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第四話 ヒーローの条件 後編

続きです

 最初に反応したのは橘さんだった。

「それはそちらの総意?」

「そうよ」

 事も無げに答える声に肩を落とすように「そう」と小さく呟いた。

「ちょ、ちょっと待って、それってどういう事だよ。最後ってどうすんだ?」

 もう言葉遣いなんて気にしていられない。

 詰め寄るように聞いた俺にプルームが笑顔を向ける。

「そのままの意味よ。次の闘いで貴方達が勝ったら私達は二度と姿を見せない」

 それは……いや、待て待て。

「……そ、それで、もし、あんたらが勝ったら?」

「え?」

 プルームが驚いたような表情になる。

「だって、それは……」

 真剣な顔で俺のほうをまじまじと見て………プッと吹き出した。

「そっか、あなた知らないんだ」

 プルームがおかしそうに笑う。

なんか、この人の笑顔は結構見てきたけど、こんなに楽しそうに笑うのははじめて見た。

…じゃなくて。

「な、何それ、俺なにを知らないの?ちょっと…」

「ううん大丈夫、それは多分他の人が知ってるから」

「え?」

 弾かれたように橘さんの方を振り返ると、気まずそうな顔………は別にしておらず、いつも通りのお疲れ顔だった。

……このポーカーフェイスちゃんめ。

 樹も別に今までと変わらない表情をしていた。

俺と目が合うと「たはは」と笑って頭を掻いた。

さてはお前も知らないな。

 ただ、周りを囲んでいた人たちのほうには多少なり動揺が広がっているようだった。

きっと”薫派”の人たちだろうが、ざわざわと小声で何かを言い合っている。

「な、なんだよ、教えてくれよ」

「なーいしょ」

 そういうとプルームは踊るように身を翻した。

「待って」

 いつの間にそこに居たのか千葉ちゃんが横合いから声を上げた。

「貴方達の目的はなんなの?一体何の為にこんな事……」

 足を止めたプルームが振り返ることなく答えた。

「約束」

 その言い方が笑えるくらい水城さんに似ていて、脳裏にあの時の言葉が浮かんだ。

―――うん。……前に、何でこんなことしてるの?って聴いた事があるんだけど、その時に笑いながら約束だからなって

「約束?」

 聞き返す千葉ちゃんの言葉に、今度は答えずにプルームは歩き出した。

「行くわよハニちゃん」

 いわれたハニ子は着脱可能な右手の食指で樹をビッと差した。

「決着はつけるからなイッチー。首を洗って待っていろ」

 言われた樹は手を振りながら「おー」とやる気の無い長閑な返事をした。

「お、おー、じゃないっ、絶対だからな、ちゃんと、おぼえてろー」

 ……それはやられ役の台詞だぞハニ子…。

 ブンブンと腕を振り回す姿がどんどん小さくなっていく。

―――それにしても

「次で最後……か」

 商店街の誰かが俺達の気持ちを代弁してくれた。




 縁側に腰掛け、まだ丸くなる前の月の光を浴びていた。

「眠れないのか?」

 澄んだ声をかけられて振り返ると、そこには樹の姿があった。

「うん……まあ」

 そう曖昧に返して俺は月を見上げる。

夜についた明るい傷口に千切れた雲がかかっていた。


 あの後、仕事に戻ると言って帰っていった千葉ちゃんを除く俺達三人は、祖母さんに報告をするという橘さんと、挨拶をしたいという樹と一緒に、揃って俺の家に帰ってきた。

フラフラと直ぐにどこかに消えそうになる樹の手を引いて家にたどり着いた時には、時間は丁度昼時になっていた。

 二人を祖母さんのもとに案内すると、樹が突然手をついて、硬い、とても長くなりそうな挨拶を始めた。

祖母さんはそれを軽く受けて「まずは…」と、二人に昼食を勧めた。

 俺の希望もあって万事は昼食後という事になり、いつもは二人だけの食卓に倍の人間が座って昼食をとった。

「大きくなりましたね、樹ちゃん」

 昼食後、俺達は祖母さんの私室へと移っていた。

橘さんから一通りの報告を受けた後に、樹の方を向いて祖母さんが微笑んだ。

へへへーとばかりに樹が頭を下げる。

…ここはおしらすか。

「お久しぶりでございます薫様」

 顔を上げて、嬉しそうにそう言う樹に優しげな笑顔を向けてから、俺のほうへ向き直った。

「大地さん」

「は、はい」

 緊張で体がこわばる。

いつもの様に祖母さんの直ぐ隣には日本刀が置かれていた。

銘はないが出は確かな物らしい。

切れれば良いという事らしいが、今の日本で何故そんな価値観が成立するのかが俺には分からない。

「手も足も出なかったそうですね」

「いえ、出なかったのではなく、出さなかったんです」

「同じ事です」

 せっかくの橘さんのフォローも一蹴されてしまう。

「す、すいません」

 実った稲穂のように頭を下げた。

……うう、本当におしらすにいる気分だ。

俺はお奉行のお沙汰が下るのを黙って待った。

「ベルトを」

 トンと畳に手を置く。

ここにおけという事か。

 言われるままに腰からベルトをはずして、畳の上に置いた。

 祖母さんは流れるような手つきでそれを取り上げると、すっと樹の前においた。

「次は樹ちゃんに闘ってもらいます」

