サピス杯開幕
朝。太陽がゆっくりと東の空を染めあげ、次第に雄大なゲシンの自然を優しく照らし始める。静謐な暁風は木々を揺らし、新しい1日の始まりを告げる。
「んん……」
光の温もりに包まれたアシメはゆっくりとまぶたを開く。エネルギーに満ち溢れた朝日の眩さに襲われ、一度目を細める。
「(そうだ……俺、ゲシンに来てたんだ……)」
森には小鳥たちの囀りが響き渡っている。世界の時間がゆっくりと流れているような錯覚をもたらすこの早朝の一時は、アシメの好きな時間だった。頬を撫でる風はまだ少し冷たい。
ふとハビリの方に目をやると、そこには一つの芸術作品が出来上がっていた。頭を預けていたはずの幹の方に足が向いており、その片方は木にもたれかかる形で垂直に伸び、もう片方はツタが巻き付いていて罠にかかった動物のようにやや宙吊りのようになっている。朝日で金色に輝くその金髪も、荒れ狂う波のように爆発していた。
「(どうやったらそんな姿勢になるんだ……?)」
心の中でツッコむアシメ。ハビリ本人は至って気持ちよさそうに就寝中のようだ。
と、思ったのも束の間、突然ハビリがぱちっと目を覚ました。
「お、アシメおはよ!早いな!」
芸術的体勢を保ったまま、元気よくハビリは開口した。彼女の体勢からではアシメは上下反転し、天井に腰掛けて見えることだろう。
「おはようハビリ。すっごい寝相だな」
「ししし、そこにわたしの凄さを感じてほしいな!」
目覚めて間もないというのにすでにテンションの高いハビリ。毎朝修行していたこともあってアシメも朝には強い方だったが、ハビリはそれを優に勝る寝起きの良さであった。
「はっ!今日は!大会の日だ!遂に、きたー!」
未だ捕縛されたままの足をバタつかせながらハビリが叫んだ。揺さぶられた枝からはらはらと葉が舞い落ちる。
「ああ、今からワクワクしてきたな!」
つられてアシメの声にも高揚が混じる。
「そうと決まれば!早く下へ降りよう!」
「っし!競争だ!」
こうして、アシメにとって初めてのシュメータ村の外で迎える1日が幕を開けた。
大自然でのパルクールを終えた2人は、顔を洗うためゲンジ族の居住区を流れる川のほとりに来ていた。清冽で程よく冷たい水は、早朝のパステルな視界の彩度を高め気持ちを引き締めてくれる。
洗顔を終えたアシメが隣のハビリを見やると、彼女は顔ごと川に突っ込んでブルブルと首を振っていた。どこでどんな寝方をしようと翌朝絶対に髪が爆発するので、いつもこのようにしているという。
「ぷはっ!」
ハビリが川面から顔を出した。荒れ放題だった髪も水分を含んでまとまり、引っ張られた勢いで大量の水飛沫を撒き散らしつつ弧を描くようにしなる。髪を後ろで縛った状態の彼女に見慣れていたため、髪を肩まで垂らしている今のハビリにアシメは新鮮さを覚えた。
「はーっ!生き返るぅー!!」
起床の瞬間から死人とは対極のハイテンションであったハビリだが、洗顔でスッキリした影響でさらに磨きがかかる。朝っぱらからセリフに“!”が多い。
と、突然ハビリがアシメの方を見てニヤッと笑う。明らかに何かを企んでいる様子であることが察せられたが、アシメの危機察知能力が発動する頃にはすでに手遅れだった。
「くらえ〜!!」
そう言うや否や、ハビリは歌舞伎役者の毛振りの如くブンブンと濡れた髪を振り回した。もはや夕立のような水飛沫に為す術なく襲われるアシメ。
「ばっ……!やったな?」
仕返しとばかりにアシメも川の水をすくい、ハビリの方に飛ばす。すくい上げられた水は、イタズラの成功に満足し油断していたハビリに余すところなく直撃する。
「くはっ……!ふっふーん……!」
そこから壮絶な水かけ合戦が始まったことは言うまでもない。次第にエスカレートしていく戦いは、気づけば組み手へと変わっていた。
「姉ちゃん、アシメさんおはよ……って、朝からやってんの……?」
エレトスの登場でようやく勝負に一区切りがつく。
「お、エレトスおはよー!」
「おはようエレトス!」
2人は一時休戦し、寝起きでまだテンションの低いエレトスと合流した。寝ぼけ眼をこすりながらあくびをしている弟の様子から察するに、姉とは反対に朝には強くないようだ。
