1.狩人
◇
その報せはいきなり来た。
年末年始という時期は、人間たちの町でも盛大な祭りがあるのだと聞いている。報告の手紙はあっても、出席はしたことがないから詳しくは分からないが、町の人間ならば特別な理由がない限り、祭りに参加するものなのだと城の人間たちは言っていた。
だが、今年は慣例ではなく例外的に参加しない者たちが複数いるらしい。
町公認の花狩人。
野生花を捕えて生計を立てている花狩人のなかでも、町に住まう役人たちが特別に権利を認めている者たちだ。きちんとした決まりを守りながら決められた数だけ野生花を捕える者たち。そんな彼らは普段、年末年始には休むはずだが、今回ばかりは違うらしい。
花の魔女の話は既に人間たちの町に知れ渡っていた。
森に入りこんだ人間の数名が、行方不明になり始めたのは数年前。
その時は真っ先に野蛮な獣が疑われた。魔術を扱う、熊や狼、猪などならば人をも襲うだろうと。危険な獣を狩るべく許可を願う手紙が届いたのは覚えている。その時は許可することが出来なかった。人間たちが対象としてあげた獣たちが、本当に犯人であるとする決定的な証拠がたりなかったためだ。疑わしいだけでは罰する事はできない。それに、人間たちの動きを察した獣たちが代表を立てて、城を訪れたせいでもある。
あの時、人間たちからは当然不満の声が上がった。それでも、状況が変わらない限り、私の決断は揺るがなかった。
しかし、その不満の声も次第に小さくなっていった。
奇妙な噂が町で流れ始めたせいだ。
――虫を食べるはずの花の魔女が、人間まで襲って食べている。
森から町へと遊びに来る虫の精霊たちの噂に過ぎなかった。もしくは、渡り鳥たちの囁きを、人工花などがまた聞きするくらいのもの。いずれも人間たちには単なる噂であり、情報としては信憑性の極めて薄いものであるはずだった。
けれど、その噂も徐々に人々の脳裏に浸透し、段々と人を襲う花の魔女の印象は大きくなっていったらしい。
そして決定的な出来事は起こった。
他の神が支配する大地へ向かおうとしていた旅の一団が食虫花に仕える蝙蝠他数名に襲われ、数名が行方不明になってしまったという事件だ。命からがら逃げかえった者たちは、口々に犯人についての情報をもたらした。その中で、人間たちを震えさせたのは、濃い蜜の香りを漂わせる美しい魔女の存在だった。
更に、追いうちをかけるようにこの大地の女神である私が食虫花に命を狙われているという噂が広まってしまった。混乱を避けるために長らく町には知らせなかったことだったのだが、さすがにこれ以上は隠しておけないところまで来てしまった為、人間たちの町を取りまとめる長たちに伝えざるを得なくなってしまったのだ。
その結果、討伐すべきは獣ではなく花の魔女であるという結論に至った。
また、それを煽るように、行方不明者の遺留品が花の魔女の屋敷付近で見つかるようになったらしい。
早くから計画は進められてきたという。
幸運にも生き延びた者たちから情報を集め、時には森に住まう虫や花、獣といった者たちの話にも耳を傾け、人間なりに出来る対策を考えてきたらしい。
そうして、年末のこの時期、とうとう花の魔女を倒す動きは生まれた。
その花の魔女こそ、食虫花。この月の森ではやや珍しい類の人物だ。しかし、今や食虫花の血は散らばり、月の森の端々でその根を伸ばしているらしい。
幸いなことに、彼女の血を引く子供達の中で、生みの親たる彼女の味方をしているような者は確認されていない。どの子供も人間たちがこれまで観察してきたように、ごく当り前の植物として生まれ、育ち、やがては枯れていっているらしい。
それならばまだいい。
かつてこの森にいなかった種が根付くのはあまり好ましくないことなのかもしれないが、繁殖力も強い方ではないと聞くので放っておいても大丈夫だろう。
となれば、問題はやはり母親でもある食虫花ただ一人だ。
