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第四話 ヒーローの条件 前編

こんなに長く、遅くなってしまうとは思ってもいませんでした。

悪を射抜く正義の眼差し。

腰にきらめく勇気の証。

弱きを助け強気を挫き、日曜出勤にも嫌な顔一つしない。

それが……。


それが、ヒーローの条件?




 ゴールデンウィーク最終日。

二十四節気で立夏とはいえ、五月の第一週と言えば気持ち的にはまだまだ春だ。

にも拘らず、頭上には興奮剤を呷ったかのような過剰な陽気があった。

 初日から立て続けに無駄にした二日間を取り返すべく、この数日俺は教科書と首っ引きで課題に取り組んだ。

 そして実感。…意外と何とかなるもんだ。

 両手を突っ張るようにして掲げた紙の束を見て、思わず口元が綻ぶ。

 五センチ程の厚みを持っていた課題は、いまや数ミリを残すのみとなっていた。

明日これを目の前に突きつけたときの、千葉ちゃんの悔しがる姿が目に浮かぶ。

……いや、悔しがんのかよ。

 とは言っても、全部が終わったわけではない。

完遂の難しさを説く言葉なんて世の中には腐るほどある。

 気を引き締めつつ、課題の残りに取り掛かろうとした時、それは鳴った。

 ビーッ…ビーッ…ビーッ…ビーッ…

「…ウーップス」

 昨日、夜中にやってた映画の所為で、プチアメリカナイズされてた脳が、口から妙な呻き声をはじき出した。

―――なんか、俺ってもの凄く間が悪くないか

 最近特に感じていた事だが、口には出さなかった。

別に誰かに確認したかったわけではないし、口にしたらホントになりそうな気がする。

 喧しく鳴っているゴツイ腕時計を止めて、俺は体ごと落ち込んだ。

……じゃあ、ちょっと商店街へ。

 残された課題を前に、俺は深い深い溜息をついた。




 地球温暖化ってのはありゃホントだな…。

 空にある太陽はすっかり夏用のメイクを施していた。

昨日までと打って変わったお天気に、町行く人たちも、気の早い衣替えを済ませている。

春物の柔らかな色を脱ぎ捨て、涼しげな夏色へ。

 様子を変えた街を走り、商店街にたどり着くと、アーケードの中には意外にも涼しい空気が流れていた。

各店舗から漏れて流れてくるクーラーの冷気が商店街全体を冷やしていた。

 スッと汗が引いていき、人心地ついた気持ちになるが、これも温暖化の一因になっていると思えば、複雑な気持ちだ。

こんな事をしているから地球がどんどんダメになっていきやがて機械たちの反乱に人類はなすすべも無く……。

……頭を振る。

 これは昨夜の映画のあらすじだ。

そんなに印象に残る内容だったかなと首を捻っていると、正面から、俺にとって最近意味の変わった顔が歩み寄ってきた。

「おはよう」

 にこやかに手を振りながら、千葉ちゃんが俺の前で立ち止まる。

「おはようございます」

 挨拶を返した俺に、体を半分開いて、後ろを指し示した。

「あっち」

 例によって例の如くと言うか…そこにあるのは、溢れんばかりの人ごみと、妙な過疎地帯だ。

現場まで少し距離があるからここからじゃあ暑苦しい程の人山にしか見えないけど…多分間違いない。

「…どんなヤツでした?」

 俺の質問に千葉ちゃんは難しい顔をした。

「…多分、あいつらだとは思うんだけど」

 チラリと視線の先を人ごみにやってから、結論を出し切れてない表情で答える。

「……なんていうか、趣旨がえ?」

 …いや、俺に聞かれても。

