魔法の懐に入りて
「ナイン、おはよう」
聞き覚えのある声に反応し、まぶたが開く。
シャンデリアのある天井。
身体を起こすものの、全身がやけに重たい。
まるで川を泳いだ後のような疲労感だ。
目の前には、にこにこと笑うジゼルが立っていた。
「…あれ、ジゼル?」
「うん。あなたのこと心配でね。ここにいるって聞いたから、見に来ちゃったわ。身体、大丈夫?ずいぶん無理したんだってね。」
「?」
「身体。疲労感よ」
「ああ…このだるさのこと?」
「うん。滅多に魔法を使わない者が魔法を使ったときには、反動がきて身体が疲れるんだって。ウィレミナ様が仰ってたわ。」
ウィレミナという名を聞いて、慌てて窓の外を見る。
空は鮮やかなオレンジ色に染まっていた。
俺はあの後、こんな時間まで爆睡してたってことか。
「ごめんジゼル。もしかしてずっと待ってた?」
「ううん、気にしないで。ちょうどついさっきね、全ての選定が終わったところなのよ」
「そうか…。」
「ナイン、適性合格判定おめでとう。あなたの魔力量、ここ数十年で見てもトップクラスだって。すごいね!」
「え?」
…微笑むジゼルの顔を見た感じ、どうやら嘘ではないらしい。
トップクラス?これまで魔法のマの字も使ったことのなかった、この俺が?
ーーいや、俺のことは後だ。それよりも…
聞くべきか迷ったが、慎重に、静かに尋ねてみる。
「……ジゼルとアレシャンドレはどうだったの?」
ジゼルが肩をすくめて、首を振る。
「残念だけど………」
「…おいおい、それくらいにしてやれよ」
開けっぱなしの扉の向こうから、アレシャンドレがやって来た。
「ふふ、生真面目なのね、アレシャンドレ。」
「ったく。ナイン、安心しろ。俺たちも一応『適性あり』だとよ。」
「おお!」
アレシャンドレが白い歯を見せて、照れたように笑った。本当に嬉しそうだ。
ってかさ、それにしてもさ、ねえ、ちょっと?
ジゼルは相変わらずにこにこと笑っている。
「ジゼルって、意外とワルイ奴なの?」
問いには答えずにちろりと舌を出す。が、口元には照れたような微笑が浮かんでいた。
✳︎
すっかり日が暮れた頃、俺たちは王宮の一室に集められた。
部屋には、俺たちを含めて十数人ほどの男女。
皆、今年の選定を通過した魔法適合者たちだ。
部屋の奥の椅子に座するウィレミナ様が、おもむろに口を開く。
「新たに魔法を修めんとする者たちよ。まずは此度の通過、本当におめでとう。
さて。諸君らには明日より、魔法特区に移住してもらい、魔法に関する勉学に励んでもらうことになる。具体的な説明や制服の支給など、細かい点についてはこやつらから聞くとよい。」
言葉を受け、お供の一人が前に歩み出る。
「ではな。貴殿らに女神クレシュナルの加護があらんことを。」
ウィレミナ様が杖を床につくと、その姿がフッと消えた。
続いて、先ほどのお供が杖を振り、壁に映像を出して見せる。
「それでは、細かい規約や必要な道具類について説明しよう。」
さらに杖を一振りすると、それぞれの机の上に書物や制服などが出現した。
「今目の前に出したのは、君たちが明日から入学することになる、王立魔法特区学園の道具一式だ。明日の朝、正式に入寮式をとり行い、そして夜から魔法特区内の学園寮に移住してもらう。これから卒業までの向こう三年間を寮生として生活し、専門的に魔法を学ぶのだ。」
そこから魔法特区や学園や寮に関しての説明が行われた。
魔法特区。
魔法を使う者のみが入居することのできる区域で、魔導師たちはそこで生活をする義務があること。
入寮後は、許可がなければ区域外には出られないこと。
