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花狩り  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第三部
12/15

2.魅了


 花狩人達を外まで見送ったのは執事だった。

 此処の所、来訪者を庭まで送るのは勿論、城の玄関付近を屯しているだけで執事や女中頭はいい顔をしない。

 何もかも食虫花のせいだ。

 昨年の春頃、彼女が太陽の授けた術を破って庭に侵入してきたという出来事は城の人間たちを震撼させ、今まで以上に私を閉じ込めようとしてくるまでになってしまった。

 一応、太陽によって新たな力は授けられている。華と蝶には庇護の力を、そして、私には聖剣で悪を打ち破る力を残してくれた。勿論、ただではなく、日精という拾い者の人工花の身柄と引き換えだった。


 あれから唐突に届く太陽からの手紙によって日精の事は聞かされている。

 日精は正式に太陽の花となったらしい。日精に設定される価値と、盗賊から取り返した分の対価で引き換えとなったそうだ。傷物として保管されるよりはずっとましだろう。今では太陽によって新たな名前が付けられ、可愛がられているらしい。

 寂しくないわけではないし、引け目を感じないわけでもないが、彼女が幸せであるならばそれでいい。

 しかし、そんな日精のお陰で手に入れたせっかくの力を活かして貰えないのは辛いものがあった。


 執事や女中頭以下に言わせれば、万が一、食虫花が我が城の中にまで侵入してきた時に使えばいいとのこと。剣の稽古を見てくれる師範さえも、同じ意見だった。

 どうやら人間たちは恐れているらしい。食虫花がただの魔女ではないという可能性と、その背後に何かしらの巨大な力が見え隠れているせいで、本当に月の名を途絶えさせて、この大地を枯らしてしまうのではないかと恐れているらしい。


 花狩人達が庭を抜けて城の門へと向かっていく。

 その背中を眺めながら、私は堪えていた溜め息を一気に漏らした。

 彼らが向かうのは多くの者が恐れる魔女の元。その無事を祈らずにはいられない。ただの食虫花ならばよかった。しかし、かの魔女は人間すら襲って食らうような異常な個体。死なせる許可を出したということにならなければいいのだが。


「――ん?」


 ふと、窓から見える庭の端に、別の気配を感じた。

 はっきりとは見えなかった。だが、私に気付かせるような、訴えかけるようなその気配は、既に馴染みのあるものでもあった。


 ――蚕。


 その名を思い出し、私はすぐに花狩人達を見送るのを止めて、応接間の向かいの部屋へと急いだ。



 蚕。胡蝶の青年。

 初めて出会った時、この男は敵だった。絡新婦という名の蜘蛛の魔女の隷属として。

 絡新婦は私の事を月として崇めておきながら、自分の欲には何処までも忠実な魔女の一人。胡蝶という生き物に魂を奪われたその魔女は、あろうことか私から蝶を奪おうとした。

 そもそも、蝶に初めて学を与えたのは彼女であるらしい。羽化したばかりで蜘蛛という存在をまだ知らなかった蝶を蜜と優しい態度で騙しながら捕えようとしたのだが、あと少しの所でその正体が蝶にばれて逃げられてしまった。


 しかし、絡新婦は変わった魔女だった。蝶の事をただの獲物として騙していたわけではない。彼女は胡蝶の持つ魅惑に取りつかれているのだ。美味しそうだというよりも、ずっと、その美しさに見惚れてしまう。だからこそ、蚕を捕え、そして今も新たな胡蝶を誘惑しては、隷属になるよう迫っているのだろう。

 だが、絡新婦が何処で何をしていようと、もはやどうでもよかった。

 今や彼女が蝶を諦め、私のよき手足になろうと務めていたせいだ。


 その理由は約二年半前にさかのぼる。蝶を巡って対立する私と絡新婦の様子を眺めていた食虫花が、機会を窺って絡新婦にちょっかいを出したのがきっかけだった。あの時、食虫花は私との戦いで冷静さに欠いている絡新婦を見抜き、容赦なく煽って誘いこみ、あっさりと倒してしまったのだ。