 成り行きを見守っていた樹が驚いたように目を見開いた。

「や、それは」

 俺と祖母さんの間で視線を往復させながら、困った顔で口ごもってしまう。

「薫様」

 橘さんが身を乗り出すように祖母さんに詰め寄る。

「先程報告したとおり次が最後の闘いです。ですから…」

「だからこそです」

 祖母さんが真剣な顔で橘さんを見つめる。

「…だからこそ負けられないんでしょう」

 橘さんはもの凄く複雑な顔をしていた。

いろいろな事情が織り交ざってそんな模様にしかならなかったという顔だ。

……やっぱり橘さんは色々知ってんだなあ。

 お役御免を言い渡された本人である俺は、どこか他人事のようにその様子を見ていた。

―――元々好きで始めた事でもないし。

 気にしてくれる二人には悪い気はしたが、それでも、ホッと息をつきたい気分だった。

「次に、その、パピ子とかいうのが出てきた時貴方は闘えますか?」

「…無理でしょうね。…それからハニ子ですお祖母様」

 パピ子じゃ冷たくておいしそうだ。

「では、異論ありませんね」

 祖母さんが俺に聞いてくる。

「…本当にそれでいいのか?」

 樹は今迄に見たこともないような真剣な顔をしていた。

―――気にする様な事なんて

 俺は黙って一度頷く。

「…ありません」

―――何も無い。


「……ない……ハズだったんだけどなー」

 誰に聞かせるとも無く呟いた俺の隣に、しばらくウチに滞在する事になった樹が腰掛けていた。

「なにがだー?」

 俺達はアホみたいに上を向いて夜空を眺めていた。

返事は返しても相手を見ることはしない。

「んー?んー、理由」

 そういえばこれは水城さんとの約束を破る事になるんだろうか?

「理由?」

「うん。……俺さ、別に好きで闘ってたわけでもないし、祖母さんから無理矢理やらされてたからさ。だから正直全然平気だったんだよ」

 樹はこちらを見たかもしれない。

視界の端で身じろぎするように動くのが見えた気がする。

「ベルトを樹に渡すこと。これは本当に平気だったんだ。……けどさ、何ていうか、今この辺りがもやもやしてるんだよな」

 ちょっと頭を動かして、樹のほうへ顔を向ける。

予想通り夜のような色の瞳と目が合った。

上にある景色から小さじ一杯分くらい掬ったような星空がそこに写っている。

 俺はもう一度その部分、自分の胸の辺りを触ってみた。

「なんか、落ち着かないっていうか…」

 樹はそれには何も言わず、再び空へと視線を上げた。

それに倣って俺も上を向いた。

「自分で分かってるんじゃないかー?」

 樹が言う。

語尾が延びるのは上を向いて口が開いているから。

「……かもなー」

 俺は夜空に溜息をこぼした。

 自分で分かっている。

 分かっている限りでは俺は残念がっている。

自分の手で決着をつけられないことを…。

 最初から迷惑以外のなんでもなかった。

こんな気持ちになっている今でも良かった思い出なんか一つも思い出せない。

けど、不本意にしろなんにしろ、一度はじめたことを最後まで出来ないのは気持ちが悪いもんだ。

「これ返すかー?」

 なんでもないように、ベルトを差し出す。

思わず手を出してしまいそうになるくらい自然に。

「……いや、返してもらっても俺闘えねえし」

 水城さんの祖父さんの作戦は見事に当たったわけだ。

俺はハニ子とは闘えない。

……しかも、そんな理由で負けるわけにはいかない。

何故なら皆理由があって戦ってるから。

祖母さんも水城さんの祖父さんも……多分あの蝶々女も。

「だったら私は一所懸命闘うだけだ」

 樹が見ている星はどれだろうか、ふと、そんなことを思った。

「……まかせるわ」

「ん」

 ……引き継ぎ終わり。

 なんだか妙な照れくささがあって俺は全然違う事を口にした。

「……樹が住んでるトコってさあ、どんな所?」

「……っ…」

「……樹?」

 返事が無く寝てしまったかと思って視線を下げた。

「何だ、起きてんじゃ…樹?」

 かたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかた……。

 そこにはもの凄い量の冷汗を掻いて、激しく体を震わせながら何事かブツブツ呟いている樹の姿があった。

「ど、どうした?」

「あ、あのな、こう、いや、こうだな」

 そんなことを言いながら、手で大きく四角を描いている。

………何?おべんと箱?

「いや、ちがう、こうだっ、こうっ、……ちがうなー」

 …なにが?

困惑する俺を尻目に樹はまだブツブツ言いながら、震える体で、四角を描く。

「ちょっと、何やってんの?」

「何って………」

 ぴたりと動きが止まる。

「…あの、今の質問は、どれくらい大事な質問なんだろうか」

 今の質問って……どんなトコに住んでるかってやつか?

「…イヤ、別に大した事じゃないけど」

「そ、そうか」

 あからさまにホッとしたように額を拭う。

長い前髪が夜の空気に流れた。

「いや、実はな、私の住んでいたところというのは狭くて人があまり居ない所で、殆ど知り合いしか居ないから、一言二言で何が言いたいか全部伝わるんだ。だから私は武道以外の何かを他人に説明するっていうのが大の苦手らしくて」