「姉ちゃんはいつものこととして、アシメさんも朝から元気ですね。」
「ああ、シュメータ村にいた頃は毎朝じいちゃんと修行してたからな。」
「あはは、とりあえず大会前の体調は万全なようで良かったです」
アシメの隣でハビリも仁王立ちをし、元気アピールをする。いつの間にか彼女の髪は乾いていた。
「2人とも、朝ご飯まだですよね?今日はゲシン祭!出店もいっぱい出てるので、一緒に食べに行きませんか?」
「祭りか!」
「朝ごはん!」
微妙に関心事に差異が見られたものの、同時に反応するアシメとハビリ。
「じゃあ、行きましょう!」
「「おー!!!」」
そんなこんなで、3人は祭りが催されている集いの広場へと向かった。
集いの広場に着くと、すでに広場は活気に満ちており賑やかな雰囲気が漂っていた。木々には色鮮やかな旗やランタンなどの装飾が施され、出店には見た目から既に美味しそうな食べ物や手工芸品などが立ち並ぶ。広場の中心に建てられた櫓では祭囃子が演奏され、行き交う人々には笑顔が溢れていた。風に乗って運ばれてくる食べ物の匂いが食欲を刺激する。
「これがゲシンの祭り……!!」
どこに目を向けても華やかな装いに包まれている光景を目の当たりにし興奮するアシメ。シュメータ村の豊漁祭しか経験したことのないアシメにとって、大規模とは言わないまでもシュメータ村以上に盛大に催されているゲシン祭は全てが魅力に溢れていた。
「よーし!食べ尽くすぞー!!」
ハビリもすっかりお祭りムードである。すっかり乾いた髪を後ろで結び、気合いを入れている。
「姉ちゃん、この後サピス杯あるの忘れてない?食べ過ぎたら大会に響くよ〜」
「へーきへーき!それまでに消化するもんね!」
弟の心配もどこ吹く風である。
「おっちゃんありがと!アシメ、これ食べてみ!」
早速ハビリが一品目を手に入れる。アシメが手渡された小さなケースを開けると、中にはチーズがふんだんにかかったサイコロ状のステーキが入っていた。
「美味っ!!ハビリ、これなんだ!?」
「ししし、チーズフォ〜ンデュ〜!」
とろけるチーズに浸したステーキを口に運び、はふはふと口の中で冷ましながらハビリが答える。伸びたチーズが口とケースを繋ぐ架け橋のように垂れ下がっていることに、本人は気づいていない。
「ん、あれはなんだ?」
あっという間に食べ終わったアシメがエレトスに尋ねる。
「あ、あれは僕の大好きなエーデルベリーのクッキーです!食べてみますか?」
「ああ。それも美味そうだ!」
「わかりました!いろいろ種類があるんですが、僕のお気に入りのやつがあるのでアシメさんの分も持ってきますね!」
「ああ、ありがとな!」
「あー!エレトス、わたしの分も!」
気づけばチーズフォンデュのほかに様々な食べ物を抱えているハビリ。まだまだ胃袋は余裕のようだ。
「お待たせしました!これがエーデルベリーのハニークッキーです!」
程なくして、3つの袋を抱えたエレトスが満面の笑みで帰ってきた。手渡された袋を開けると、ほんのりと甘い匂いが鼻を刺激する。中には様々なきのみを平面に模ったクッキーがぎっしりと入っていた。アシメはその中の一つを手に取り口に運んだ。
「どうです?お口に合いましたか?」
既に口いっぱい頬張ったクッキーを飲み込んだエレトスが尋ねる。
「うん、これもイケるな!」
ほんのりとしたはちみつの甘さと深いベリーの風味が口いっぱいに広がってくる。クッキーでありながら食後の満足感も大きい。
「それは良かったです!」
好物への共感が得られてエレトスも満足げである。
「お、昨日の兄ちゃん!楽しんでるか?」
「ほらほら、せっかくの祭りだ!どんどん食え!」
「これを食べないことにはゲシンに来たとは言わせないよ!」
3歩と歩かぬうちに“祭り”は向こうの方から次々と押し寄せてくる。突然やってきた余所者すらも快く迎えてくれるゲシンの人たちのあたたかさや、息をつく暇もないお祭りムードを満喫し大満足のアシメであった。
“ドドドン!!“