仲間の仇を取るため、そして、女神である私に危害をくわえさせないために、花狩人の一団は武器を揃えて立ち上がった。
まずは私と面会し、月の女神としての許可を得るつもりらしい。
町が公認していても、私に認められなければ意味がない。彼らが自由気ままに振る舞い、有利に食虫花と対峙するには、必要不可欠な手順であった。
「……それにしても、急だな」
執事に手渡された手紙を眺めながら、私は一人呟いた。
明日、もしくは明後日、我が城にその一団は来るらしい。
此処暫く、来客と言えば人外か神々であった為、人間の……それも、我が月の大地生まれの人間が来客とは珍しい。
「勝手ながら申しますが、果たして人間の狩人に奴が倒せるのでしょうか……」
執事が胡散臭げに言いながら私を窺う。
それは私も気になるところだ。
人間に出来る事を、と手紙には書かれているようだが、一体どんな策があるのだろう。相手は同じ魔女を捕えては食べるという異常性と強さを持った存在であるというのに。
「何にせよ、こればかりは許可しない理由がない」
溜め息混じりに私は言った。
罪を犯した証拠も何も、食虫花はこれまで何度も直接的に私と戦ってきた。そんな魔女を庇う理由なんて何処にあるというのだろう。
だが、執事は首を傾げる。
「よいのでしょうか。みすみす死に向かわせるような事にはならないといいのですが……」
その言葉に、少々頭が痛くなった。
確かに、安易に許可を出すのは危険だろう。
花狩人という者たちにどんな技術があるのかは詳しく知らないけれど、果たしてそれらは食虫花の魔力を上回る可能性のあるものなのだろうか。
もしも、花狩人達が犬死するという事態に陥った時、私は許可を出した者としてどんな形で責任を取ればいいだろう。
しかし、禁じる理由は思いつかない。相手に擁護出来るだけの理由もなく、危険だからというだけでは、討伐を禁じることは出来ないのだ。
今回、人間たちは仲間の仇を取りたいという理由で食虫花退治を申し出た。仇討というものは昔から月の城に申し出があり、相手に擁護出来るものが何もない時には認めなくてはならないものとされている。その慣例に従う以上、人間たちを止める事は出来ない。
「無事を祈るほかないだろう」
私はただそう言って、手紙を机の上に置いた。
何にせよ、明日か明後日にその一団が来るのを待つしかない。
「この話はもういい」
私は執事に向かって言った。
「それよりも、華の話だが――」
言いかけて、私はふと部屋を見渡した。
自室には私と執事以外誰もいない。蝶は絡新婦の居場所へと行ってしまったし、華は庭で少年と遊んでいる。
蝶や女中頭をはじめ、他の使用人や女中ならば問題ないが、これから話す内容は華には出来るだけ聞かれたくないものだった。
言い終わらぬうちに、執事の眉が寄せられ、次第に顔が紅潮していく。
「私は何も間違った事を申してはおりません。そろそろ華御嬢様の御相手を、町で捜すべき時期です」
半ば憤怒しているかのような声に、頭痛がさらに酷くなった。
ここ二、三年ほど、華に関してはこの話ばかりだ。
血が繋がっているのではないかと疑うほどに、執事と女中頭は結託して私に華の相手を捜すように責め立てる。
だが、いつも私は乗り気になれなかった。
「まだ早過ぎやしないか……? やっと十六歳になるところだというのに」
「ちっとも早くは御座いません。そろそろ見つけておかねば、遅れてしまいます。月様は華御嬢様の血統をきちんとご覧になったことがありますか? あんなに美しく高貴な血を途絶えさせるのは罪深き事。あの花売りの青年の一家がどれだけの時間をかけて作りあげてきたか、お分かりですか?」
確かに尊いものなのだろう。
人工花の歴史は決して浅いものではなく、華たちのような存在は、それこそ心血を注いで作りあげられた結晶でもある。
世代を追うごとに、人工花と野生花の差は広がり続け、森で自由気ままに増えていく野生花と違って、人工花は計算された組み合わせでより人々に好まれる容姿と蜜の質、そして知性を有した子を残してきた。