 今十分説明してくれてたけど。

……意識するとダメってことなのかな。

 …………。

「だからあんまり、質問とかしないで欲しいんだが」

「…ん?ん、ああ、分かった、ところで…………………………………………そこって、どれくらい人が住んでたんだ?」

 かたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかた……。

………面白い。



 三日後、放課後、教室。三十九脚の机椅子、三十九分の十八の生徒、十八分の一の俺。オレンジ、濃い黒、二つに染まる他の色。……、この表現、もう限界。

 あの妙にあっさりしたヒーロー交代劇から三日が経っていた。

胸のもやもやは相変わらず、風呂場の黒かびのように消えずに残っている。

覿面てきめんなカビ取り剤の存在も思いつかず、帰るきっかけもつかめず、俺は机の上にだらしなく伸びていた。

「秋名帰んないの?」

「あ〜、まだ居るわ」

 教室の出入り口から、帰り支度の済んだクラスメイトが声を掛けてくる。

手のひらを振って返す俺に、首をかしげながら、他のクラスのヤツと歩いていった。

どうやら人待ちをしていたらしい。

 特に待ち人もいない俺は、セルフ腕枕で横に見える教室から、徐々に人の減っていく光景を眺めていた。

 数ヶ月前まで当たり前に過ごして来た風景の中、妙に軽い心だけが変に不自然に感じられる。

課題も無事提出する事ができたし(あの日の深夜、樹にまで手伝わせて終わらせた。殆ど役に立たなかったけど)本当にやることの無い俺の懐で携帯がうるさく振動した。

 ディスプレイに表示された名前は橘 美晴。

 一段速いテンポでなり始めた心臓をなだめつつ、ゆっくりとそれに耳を当てる。

「もしもし秋名ですけど」

「もしもし」

 背後から騒がしい音が聞こえていた。

にも拘らず、その声は不思議なほど際立った存在となって、俺の中に染み入るようにゆっくりと落ち着いていった。

「来たわ」

 淡白に発せられた言葉に、俺は椅子を蹴って立ち上がった。



 これが西部劇なら、二人の間にカサカサと枯れ草のようなものが転がっていた事だろう。

けどココは言わずと知れた商店街。

入り口のアーチには首吊りの死体では無く、安っぽい装飾が垂れ下がり、あちこちに馬の変わりに自転車が列居している。

酒場から聞こえてくる女達の嬌声がここでは八百屋のおっさんのだみ声になって響き、この辺りでシェリフといえば自転車で巡回してくる高橋巡査の事だ。

テキサスでは無く東町。名前からして、西部ウエスタンとは程遠い。

 そこに、見た目だけは美少女と言っていい二人の姿があった。

 一方はバトルホステス枝村 樹。

腰にはベルトを巻いて、腰辺りまである長い髪を高い所で結っている。

ポニーテールの女の子というよりは、時代劇の風来坊のような印象を受けるのがいかにも彼女らしい。

いつものように楽しそうな表情で、とってる姿勢は完璧なまでの自然体。

あの、時代を感じさせるボディコンは家に着いた時点で着替えさせ、今はシンプルなジーパンとTシャツを着ていた。

 もう一方は、奇天烈アンドロイドの如月ハニ子。

攻撃をさせない、という一点のみを重視した可憐なビジュアルで、且つ、その見た目に合わない戦闘力を有している。

エメラルドグリーンの虹彩に、青みがかった髪という風体がどうにも国籍不明だが、実のところはチャキチャキの日本産。

どころか、メイド・イン・ご近所だったりする。

そんな彼女に俺は手も足も出ずに完敗させられた。

ハニ子のハニはハニートラップのハニに違いない。…それ以外は考えられない。

 この、蓋を開ければ実はいろもんという二人の後ろには、それぞれセコンドのように寄り添う人影があった。

 ハニ子の後ろにはプルームと白髪の男性の姿。

背が高く姿勢もしっかりとしたこの三白眼の老人は、恐らく水城さんのお祖父さんだろう。

スーツに白衣をまとった姿で、何を思っているのかジッと押し黙っている。

 そして、樹の後ろ、目の覚めるような鮮やかな色あいの和服を着ている人物に、俺は思わず声を上げて驚く羽目になった。

「お、お祖母様?」

 こと、秋名 薫は目の鞘を閉じて静かに佇んでいた。

流石にその手に刀はない。…普通に考えて銃刀法違反だし。

「秋名君」

 そんな当たり前のことに感心していると、後ろから声を掛けられた。

水城 真琴が、そこに居た人たちを押しのけながら俺のほうへ駆け寄ってくる。

「水城さん、来たんだ」

「だって、気になるし」

 このメガネと三つ編みの同級生には、ベルトのことはもう話してあった。

”俺達いまいち当事者になりきれてねえ同盟”唯一の同志である彼女に、俺は意識して秘密を漏らしている。

それには彼女との約束を守るのと同時に、自分の心の安定を得るという意味合いもあった。

 野次馬が作るわっかの最前列、バスケで言うとコートサイドに陣取った俺達の耳に不審げなプルームの声が聞こえてきた。

「あら?いつものあの子じゃないのね」

 樹のしているベルトを見てプルームは唇に手を当てる。

「あの子は今回の闘いにはそぐわないと思ってはずさせて貰いました」

 答えたのは祖母さんだった。

世代を超えてあの子呼ばわりされた俺は微妙な心境だが、当の樹は随分リラックスしているようだ。

鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気でジッと成り行きを見守っている。

「不味かったでしょうか?」

 祖母さんの問いかけに「いや」と答えたのは水城さんの祖父さんだった。

「…あの人、お祖父さん?」

 念のために問いかけた俺に水城さんが頷く。

「うん、善一郎お祖父ちゃん」

 と周りに聞こえないように小声で教えてくれた。

「別にかまわんよ」

 祖母さんの方を見ながら、善一郎さんはなんでもないように答えた。

この場の平均年齢を高くしている二人の間に微妙な空気が流れる。

「イッチー」

 空気を読めない最年少が声を張り上げた。

「うん?」

 と樹は余裕綽々で答える。

こちらもあまり空気が読めているとは思えない鷹揚さだ。

「決着をつける時が来たのである」

「そうだな」

 初めて出来たライバルに嬉々として宣言するハニ子に対して、樹の態度は平坦そのものだった。

決着といわれても元から楽しそうな表情に目に見えた変化は無い。

いつでも変わらない態度、もしかしたらそれは彼女の姿勢スタンスなのかもしれない。

「な、なんか、あっさりなのである」

 あからさまに寂しそうな顔をしてみせるハニ子に樹は頭を掻いて笑った。

「いや、まあ、あまり気を張っても仕方ないことだしな」

 このやり取りだけでも、なんとなく互いの実力の程が知れそうなものだったが、実際にやってみなければ何が起こるかなんてのはわからない。…まあ、二人のうちどちらに賭けるかと問われれば確実に樹の方なんだけど。

