表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花狩り  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第二部
9/15

4.虫


 虫というものは人間よりも弱いものだ。

 たとえば、胡蝶。か弱い蝶は勿論、武器を多少は扱える蚕であったとしても、人間相手に戦うとなれば、負ける可能性の方が高いだろう。

 彼らは本来戦うような種族の者ではない。花を見つけ、花を誘い、その実を結ぶ手伝いをしながら生きる者。だから、胡蝶を生け捕って生計を立てるような者と出会ってしまったならば、直接対決などせずに逃げてしまわねばならなくなる。

 それは胡蝶だけの話ではない。

 蜘蛛だって普通の者ならば、人間に危害を加えられれば一溜まりもないだろう。


 しかし、絡新婦は普通の蜘蛛ではない。魔術を知り、それを操り、普通の蜘蛛にはない強い力を有している。その力で隷属を養い、そして今ではその一部を月の為に捧げている。

 一度、食虫花には敗れているけれど、決して弱い魔女ではない。

 むしろ、この森に住まう魔女のなかでは長生きしている部類にあたる。そう教えてくれたのは少年だった。魔女となって三年以上生きている者は、それだけで素質がある。そうでなければ、相当の強運の持ち主。一度、絶体絶命の危機に陥りながらも助け出された絡新婦はその両方を兼ね備えているだろう。

 そんな魔女が人間相手に苦戦するわけもない。


「くそ、お前はなんだ、放せ……放せーっ!」


 男たちが怒声を上げて暴れる。

 けれど、絡新婦の操る糸は切れそうにない。

 あの糸の厄介さは身を以て体験した事がある。だからこそ言える。彼らが自分で逃れる事なんて出来ないだろう。出来たとすれば、魔力を持っているか、相当の馬鹿力を持った超人だろう。

 残念な事に、此処にそんな超人はいないらしかった。


「怪我はないか、二人とも」


 優しく訊ねられ、わたしはそっと頷いた。

 心から優しげな絡新婦に触れられるのは初めてかもしれない。でも、わたしは蝶から話を聞いたことがある。月に忠誠を誓って以来の彼女は、生まれ変わったかのように穏やかになったのだと。

 それは、蚕を通じても分かっていた。

 だから、今の絡新婦に戸惑う事なんて一切なかった。


「大丈夫。何処も怪我してないわ」

「それよりも、こいつら、食虫花の息がかかった連中なんだ。もしかしたらこの近くにいるかもしれない」


 少年の焦った声に、わたしもまた不安になった。

 わたし達どころか人間たちをも圧倒する絡新婦だが、彼女もまた食虫花に命を狙われている。直接対決になれば、さすがに不利だろう。それは絡新婦もよく分かっているはずだ。

 しかし、絡新婦の表情は大して変わらなかった。


「大丈夫。奴の気配はこの近くには感じない」


 でも、と絡新婦は空を見上げた。


「厄介な奴がいるのは確かだね」


 蝙蝠だ。

 獣の姿のままで、まだわたし達の上空を飛んでいる。人間たちの有様を目の当たりにしても、蝙蝠の不敵な笑みは変わらない。


「さすがは食虫花様が注目されるだけある魔女。貴女と一対一で戦って勝てると思うほど、私は自惚れてなどおりませんよ」


 そう言いつつも、その態度は何処か絡新婦すらも見下しているようだった。


 ――とはいえ、彼の言う通り、幾名かの隷属すら抱える魔女である絡新婦に敵うはずもないのであろう。


「おい、ケダモノ、これを何とかしろ!」


 絡新婦の糸に絡まる花狩りの男の一人が、蝙蝠に向かって暴言を吐いた。

 しかし、蝙蝠は人間たちすらも笑って見下した。


「御冗談を。すぐそこに恐ろしい蜘蛛がいるというのに、この私に地上に降りろというのですか?」

「ふざけるな。もともと、お前の主人に言われて――」

「小蠅よりも煩い方々ですね。申し訳ありませんが、力無きケダモノを救えるほど私は強者ではありませんのでね」


 このまま見捨てる気だ。

 そう気付かされて人間たちが慌てだした。


「ま、まま、待ってくれ! 嘘だろ、仲間じゃないか!」


 喚きながら命乞いをしている。きっと、このまま絡新婦に殺されるかもしれないという恐怖で一杯なのだろう。

 わたしも不安だった。絡新婦は彼らをどうするつもりなのか。

 少年と手を繋いだまま、絡新婦の傍で佇んでその様子を見守っていると、絡新婦はそっとわたし達の背中に手を当てた。


「行こう。早く戻って月様を安心させよう」


 その声色は何処までも穏やかで、わたし達を安心させるものだった。



 以前はよく少年と二人きりで森を散歩した事があった。

 あの時もまた少年から手を離さずに、森の危険と美しさをたくさん教えて貰った。花の子二人きりで歩く森はとても恐ろしく、度々、蝶や月には話せないような恐ろしい体験をする羽目になったこともある。