華はとりわけ素晴らしい血を継いだ者であり、城からの要請がなければそのまま花売りの家で次世代を産む役目を担っていたはずだった。そうなっていたならば、もう既に母親になっていた可能性もある。
だが、今の華はそうではない。
私に買い取られた花として、まだまだ子供として過ごしている少女なのだから。
「かの青年が申すには、華御嬢様の御相手の候補は三名ほど。年齢も近く、血統の組み合わせもいい。うち、二名は町に暮らす名家の所有している花で、残り一名は他家の花売りが繁殖用に所有している者だそうです」
「華と年齢も近いってことは、その子達もまだ少年か……」
大体、庭で遊んでいる野生花の少年くらいの者たちだろうか。
そう、野生花の少年の存在もまた、私がこの件を進めたくない理由だった。
華と同じ始祖を持つ少年。華にはぴったりな相手だと思うのだが、血統の詳細が分からない彼が相手なんて、執事や女中頭からすれば、全く信じられないくらい、人工花という存在に対しての冒涜であるらしい。
「一番話をつけやすいのは、やはり他家の花売りが繁殖用に所有している者であるそうですが……月様? ちゃんと聞いていますか?」
「はいはい、聞いているよ。でも、華はまだ遊びたい年頃だからね。話を進めるのは時期尚早だと思うんだけれどね」
「それは甘やかし過ぎです。あの方はきちんと考えていらっしゃいましたよ。ご自身の愛花について、十七歳で子を産ませ、生まれた子供はきちんと町へ返すように遺言を残していらっしゃったのです。今もその子孫は守られているそうですよ」
あの方とは母の事だ。
母には愛する人工花の娘がいた。今はもうこの世に居ないその二人の肖像画はいまも隣同士に飾られており、引き離すことも出来ないでいる。その人工花もまた華と同じ血を引く白い花の一族のもの。
十二歳で彼女は買い取られ、二十歳前後で亡くなるまでこの城に居た。
私が生まれた時、彼女は十五歳ほどだったかと思う。その時に、母との別れを経験し、私の成長を母の代わりに見守った。
「先代が、か……」
溜め息が漏れる。
こんなところでも母の幻影が現れるとは。
女神として風格もあり周囲からも恐れられていたという母と、幼い頃から自由を奪われ何処か怯えながら過ごしてきた私とでは、違い過ぎる。
母が生きていた頃、食虫花はまだ子供であり、月の城を脅かせるほどの存在でもなかった。だが、仮に今の時代に君臨しているのが私ではなくて母だったのならば、果たして食虫花は今のように月の城を脅かしてきたりしただろうか。
そんな疑問を抱かせるほど、母は女神として立派だったらしい。
月は代々生まれ変わるもの。
私は母の生まれ変わりと信じられているし、母もまたそのまた母の生まれ変わりであるはずなのだが、時代によってその力には若干の差が生まれるらしい。
母は祖母よりも目立つところのある女神だった。
賢さと神通力の扱いの上手さは、太陽や祖母を知る時の執事や女中頭さえも褒め称えるほどであったと記されていた。実際に、太陽にそれとなく聞いてみれば、微かにだけれど教えてくれたこともある。
私は違う。
いつも母と比べられ、落胆されてきた。
太陽だけは落胆したりはしなかったが、それでも、母の時代にはあった自由の半分も認めてはくれない。食虫花の所為だと分かっていても、やはり、今の時代の月が私ではなく母であったならばどうなのだろうかという想像はしてしまう。
考えただけ無駄だと思っても、止められない妄想だ。
もしも、私ではなく母が華の相手を捜すのを渋っていたとしても、執事はこうも顔を真っ赤にして叱咤したのだろうか。
「ともかく、しっかりと考えてください。そして、来年こそは相手を決めてしまうのです。橋渡し役の蝶御嬢様はしっかりと考え、言い聞かせていらっしゃるようですが、何しろ、華御嬢様は此処の所ずっとあの野生花の少年とばかり一緒にいますからね。事故があってからでは遅いのですよ」
