file011:アリス4
大学内で殺人事件が起こり、その調査を始めたシャーロックとジョンは、犯人だと名乗り出たアリス・シャルパンティエと話をして、被害者のドレバーについて新たな情報を得る。そして行方の分からないアリスの兄アーサーを探す約束をするのだった。
私達はグレグスン警部を説得し、第3応接室にいるアリス嬢と面会できる事になった。
と、その前に、私はシャーロックへ懸念を口にする。
「君の首輪は外した方がいいよ。初対面の人間には、多分…心象が良くない」
これから秘密を聞き出そうというのなら、少しでも警戒されない方が良いはずだ。しかしシャーロックは首輪を撫でながら戯けて返す。
「外すわけにはいかないよ。これは僕が君の犬だという証だからね」
その首輪は、確かにシャーロックの位置を把握する為のものだ。しかし何度も言うが、私が腕に付けてくれと頼んだのを、シャーロック自身が首に巻いたのである。
「ただの追跡装置だろう!」
私が少し強めに否定すると、シャーロックはクククッと喉の奥で笑った後、今度は考えるような顔で言った。
「しかし、これを外すと親機で警報が鳴るのだろう?そうしたらスタンフォードにまた心労が溜まってしまうよ」
シャーロックの言葉に私はハッと気付く。そうだった。この首輪には外れた際に親機に通知される仕組みが付いている。もしそれが作動すれば、既に色々と心配しているスタンフォードが、益々心配する事になるだろう。それは確かに気が重い。
それに、とシャーロックは続ける。
「アリス嬢と話すのは僕じゃないから大丈夫だよ」
「それなら一体誰が話すんだい?」
私は驚いて聞き返す。アリス嬢との面会には、警戒されない様に警察関係者を同席させないことになっている。だからシャーロック以外に話す者はいないはずだ。
しかしシャーロックは涼やかな顔で私を見た。
「もちろん、君だよ、ジョン」
「いやいやいや、私には無理だ」
私は即座に辞退する。私にはシャーロックのような巧みな話術は持ち合わせていない。人から秘密を聞き出すなんて不可能だと。
「君にそんな事は頼まないよ」
シャーロックはあっさりと私の考えを否定した。
「もし君が挑戦したとして、100回やっても成功しないだろうからね」
真顔でそう説明されて、私は少し傷ついたのだが、そこには何も触れずにシャーロックは本題に入った。
「君にはアリス嬢と精霊とやらの話をして欲しいんだ。あのふざけた太陽の正体についてね」
「何故だい?アリス嬢は優秀な精霊使いだと聞いているが、正体を知りたいなら精霊科の教授に尋ねた方が早い」
「もちろん、それは後から行うとしよう。しかしアリス嬢に話を聞くことに意味があるのだよ」
そう言うと人差し指で自身のこめかみをトントンと叩く。
「なるべく話に集中してもらわなくてはいけないが、それには聞き手に一定以上の知識が必要だ。そして君は及第点に達している。だから、ぜひ頼まれて欲しい」
魔法の知識について頼られると私は断れない。太陽の精霊の正体には興味もあり、好奇心が追い風になって承諾してしまった。
「実は他にも頼みがあるんだ」
話の最後に、意味深な笑顔でシャーロックは付け加えた。
私達は第3応接室に向かった。見張りの警官が立っていたが、話が通っているので一声掛けてそのまま扉の前に行く。
扉をノックすると、中からか細い「どうぞ」という声が聞こえた。静かに扉を開けて中を見ると、そこにはソファにも座らず、手を握りしめたアリス嬢が立っている。こちらを真っ直ぐに見つめる目は、不安ながらも何かを決意したような眼差しだ。