「…あいつらかどうかはともかく、俺もこれで呼ばれたんで」

 そう言って、俺は腕に巻かれた時計を持ち上げて見せた。

「ああ……けど、あのプルームってヤツ、ゴールデンウィーク中はおとなしくしてるみたいな事言ってなかった?」

 言っていた。

「…まあ、悪の組織の言う事ですし」

 友達の家?の悪口は言いたくなかったし、自分でも納得はしてなかったけど、理由なんて考えたって正しいかどうか判断できるモンでもない。

取り敢えずそう結論付けて、俺はほかの事を聞いた。

「根拠も無いのに、なんであいつらだって思ったんすか?」

「ヒーローはいねがぁ、って暴れてたから」

 …まさかのナマハゲ仕様だ。

今度のは秋田県出身者らしい。

「…君が何考えてるかは分からないけど多分違うと思うわ」

 対ナマハゲ戦のシミュレーションに入っていた俺の思考を千葉ちゃんが呆れた声で引き戻す。

……具体案が何一つ出てこなかったから別に良かったけど。

「見た目は普通の女の子…ううん、かなりの美少女ね」

 千葉ちゃんの視線に合わせて、野次馬達に目を移す。

言われてみれば、男の数が多い気がする。

「…少なくとも、ああいう馬鹿者共が、ものの五分で集まるくらいには可愛い子だったわ」

 ああいう馬鹿者共、に軽侮の視線を送りつつため息をつく。

 俺としては、場合によっては馬鹿者共になりかねないので、コメントは差し控えさせていただく。

「それで…大丈夫?」

 心配そうな顔で千葉ちゃんが聞いてくる。

ファミレスでもそう言って体の具合を聞いてきた。

「…負けられると不味いですか?」

 なるだけ意地悪に見えるような顔を意識して、そう訊ねる。

本心で…本音の中には0.1パーセントくらいはそう聞きたかった気持ちがあったり、なかったり。

「…意地悪言わないでよ」

 少しだけ痛そうな顔をしながら千葉ちゃんが笑ってみせた。

……正直その顔を見られただけで満足だったりする。

「…冗談ッす」

 俺は笑いながら、いつもの路地へと駆けだした。

しかし、ふと思いついて足を止める。

「もし勝ったら、課題を……」

「それはダメ」

 …手厳しい教師の顔はそのままだった。




 今日はいつも以上に変身時に気を使わなくてすんだが、変身後に誰かが待ってるっていうのは変な気分だった。

 人の輪に向かう前に、頑張ってと千葉ちゃんに背中を叩かれる。

女子マネージャーのいる部活動の連中は試合前にこんな気持ちになるのだろうと小さな感動。

…かなりの確率で馬鹿者共に加わる可能性を自覚する。

 人だかりに近づいていくと、やはり、男連中の数が多いことに気付いた。

いつもの商店街の面々に加え、普段見かけないような人たちの姿もちらほら、後は、暇をもてあました人間がいつもと同じくらいの数居る。

 その人たちを、ソコノケソコノケと押しのけて、輪の中心に出た。

「うわあ」

 眼前に、いかにも「ひと悶着ありましたよ」という光景が広がっていた。

 そこには、ウチの制服を身につけた青い髪の女の子と、その子にノサレタと思われる男数人が横たわっていた。

地面の彼方此方あちこちには、小さな拳大の穴が幾つも穿たれている。

 女の子は、横たわる男達を担いでは、一箇所に集め、人で出来た小山を大きくしていく作業に没頭していた。

散らかったおもちゃを片付けるように何度か往復し、最後の一人をクリスマスツリーに星を乗っけるようにそっと頂上に乗せると、ふうっと息をつき、汗なんか掻いてもいない額をぬぐった。