 二人で歩く森は怖かった。そして、蝙蝠に誘われるままに独りきりで歩く森はもっと怖かった。

 では、今はどうだろう。

 絡新婦というわたし達よりもずっと強い魔女が一人ついているだけで、その人物が味方であるというだけで、恐ろしいほどに安心感が増した。

 敵ではない絡新婦。その力で庇護してもらえるのも、すべて月のお陰なのだ。そう思うと、言われるままに蝙蝠に操られ、月に無駄な心配をかけてしまったことが本当に申し訳なく思えた。

 早く、無事な姿を見せて、謝らなければ。


「この森には食虫花を退治しようとしている人間たちがうろついている」


 絡新婦がふと口を開いた。

 月の城から遠い場所。ゆっくりと進むのは、警戒しているからだろう。この森は絡新婦でさえも気をつけなければならないほどに、危険が多い。


「奴らは月様を崇拝するまっとうな人間だ。だが、勘違いや事故などもある。出来るだけ、鉢合わせはさけるべきだろう」


 少年が昨日噂したのはその人物達なのだろう。

 月の城に訪問し、月からきちんと許可を得てから森をうろつき始めるまっとうな人間。彼らが立ちあがったのは同胞が喰い殺された為だけではなく、自分たちの女神でもある月を守るためでもあるだろう。

 けれど――。


「……人間に食虫花なんて退治できるのかな」


 少年が呟くように言った。

 食虫花を狩ろうとしている人間たち。それに混じって、白い花を乱獲すべく森に忍びこんだ罪人。立場は違うけれど、どちらも同じ花狩人。個人差はあったとしても、同じ人間である以上、その能力にあまり変わりはない。

 つまり、食虫花を退治しようと立ち上がった人間たちもまた、絡新婦にあっさりと敗れた盗賊たちと変わらないということだ。

 食虫花がそんな人間たちに負けることがあるだろうか。


「出来るかどうかはともかく、月様を囲う勢力が強まるのは有難いことだよ」


 絡新婦はそうとだけ言い、わたし達を招いて先へと進む。

 その背中を追いながら、わたしはふと辺りを見渡した。

 絡新婦の気配を感じてだろう。森を歩く間、わたしや少年の蜜を嗅ぎつけるはずの胡蝶などは一切現れなかった。それに、蝙蝠の姿も見当たらない。いない、ということはないだろう。絡新婦を恐れて監視するに留めているのかもしれない。

 何にせよ、絡新婦の存在に安心し過ぎずに、気をつけなくては。少年の手をしっかりと握り、絡新婦の傍を離れないように意識しながら、わたしは黙々と歩くことに専念した。


「奴が白い花を襲ったのは何故だろう……」


 絡新婦がぽつりと呟いた。


「月様の象徴だからで片づけるのは簡単だ。でも、あの食虫花がそれだけの理由で人間共と接触するだろうか」

「何か、裏があると?」


 少年の問いに、絡新婦は小さく唸る。

 不気味なのは確かだ。少年の話によれば、この森には多くの白い花が隠れ住んでいるらしい。蝶はそこまで多くないと言っていたけれど、少年は多いという。どちらを信じるかと言えば、少年の方だ。蝶を恐れて隠れている白い花がいっぱいいるのだろうと思えば、自然とそうなる。

 どうして白い花が多いのか。それは、月がこの大地に芽吹かせているのだと言われている。または、白い花がこの大地にいることが、月の守護する世界が安定している証拠なのだとも。どちらにせよ、わたしや少年に流れる白い花の血は、月という大きな存在と深い関係がある。

 そんなわたし達の仲間を、人間の不届き者に襲わせた食虫花。

 何かあると思ってしまっても仕方ない。


「もともと、奴の背後には何かがいると魔女たちは睨んでいてね」


 絡新婦は言った。


「しかし、それが何なのかを探ろうとした魔女は、どいつもこいつも行方不明のままだ。明確に囚われた瞬間を目撃されたのはいいが、いつの間にか消えてしまった者も多い。恐らく全ては殺されているが、どうなったかさえも分からない奴らばかりでね」

「その全てが食虫花の手に……?」


 そっと訊ねると、絡新婦は眉を顰めつつ答えた。


「恐らくは、ね。だが、やはり不可解なんだ。行方不明になった者の中には、食虫花なんかよりも強い獣の魔女だっていたのに、どうして彼らまで見つからないのだろう」


 食虫花は異質だ。そう言われて久しい気がする。

 聖剣にやられて死ななかった事はまだあり得るかもしれない。だが、その傷を癒すためにどうして魔女を集められたのか。長く保たれてきたらしい均衡を崩せるまでに大きな存在になってしまったのは何故か。