魔法適合者はそこで三年間暮らし、一人前の魔導師になるよう義務付けられていること、などなど。
まあ、やはりというか、要は魔法適合者というレアな人材をみすみす逃がさないための政策だ。
「次に、書物の説明に移る。今目の前に配られているのは、基礎的な初級魔法について説明した2冊の魔導書だ。開いてみるがいい。」
指示に従って本をぱらりとめくってみる。
今までに見たことのない文字の羅列。
なんでも、魔力を注入しなければ読むことのできない特殊な言語、"魔法語"で書かれているのだという。
逆に言うと、魔力さえ入れれば誰でも読むことができるため、魔法語に人種や文化の壁はないらしい。
支給されている制服は、お供たちが着ているローブと同じ形のものだ。
ただしお供のローブが黒色なのに対し、魔導師見習いの俺たちのは紺色。説明によれば、一人前として認められてから黒のオーブを着ることができるのだという。
その他諸々の説明も終わり、一時解散となった。
それぞれが立ち去っていく中、アレシャンドレが大きなあくびをしながら尋ねる。
「ジゼル、ナイン。晩めしは?」
「特に予定はないね」
「私もよ」
「ならちょうどいい。この近くに、ウマイ肉料理を出す店があるんだよ。一緒にいこうぜ」
さすがアレシャンドレ。王都のツウと見た俺の目に狂いはなかったようだ。
しかし、「父さんに一声かけてから行くよ」と言った直後。
「やあ」
聞き覚えのある声が聞こえた。
…ゆっくりと振り返る。
ニヤニヤ笑いを浮かべたカロンがいた。
うう、やっぱり。
「…。」
「…なんだい、その顔は。僕が選定に通るのは当然のことだとわかっていただろう?」
「こんばんは、カロンさん。」
「おや、ルージュくんじゃないか。なんだ、君も通ったのかい」
「口紅?」
「あだ名だよ。君の髪、そういう色をしているだろう?」
知り合って間もないのに、早々にあだ名をつけるとは。さすがキレ具合が一味違う。
「しかし、まさか君たちとここで再会するとはねえ。一体どんな汚い手を使ったんだい?」
「何も使ってないよ」
「ははは、嘘付きめ。何かトリックでもあるんだろう?」
「ないよ」
「そうよ」
困り顔をする俺たちを見かねて、アレシャンドレが耳打ちしてきた。
「なあおい。なんなんだコイツ?お前らの知り合いにしちゃあ様子がおかしくねえか?」
「うーん。知り合いっていうか、ちょっと前に町で出会ったんだ。俺たちに魔法の力を見せてきたんだよ」
「ふーんなるほど。ひけらかし屋か」
「おい。何をコソコソやっているんだ?この僕に失礼だぞ」
憤慨した様子で、じろりと睨みつけるカロン。
「まあ、君たちと同期生になったことはもういいさ。僕はこれから魔法界の頂点に駆け上る男だ。今後、学内で僕の足を引っ張らないでおくれよ。
じゃあまた明日。今度は入寮式で会おうじゃないか。」
白のローブを翻し、はははと高笑いしながら去って行った。
言いたいことだけ言って好きな時に去って行く。まるで嵐のような奴だ。
白い後ろ姿をじいっと見ながら、アレシャンドレが呟く。
「なあ。アイツの名前、なんて言うんだ?」
「ん?えーっとたしか、カロン……カロン…ダイコン…?」
「違うわ、カロン・ダミアンよ」
我ながらひどい間違え方。
「なるほどな」
「どうかしたの?」
「いやさ。あいつのローブについてた紋章、どっかで見たことあるなぁと思ったらさ」
「?」
アレシャンドレが再びあくびして、眠そうに俺たちを見た。
「ダミアン家。確かエシュリータ王家から枝分かれした、まあ、分家の一つだよ。
要はアイツ、王族の一員ってこと。」