 その途端、観衆から歓声が沸いた。

降り注ぐ賛辞の声に、少女は照れたようにグリーンの瞳を細め、手を上げてそれに応える。

 …………ああ、よし、帰ろう。

 歓声に応えていた少女の動きがぴたりと止まった。

身を翻そうとしていた俺ともろに視線がぶつかったのだ。

―――しまった。見つかった。

 と思ったときにはもう遅い。

先程までとは意味合いの違う笑顔を浮かべ、ビッと指差しで俺をマーキングする。

「見つけたっ」

 彼女の声と行動で、その場に居たほぼ全員の視線が俺に集まる。

……うわ〜、見られてるよ。

二億六千万程ではないにしても、これだけの瞳に注目されるのは初めてだった。

……普段は、プルーム目当ての人が多いから。

 人々の視線に正直ビビッていると、少女は嬉しそうに言葉を続けた。

「遅かったな、ヒーロー、いやっ……」

 後ろを向き、変な溜めをつくる。

「…紅戦士……サンレッドッッッッ!!!」




 …顔からこけるかと思った。

 少女はくるりとこちらに向き直り、名前らしきものを叫びながら俺を指差した。

「ど、どういうつもりだっ!」

 満足そうな少女に渾身の力を籠めて問いかける。

「…この人サンレッドだってよ」

「なんで?」

「わかんねえ、赤だからじゃない(笑)」

「いや、サンどこいったんだよサン(笑)」

「よく見ると凄い赤いな(笑)」

 …ぐっ、ギャラリーの皆さんの声が聞こえる。

若干数、笑いマーク付き。

「て、撤回を要求する」

「却下だ」

 腕を組み、少しばかり表情を硬くした少女が、半身の構えで俺のほうを向く。

「…貴様は今日からサンレッドだ」

 …俺は今日からサンレッド……。

な、なんて不思議な文章なんだ。

「こ、断るっ!大体なんでお前にそんな事決められなきゃいけないんだ!」

「黙れ。発言を許可した覚えはないっ」

 そう言って、戦意むき出しで少女はこちらに向かって駆け出した。

「いや、取り消せよっ」

 仕様が無く俺もサークルの中心に身を投げ出す。

見ている人の中から巻き添えが出でもしたら祖母さんに何をされるか分かったモンじゃない。

 距離が縮まっていき、少女が初撃を打ち出してくる。

 恐ろしく早い右ストレートを、何とか拳の甲で弾いて体の外に逸らす。

彼女の懐に入る形になった俺が拳を振り上げる。

「きゃっ」

 その途端、少女が怯えるように身を縮めて目を瞑った。

「えっ」

 思わず拳を引き、動きを止めてしまう。

パチッと片目が開き、少女の顔がにこっと笑顔に変わる。

つられる様に笑顔を返そうとした時(マスク、してるのに)、腹に衝撃が走った。

「ぐ…あ」

 彼女の左拳が俺のわき腹にめり込んでいた。

 痛みから腹を押さえて身を屈めた時、少女の姿がぶれた。

下半身を引っ張るように上半身を回転させ、後ろ回し蹴りを放ってくる。

 硬い踵で側頭部を強かに叩かれ、俺はなすすべも無く吹っ飛ばされた。

「…がっ……」

 人垣が綺麗に割れ、出来た隙間に突っ込んだ。

身を硬くして何とか衝撃に耐える。

「……くそっ」

 頭がふらふらしたが威力自体は大した事無く、持続しない痛みを振り払い立ち上がる。

猛然と少女の方へと駈けて行く。

「ヒーーーーート…」

