13.教官<大将
怪我をした時のためにキズ薬を買いたい。冒険者としての初仕事を終えた後、槍の遺産亭への帰路の途中で露店や商店を見て回っていると露店と露店の間、細い路地の中を歩く人物が見えた。
「ヒルデブルク爺さん……?」
その背中を追って俺は路地裏に入り込む。大通りと比べると整備されていないと感じるが、毎日誰かが使っている道だった。
上を見上げると洗濯物が干してある。吊るしてある紐の横では猫が数匹集まって丸まっていた。
すると上空を旋回していたカラスが数羽、猫に襲い掛かる。勝ったのは猫。ヒラリとかわして床に抑えつける。一匹につき一羽、今日の晩餐になるのだろうか。
「しまった。猫に見とれてて爺さんを見失っちゃったよ」
小走りになって前に進む。道幅が狭いせいで余計に速く走っていると感じてしまう。
左斜め前の方から何か音が聞こえる。例えるなら鉄を打つような何かがぶつかる音。それが何度も。
音の鳴る場所へ。路地裏の中の更に路地の方へ入る。
少し開けた場所に出た。中心では三人の人物が交錯する。一人は槍を持ったヒルデブルク爺さん、後の二人は顔が見えないほどに深く黒い装束を身にまとい、槍と短剣で交互に爺さんへ切っ先を向ける。
爺さんは二対一にも関わらず二人の攻撃を捌きながら、槍の柄を叩きつけていた。
「《疾走》!」
爺さんが襲われていると理解した俺は反射的に《疾走》を使って近づいて、槍を持っている方に飛び蹴りを食らわせた。
「加勢するよ!爺さん!」
「お主は確か昨日エルマンと来た……」
俺が参戦した直後から三人は固まった。これを好機と思い飛び蹴りをかました方に止めを決めに行く。
「ちょ、ちょっと待って。タイムタイム!」
黒装束が両手を前に突き出し、どこか聞いたことのある声で制止してきた。
そして慌ててそのフードを取る。隠された所から出てきたそれは、気まずそうに笑っていた。
「エルマン?」
俺が理解に追い付けず固まっている間に、後ろで動き出した爺さんが笑い出した。
「ガッハッハ!中々気概のある小僧じゃないか!どれ、今日の修行はここで終わりとしよう」
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お食事処兼宿屋『槍の遺産亭』。ここの大将の料理は格別だと、聖都南部で知られている。特に冒険者ならこの店に来たことの無い人の方が少ない。
何せ大将は元Sランク冒険者のヒルデブルク・ランツェベルテ。かつて【穿撃】と呼ばれ数々の災禍から人々を救った英雄。一つの目標とする人物に教えを乞うためにここを訪れる人は多い。
「それじゃあ、あれはヒルデ爺さんに鍛えてもらってただけなんだ」
「うん、そういうこと。今日のテーマは暗いところでの戦闘だったんだよ」
貸し切りの店内でエルマンから事情を聞き、自分の早とちりを反省してから『勘違いしない方が無理じゃないか?』と思いつつ口には出さなかった。
「それにしても勇気あるね〜キミ!あれだけすぐ行動できるのは私尊敬しちゃうよ。あ〜あ、エルマンから乗り換えちゃおうかな〜?」
エルマンの横に座るお姉さんが肘をつき、机に身を乗り出して顔を寄せてくる。その表情が綺麗でつい見とれてしまった。この人がもう一人の黒装束の正体。
「ちょっとミリナ!シュンセイが反応に困ってるからやめなよ」
「もう〜冗談だよ冗談。内心ちょっと焦ったでしょ?」
「全然!」
エルマンが腕を組んで体を反対に向ける。そこにミリナがちょっかいをかけだした。
ミリナさんはエルマンの彼女、つまりガールフレンドだ。アルティス商会で働いており、遠出することも多いため中々エルマンとは会えないらしい。赤みがかった茶色の髪色と小麦色の肌からは彼女の活発さが伺える。
「それにしてもヒルデ爺さんが元冒険者で、しかもSランクだったなんて……二人を相手にして無傷だったのを見なかったら信じなかったな」
「師匠はもう料理の道に専念しちゃってるからね。あと自分からもあまり言わないから」