今朝方、話を聞いた学生が、アリス嬢は精霊科のアイドルだと言っていたのを思い出す。
あの年頃の男子学生は、とにかく女性に弱い。少しでも気になる女性については美の女神のように思い込む。それが悪いわけではないが、世界の様々な美を知れば、簡単に女神に例えるなど出来なくなるだろう。だから彼らの言う、世界一美しいや、絶世の美女だとかいうのは話半分で聞いた方がいい。
今回もそう思っていたのだが、これは訂正せねばならないようだ。
アリス・シャルパンティエは、類稀に見る可憐な女性であった。
月の光を糸にしたようなブロンドの髪に、純度の高いアクアマリンと見間違うばかりの透明感のある水色の瞳。まるで美術品のようだが、体から溢れる生命力から生きていると分かる。決して派手な服装ではないのに、凛とした花のような印象だった。
少し幼さの残る顔は、緊張のために青白くなっているが、それすら美しさを際立たせる装飾になっていて、私は思わず息をするのを忘れていたが、シャーロックに突かれて本来の目的を思い出す。
まずは自己紹介し、精霊のことで話を聞きたいと伝えると、すぐにアリス嬢に戸惑いの表情が見て取れた。きっとアーサーの事を聞かれると思っていたに違いない。
その後も、こちらの真意が分らず警戒していたが、私達が「嗤う太陽」に襲われた事と、それに関係する者こそドレバー殺しの犯人だと伝えると、幾分ホッとした様子になり、協力することを承諾してくれた。
嗤う太陽とアーサーは無関係であり、真犯人を捕まえる事でアーサーへの疑いが晴れると理解したのだろう。
私は襲われた状況と嗤う太陽の特徴を説明した。
後で聞いた話だが、私達が会話している間、シャーロックはアリス嬢の様子をつぶさに観察していたという。瞬きの数、瞳の動き、呼吸、汗、手の動き、声の調子、様々な事が情報なのだと彼は言った。
説明を聞いたアリス嬢は、嗤う太陽はアメリカの精霊である事、そして強力な力を使っているので、精霊使いはかなりの魔力を消費し、近距離にいる必要がある事、という私の見解に同意してくれた。
基本的な情報を共有した後、私は更に具体的な質問を始める。
「その精霊について他には何か知りませんか?アメリカの精霊なら、ドレバー氏が関係していると思うのですが」
ドレバーの名前を出した途端、アリス嬢の顔色が変わった。
あるタイミングで幾つかのキーワードを出すようにシャーロックから頼まれていたのだが、ドレバーはその一つである。その時は意味が分らなかったが、この反応を観る為だったのかと、やっと私は気付いた。
「良く、分りません…」
アリス嬢の消え入りそうな返事を聞いて、私はなんとか会話を続けようと別の質問をした。
「今までの話で何かおかしいと思う事はありますか?」
「はい。彼らの精霊は神に近いものです。そのような精霊はより土地と密接な関係がありますから、離れた土地で活動するのはかなり特殊だと思います」
「そういう状態で操るとなると大変なのですか?」
「精霊は操るものではありません。敬意を表して、力を貸してもらうのです」
「失礼。そうでした。ですがドレバー氏が作らせた指輪には、何かを操る機能が付いていたのです」
それを聞いてアリス嬢は新しい情報を私達にもたらした。
「あの方達はゴーレムを作っていると伺いました。でしたら、その指輪はゴーレムを操るものではないでしょうか?」
ゴーレム?ゴーレムは土、石、金属などで作られた魔力で動く人形だ。主に人型だが様々な形があり、主人の命令に忠実な人造物である。
しかし彼らの目的がゴーレムを操る事なら、精霊使いのアリス嬢とは繋がらない。何の為に彼女の指輪が必要だったのだろう?
