掛けた。
「アーサー、君を今すぐアリス嬢の元に連れて行きたいのだが…」
「アリスは心配していたか?」
シャーロックからアリス嬢の名前が出ると、アーサーは途端に落ち着かなくなった。
「とてもね。」
「今はどこに?家か?いや、この時間なら講義?」
「大学の本部だよ。」
「何故そんな所に?」
「アリス嬢は君を助ける為に、自らドレバー殺しの犯人だと名乗り出て、今、警察の保護下にある。」
「何だって!」
アーサーは怪我人とは思えない程、素早く立ち上がり、私たちを驚かせる。
「落ち着いてくれ。警察もアリス嬢が犯人だとは思っていない。君が警察に行けば、すぐに解放されるだろう。」
「そうか。ならすぐに行こう!」
言うなりアーサーはそのまま飛び出してしまった。
「おいおい…まだ話の途中なんだがな。」
シャーロックは呆れたように呟く。
「追い掛けるしかないね。」
放っておく訳にもいかず、私達は急いでアーサーの後を追った。
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