18.兆し
リーセレンを冒険者ギルドに送り届けたその後。俺は槍の遺産亭に戻り、ヒルデ爺さんに修行をつけてもらっていた。
「ほぉ、少しッ――余裕が出てきたんじゃないか……のうッ!」
「ああッ!このぐらいならッ――捌ききれるようになった!」
ヒルデ爺さんは槍を使い、俺は片手剣と盾を持っている。剣を持っているといっても、バランスを保つために持っているだけで、今回の修行の内容は盾でヒルデ爺さんの槍を受け流し続けることだ。
「それなら、もう一段階上じゃあ!」
ヒルデ爺さんの槍の速度が上がる。攻撃の密度と圧が高まり、俺は圧倒され始めた。
「ッシ――!!」
俺は息を大きく吐きながら、ギリギリのところでヒルデ爺さんの攻撃を捌く。しかし、耐えられたのも束の間、次の瞬間には俺の首元に槍が突きつけられていた。
「今日はここまでじゃな」
ヒルデ爺さんの一言で体中の強張った筋肉が一気に弛緩し、俺はその場にドサッと座りこんだ。体中から心臓の鼓動が響くほどに、俺の体は酸素を欲しがっている。空気を吸おうと肺を大きく膨らませるが、これ以上中には入らない。
「ありがとう――ヒルデ爺さん」
この世界に来て、約一か月ほど。毎日こんな修行を続けている。元の世界ではアスリート、という程の運動をしていたわけではないが、それでもある程度は体を動かしていたという経験と自信はある。別に特段苦手というわけでもなかった。
その時と比較をして気付いたのだが、この世界では体が妙に軽いし頑丈だ。明らかに重傷を負う速さで壁や地面に叩きつけられても、かすり傷で済んだり。大体のものが軽かったりする。身体能力に関して一番わかりやすく変わったのがおそらく跳躍力だ。明らかに跳んだ時の目線が違う。身長の二倍は跳んでる。おかしい。
おそらくその要因は魔力にある。今のところ、この世界で起きた変化はスキルと魔力の二つだけだからだ。ヒルデ爺さんによれば、体内の魔力は保持者の思考に影響され、ある程度考え通りに補助されるらしい。魔法の原理も同じだという。
言われたことに対してさっぱり過ぎたから魔法を習得するのは諦めたけど、何か行き詰まった時には学んでみようと思う。
「攻撃を捌くことに対して筋はよくなっておる。自らの身を守る力が上がるのは大いに結構、命あっての物種じゃ。しかし、反撃を行えなければいずれ負ける。お主は剣が常に意識の外にあったじゃろ。防ぐことに重点を置いた修行とはいえ、いつでも反撃できるよう備えておらんとあまり効果は得られん」
「わかった。次は反撃することまで頭に入れておくよ」
ヒルデ爺さんの言う通り、今の俺は攻撃を受け流すことに躍起になりすぎていたのかも知れない。強烈なカウンター、何かしらでこれを体得していれば防御優先の戦闘スタイルでも強敵相手に立ち回ることができるはずだ。何かいい案はないだろうか……。
「ふう……難しいもんだな」
今日の鍛錬を終えて、にじみ出る汗を拭いながら槍の遺産亭の外へ出る。涼しい夜風に当たりながらの軽いランニング。この小さな努力でも、この世界では効果が大きい。《持久力成長》のスキルを持っていればなおさらだ。
夜の聖都はここ数日でにわかに騒がしくなってきた。この世界にも曜日の間隔はあり、今日はまだ水曜日くらいで一週間の折り返し地点、夜が楽しみになる日にはまだ早いはずなのに。
ふと細い路地の奥をちらりと見てしまう。ここは確か一か月前に、ヒルデ爺さん達が修行していた路地だ。今日の路地は一段と嫌な気配がする。
今日は路地裏には入らない。あの時はフラフラと付いて行ってしまったが、夜の路地裏は危険だとエルマンに教わった。俺は興味を失い、ランニングへに戻る。
「リーセレンの様子でも見に行くか……」
建物の上から、液体が数滴垂れてくる。反対側の家にはそんなもの一滴も見ることは出来ない。今日は星がその存在を主張する、明るい夜。雨なんて丸一日、降ってはいない。
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冒険者ギルドからは光が少しこぼれている。この時間になっても絶賛営業中のようだ。
「こんちわー……」
正面の扉を、軋む音がならないようにそっと開く。やはり昼間と比べると人は少ないが、閑古鳥が鳴いているという程ではない。
「あ、ソガミさん!ちょっとこっちに来てください」
ギルドの扉が開く音に敏感になっているのだろうか。カウンターにいたアリアさんが俺の存在に気付いた。
アリアさんに無言で導かれるまま、職員用の通路を通りリーセレンが眠っているはずのギルドの仮眠室に通される。
足音に反応したのだろうか、こちらを見ていた赤い瞳とばっちりエンカウントしてしまった。
「シュンセイ!来てくれたんだ、ありがと」
ベッドの上で体を起こし、壁に背中を預けた状態で片手をひらひら振るリーセレンがそこにいた。昼間に運び込んだ時の顔色と違いすぎて、一瞬誰だか分らなかった。
「すみませんが、私は仕事があるので失礼しますね」
アリアさんが部屋の隅を通り、扉を閉めて部屋から出る。扉が閉まる音にハッとし、リーセレンに近寄る。
「体調はもう大丈夫なのか?」
「うん!もうあの時倒れたのがウソみたいに元気なの!」
腕の筋肉を強調するように元気のボディランゲージを行ったリーセレンだったが、空元気のようにも見えた。
「そっか。なら良かった……ところで、気候魔獣を凍らせたあの魔法。あれはいったい何だったんだ?」
「あれは……その……実はあたしにもよくわからないの。魔法じゃないし、たぶんスキルでもない。あたしの中にあるママから受け継いだ謎の力」
「あたしのママはね、とってもすごい氷魔法使いなの。でもベッドで寝込みがちで、たまに調子のいい日があって、その時だけあたしのママは街の誰よりも強い魔法使いになる。その日に一気にバーっと稼いで、他の日は節約して節約して、あたしはそんなふうに生活してきた」
「でもママは、魔法を使うたびにどんどん弱くなってる。もう最近は歩くので精一杯……だから私が稼がなきゃいけないの、ママの代わりに」
そう語るリーセレンには赤い瞳とは似合わない、悲しみが宿っているように見えた。
「この聖地に来たのも、ここなら仕事がたくさんあるだろうからってママが言ってたの。だからありがとうシュンセイ。私だけだったら間違いなくあの気候魔獣に殺されて、ママを一人にさせちゃうところだった……」
リーセレンは瞳の端に涙をにじませ、俺の手を両手で包みながら頭を下げた。
「ど、どういたしまして、これくらいのことだったら……俺はいくらでもするから!どんどん頼っちゃってよ!」
これだけの感情を溢れさせた人との接し方を、俺は知らなかった。いままでの俺はなるべく安全に、安定をとるように生きてきたから。これくらいの挙動不審が出ても仕方ないだろう。
そんな俺を見たリーセレンは、目をこすりながら軽く吹き出した。
「あはは!そっか、頼っちゃっていいんだ……じゃあさシュンセイ、あたしとパーティを組もうよ」