 あのまま放っておけば、きっと、すぐにでも喰い殺されていただろう。

 しかし、放置は出来なかった。絡新婦の魔力が食虫花の血と肉になることが怖かったせいでもあったし、単純に目撃した以上、無視出来なかったせいでもあった。そして、食虫花を叩くなら今しかないと思ったからだった。


 あの頃の食虫花は弱っていた。自分を追い詰めた聖剣を恐れ、私との直接対決を望まなかった。強く出れば出るほど、食虫花は焦り、結局絡新婦を置いて逃げるという選択をする羽目になったのだ。

 結果的に私は絡新婦を救ったが、食虫花は取り逃してしまった。

 それから先、未だに食虫花の影は私の城の周りをうろついている。

 だが、絡新婦を救ったのは無駄ではなかった。私に救われたのが相当応えたのだろう。絡新婦はそれ以来、蝶に強く出るようなことはせず、私に協力してくれるようになった。


 共通の敵は食虫花ただ一人。

 悪しき魔女の好きにさせないために、絡新婦は隠れ住みながら情報を集め、主に蚕を通して私に伝えてくるようになった。


 二年半ほど前の出来事で深手を負った彼女だったけれど、今はほぼ前のように力を取り戻しているらしい。それを伝えてくれるのはいつだって蚕だった。絡新婦の言いつけで影ながら食虫花や蝙蝠を見張り、華たちも見守っている頼れる胡蝶の青年。