噂をすればというもので、ずかずかとこちらに向かう足音が聞こえる。
「随分待たせたな!これが今日のオススメ、丸ごとクロックウルフだ!」
ヒルデ爺さんが注文していた料理を運んできた。名前の通り丸ごと一匹分が俺たちの机に載せられた。
「今日はもう店じまいだ。ワシも一緒に食べるぞ!」
そうしてヒルデ爺さんは俺を奥に押し込んでエルマンの正面、俺の隣に座る。近くに座って分かったが引退したとは思えない腕の筋肉だ。
「ほれ小僧、お前も酒を飲むか」
そう言って料理と一緒に持ってきたお酒を差し出す。
「いや、俺はお酒は飲まないって決めてて」
「そうかそうか。ならエルマン、お前が飲「いただきます!」なんじゃ速いな」
エルマンはお酒を飲まなさそうだと思ったが思ったより飲む。でもお酒には弱い。最初にこの店に来た時それを実感した。
「もう、あんまり飲みすぎないでね。連れて帰るの大変なんだから」
ミリナさんに注意されつつもエルマンは止まらない。酔っ払ったエルマンを無理やり連れ帰るのは確定事項となっただろう。頑張ってください。
「それで小僧どうする。ワシの指導は厳しいぞ。それでもやるというのか?」
実は路地裏からの帰り道。俺はヒルデ爺さんに鍛えてくれないかと頼み込んでいた。この人の下で修行を積めば必ず強くなれると思ったから。
「もちろん。お願いします。今の俺には戦う術を教えてくれる師匠が必要なんです」
ヒルデ爺さんの筋肉は隣に座るまで全く分からなかった。でも今、目をしっかりと合わせてみるとわかる。その瞳は歴戦の猛者のそれに他ならなかった。
「……分かった。お主には見込みがある。ワシが教えられるものは全て教えよう」
「それじゃあシュンセイは僕達の弟弟子ってことになるね。ミリナ、僕に弟ができたよ!」
「ハイハイよかったね。偉い偉い」
ミリナさんが擦り寄って来たエルマンの頭を撫で続ける。
正直戦う術を教えてくれる師匠と言うと一人思い当たる節があったけど、考えないでおこう。あの人は知識担当だ。
「師匠が二つ返事で弟子にするなんて、よっぽどシュンセイのことが気に入ったんだね」
「そうだよね。いつもは『この老いぼれが教えることなどないわい』とか言って追い払っちゃうのに」
「小僧にはお主らと同じように可能性を感じた。それだけじゃよ」
「あ、師匠が褒めてる!めずらし~」
このまま酔い始めたエルマンを任せて俺とヒルデ爺さんは料理を食べることにした。
「ちなみにこの料理の一番美味しい部位ってどこなんですか?」
「背中の方じゃな。ここら辺がちょうどいい柔らかさをしとる」
「いただきま〜す」
エルマンは今話していた背中の肉の半分を口に放り込んだ。
「美味しい〜」
「……」「……」
俺とヒルデ爺さんの無言の圧がエルマンに襲いかかる。
「エルマン……酔っているとはいえ、限度というものがある。しばらく禁酒じゃ」
「えぇ〜!そんな酷いことをするなんて〜」
残った背中の半分はエルマン以外で綺麗に三等分して食べた。
今日のラインボアとの戦闘で、自分がいかに未熟か思い知った。
殴り合いの喧嘩とか、人と戦う力とか一切必要ない世界で生きてきた。だから戦う能力なんて一つもない。それでも、戦う能力が必要な冒険者になりたいと思った。退屈だった日常が急になくなって、夢にまで見た世界に来ることが出来たから。
今頃家族は帰ってこない俺を心配しているかもしれない。そのことを考えると安心させたいとも思う、だけど
俺はこの世界で冒険者として生きてみたい。
ただの好奇心。でも、今本当にやりたい事。
そのためにはもっと力を付けなきゃならない。ラインボアはまだ序の口。危険度で言えばEランクのソロ、Fランクのパーティくらいなのだから。それですら正直、勝てたのは偶然だ。なぜならラインボアの角を切るとき、完全に俺の目は閉じてたんだもの。
いくつもの幸運に助けられながら、何とか俺の異世界生活は幕開けを迎えた。