吾輩は猫である。名は既にあるのだが、まだ増えるもよう。
吾輩は猫である。
生まれてすぐに、飼い主だという人間に名付けられた。
それだけで、某文豪の名もなき猫より幸せなのではなかろうか。
吾輩は猫である。
通りすがりの人間から2つ目の名をいただいた。
幸いにもそれはオスの名であった。
それだけで、有名作家の書いた、性別と逆の名を与えられた猫よりついている。
吾輩は猫である。
飼い主が吾輩を飼えなくなったそうで、田舎で野に放たれた。
その田舎で縄張り争いをする野良の先輩猫達は、吾輩を小僧と呼ぶ。
吾輩にはきちんとした名があるのだぞ。
吾輩は猫である。
飼い主がおらなくなったので、食料調達は自力で行わねばならぬ。
しかしここは田舎。
街より虫や小動物は多い。狩りのために走る距離も増えて、街暮らしの時より健康だ。
そんな姿を見て、どこぞの子供が知らぬ名で吾輩を呼ぶ。
吾輩は猫である。
本日は楽な餌入手の方法をお教えしよう。
人間を見かけたら、その人間の顔をじっと見つめるのだ。
吾輩の愛らしさに、たいがいの人間は手持ちの食べ物を吾輩に進呈してくる。
繰り返し吾輩に餌を献上する者には新たな名を付ける権利を与えてやった。
吾輩は猫である。
人間の顔を見つめれば簡単に餌を得られると言ったな。
だがしかし、世の中には愛らしさを理解せぬ武骨者もいる。
そういう奴とは根性の勝負だ。
奴が粘り負けるまで足元にすり寄って鳴いてやれ。
猫嫌いでなければだいたい勝てる。
最後に、よい戦いだったよと、名を付ける権利を与えることを忘れるな。
吾輩は猫である。
長らく野良であった吾輩を家に連れ込み餌を与える人間が現れた。
そうして、久方ぶりに吾輩は飼い猫に戻る。
新たな名を付けられてやった。
吾輩は猫である。
飼い猫になって良いことは、餌の他にもう一つある。
冬にコタツにこもれることだ。
吾輩がコタツの中で気持ちよく転がっていると、飼い主殿は深く入れず寒いらしい。
仕方がないので少しだけ丸まって場所を譲ってやる。
飼い主殿の茶飲み友達が、吾輩を、飼い主殿が付けた名と違う名で呼ぶのはどうにかならぬのか。
吾輩は猫である。
子猫をくわえた母猫を見た。
吾輩は1人目の飼い主によって去勢されたので、子は生せぬ。
もしも吾輩がどこぞのメスに子を産ませたのであれば、飼い主殿はその子にも名と住処を与えるのであろうか。
吾輩は猫である。
吾輩の生はもうじき終わる。
複数の名を与えられた幸せで平穏な猫生だったのであろう。
猫には9つの命があるというが、吾輩にもあるのであろうか。
あるのであれば。
この命が潰えた後、新たな命の吾輩になって、飼い主殿のもとに素知らぬ顔で帰ってやってもよい。
最期の地を探す吾輩の鼻面に、ひらりひらりと桜の花びらが舞う。
どの飼い主も桜が好きであった。
桜の木の側を眠る場に定めれば、夢で今までの飼い主全てと出会えそうな気がしなくもない。
桜の蕾が今年もほころんできたと鳴いてやれば、みなふんわりと笑顔になるのであろう。
考えるだけで楽しみで、尻尾が吾輩の意思と関係なくふりふり動く。
ああ眠い。
吾輩は昼寝の時間だ。
それではまた目覚めたあとにでも。
遥彼方さま主催「ほころび、解ける春」参加作品です。