 俺がチョップの構えを取ったとき、少女がまたも身を縮めた。

…ふ、ふん、もう騙されるかっ。

 俺のそんな考えを読んだかのようなタイミングで少女は顔を上げる。

「…たたくの?」

 ……ぐっ、ふ、ふんっ…だ、騙されるかっ。

「…ねえ、たたくの?」

 潤んだ瞳で、窺うような上目遣い。

エメラルドグリーンの瞳に悲しげな色が浮かぶ。

……だ、だ、だまさ……だま……だ……。

「…ぐ…い、いや……」

 またも直前で急ブレーキ。

眼前で止まったチョップを見つめ再び笑顔が浮かぶ。

しかし、今度はつられたりしない。

死刑囚のような心境で、そのときが来るのを待つ。

「そう…」

 少女が少し飛び上がる。

「…ありがとっ」

 左足を軽く上げ、それを下ろす時の反動を利用して、右足を振り上げる。

……天使のような笑顔を浮かべながら。

「がぺ……」

 顎をつま先で突き上げられ、浮き上がった体が、逆海老にしなる。

弓形ゆみなりになった俺の腹に、そのまま振り下ろされる右足。

「げ、はあ」

 情けも何も無い踵落としを叩き込まれ、数度バウンドしながら、避け損なった人垣に突っ込んだ。

「…その程度かサンレッド?」

 勝ち誇ったような少女の声が聞こえる。

…サンレッドは止めろ。

 しかし、これはちょっとシャレになってない。

一発ずつの威力はそう高くないものの、この速さで手数で来られたら、反撃の余地が無くなる。

…何より、あの叩かないでバリア。

あんなアピールしなくても、そもそも女の子を殴るなんて出来そうもないし。

「大丈夫?」

 いつの間にか隣に屈んでいた千葉ちゃんが肩を貸してくれた。

「ほら、掴まって、あき……サンレッド」

 人の目を気にしてか、ついたばかりの名で俺を呼んだ。

…あぁ、外堀が埋まっていく。

「…どうしよう、ちょっとやばい」

 小声で彼女に訴える。

「取り敢えず時間を稼いで。何をどうするにしても少し時間が欲しい」

 真剣な調子で言う千葉ちゃんの声。

「…わかった」

 掴まっていた肩から手を離し、俺は一人で立ち上がった。

 腹の中で覚悟を決め、少女に向き直る。

俺の雰囲気を感じ取ってか、真剣な表情で少女も身構えた。

ゆっくりと間合いを計りつつ円を描くように移動する俺達。

二人の空気に当てられて周囲もいつの間にか沈黙していた。

 一周してもとの位置まで戻ったとき、俺は足を止めてゆっくりと右手を持ち上げ、ビシッと少女を指差した。

「そう言えばっ、お前はいったい何者なんですかっ?」

 突然の俺の発言に、周囲の空気が少しだけ凍った。

…なんて言うの、シャーベット?

(こうなったら死ぬ気で時間を稼いでやる)

 という俺の悲壮な覚悟は妙に場をしらけさせたが、どうやら、”当たり”だったらしい。

少女が急に顔を輝かせ、良くぞ聞いてくれたと言わんばかりの表情で腕を組んだ。

「ふん、貴様なんぞに聞かせてやる必要も無いが、仕方あるまい…冥土の土産というヤツだ」

 そんな事言ってる割に、嬉しそうに笑顔を浮かべている。

「…わたくしは、デガスターの美少女型アンドロイド如月ハニ子だ!……ちなみに、昨日目覚めたてのほやほやだ」

 ハニ子……の発言にさらに凍る周囲の空気。

…なんて言うの、カチ割り?