アシメたちがしばらくお祭りを堪能した頃、突如重厚な太鼓の音がゲシンを駆けた。
「な、なんだ!?」
思わず狼狽えるアシメ。ドンドットドンドットと太鼓の音が続いている。
「ああ、これは……」
「大会だー!!」
エレトスの言葉を元気よく遮るハビリ。
「……はい。これは姉ちゃんの言うように、サピス杯の開幕が近づいてきた合図ですね。僕たちも武舞台に急ぎましょうか」
「よし、行こう!」
アシメの言葉を待たず走り出したハビリを追う形になりながら、3人はサピス杯の会場へと向かった。
会場に着くと、既に出場者と思われる人々が集まっていた。広場の活気とは異なり、こちらでは闘気に満ちた熱気が溢れている。右も左も筋骨隆々な男たちばかりだ。
「こっちもすごい盛り上がりだな!強そうな人ばかりだし、ワクワクしてきた!」
参加者たちの熱意や雄叫びに感化され、再びアシメのボルテージが上がる。
「あはは……。アシメさんも姉ちゃんタイプですね。僕はあんまりこういうのは好きじゃないんですけど、アシメさんが出るとなれば全力で応援するので頑張ってくださいね!」
「ああ!出るからには優勝だ!」
「だぁれが優勝するだってぇ?」
不意に後ろから荒々しい声がした。振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。凶暴な目つきや傷だらけの全身。年齢はまだ20代前半といったところだが一見してその獰猛さが伝わってくる風貌は、まさに昨日アシメがエンジ族の居住区に少し踏み入れた時、であいがしらに突っかかってきた男であった。
「お、お前は……」
「誰がお前だ、見ねぇ顔だが……まさか大会に出るつもりかぁ?」
一応アシメと面識があることは忘れている様子である。黒のハチマキ姿から覗く眼光は昨日より一層鋭くなっているようにアシメには感じられた。
「落ち着いてくださいアストラさん!こちらはアシメさんです。昨日ゲシンに来たばかりなんですけど、話聞いてませんでしたか?」
2人の間にエレトスが割って入る。
「ハッ!そんなこたぁどうでもいい!どっから来たか知らねえが、大会に出るってんなら優勝は諦めるんだな。お前見てぇなガキ、俺どころかシューの野郎にすら及ばねぇよ!」
「へっ……やってみなきゃわかんないさ!」
これがハビリの言っていた実力者の1人か、とアシメは内心で昨夜の話を振り返った。確かに筋肉筋肉はしている。と、そこにまた別の男がやってきた。
「なんだか聞き捨てならない言葉が聞こえたんだが……、いつからお前は俺より強くなったんだ、アストラ?」
やってきた男は明らかにアストラとは異なり、知的で冷静な雰囲気を漂わせていた。目や耳に少しかかる程度に長い金髪の好青年といった風貌だが、その目には鋭い観察眼と判断力が宿っているような印象を受ける。筋骨隆々、とまではいかないにしても鍛えられた肉体をしているのが上着越しにもわかり、彼も大会の参加者であることが察せられた。
「あぁ?なんだお前か……。事実を言ったまでだが?」
青年にアストラがガンを飛ばす。一方の青年も全く引く様子はない。
「まったく……。前回の優勝者が誰か忘れたのか?寝言は寝てる間に言うものだ」
「なんだとぉ?一回勝ったぐらいで調子乗ってんじゃねぇ!俺が去年のままだと思ったら大間違いだぜ」
「強くなったのがお前だけだと思ってるのか……?単細胞なやつめ」
2人はアシメそっちのけで口喧嘩を始めだした。取り残されたアシメにエレトスが補足する。
「えっと……、彼はシューさんと言います。アストラさんが拳ならシューさんは頭脳といった感じで、戦術を駆使した戦い方を得意としている人です。2人ともサピスさんを除けばゲシンでトップクラスに強いのですが……、価値観がまるで合わないので顔を合わせるたびにいつも歪み合ってるんです。」
「みたいだな……」
非常に説得力のある光景を目の当たりにしながらアシメは頷いた。
「(ともかく、この2人が強いんだな……?早く戦ってみたい……!)」
殺伐とした2人とは反対に、来たる戦いにアシメは疼いていた。