「……そろそろ始めていいかしら?」

 プルームが一座に向けて声を掛ける。

皆は頷いて同意を示した。

「あ、ちょっと待った」

 構えを取ろうとするハニ子を手で押しとどめつつ、樹が声を上げる。

「変身」

 ベルトに触れ、まるでおやすみを言うようなテンションで呼びかける。

辺りを光が包み、その中心からヒーローが姿を現した。

 その妙に体のラインを強調させるフォルムに周囲の男達が沸いた。

「…馬鹿じゃないの」

 凍傷をおこしそうな程の冷たさを孕んだ声でぼそっと呟くように言う水城さん。

こちらを窺うように見てくる彼女に言わ猿と聞か猿が緊急出動。

見猿は絶賛稼働中。……いや、ほら見なきゃ、決着。

「うむ、サンレッド対デガスター最後の闘いである」

 満足そうにハニ子が頷く。中身にこだわりは無いらしい。

どうでもいいけど、そう言われるとなんだか大手歯磨き粉メーカー同士の商戦のように聞こえるのは俺だけだろうか。

…勃発プラークコントロール戦争。



 目で見えそうなくらいに空気が変わった。

ハニ子は表情を硬くし、樹も、その表情は分からないが、体に緊張感を漲らせている。

セコンド連中は二人から距離をとり、それぞれ両端の輪の内径まで下がってきた。

 ふと、祖母さんに近づく人影が見えた。

その傍にそっと寄り添ったのは橘さんだった。

彼女は”薫派”という何が楽しいのか祖母さんを支援する団体の一員をしている。砕けて言うとなんでもしてくれるファンクラブ。

 そんな橘さんが、深刻な表情で祖母さんに何か声を掛けていた。

祖母さんは穏やかに笑うと彼女の頭を優しく撫でた。

 その時、輪の中心で示し合わせたかのように二人が同時に地面を蹴った。

ゼロコンマの世界で距離が縮まっていく。

 先手を取ったのは樹だった。

ハニ子の左側頭部を狙ったハイキック。が、軽い。それを両手で受けられる。空いた軸足を狙ってハニ子が蹴りを繰り出す。それを片足だけで跳ねてかわし、上半身を無理矢理捻って、ハイキックの惰性から宙に浮いたままバックブロー。ガッキと嫌な音がしてハニ子の頭が揺れる。しかし、意に介した様子も無くハニ子のハンマーナックルが空中にいる樹に襲い掛かる。狙点を読んで、そこを両手を十字にしてガードする。防御に成功しつつも木の葉のように吹き飛ばされる樹の体。地面に激突する瞬間バレーのトスのように両手で地面を押し綺麗な回転を見せて着地した。

 …………ふう。

 誰かがため息をついた。

息つく間のない一瞬の攻防。

 樹は着地点で、体を伸ばして首を捻っている。

ハニ子も自分の拳をぶつけ合いながら嬉しそうに笑っていた。

「今日は最初から全部乗せで行くのである」

 そう言うと、シュポンと音を立てて右手を引き抜いた。

―――ハニ子砲!?