 あの事件以来、その主人である絡新婦の姿を直接見てはいない。

 ある程度の強力な魔力を持つ彼女では、太陽の残した呪い「日の輪」に弾かれてしまい、庭に侵入できないためだ。その為、隷属として半端な力しか持たない蚕に託すしかない。


 そう、此処にはいつも蚕が来る。

 いつだって同じ、使われていない客間の窓辺。

 城の者たちの目を盗んでは、私は度々蚕の言葉に耳を傾けた。それはさほど珍しいことではなく、いつだって淡々とした様子で蚕は絡新婦の言葉を伝えに来た。

 しかし、今日はどうだろう。

 窓辺にて息を潜める蚕の顔には、いつにない焦りが浮かんでいる気がした。

 窓を開けて話しかける前から、嫌な予感は漂っていた。


「どうした、蚕」


 声をかけると、蚕は両膝をつき、動揺の消せない様子で私に頭を下げた。


「絡新婦様の言伝です」


 その言葉に黙って促すと、蚕は震えを含んだ声で言った。


「『暫くの間、日の輪を過信せず、どんな事情があっても城から一歩も出ないでいただきたい。同様に、蝶を常に傍に置き、自由にさせぬよう』」


 そっくりそのままの言葉を鸚鵡か何かのように告げると、蚕は顔をあげぬまま私の言葉を待った。


 ――城から一歩も出ず、蝶も出すな。


 やはり食虫花に関する事で何かあったのだろう。


「一体、何があった? 蝶はともかく、私まで出さないというのは食虫花の所為か?」

「『今はただ、城に留まっていていただきたい』とのことです。どうか、月様、絡新婦様の忠告通りになさってください」


 説明されないというのが一番不安なことだ。だが、説明出来ない程切羽詰まったことが起こっているということだろうか。


「蚕、お前の言葉で教えてくれ、何があったんだ?」

「その前に、約束していただきたい。絡新婦様の言いつけ通り、絶対にこの城を出ないということを」


 そこでやっと蚕は私を見上げた。

 その顔は青ざめている。鋭い視線と汗が状況を物語る。先に私に約束させたがるのは、何故なのか。嫌な予感だけが膨らんだ。


「とりあえず、絡新婦の忠告は分かった」


 ようやく私は蚕にきちんと返答した。


「だから、そろそろ教えてくれ。何があったんだ?」


 念を押すように訊ねると、蚕の瞳が大きく揺らいだ。

 動揺が大きい。言葉をすぐに出す事が出来ず、その目で見たもの、脳裏に刻んだものを、何と表現していいのか迷っているらしい。

 何があったというのだろう。

 息の詰まるような思いで返答を待つ私に、ようやく蚕は応えてくれた。


「やられました。花狩りの混乱に乗じて――」


 非常に焦りの強い声。

 花狩りの混乱というのは、さきほど送り出した花狩人たちのことだろう。案の定、私が許可を出す前から森は荒れているのかもしれない。討伐されるべきは食虫花ただ一人だが、彼らに混じって、白い花などの希少種を乱獲する悪質な花狩人が入り込む余地も生まれるのだから。


「誰がやられたんだ? まさか絡新婦か?」


 可能性はある。

 悪質な花狩人は獲物以外の生き物には容赦しない。金にならない生き物は殺し、金になる生き物は暴力で支配するそんな輩だ。

 しかし、蚕は即答した。


「いいえ、違います」


 非常に青ざめた顔は、己の主人の危機によるものではない。

 その様子に、私はいよいよ覚悟を決めるほかなかった。頭を過ぎるのは、先程の絡新婦の忠告の言葉だった。


 何故、蝶だけを閉じ込めよと言ったのか。

 何故、華が含まれていないのか。


「食虫花にしてやられました。無節操な人間の花狩りを金で操り、白い花の者たちを乱獲させています。その一派にあの野生花の少年が追い詰められているようです。そして、彼の危機を蝙蝠に知らされた華が、誘き出されてしまって――」


 頭の中が真っ白になりそうだった。

 蝙蝠と食虫花。その組み合わせによって誘き出されたのが華。一瞬にして、母の肖像画と共に飾られる人工花の末路が頭を過ぎり、吐き気が込み上げてきた。


「そんな……華が……」


 視界が曇り、立ちくらみがした。


「申し訳ありません、私が気付いた時にはもう遅かったのです」


 ずっと見張っていたのだろう。蚕は平伏する勢いで詫びる。


「今のところ、絡新婦様が二人の救出を試みております。月様はどうか城の中でお待ちください。私と私の同胞が足となりますので」


 それで、か。

 始めに蚕が絡新婦の言葉を告げ、私が城に留まるように約束させたのは、この為だったようだ。華が囚われた。目的は明確だ。その罠にまんまと引っ掛からせない為に、絡新婦は私に念を押したのだ。

 だが、罠だとしても、華が危険な目に遭っている事には変わりない。


「場所は何処だ……」


 部屋の外に漏れださないように、私は声を押し殺して蚕を脅す。

 絡新婦の一方的な言いつけを守ろうとは思わない。今こそ、太陽から授けられた力を発揮するべき時だろう。日精と引き換えにわざわざ太陽から授けられた力は、師範の見守る稽古の為にあるわけではない。たとえ城の者すべてに反対されたとしても、華を助けにいかないでどうするというのだろう。

 だが、蚕もまた私の眼差しに負けることなく、非常に冷静で力強い視線を返してきた。


「言えません……」


 それは、飽く迄も己の主人である絡新婦の言いつけを守る姿勢であった。

 彼は隷属。隷属となった者にとって世界とは、主人である魔女が支配しているものだ。この大地の命でもある私の命令よりも、主人である絡新婦の命令の方が重たいのは隷属として当然のことだろう。