「まったく……。知能の低いお前と話していてもレベルが低すぎて不毛なだけだ」
「それはこっちのセリフだぁ!話すだけ時間の無駄だぜ!」
「お前に構っている暇があれば少しでも鍛錬をしていた方が有意義というものだ。まだ戯言を並べるつもりならあとは大会で聞いてやるから、さっさとどっかいけ」
「ハッ!言われるまでもねぇよ!」
ようやく2人の口論に一区切りがつく。結局アストラはアシメとろくな会話を交わすこともなく、捨て台詞を吐いて去っていってしまった。
「まったく……。祭りだというのに朝から気分が台無しだ。さて……」
大きなため息を一つつくと、シューはようやくアシメたちの方を向いた。
「癖っ毛のある黒髪の少年......。お前がアシメか。話は聞いている。俺はシュー・コーテン。よろしくな」
「ああ、よろしく!」
相変わらず目は笑っていないが、先ほどとは打って変わって友好的なシューの態度にアシメは少しホッとする。
「ハビリのやつと互角にやり合ったと聞いた。あいつもあれでなかなか強い。お前もある程度は武術の心得があるのだろう。日々鍛錬しかしてないような連中の中でお前がどこまで通用するかは知らないが、せっかくの武闘大会だ、楽しんでいくと良い。」
「ありがとう。シューにだって負けないさ!」
アシメの勝利宣言にシューは少し口角を上げる。握手を交わし互いの健闘を讃えあうと、やがてシューも人混みの中に去っていった。
「シューさんは去年の大会の優勝者でもあります。手強いですよ!」
一波瀾が収束し、ホッと胸を撫で下ろしたエレトスがようやく口を開く。
「ああ。少し話しただけだったけど、シュー、それにアストラも強いのがなんとなく伝わってきた」
「ええ、その2人に姉ちゃん、それに他の出場者だって決して弱くありません。優勝への道は簡単なものではありませんよ!」
「くぅ〜!燃えてきた!」
参加者達の例に漏れず、アシメにも闘気がみなぎる。
「おーい!アシメー!」
遠くからハビリの声が聞こえてきた。声のする方を向くと、一際人だかりのできているところに彼女はいた。
「行ってみよう」
「はい!」
参加者や観戦者でごった返す人混みをかき分けてようやくハビリの元へ辿り着くと、そこには大きな掲示板が立っていた。掲示板には大きく“天”と“地”の文字が書かれており、その下にそれぞれ参加者と思しき人たちの名前が連なっている。
「これは……?」
アシメがエレトスに尋ねる。
「あ、そういえばアシメさんには大会の構造を説明していませんでしたね!簡単にいうと、サピス杯はまず予選として“天”と“地”の二つのブロックに分かれてバトルロイヤルが行われます。それぞれのブロックでは上位2名が予選を通過することができ、ここで勝ち抜いた計4名が優勝争奪戦へと進みます。優勝争奪戦は1対1のトーナメント形式。つまり、ここで2勝した人が優勝、晴れてサピス杯の王者になるという流れです」
「なるほど、まずはバトルロイヤルで勝ち残れば良いんだな!」
「ええ、ここに張り出されているのはそのチーム分けですね」
参加者達の頭に隠れて断片的にしか見えないが、それぞれのブロックには30人ほどの名前が連ねてあるようだ。
「姉ちゃん、もう掲示板見た?」
身長があまり高くないため、頻繁にはぐれそうになるのをなんとかこらえているエレトスがハビリに問う。
「ああ!わたしもアシメも“天”ブロックだったぞ!」
「お、いきなり一緒か!」
他の人の会話でかき消されないよう自然と声量が大きくなる。
「と……とりあえず!ブロックも確認できたのなら一旦離れませんか……!」
そう提案するエレトスだったが、2人の了承を待たずして人の波に飲まれ、少しずつ遠ざかっていってしまった。
“ドドドン!! “
なんとかはぐれたエレトスと合流し、3人で人混みから離れ談笑していると、小さく続いていた太鼓の音が再び大きくこだました。途切れることなく続く太鼓は、序破急のテンポでだんだん早くなっていく。
「きたきたきたきたー!」
力強く響く太鼓に触発され高揚するハビリ。会場中に広がる振動に参加者達もざわめき立つ。アシメも心臓の鼓動が次第に太鼓のリズムに重なっていくのを感じた。