 脳裏にあの常識外れの黄色い光の柱が浮かぶ。

「あはは」

 いや、笑ってる場合じゃないって。

樹は右手を持ったハニ子を指を差して笑っていた。

「笑っていられるのも今のうちである」

 青筋立てそうな顔でハニ子が右手を持ち上げる。

不気味に光る銀色の先が紅いスーツに向けて固定される。

「……ふむ」

 呼吸と一緒にそうこぼすと、樹はダッとハニ子に向かって走り出した。

虚を突かれたハニ子が狙点を絞ろうとするが、のたうつ蛇のような軌道にフラフラと銃口は揺れるばかりだ。

「一般人が居る場所でそんなものは使わないんじゃなかったのか?」

 あっという間に切迫する樹に、ハニ子が向けた表情は……笑顔だった。

「その通りである」

 ポンとこの場にそぐわない間の抜けた音が響いた。

銀色の凶器から吐き出されたのは、白いピンポン玉のようなものだった。

小さな白い塊は、緩いカーブを描いて樹の方へと飛んでいく。

 思わず距離をとった樹は一瞬対応に迷ったように動きを止めた。

避けるべきか、防御すべきか、迎撃すべきか。

 樹は迎撃を選んだ。

「ヒートチョップ」

 バイザーに緑の光が流れる。

刀を抜くように下から上へ、斜めに手刀が走った。

 ベルトの使い方は今日まで俺がちゃんと教えてある。

……これも前任者としての勤めだ。

 しかし迎撃されるはずだったそれは、攻撃があたる寸前パチンとシャボンが割れるような音を立てて弾けた。

バッと広がったのは、両手をいっぱいに広げたくらいの直径を持つ大きなネットだった。…しかも嫌な事を思い出させる蜘蛛の巣形。

「むっ」

 チョップはネットの一部を切り裂いたが、大半はその右腕にギプスのように巻きついていった。

ピキピキ言いながら固まっていき、一瞬のうちに樹の右腕を三角形に固定してしまう。

「おお。…参った、動かん」

 校歌を歌う応援団のように腕を振り回しながら、樹は左手で頭を掻いた。

「はっはっはっ、どうだ、”蜘蛛の巣”の威力は」

「うん、全く動かない、大したもんだ」

 そう言って、空いた手でハニ子の腕を掴んだ。

―――これがあった。

 いつの間にかハニ子のそばに現れた樹を事後認識しつつ、俺は今の動きを思い返す。

えらく狭い歩幅で数歩歩き、ゆっくりとハニ子の腕に手を伸ばす。

固まった腕を肩から廻しながら、確認するように頷いていた。

 後は、このまま、この間のようにどうとでも攻撃すればいい……そう思ったときだった。

「あまい」

 ハニ子が掴まれた腕を器用に返し、樹の手から逃れる。

驚いたように立ち竦んだ樹に、俺が見えただけで合計七発のパンチが叩き込まれた。

「ぐっ」

 衝撃に樹の体が宙に浮いた。

ただ、そこは都会に出てきたバトルマスター。

只やられるだけで無く、バックステップでダメージを逃がしつつ、手だけで裏拳をハニ子の顔にヒットさせていた。

腰の入ってない、ハリセンで叩かれる位の威力しかないような攻撃だったが、ハニ子は驚いたような顔で頬を押さえた。

「……ふー、やるなあ」

 人垣の中から大してダメージを感じさせない動きで樹が立ち上がる。

その声からは堪え切れようの無い、喜びみたいなものが感じられた。

「そっちこそ、驚いたのである」

 ハニ子も叩かれたところをまだ押さえながら、ゆっくりと構えを作っていた。

「まさか、この動きが見破られるとはなあ、ちょっと悔しいぞ」

 あははと鷹揚に笑いながら、体の埃を払う。

言葉とは裏腹に、その声からはまだまだ余裕のようなものが感じられた。

「一度見た技は通用しないのである」

「……ま、アンドロイドの強みじゃな」

 ちっちゃな胸を張るハニ子に水を差すように善一郎さんが言う。

「……こうなって来るとそれが邪魔だな」

 樹はそう言ってハニ子砲を指差す。

「よっ」

 俺達の虚を突いて距離をつめた樹がハニ子の右腕めがけて蹴りを放つ。

ハニ子はそれをギリギリでかわし、直ぐに銃口をターゲットに向ける。

狙点が定まる瞬間、樹の白く固まった右腕が振り下ろされた。

 ガッと音がして、砲身が無残にひしゃげた。

「かかったな!!」

 歓喜の叫びを上げ、攻撃終わりの隙だらけに見える樹の体へ、ハニ子は左手を突き出した。

カキンと手首辺りから折れて、ぶら下がった手首から先の上に、右手と同じ形の砲身が現れた。

「これで終わりである!!」

 ……しかし、勝ったのは樹だった。

発射された”蜘蛛の巣”を、崩れた態勢のままボールのうちに左手で掴み、拳の中で破裂させた。

ボクシングのグローブのように拳を包んだ”蜘蛛の巣”ごと、その見た目の用途のままにハニ子の頭に叩きつける。

―――ガツン。

 単純明快な破壊音と共にハニ子は地に伏せていた。

ハニ子の頭を中心に地面のひび割れが放射状に広がっている。

……に、人間だったら間違いなく死んでるな。

「お、終わったのかな」

 そんな水城さんの言葉に反応したわけではないだろうが、倒れていたハニ子の瞼がピクリと動いた。

「……まだか」

 どこか嬉しそうに言いながら、樹がハニ子から距離をとる。

「…ぃ…ったーーーーーーい」

 手首の無い右手で頭を押さえながら、涙目でハニ子は立ち上がった。

キッと樹を睨むと震える涙声で叫んだ。

「もう、ホンットに許さないのである!!」

 ブワッと周囲の空気が一変した。

ハニ子の周りに空気が集まり、細かい風の集まりになって彼女の周囲を巻き上げていく。

勢いをつけて左手を元に戻し、ひしゃげた砲身に右手首をかぶせた。

ファイティングポーズをとると、内側から水があふれ出るように拳に黄色い光がまとわりついた。

「小細工はもう無しだ」

 てっぺんから、けつっぺたまで小細工の塊ようなこいつに言われたくは無いが、樹は特に気にしないようだ。

「おう」

 と弾むような声で叫ぶと、両腕についた白い塊同士をぶつけ合った。

ガラスのように甲高い音を立てて、”蜘蛛の巣”が粉々になる。

「ライジングパンチ」

 拳が赤い光を帯びた。

闇を照らす為だけにあるかがり火のように、迷いの無い真摯な炎が二つの決意を包む。

「……殴り合いである」

 ハニ子の言葉に、なんとなく樹がいつもと違う表情で笑った気がした。

…只の勘だけど。



 アーケードに差し込む西日が、ぶつかり合う二つの影を濃く長く伸ばしていた。

 ハニ子の言葉どおり、俺達の目の前で繰り広げられたのは、およそ文明と程遠い原初の闘いだった。

殴る、避ける、蹴る、生後五日のびっくりどっきりメカにいたっては、その小さな口で噛み付いても見せた。

 凄惨………を通り越して、もはや、呆れさえ沸いてくるドつき合い。

 ハニ子のレバーブローが樹の体を折り、樹の頭突きが印判を据えるようにハニ子の額を打った。

よろめくみたいにして二人が距離をとり、十分近く続く闘いに何度目かの空白が出来る。

「そ、そ、そ、そろそろ限界じゃないのかイッチー」

 体中のあらゆる所にすり傷のような跡のついたハニ子が、どもりながら樹に問いかける。

その表情には余裕ぶった笑顔があったが、誰の目にも満身創痍なのは明らかだった。

「はあ……はあ……さあ、どうかなぁ」

 それに答える樹も流石に息が上がっていた。

呼吸で忙しなく上下する全身に、乳酸が飽和しているのが分かる。

「む、無理せず、ギブアップを勧めるぞ」

「いや〜……それは……ガラじゃ、ないからな」

 倒れるときは前のめり。綺麗な顔して漢前おとこまえだ。

「そ、そうか」

 なんだかガッカリしたように肩を落として、ゆっくりと姿勢を整える。

「ふう〜……しかし、いい加減…決着かたをつけないとな」

 樹も、ん、と背筋を伸ばして構えを作った。

「「…………っ……」」

 お互いの地面を蹴る音をゴングにして再開される取っ組み合い。

 しんどそうにしていても、闘いが始まると動きに精彩が戻るのは、二人が根っからのファイターだからだろう。

「…不味いな」

 独り言のような声のした方に顔を向ける。

決して近くでもないし、呟くように言ったのにも拘らず、はっきり耳に入ってきたのは善一郎さんの声だった。

……何が不味いんだ?

