目的地へ
フウネが来るまで一先ず情報を共有しよう、とマロンが提案した。
「現状ではフウネは味方とは限らないわ。だから、私が知る限りのフウネの情報を伝える」
「代わりに、これの中身をってことか?」
マロンに向かって、USBメモリを振って見せる。マロンは、そうねと頷いた。
城から抜けたとはいえ、未だ門の前だ。当然ヒュウ族の門番が立っている。軽率に話せる環境ではない。
「言いたいことはわかるわ。だからここでは、詳細は省いて構いません」
マロンがちらりと視線を門番へ向ける。
「追われる理由について、碧から話は大まかに聞いています」
マロンは右手の指輪を見せた。女性に合わせた華奢なリングに、鮮やかな緑色の石が光っている。そのリングの意匠に、有韭は見覚えがあった。
新城 碧。最年少にして、新種の幻獣の発見と生態系の論文で一躍成果を上げた男。
有名な生物学者の孫として多大なやっかみや妨害を受けていたにも関わらず、成果でもってそれらを一蹴したのは、同じ学者として格好良く見えた。
僅か19歳にして婚約を発表したのは、たしか2、3か月前のこと。その時に嵌めていたリングと同じだ。
相手も考古学者で最年少とは聞いていたが…
「フウネが来るまで、そんなに時間がないわ。どうする?」
「わかった。まずは、俺から話そう」
門番に聞かれている気がして、心なしか小声になる。
「これには、神の遺産のデータがあるのは間違いない」
有韭はUSBメモリを強く握りしめる。
その様子にマロンは、そんなことわかっていると言わんばかりにため息をついた。
「そのデータが脅威だという証明にはならないわね。ただのデータが世界を壊すことはないわ。逆に言わせれば、脅威たる証拠をだせということかしら」
マロンは眉をひそめて言を続ける。
「さっきから、世界の脅威だばかりで情報がなさすぎるのよね。どういう意味で脅威なのか教えてほしいのよ。世界の脅威っていうなら、ユエ族も魔女もそうよ?」
マロンは舞台役者のように大袈裟に両手を広げて、意地悪に微笑んだ。
確かに、彼女の話も分かる。人間にとって魔法は自然災害のようなもの。人災なのか判別もつきにくい。
「…人体実験の記録もある…と言ったら?」
かつての婚約者が消える前に残したもの。新薬の開発といえど、治験ではなかった。
小動物から始めて人間にまで至るべき治験の工程が、途中で結果を無視して行われている。
「…今はそれでいいでしょう。その情報だけで不快だわ」
マロンは吐き捨てるように言った。
人体実験だけで倫理観などないのは明白だ。
神の遺産、人体実験、ヒュウ族の光の宝。3つだけで繋がるものでもないが、良くないことだけは伝わる。
「時間がないから、私も簡単に伝えるわね。フウネは私たちユエ族の中でも異質よ」
「…え?ユエ族ってみんなが異質だって聞いてるけど?」
有韭とマロンの話を見守っていたユンが口を挟む。
「学校では、ユエ族は産まれるはずのないものって学んだわ」
「そうね。その認識はあっているわ。生物学上では子供は生まれてこないはずのものだから」
私にも理屈は分からないのだけれど、とマロンが自身の月のベルトを撫でる。
「ユエ族にも一応力を扱うために学校のような施設があって、そこでは世界が産んだって教わるの」
「…世界が産んだ?」
世界が産んだとは、なんとも奇妙な言い方だなと有韭がぼやく。
「ともかく、フウネは」
「私がな~に~?」
マロンにかぶせる様に、フウネが口を挟んだ。
まずい、と有韭は内心冷や汗を流したが、『異常に胸がでかいって話よ』とマロンが流す。
それもどうなんだ、と心の中でツッコんだ。
「それより、何よその恰好」
「私服」
「私服…?えっと…布地…少なくない?」
ユンの目が泳ぐのも、無理はない。
フウネの恰好は、必要な場所を隠しただけのようで水着か下着といわれても違和感がない。
「…倫理観もぶっ壊れてるって事項も追加するわね」
マロンが遠い目をしながらつぶやいた。
「布って脆いからさ、服もオーダーだし無駄に破けるよりは無くしたほうが良いんだよね~」
「…え?それ…オーダーなの?」
ユンが信じられない、と声をあげる。オーダーだと聞くと、ドレスなど豪華なイメージが強い。
フウネはにっこりと笑って理由を続けてくれた。
「マロンは全然話してくれなったのかな?ユエ族って簡単に傷つかないんだよね~。逆に布って脆いじゃん?補強の加工してるんだけどすぐダメになっちゃって」
有韭は早々に理解ができなかった。ゲームで例えるなら、皮の防具よりビキニアーマーのほうが強いということだろうか。
「ユエ族は全く同じってことがないけど、頑丈なのは共通しているわね。後は個人差が出るわ」