“ドドン!!“
一際大きい音が鳴ったかと思うと、重厚な轟音は余韻を残してピタッと静まり返った。ざわめいていた会場もつられて静寂に包まれる。
「ゲシンに生きる戦士達よ!待たせたなぁ!ゲシン祭のメインイベント、サピス杯が今年もやってきたぜぇ!」
静寂を破ったのは、いつの間にか武舞台に登っていた司会と思われる男の、怒号とも言える口上だった。多分エンジ族の人なんだろうなぁとアシメは思った…………のも束の間、
「「「「「ウオオオオオォォォォ!!!!!」」」」」
太鼓の音が可愛く思えるほどの大歓声が会場を包んだ。ハビリはもちろん、エレトスまでもが興奮に身を任せて叫んでいる。出遅れたアシメもそれに倣って感情の昂りを爆発させる。
「ハッハッハァ!オーケイお前ら!気合いと準備が十分なこたぁ、聞くまでもねぇな!」
会場の興奮に負けないくらいの声量で司会の男ががなる。
「さて!ほとんどの奴はわかっていると思うが、新顔もいるようだからルールのおさらいだ!敗北条件はふたぁつ!降参するか、武舞台から落ちるかだ!それ以外は武器の持ち込み、参加者同士の協力、なんでもありの名誉と栄光をかけた闘いだァ!おっと、当然だが殺しはダメだぜ!」
司会が一言発するたびに熱狂する会場。ボルテージは最高潮に達している。
「さぁ!早速サピス杯開幕の宣言を我らが長、サピスさんにしてもらおうぜぇ!……と言いたいところだが……」
と、そこで司会の口上が途切れる。エレトスが長は昨日から出かけていると言っていたことをアシメはふと思い出す。
「あいにくサピスさんは今外出中だ!残念だが、いつ戻ってくるかもわかんねぇ!長がいねぇ状態で始めるのはしまらねぇが……大会を止めるわけにもいかねぇ!というわけで、開幕の宣言は俺がやらせてもらうぜ!」
長の不在に多少士気が下がった一同だが、再び熱気を取り戻す。
「ほんじゃあいくぜ!覚悟はいいな!?サピス杯ィィィ!!開幕___」
と、司会の男が言いかけたその時、
「待てぇ!!!」
どこからか発せられた豪快な声が会場に響き渡った。次の瞬間、人々は空から巨大な隕石のようなものが物凄いスピードで落下してきていることに気づく。
「ガルララララァァァ!!!」
先ほどの大歓声に匹敵するほどの雄叫びは、風圧を伴ってゲシン全域にこだまする。どうやら声は迫ってくる飛来物から聞こえてくるようだ。
やがて声の主と思われる飛来物は武舞台の真ん中へと降り立った。正確には着弾した、という表現の方が正しいだろう。凄まじい地響きとともに土煙が舞い上がり、会場全体が轟音に包まれた。木々はざわめき、祭りの装飾は突風にさらわれ紙吹雪の如く空へと持ち去られる。
「さぁて……待たせて悪かったなお前達!日々の鍛錬で培った強さ、ゲシンに生きる戦士としての誇り、この一年でお前達が磨いてきたものの全てを、戦いで示してもらおう!」
「「「「「ウオオオオオオオオオォォォ!!!!!」」」」」
もはや騒音ともいうべき今日一番の大歓声が湧き上がる。尚も収まっていない土煙に隠れてまだその全体像は見えないが、先ほどの司会の男のような豪快さもありながら、どこか威厳にも満ち溢れている彼がこの国の長、サピスであることは初対面であるアシメにも確信を持って認識できた。
やがて、晴れていく土煙の中からサピスの姿が次第に浮かび上がる。
「え!?」
皆が熱狂の渦に飲まれている中、アシメだけは言葉を発せずにいた。3mは越えているであろう巨体や岩のように頑丈で筋肉質な肢体、立ち居振る舞いから滲み出る王の風格や圧倒される存在感……にではない。
黄土色の体毛に覆われた全身、貯えられた立派なたてがみ、そして、その顔は……まるでシェパードとシベリアンハスキーを足したような……そう、まさに犬そのものであった。
アシメの心情にサピスが気づいたかどうかは定かではないが、見覚えのない顔に目が止まったのか、アシメの視線に気づいたサピスが視線を合わせニヤッと笑う。
「ガルラララ……さあ、始めようか!サピス杯の開幕をここに宣言するッ!」