 眉根に皺を寄せた彼の視線を追っていくと、闘いに興じるハニ子の姿があった。

その表情に………あれ?

 よくよく、表情を見ると、そこに異変があった。

 彼女の綺麗に輝いていたエメラルドグリーンの瞳が、時折チラリと覗くように暗く明滅している。

………もしかして、電池切れ?!

確信は持てないけど、あの老マッドサイエンティストと、規格外アンドロイド親子の態度を見ていると、こちらにとって悪い状況ではないように思える。

「……辛そうだな、腹でも減ったか?」

 ココからでは、ハニ子の動きに目立った変化はないように見えるが、実際闘っている樹は何かを感じ取ったらしい。

貫手を首を傾げてかわしながら、そう訊ねた。

「そ、そ、そんなこと無いのである」

 すらりと言葉が出て来なかったのは動揺からか疲労からか。

どちらにせよ瞳の明滅は、明と暗の立場が入れ替わろうとしている。

 ……言われてみれば、ハニ子のエネルギー源はちょっと気になる。

本当に電池という可能性もあるが、頭に浮かんだのはちゃちな単三電池だ。

……そんなとこからも俺のハニ子に対する評価が知れようというもの。

「そう言えば、お前はナニで動いているんだ?」

 俺の気持ちを察してくれたわけではないだろうが、樹がたった今気になっていたことを訊ねてくれた。

彼女は答えるのは苦手なくせに、好奇心に任せて人一倍色々な事を質問してくる。

現に三日前も、家路の途中であれこれと指を差しては、初めて街に出たラストエンペラーのように俺達に質問を向けてきた。

……キョロキョロと動く瞳に樹が方向音痴である一因を見た気がした。

 ハニ子が、向けられた拳をパリーしながら、嬉しそうな笑顔になった。

基本的に自分に興味を持たれたり、注目が集まるのが好きらしい。

弾むような声でこう答えた。

「重油」

 ……お前はタンカーか。

漫画とかアニメとかで人型のロボットやアンドロイドが、オイル缶にストローを突っ込んで中身を啜る姿は見た事があるが、あのビジュアルで、黒だか茶色だかのドロッとした油を呷るさまは出来れば見たくない。