「頑丈ってのは、文字通りか?」
マロンとフウネは頷いて返す。
「極端な話、普通の刃物や銃器では傷つかないわね。特殊に加工されたものなら別だけれど」
「傷ついてもすぐ治るからね~」
「ただし、血は別よ。流した分の再生までには時間がかかるわ」
それと、とマロンが続ける。
「仮にユエ族がケガをした場合、治癒魔法はかけてはいけないわ」
「…そんな弱点みたいなこと、教えてもいいのか?」
自分でも性格が悪いと思う。しかし、これは対ユエ族に関して重要な情報だと思った。
マロンはにこりと笑う。
「親切心で殺されかけるのはごめんだもの。それに暫くは護衛として一緒にいることになるから」
保険があったほうが楽でしょう?と続ける。
「さて、親睦を深めているようで良かった。出発しますか」
パンっと景気よく手を打ってフウネが行先までの行程を簡単に説明する。
「目的地は、ここから北側ね。一先ず空から行ったほうが早いから…これは返すね」
「あっ!!私の箒とカバン!!」
ユンが良かった、と涙交じりに箒を抱きしめた。
落下した時にまさか回収してくれているとは思わず、フウネにありがとうっとお礼を伝える。
空から叩き落したのフウネだけどな、とは言わずに有韭は言葉を飲み込んだ。
「ここからは飛べないから、この橋わたって門から出ようか」
「ここから十分に飛べると思うけど?」
風も強すぎず、橋も適度な広さがある。なにより上空に障害がないので、飛ぶにはもってこいだ。
ユンがそう伝えると、フウネがにっこりとほほ笑む。
「私は飛べるよ?でも君たちは飛べない」
「…なるほど、防御魔法ね」
マロンが合点がいった様に続ける。
「城は防衛するもの…だものね。ここは部外者が飛ぶことが許されていない」
「大正解。飛んでもいいけど感知されて叩き落される。最悪は死ぬね」
フウネは物騒なことをけろりと言い放った。
「城に入る門まで、橋1本。その周りが湖か…」
確かに、そう聞かされてみると景色は一変する。
きらきらと陽の光を反射し輝いている湖も、景観のためではなかった。
「空が飛べなくても、泳いだりできるんじゃないのか?」
ふと興味深くフウネに問いかければ、先に行けばわかると返された。
橋を3分の2程進んだところで、有韭の質問の答えが返ってくる。
フウネが有韭へ湖の方を見るよう、指を指した。
「これがさっきの答えね」
「え?…これは…」
鏡のように空を写していた湖の水が、滑り落ちて行くのが見える。滝だ、と理解するのは早かったが滝の音が全く聞こえない。例えるならば、上等な絹が滑り落ちるような感じだ。
ガラス細工のような水が、さらさらと落ちていく。
下を覗き込めば、かなり高さがある様で水は雲に吸い込まれていった。
「…景色は素敵だけど…怖いですね…」
ユンが思わず後ずさる。
「音が…聞こえないな…」
当たり前でしょ、とフウネが笑った。
「水音で侵入者の足音とか逃したらダメでしょ?音って狩りにはかなり重要なんだよね」
匂いは誤魔化しが効くけどね、と続ける。
「どう?泳ぎたい?」
「…遠慮しときます…」
恐らく、防衛に関する細工はそれだけでは無いだろう。
とても恐ろしい仕掛けだが、城に居る者からしたらこれ以上安全な場所もないだろう。
「それじゃ、とりあえず城下町に行こうか」
フウネがふわり、と浮かび上がる。
生身で飛べるのはどんな感じなのだろうか。
「さっきフウネは北を目指すって言ってたわね?目的地は北東だと聞いていたはずだけど?」
マロンが行程を確かめるように続ける。
「うん、北東。とりあえず、補給しながら北上して最後に東側に向かう予定だよ」
「…そんなに遠いのか?」
補給しながら、という部分に有韭は何か違和感を覚えた。
ん~、と言葉を選びながらフウネが応える。
「人と魔女がどんなもんか分からないから?」
「…?というと??」
「あ~、耐久性っていうの?どこまで速度上げられるかとか…」
あ~とかう~とか唸りながら話すフウネに、マロンがため息をついた。
「フウネの基準では1日で往復できる距離だけど、貴方達に合わせるなら何日かかかるって試算ね」
「1日の距離?飛べば近いんじゃないの?」
ユンがすかさず返す。
「…フウネが本気で飛べば世界一周も1日よ…速度が違いすぎるの」
「1日で一周…??」
齟齬の規模が大きすぎて、頭が理解するのを拒否した。
フウネの速度についていける気がしない。
「ちなみに、マロンはついていけるのか?」
ふと興味が湧いて有韭が口を挟む。
「…無理ね。元より私とフウネじゃ飛び方が違うから」
相手にすらならないわ、と肩をすくめる。
「ユエ族でも風の神に縛られてるんだもの。勝てるはずないわ」