 だが、私も私で退くわけにはいかない。


「頼む、教えてくれ、蚕……」


 せっかく貰った力を此処で活かさず、何処で活かすのだ。

 執事や女中頭に諦めろと言われたとしても、絶対に迎えに行かなくては。


「出来ません。絡新婦様の言いつけです。今はただ絡新婦様を信じて――」


 絡新婦。確かに強い魔女だ。気紛れに私を襲おうと思いついたら強敵となるほどの力を持っている。だからこそ、太陽の設定した日の輪に弾かれてしまう。

 それでも、華たちを誘き出したのは食虫花だ。その日の輪を乗り越えてしまうほどの魔女であり、場合によっては絡新婦さえも食べてしまおうとする者。


「相手は人間だけじゃない。裏にいるのは食虫花なんだ」


 絡新婦一人で立ち向かい、囚われたらどうするつもりなのか。

 しかし、蚕は必死に反抗した。


「だからこそ……だからこそ、月様はここにいてください」


 それは、己の主人を思いつつも、その方針を頑なに守ろうとする複雑な態度だった。

 絡新婦も恐れているのだ。私を失い、この大地が終わりを告げる未来を恐れている。そんな事になれば、私の罪は重いだろう。たった一人の人工花の為だけに大地を終わらせるなんて、馬鹿げているのかもしれない。

 けれど、私は気付いていた。

 絡新婦は暗に、場合によっては華を諦めるように示唆しているのだ。まるで三年ほど前、食虫花に蝶が囚われた時の女中頭や執事のように、華のことを諦める覚悟も持たせようとしているのだ。

 そんな覚悟が出来るわけがない。


 ――絡新婦一人が辛いならば、いかなければ。


 蚕と絡新婦の言いつけを破る勢いで更に問い正そうとしたその時、ふと廊下から決して小さくない執事の声が響いた。


「蝶御嬢様、そこで何をなさっているのです?」


 ――蝶?


 途端に、駆けだすような足音が聞こえ、はじき出されるように私は廊下へと向かった。

 扉はしっかりと閉めたはずだった。しかし、今や少しだけ開けられていた。私の全く気付かない内に、彼女は忍び寄ってきていたのだ。


「蝶御嬢様?」


 廊下に出ると、真っ先に驚いた執事の姿が見えた。

 その脇をするりと抜けるように走り去る影。間違いなく、蝶の姿だった。やはり、聞いていたのだ。今の話を。今の、華が危ないと言う話を聞いていた。

 その事実の危険性に気付き、私は慌てて蝶の背に叫んだ。


「蝶、待ちなさい」


 命令染みた声だと自覚はしていた。

 言霊で彼女の動きを止められたらどんなによかっただろう。閉じ込めるなんて可哀そうだと散々思ったはずなのに、今だけは捕まえて鍵のかかった檻にでも入れてしまいたいくらいだった。

 しかし、蝶は止まらない。止められない。


「止めて! 誰か!」


 焦りは強まる一方だったが、居合わせた女中も使用人も、茫然としたまま蝶を見送ることしか出来なかった。

 そのまま蝶は走り続け、城の正面玄関へと真っ直ぐ向かう。

 庭へ向かうつもりだ。


「待って、蝶……お願い」


 声は届かず、蝶の背も小さくなっていくばかり。

 それを追って私も走りだそうとした所に、後ろから肩を掴む者があった。


「お待ちください、月様」


 執事だった。


「放してくれ、蝶を追いかけなくては……」

「なりません。庭に出ては食虫花の思うつぼです」

「けれど――」

「外に居る貴女様の僕にお任せください。それが出来ないならば、城の者たちは結託して、貴女様を鍵のかかる部屋に閉じ込めなくてはなりません」


 今まで以上に強い言葉で言われ、思わず振り返った。

 執事の顔はいつものように紅潮してはいなかった。周囲を見れば、居合わせた女中や使用人たちもまた、困惑気味な目で私を見ている。

 皆、走り去った蝶よりも、私が外に出ることの方が心配らしい。

 それは、此処から私を信用していない顔でもあった。

 怒りと屈辱が込み上げ、私はその全てを睨んだ。


「……私には聖剣がある。太陽から授けられた力も」


 だが、その声は虚しく響くばかりだった。

 肩を掴んだまま、執事が静かな声で答える。


「今はそれらを使う時ではありません。月様、どうか、どうか、哀れな我々の為にも、この城から一歩も出ないでください」


 素直な懇願の言葉だった。

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