 そんな光景を思い浮かべると思わず身震いしてしまいそうになるが、その事とは別に何か嫌な感じがした。

……なんだろうこの嫌な予感。

 普通の高校生同士のように会話しながらも(重油はともかくとして)、一瞬の攻防は続いている。

樹の蹴りをしゃがんでかわしたハニ子の瞳は、明滅を止め一段暗い輝きで落ち着いていた。

折った膝を思い切り伸ばして、アッパー気味のボディーブローで反撃しながら、口にはのん気な質問がのぼる。

「そう、言う、イッチーは、普段どんなものを食べているんだ?」

「………ッ…」

 ギシッという音が聞こえたような気がした。

―――ちくしょう、これかっ、嫌な予感は

 頭の中で弾けた言葉が口をついて飛び出していく。

「避けろ!樹っ!」

 樹が固まっていたのは一瞬の事だ、けど、致命的な一瞬だった。

俺の言葉に弾かれたように腕を下げるが、間に合わない。

拳が命中したスーツの一部が砕け、破片が飛ぶ。何かが、折れる音がしたのがわかった。

 ハニ子は何が起こったか理解していないようだったが、一度始まった攻撃は止まらない。

逆の拳で上半身をガードしている腕を二度打つ。

肘。

手首。

ピンポイントで関節を攻撃。

樹の腕が少しだけ下がった。

 それを見逃さず、続けざまに振りぬかれた右腕が、樹の頭を揺さぶった。

傾いだ体をすんでの所で踏み出された右足がとめる。

 ハニ子の左の拳に光が宿った。

腰の辺りで力をためて、引き絞った矢を放つように、全身を開放させた。

「くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」

 拳が当たった瞬間、スーツが青白く光って直ぐにはじけた。

地面を削りながら、十メートルくらい吹っ飛ばされたところで、樹の体は止まった。

「樹っ」

 俺と水城さん、それから、橘さんと祖母さんが樹のほうへ駆け寄る。

「大丈夫か?」

「……あ〜い」

 俺達の声に樹が倒れたまま右手を上げて答える。

ベルトが負荷に耐えられなかったのか、変身は解けていたが、立ち上がるときに手を貸しただけで後は自分の力で立てるようだった。

「あ、あの大丈夫ですか?」

 おずおずと聞いた水城さんに、樹が笑ってみせる。

と、わき腹が痛むのか、顔をゆがめてそこを手で押さえた。

「まあ、凄く痛いけど、大丈夫だ。これが守ってくれたらしい」

 そう言ってベルトを撫でる。

「……まだやるかイッチー?」

 振り返るとそこには疲れきった様子のハニ子を筆頭に、自称デガスターの面々が顔を並べていた。

声を掛けてきたハニ子は緊張した表情で樹を見ている。

「いや、無理だな。お前の勝ちだ」

 樹が答えると、ハニ子の顔が、花が咲くようにみるみる明るい方へと変わっていく。

流石に見た目に気を置いて作られただけの事はある。

思わず見惚れてしまいそうなほどの笑顔だった。

「か、勝ったであります、わ、わたくし初勝利を収めたのであります」

 嬉しそうに飛び跳ねるハニ子の頭をプルームが優しく撫でた。

「勝ったんであります。わたくしが長き闘いにピリオドを………」

 大喜びしていたハニ子の動きが急に止まった。

ついにガス欠かと、顔を覗き込むと、なにやら真っ青な顔をして体を震わせている。

「か、勝ったのはいいんでありますが、わたくしはこれからナニを目標に生きていけば…」

 生後五日にして早くもアイデンティティークライシス。

まあ、人間なんてどうやったって生きていけるし、アンドロイドにその言葉を当てはめてはいけないという法も無い。

その辺の事はじっくり考えていけばいいんだろう。

 わなわなと体を震わせながら天を仰ぐハニ子を笑っていた樹が、表情を引き締めて祖母さんの方を振り返る。

「というわけで、すみません、負けてしまいました」

 頭を下げながらも、その声には悔しさのかけらも無い。

不本意な負け方のようにも思えたが、彼女の中ではこの闘いにきちんと決着がついたらしい。

 祖母さんは誇らしげに頷くと、樹の肩に手を置いた。

「謝らないで。私は、やはり貴方にお願いをして良かったと思っていますよ」

 そう言って祖母さんが微笑みを向けると、嬉しそうに樹も笑った。

「…じゃあ、私は一足先に病院に行かせて貰おうか」

「誰か手を」

 橘さんが指示を出すと、ギャラリーの中から何人かが出て来て、樹に肩を貸した。

「大地」

 数歩進んだところで樹が足を止めこちらを振り返った。

「私は約束を守れたか?」

「…うん、樹は一所懸命闘ってくれたよ。ありがとう」

 俺がそういうと、樹は笑って親指を立てて見せた。

……最後まで漢前なヤツだ。

小さくなっていく背中を見送っていると、後ろから、楽しそうな声を掛けられた。

「それじゃあ、こっちの約束も守ってもらおうかしら」

 プルームが腕を組んでこちらを見ている。

……忘れてた。

 俺は身構えるようにして祖母さんの前に出た。

「お、姉ちゃん」

 不安そうな顔をしている水城さんにプルームがウインクを投げかけた。



―――貴方達が勝ったら私達は二度と姿を見せない

 三日前、プルームはそう言って、次を最後の闘いとするといった。

……けど、俺達は負けた。

 勿論こちらが負けた時にも条件があるらしいが、俺はそれを知らない。

 緊張している俺と水城さんを尻目に、何もかも知っているらしい橘さんが祖母さんに近づいていく。

やはり、条件は祖母さんに関係のあることらしい。……まあ、当たり前か。

 じっと祖母さんの目を見つつ、橘さんは何かを言おうとしていた。

……なんだ?

逃げろとか、再戦の要求を進言したりするのかな。

 なんたって彼女は”薫派”の人間だ。

祖母さんの為に色々尽くしてきた人間で、祖母さんに不利益があればナニをするか……。

「おめでとうございます」

 そう、おめで………………………………は?

 橘さんの言葉を口火に、ギャラリーの中からも沸き起こる、拍手とおめでとうの嵐。

”薫派”の人だけでなく、その他の人たちもつられる様に拍手をし始める。

何が起こっているか解らないながらも、口にしているおめでとう。

気のせいか、祖母さんの頬に赤みが差していた。

 ……なにこれ、テレビ版の最終回?

もしくは、空気の読めないサプライズパーティーか。

しかし、祖母さんの誕生日はもっと暑い日のはず。

確か八月の五日。根っからの夏女だ。

 関係者でオロオロしているのは俺と水城さんだけだった。

 善一郎さんがゆっくりと一歩踏み出して、祖母さんの前に立つ。

「随分とお待たせしました」

「…はい」

 照れたように祖母さんは短く頷いた。

……誰でもいいから事情説明プリーズ。

「善一郎様と薫様は幼馴染だったの」

 なんだかピンク色の雰囲気を放ちだした二人から離れて、橘さんが俺のそばに寄ってきた。

俺と水城さんの顔を交互に見ながら、事情を説明してくれる。

……って幼馴染?!

「お二人はとても仲が良かったんだけど、家の事情で、薫様はご結婚される事になった」

 それは、何ていうか、ドラマの中の話みたいだ。

家のために引き裂かれる二人。

「えと、おじいちゃん達は恋人同士だったんですか?」

 わずかに目を輝かせながら、水城さんが身を乗り出した。

……こういう話好きなんだ。

「ううん」

 それに答えたのはプルームだった。

「どちらかといえば兄妹みたいなものだったそうよ。少なくとも、お互い好意はあっても自覚は無かったみたい」

 今や核シェルターのような空気を築きつつある二人を見て、嬉しそうに微笑んだ。

「……けど、突然の結婚話にお祖父ちゃんは自分の気持ちに気付いたの」

 陶然と語るプルーム。……やっぱ姉妹か。

ふんふんと熱心に聞いている水城さんの肩越しに、ハニ子が動きを止めたのが見えた。

……ああ、ついに電池切れを…。

「でも、お祖父ちゃん照れ屋さんだったから、一回のデートに誘うのでイッパイイッパイだったのね」

「…そして、薫様も極度の恥かしがり屋だった」

 プルームの言葉を引き継いで橘さんが言うと、二人してため息をついてしまう。

「誘われても、薫様は断ってしまった」

「でもウチのお祖父ちゃんも薫さんの性格を知っていたから、それが只の照れ隠しって解って、しつこく誘っていたんだって」

「……それで素直じゃない薫様から出された条件が」

 私に勝ったら……って言っちゃたのか。

……それにしても、なんて色気の無い条件を。

しかも、それでこんだけ引っ張るって、どれだけ素直じゃないんだよ。

「でも、結局祖母さんは別の人、ウチの爺さんと結婚してるじゃないですか。てか、そもそも、その事情って言うのはなんなんですか?」

 俺の言葉に何故か橘さんが顔を伏せた。

「……それは商店街の人たちのため」

 え?

