大人になることが怖い
大人になることが、怖い。
久しぶりにあの曲を聴いた。中学校二年生の頃に大好きだった、ピアノ曲。京都がモチーフでなんともせつなくて懐かしいのだ。
初めてそのメロディーに出会った時の私は、京都で舞妓さんになることを夢見ていた。特に憧れていた花街も、入りたい置屋だっていくつかあった。当時の私はもしも舞妓さんになったら絶対になれるという根拠のない自信さえ持っていた。
だけど、私はその夢を叶えられなかった。
身長が伸びてしまったこと、中高一貫校に通っていたこと、親を説得できなかったこと。
そんな理由を全て振り払える程の情熱も、勇気も、私は持っていなかった。
中学校二年生といえば。私の中等生活が一気に楽しくなった年でもある。
すごく気の合う友達と出会えた。その六人とは高校2年の今もまだ、仲良しのままだ。
中二の時のクラスは、とにかくバカなクラスだった。赴任してきたばかりの先生の閻魔帳にゴキブリのおもちゃを挟んだり、授業中に一斉にペンをカチカチ鳴らしたり。あの時は癖の強い先生にクラスみんなで反抗しているつもりでいたけど、今思うと本当に子供っぽい。こんなくだらないことで毎日アホみたいに笑い転げて中二の一年は過ぎていった。
それからの毎日は本当に早い。
修学旅行があった中三も、本当に楽しくてたまらなかった高一も、気づけば終わっていた。
そして、私は今、高校二年生。
中等生活最後の文化祭も、合唱コンクールも終わって残る学校行事は体育祭と卒業式だけだ。6年間のうちの5年が、早くも終わろうとしている。
2年前の私は、もうすぐ手に入れる女子高生という称号に心を躍らせていたというのに、あと2年もすれば私は大学生だ。(受験がうまくいったらの話だけど)
小学生の頃。街ですれ違う高校生はみんな楽しそうで、キラキラしてて、なんだかすごく大人に見えた。
だけどそんな高校生活も、あと一年と少し。
十七歳の私は、高校生はなんとなく子供でも大人でもない未完成な時期だと思っている。
制服を脱いで、本当に大人になってしまったら。
私はどうなるのだろう。それが、怖い。
例えば中等を卒業して、京都の舞妓さんになろうとしても、かなり難しい。なれる確率はほとんどゼロパーセントに近いだろう。しかし、二年前の私なら叶えられる可能性が大いにあった。
「大人になると、いろんなものに手が届く」とだれかが言った。たしかに、今までは叶えられなかったものも、叶えられるようになるのだろう。だけど。
大人になるということは、それと同時に、子供だったら持っていた可能性を捨てて、感情を忘れてしまうことを意味するのだろう。
大学入試を一年後に控えて、あの曲を聴いていた中学生の頃のように、打ち水の後の匂いとか、道路に落ちている小石とか、日常の小さなことに立ち止まる時間がなくなった。それが、なんだかすごくさみしい。幼い頃から当たり前に私という人間を形作ってきた大切な何かをなくしてしまうような、そんな気がしている。
もしそうだったとして、私が完全に大人になった時、大切な何かを超える何かに、出会うことができるかな。
「今を大切に生きなさい」
こんな言葉は大っ嫌いだ。
幼稚園の頃に作った砂の城。
小学生の頃に家族みんなで食べた休日のお昼ご飯。
中学生の頃に夢見た景色。
今、私が感じている幸せと、寂しさ。
もうもどらないちょっとした思い出が心の中で疼いている。
だから私はあえて言う。
「過去を大切に生きたい」と。