そう言い捨てて、執事は部屋を出ていく。
その背中をぼんやりと目で追っていると、いつもの気だるさが込み上げてきた。
――事故、か。
複雑な気持ちになる。少年が聞いたらきっと悲しむだろう。そして、華が聞いたらきっと嫌な気持ちになるだろう。
蝶はどうだろう。彼女もまた私と同様、華の相手には少年でも構わないのではないかという考えを持っていた。
きっと、直に花と触れあう性質のものだからだろう。華が実を結ぶという時、蝶が関わるのは間違いないことだ。そうなるのならば、蝶は日頃自然だと思える組み合わせのものを引き合わせたいと思うらしい。
蝶にとってはそれが華と少年なのだ。
――お互いに好きなのに引き裂かれては可哀そうだわ……。
いつだったか蝶はそんな事を言っていた。
「花にとっての幸せって何なのだろう……」
素朴な疑問がふと漏れだした。
◇
次の日、早くも花狩人たちは訪れた。
先にその報せが届いたのは早朝。もの言わぬ鳩が運んできた。短い文章ながらも非常に丁寧な言葉で、花狩人たちの訪れは記されていた。
許可を出す準備は出来ている。
昨日、執事が心配していたことも気にかかるが、それでもやはり反対する明確な理由がない以上、禁止する事は出来ない。
そして昼頃、彼らはほぼ時間通りにやってきた。
応接間に居るのは人間の男たち数名。その誰もが花狩人特有の恰好で身を包んでいる。武器になるものは念のために城の者たちが預かっているらしい。彼らとしてはさっさと許可をもらって取り返したいところだろう。また他にも仲間はいるらしいが、城の傍の森にて待機していると聞いた。
入り口付近で立ったまま静かに頭を下げる男たちに対して、私は告げた。
「座りなさい」
しかし、大した反応はなく、長椅子に座る様子もなかった。
何を言ったところで、彼らは座ったりしないだろう。
早々に諦め、私は話を勧めた。
「手紙は読んだ。どうやら、私には貴方たちの願いを拒否する権限はないようだ。ただし、忠告はさせてもらおう。貴方たちの討伐しようとしている花の魔女はただの花ではない。城の者たちが預かっている武器で倒せるとは限らない」
直接的にそう言ってみたものの、男たちは黙ったまま頭を下げている。
沈黙が少しだけ流れ、しばらくしてからやっと、男の一人――リーダー格と思われる者が頭を上げ、返答した。
「危険は承知の上で御座います。しかし、奴は我らの同胞の仇。それに、聞けば、奴は貴女様にまで危害を加えようとしている罪人。貴女様の大地に生まれ落ちた男として、我らは奴を倒せねばなりません」
その硬い意思はちょっとした言葉などでは崩れないものだろう。
私だってこれ以上食虫花を好きにさせたくはない。この男たちのように自ら立ち上がり、討伐しに行くべきだろう。しかし、城の者はそれを許可しない。許可しないどころか、長らく城の庭にすら出してもらえてはいない。
花狩人たちはその事情を幾分か知っているのだろう。
リーダー格の男が表情を緩め、自信ありげに私へと言った。
「御安心を。必ずや奴の息の根を止め、この大地の者としての責任を果たして見せましょう。どうか、この場所より我らを見守りくださいませ」
私は私でこの大地の女神――月としての責任を果たして欲しいということだろう。
溜め息が漏れだしそうなのを必死に堪え、私は渋々頷いた。
「分かった。狩りを許可する」
この言葉が重要なのだと聞かされた。
実感は相変わらずないが、私が私の口で許可しなければ、人間たちは森で好き勝手出来ないという信仰に縛られている。何でも、勝手をした者には必ず罰が下るのだとか。それならば、早い所食虫花にも罰を下せないものか。
内心、勝手な事を思っている間に、花狩人たちが各々顔を上げた。
その全てに向かって、私は付け加えて言った。
「向かうといい。貴方たちの無事を祈っている」
これで今日の面会は終わりのようだった。