「…その当時、ここら辺一帯は区画整理の対象になっていた。その所為で殆どの住人に立ち退きが言い渡されて、地上げ屋とかまで来てたらしいわ」

 地上げ屋って…。

「……その時の反対住民達の中心が秋名家だった。…アキナ君も知ってるでしょう、君の家が、昔、道場を開いていたの。商店街の人達も殆どそこに通っていたから、自然とリーダーみたいになっていったのね」

 橘さんが疲れたようにため息をついた。

水城さんも眉をひそめて真剣な表情に戻っている。

「その所為でアキナ君の家が地上げ屋に狙われてしまった。嫌がらせとか、完全に違法な手段を使われて、いつの間にか金銭的に道場は立ち行かなくなっていた」

「……そこにウチの祖父さんとの結婚話が飛び込んできたんですか?」

 橘さんが頷く。

「話自体はそれより前からあったらしいんだけど、薫様は和巳様に会う事も無く断っていたらしいわ」

 脳裏に今は亡き祖父さんの顔が浮かぶ。

厳しい祖母さんとは対照的に、笑ってる顔しか浮かんでこない。

「……話の腰を折るようで悪いんすけど、なんかチョットショックっていうか、祖父さんが金に物言わせて結婚迫ってたって言うのが…」

 橘さんが、俺に微苦笑を向ける。

それは違うと首を振った。

「私もちょっと、気になってしまって薫様に聞いた事があるんだけど、『家の為とはいえ、私が愛してもいない男と結婚すると思いますか?』って逆に聞かれたわ」

「は、はあ、そうっすか」

 身内のそういう発言は自分のことでなくても妙に恥ずかしい。

顔を赤くした俺をプルームが笑っていた。……くそ。

「それで、薫様は和巳様に会うようになった。和巳様の家は良家だったし、お金があったから。最終的に結婚の決め手になったのは和巳様のお人柄だったかもしれないけど、きっかけとしては、家のためだったかもしれない」

 ……まあ、まず、そうだろうな。

「だから、橘さんたちは俺達に色々してくれてたんですね、その時の事を恩義に感じて」

「…ホントはね、当時のご当主、薫様のお父様はその結婚に反対していたの。薫様がお家のために無理して結婚を決めたんじゃないかって思われたみたいで。反対運動もやめて、道場も畳もうとしていたみたいなの。その時に道場内が二派に分かれてしまった。それで出来たのが、当主である始様についた”始派”と薫様についた”薫派”。……”薫派”の人たちが色々な事情を知ったのは、薫様がご結婚された後だった。…………だから、私達がやっているのは、ただの罪滅ぼし」

 俺は周りで二人の為に手を叩いてくれている人たちに目をやった。

喜色満面で自分の事のように喜んでくれている。

かなり年配の方達の中には目に涙まで浮かべている人まで居た。

……ただの、なんかじゃないじゃん。

「…千葉ちゃんが言ってました。『大事なのはどう生まれたかじゃなくてどう育ったか』だって。だからいいんだと思います。だってウチの祖母さんの為にあんなに喜んでくれてんだもん」

 だから、色々あったとしても多分ギリギリセーフ。

俺の言葉に橘さんは何も言わずにただ頷いてくれた。

「…………それで、どうして貴方はそのことを知らなかったの?」

 プルームがおかしそうに訊ねてくる。

うんうんと、水城さんまでが頷いている。

「…そんなこと俺が知りたいっすよ」

 不満気に橘さんの方を見ると、しれっとした態度で口を開いた。

「もし、この事をアキナ君に言ってたら、君どうしてた?」

「そりゃあ、とっとと負けてましたよ」

 俺には痛い思いまでして人の恋路を邪魔する趣味は無い。

そうと知っていれば、とっとと負けて、こんなメンドクサイ事から解放されていた。

まさに、一石二鳥だ。…………いや、良く考えたら俺得して無いや。

「だからよ」

 簡潔な答えにプルームのほうが先に合点がいったようだ。

なるほどね、と楽しそうに頷いている。

「君の御祖母様が、簡単に負けることを是とすると思う?」

 ……いいえ、思いません。

つまり、俺含めてココにいる殆どの人が、祖母さんの負けず嫌いに付き合わされたってことか。

やはり、橘さん達が気にする必要は無かったんじゃないかと思えてくる。

「それに、単純に恥かしかったんじゃないかしら、あなたにそのことを話すのが」

 座り込んでしまった俺に、プルームが殊更に優しく声を掛けてきた。

……今はなんだか、その同情が気持ちいい。

「可愛い人だね、秋名君のお祖母さんって」

 水城さんが笑いながらそう言ってくるが、完全なリアクション間違いだ。

「……この事、樹は知ってるのかな…」

 俺は思わず呟いていた。

知らないとしたら彼女こそ好い面の皮だ。

「あの子も知ってるわよ」

 橘さんの答えに思わず顔を上げてしまう。

「え、だってあの時」

 三日前、俺が見たときには……。

「……あ、そっか」

 樹は俺のほうを見て笑いながら頭を掻いていた。

あの時は彼女も理由を知らないんだろうとばかり思っていたけど、何のことは無い、知らないんじゃなくて、説明できなかったんだ。

それに、樹ならその事で闘いを躊躇ったりはしなさそうだし。

「……なんだよ、じゃあ、俺だけかよ、今こうして凹んでんのは」

 ガックリと肩を落とし蹲る俺。

一身にワリを食った形になった俺の頭上で幸せそうな歓声と拍手の嵐が吹く。

……あ、ワリ食ったのはハニ子もか。

 今ならあいつと肩組んで慰めあえそうな気がする。

ただ残念な事に、彼女は今重油が切れてお休み中だ。

 綺麗どこ三人が、俺の背中を、まあまあと叩いてくれる。

「その内きっといい事があるわ」

「げ、元気出して」

「楽しかったわよ」

 いや、かなり、微妙、なんだけど。

…………………………………………………………………………ま、いっか。



 こうして、長年にわたって商店街を舞台に続いた闘いは終わった。

一部おれにかなり微妙な感慨を残して……。

かなり色々カットしてしまって、完全にタイトルが置き去りになっていますが、後編です。

闘いは終わりましたが、本編はもうちょっと続きます。

宜しければもう少しお付き合いください。

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