「ドレバー氏が貴方の指輪を持っていたと聞いたのですが、それは本当ですか?」
「…はい」
「何故ドレバー氏が持っていたか、心当たりは?」
「あの…」
アリス嬢は何かを言いかけて黙ってしまった。しばらく沈黙が続いた後、ようやく口を開く。
「指輪は私がドレバーさんにお貸ししたのです」
「貴方が?あんな大切なものを?」
驚く私の言葉を遮るように、アリス嬢は続ける。
「3日間だけ貸して欲しいとおっしゃったのです。用事が済めば返すとお約束してくれました。ですから、それを信じてお貸ししました」
「あんな騒ぎを起こした人物に?」
申し訳ないが、話を聞く限りドレバーが信用できるとは思えない。そんな人物にどうして指輪を貸したのか、詳しく聞こうと思った。
しかしその瞬間、シャーロックにポンと肩を叩かれた。彼の方を見ると詮索しないようにと首を振るので、私は察して話を変える事にした。
「話を戻しましょう。貴方の指輪は太陽の精霊と関係があると思いますか?」
胸のつかえが取れた様子で、アリス嬢はまた会話を再開した。
「いいえ。先程の話を聞く限り、私の指輪とは関係なく精霊の力を使っています。別の精霊使いが関わっている可能性が高いです」
「その精霊使いに心当たりはありませんか?精霊科にもアメリカからの留学生はいるのでしょう?」
「確かに在籍していますが、元々はイギリスからの移民の子孫の方ばかりです。太陽の精霊は、先住民の方々の領分だと思います」
そう答えた後、アリス嬢は何かに気付き、こう言った。
「ドレバーさんとスタンガスンさんが話している時に、一度だけ “あの方” という呼称を聞いたことがあります」
「“あの方”?」
「はい。すぐにスタンガスンさんが声を潜めるような仕草をして、何も聞こえなくなったので、それ以上は何も分からないのですが…」
「いえ、貴重な情報、助かります」
その後もハドスン実験棟、工学部、精霊科の事ついて、幾つか質問した後、私の話しは終わった。
聞き忘れた事はないかと後ろを見ると、それまでほとんど口を開かなかったシャーロックが、進み出てアリス嬢に話し掛けた。
「時に私は探偵を生業としているのですが」
キョトンとするアリス嬢などお構いなしに、彼は続ける。
「貴方さえ良ければ、アーサー・シャルパンティエ氏をここにお連れしましょうか?」
突然の提案にアリス嬢は困って私の方を見た。しかし私もこんな事は聞いていなかったので戸惑うしかなかった。
「報酬は貴方が自由に決めて構いません。この事件は僕にとっても解決しなければいけない事件なのでね」
「あの、でも…」
「只、アーサー・シャルパンティエ氏に信用してもらう為に、貴方の使いだと分かるものを貸して頂きたいのです」
アリス嬢は決めかねる様に、しばらく目を伏せて手を胸の前で組んでいたが、意を決したのか私達を真っ直ぐに見て尋ねた。
「アーサーを助けて頂けますか?」
「勿論です。無事に貴方の前にお連れしますよ」
するとアリス嬢は家族写真が入った大事なロケットを預けてくれた。私がロケットを受け取ったシャーロックよりも返却する約束を熱心にして、少しでも安心してもらえるように努めたのは言うまでもない。
「それで、アーサーが隠れている場所ですが…」
おずおずとアリス嬢が申し出ると、シャーロックは笑顔で返す。
「実験棟と精霊科の間にある、あそこでしょう?」
「資料棟かい!?」
私は驚いて口を挟んだ。
「うん、それだ。そこにいるのでしょう?」
「どうしてそれを…」
アリス嬢は幽霊を目にしたような表情でシャーロックを見つめ、私もそのまま注視した。
「何、探偵というのはそういう者なのです。これで僕の能力はお分かり頂けたと思います」
あっさりとそう答えて、更に付け加える。
「そうそう。ドレバー氏に指輪を貸した事は、こちらから警察に話しておきますよ。当たり障りがなく、且つ、皆が納得する理由を作ってね。お気になさらずに。依頼人を守るのも仕事ですから」
こうして、アリス嬢を彼女自身の作った檻から出し、アーサーを探す約束を交わし、更には探偵は不思議な力を持っているのだとアリス嬢に強い印象を残して、私達は第3応接室を後にしたのだった。
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