「この森は荒れている。あらゆる魔女が狙われ、消えてしまった。魔女を狙うのは、きっと食虫花もまた魔女であるからだろう。魔女の持つ力は女にしか使えないからね。自らの力を増幅する為に、まずは力の弱い魔女から攫っていったんだ」

「魔術師たちは?」


 少年が訊ねた。


「この森には男の魔法使いだっているでしょう? 彼らはどうしているの?」

「勿論、立ち上がった者は沢山いたよ。魔術師の夫婦だっているんだ。立ち上がらないわけがない。それでも、魔女に味方し、力を貸そうとした魔術師もまた次々に消えてしまった。今ではもう自分の身を守るだけで必死な者ばかりだ」

「そんな……」

「長く保たれてきた均衡はもうない。これまで以上にこの森は混沌とするだろう。そうやって荒らすのもまた、長く守られて来た呪術を薄め、いずれは月様をその手中に収めるためかもしれない」


 いつかは月の城を攻め、捕えるつもりなのだろう。

 それは何時の事になるのか。

 月は三十で次の女神を生み落とすと定められている。恐ろしい事に、高い確率でその瞬間に命を落とすとさえも予想されている。あと、たった二年ほど。それしか時間は残されていないと言ってもいい。

 穏やかに過ごしたい。貴重な時間を大切にしたい。

 それなのに。


「――どうして」


 食虫花が憎かった。


「どうして、そこまでして月を……」


 二年後、月がもし死んだら、今度はその娘を狙うのだろうか。それとも、そうなる前に、月を欲しがっているのだろうか。何故、どうして、その理由は分からない。だが、ただただ腹立たしかった。それに、悔しかった。


「理由なんてどうでもいい」


 絡新婦が声を低めて言った。


「どんな事情があったとしても、どんな背景があったとしても、自分だけの都合でこの大地の命そのものを穢すことは許されない」


 きっぱりと何かを斬り捨てるような声。

 その声の向こうにあるのは、食虫花に対する軽蔑以外の何者でもなかった。



 どのくらい歩いただろう。

 ようやく月の城は見えてきた。その景色を見た瞬間、花売りの青年に手を引かれて歩いた時の事をふと思い出してしまった。あの時は、こんな未来を全く想像出来なかった。ただ、売られた先で気に入られるかどうかしか頭になかった。

 青年と別れるのも不安だった気がしたけれど、そちらの感覚はもう殆ど思い出せない。人工花として生まれた特徴だと言われるけれど、実感はわかない。今のわたしは、ずっと変わらず月の城こそがわたしの居場所なのだという強い意識しかなかった。

 その居場所に帰るために、どれだけの不安を抱えただろう。

 少年は未だに自分を責めているようだし、わたしはわたしで蝙蝠の術にあっさりと引っかかった自分の弱さを密かに憎んでいた。


「二人とも」


 声を潜めて絡新婦は言った。


「城に戻ったら、庭から一歩も出ないようにするんだ。年が明けてもしばらくはそうした方がいい。特に、華、君は温室から出ない方がいいだろう。許可を貰えたら、少年、君も城の中に入れてもらった方がいいかもね」


 その忠告に、二人して無言で受け止めた。

 つまりはじっとしていろということだろう。

 返す言葉も見つからず、絡新婦の世話になったことにさえ罪悪感を覚えている最中、ふと、絡新婦は歩みを止めた。

 じっと一点を見つめ、そして首を傾げる。


「蚕……?」


 はっとして見れば、確かにそこには蚕がいた。

 月の城の方角から来たのだろう。蝙蝠に誘われるわたしを必死に止めようとしたあの時のままだが、よろよろとしているのは何故だろう。

 蚕は絡新婦の姿を見つけると、そのまま力なく近づき、そのまま膝をおって頭を下げた。


「絡新婦様……」


 何処までも弱々しく、そして、必死な声だった。


「蚕、どうしたんだ」

「どうか……どうか僕を罰して下さい」

「何があった? 落ち着いて話しなさい」


 顔を上げ、真っ青な顔で絡新婦だけを見つめる蚕。

 その姿を見ている内に、妙な胸騒ぎがしてきた。よくない話をしようとしている。よくない報告をしようとしている。それは月の城の方角で起こったこと。


「蝶が……」


 その名が耳に入りこんだ瞬間、すでに震えは生まれていた。


「蝶が食虫花の手に落ちました」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