file010:アリス3
大学内で殺人事件が起こり、その調査を始めたシャーロックとジョンは、犯人だと名乗り出たアリス・シャルパンティエに話を聞く為、まずはグレグスン警部との面会を申し込んだ。
私とシャーロックが大学本部へ着いた時、亜麻色の髪をしたグレグスン警部は明らかに機嫌が悪かった。
無理もない。捜査中の事件に犯人が名乗り出たまでは良いが、その名乗り出た人物、アリス・シャルパンティエにはアリバイがあるのだから。
何かしらのトリックを使ったにしろ、その方法が分からずに逮捕はできない。誤認逮捕などすれば、スコットランドヤードと自分の名誉に傷が付くと考えているだろう。
スコットランドヤードは秩序と平和の維持を任されている。この事件はロンドン市民に注目されており、且つ、グレグスンはプロフェッショナルの警察官としての誇りがある。そんな者が間違いなど犯してはならない。
だからグレグスンは大変に困った状況なのだ。
そんな折に来客があったのだがら、なんとタイミングの悪い奴だと思っているはずである。しかしこちらには重要な用件があると言って、無理に面会を申し込んだ。
「その要件とは、余程重要なのだろうね?」
ジロリとこちらを見るグレグスンの視線を、シャーロックは穏やかに「勿論です」と受け止める。
「君達が襲われた件なら、聴取は済んでるはずだが?」
グレグスンの言う通り、シャーロックが治療を受けている間に警官が来て『嗤う太陽』に襲われた状況は話していた。黄金と翡翠の指輪については、警備員が偶々拾ったという体に変更していたけれど。
「証拠もできる限り採取したし、周辺の聞き込みもした。まあ、聞き込みは全くの無駄だったがね。だから私は君達に用などないのだよ」
不機嫌そうにグレグスンが付け加えた言葉を聞いて、シャーロックの瞳がキラリと光ったように見えた。しかしそれはほんの一瞬で消え、軽やかに応対する。
「それは理解していますとも。警部の事だから、取り零しなく必要な証拠を集めたに違いありません」
相手を立てるようにシャーロックは言ったが、その後「ですが」と続けた。
「貴方の困り事はまだ終わっていないはずだ。そう、アリス・シャルパンティエの事ですよ」
それを聞いてグレグスンは黙ってしまった。眉間の皺は不機嫌から困惑を示すものに変わる。
「アリス嬢が自らを犯人だと名乗り出た理由は、予想が付いているのでしょう?」
シャーロックの問いに、グレグスンは鼻をフンと鳴らした。
「無論だ」
「その理由とは“アーサー”ですね?」
アーサーというのはアリスの兄で、大変仲のいい兄妹だと聞いている。そのアーサーの名前が出るとグレグスンの目は鋭くなった。
「何故そう思う?」
「アーサーには昨日の夜からアリバイがない。そしてドレバーを殺す動機があるからです」
「動機とは?」
グレグスンは試すように質問する。
「アリス嬢の指輪です」
グレグスンの反応を見て、そのまま話しても良いと感じたシャーロックは、人差し指を立てて一つ一つ説明していく。
「ドレバーはどうやったのかは分からないが、アリス嬢から指輪を手に入れた」
次に2本目の指を立てる。
「それに気付いたアーサーは、指輪を取り戻すためにドレバーに会いに行き、話し合いが上手くいかずに勢い余って殺害してしまう」
最後に3本目を立てて結論を述べた。
「だからアリス嬢はアーサーを庇うために嘘の自白をしたという訳です」
「そこまで分かっているなら、もう良いだろう?」
グレグスンが話を遮ったが、シャーロックは全ての指を広げて警部の目の前に出して軽く牽制すると、疑問を提示した。
「しかし、それでは矛盾が生じるのですよ。アーサーが犯人なら、ドレバーの死体にアリス嬢の指輪が残っているのはおかしいですからね」
そして確認の為の質問を付け加える。
「犯人は別の指輪を奪うために、わざわざ僕達を襲ってきたというのにです。そうでしょう、警部?」
更にアリス嬢についても言及した。
「それに、アリス嬢はアーサーがドレバーを殺した所を、実際に見た訳ではありません。アリス嬢が事件当時、家に居た事は、警察が証明してくれるのですから」
その時のアリス嬢のアリバイは、警察が既に確認済なのである。
これらの事実にどう反応するのかと私は見ていたが、話を聞いたグレグスンは、そんな事は矛盾でも何でもないと否定した。
「ドレバーの服のポケットに指輪が残っていたのは、アーサーが予定外の殺人で動揺していたせいで、指輪を見つけることが出来なかっただけだ。君らを襲ったのも、取り返す指輪を間違っただけだろう」
その言葉で呆気に取られた私を余所に、シャーロックは「なるほど」と感心した風に装いながら、すぐに言葉を返す。
「では、この際、犯人が誰かは置いておきましょう」
私が内心「何を言っているのだ」と思ったと同時に、シャーロックから次の言葉が飛び出した。
「今の問題はアリス嬢が知っている情報です。それを知りたくはないですか?」
情報と言う言葉にグレグスンが反応する。
「その情報とは何かね?」
「当然、アーサーの居場所ですよ」
「なんだって!」
私は誰よりも早く驚きの声を上げ、グレグスンはそれにより出しかけた声を飲み込み「それは本当か」と尋ねた。
「アーサーは海軍の人間です。ロンドン大学の構内に詳しいはずはない。それなのに警察から隠れ仰せているのは、秘密の場所を知っているからでしょう。そしてそれを教えたのはアリス嬢以外に考えられない」
その秘密の場所は、事件より前にアリス嬢からアーサーに伝えられたもので、事件が起こった後に、アーサーが思い出して隠れ場所にしているのだとシャーロックは説明した。
「アーサーを疑っている警察に、アリス嬢がその場所を明かすとは考えにくい。そしてその間に犯人は逃げる可能性が高くなる。どうでしょう、僕たちに話をさせていただけませんか?」
シャーロックの話の内容にグレグスンは納得していたが、しかしスコットランドヤードのプライドが邪魔しているようで、中々、承諾しなかった。
「どうか、僕を助けると思って許可して頂きたい」
シャーロックは口調を変えて懇願する。
「どういう事かね?」
「忘れたのですか?僕は犯人の身代わりにされそうになったのですよ。だから、どうしても犯人にその事を問い質したいのです」
「ふむ」
恩を売るのではなく、自分を助けるという形にして、プライドの高いグレグスンに受け入れやすい形に変えたのだ。
お蔭でやっと承諾を得る事が出来た。勿論、アーサーの居場所は必ず聞き出すという条件付きだが。
「さて、アリス嬢とご対面だ」
シャーロックはグレグスンに気付かれないように、不敵な笑みで私にそう言った。
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