野次馬の中から「いいの?」と何かを心配する声まで届いてくる。

 対策を講じてくれているはずの千葉ちゃんが俺に耳打ちしてきた。

「…それって奥歯を噛んだら速く動けたりするってやつだっけ?」

 それはどちらかと言えばサイボーグかと…。




 何にせよ、時間稼ぎという面ではまんまと上手くいった。

 自称アンドロイドのハニ子は胸をそらせて誇らしげに腰に手を当てていた。

さっきも思ったのだが、わりとお調子者なのか乗せられやすい性格らしい。……アンドロイドの癖に。

続けてした質問にもあまり考える事無く答えていた。

「デガスターってなんだよ」

「貴様……今まで散々戦ってきた相手の名前も知らなかったのか」

 呆れるように、と言うかちょっとガッカリした様な表情で俺を見る。

…そんな事言ったって、今まで名乗らなかったじゃんよ。

「…そりゃ、悪かったな……お前らデガスターって言うのか…」

「そうだ、昨日わたくしが名付けた」

「「「それじゃあ、知ってるわけ無いだろう!!」」」

 俺含め、ギャラリーからの総つっこみ。

「……え?……え?……」

 急に周りから不満の声が上がり、不安そうにキョロキョロと首を振る。

……まあ、デガスターが新しい敵とかじゃなくて良かったけど。

「…それにしても、美少女型ってなあ、自分で言うか?」

「だ、だって、わたくしはそういう目的コンセプトで造られたのだ。相手が油断し、なおかつ攻撃を躊躇ためらってしまうようにと。その為可愛らしい容姿をしているらしい」

 ヒンシュクを買いそうな台詞を、まだ不安から抜けきっていない表情でハニ子が口にする。

目がキョロキョロと動いているところを見るとよほど動揺しているらしい。

 随分とえげつない事を考えるものだとは思うけど…。

「…あのさ…それって、俺に喋っていい事なのか?」

「え?」

「だって作戦だって分かってて、攻撃をためらうヤツなんているか?」

 自分のことを随分高い棚の上に乗っけてから、揺さぶりをかける。

「……?…えっと?」

 答えを求めるように、見物人の顔を次々に見ていくハニ子。

何人かは目を逸らし、何人かは目を瞑って首を振った。

いや、まあ、と言ったきり口ごもったヤツもいる。

「…なあ、お前ってさあ……」

 お調子者なんだとばかり思ってたけど…もしかして…。

「………ばか?」

 ビクッと肩がはね、顔を俯け、丸く青い頭がプルプルと震えだすのを見て…………しまったと思った。

背中からフルオーケストラでも足りないほどの「あ〜あ…」が聞こえてくる。…続く言葉は「泣〜かせた」

……うう、わかってるよ。

「い、いや、ご、ごめんな、言い過ぎた」

 拳をぎゅっと握り、何かを堪えるみたいに力を入れてるように見える。

……もの凄い罪悪感だ。

 自分自身を責める気持ちと周囲の冷たいプレッシャーに圧され、いっちょ土下座でもしようかと俺が一歩足を踏み出したときだ。

「……ふ…ふ………ふ……ふふ……ふふふ、ふ…」

 地の底から響いてくるような、不吉な笑い声が聞こえてきた。

発信者は目の前の打たれ弱いアンドロイド。

震えていた体が止まり、きっ、と顔を上げる。

……あ、目じりに光るものが。

「…こんな屈辱を受けたのは生まれて初めてである」

 そりゃ、生まれて二日じゃあ、しょうがないんじゃないかな、とはいくら迂闊な俺でも言わない。

涙目で凄まじい笑顔を浮かべるハニ子を前に、その場にいる誰もが成り行きを見守るだけの案山子となった。

 そんな俺達を前に、泣き虫アンドロイドは左手で右の手首をグッと握り締める。

「これは使わないつもりでいたが」

 …大変嫌な予感。

もはや狂気すら感じる表情で、左手に力を籠めたのが分かる。

シュポンっと、卒業証書を入れる筒を開けたときのような音を立てて、手首辺りから右手を引っこ抜い……引っこ抜いたっ?!

い、いや、アンドロイドだったらこれくらいは出来るんだろうけど。

 随分ショッキングな映像を見せられた俺達は、断面に表れたものを見てさらに度肝を抜かれた。

 腕よりはもう少し口の狭い銀色に光る円筒。

暗い口の中、深い闇の入り口近くにかろうじて数スジの螺旋状の窪みが見えた。

……どの角度から見ても砲身。どう贔屓目に見ても銃口。

「四十二ミリハニ子 カノン

 そんな物騒な名前を涙声で言われても。

 発射口は確実にこちらを向いていた。

「ちっ」

 舌打ちを一つして俺は走り出す。

腕を顔の前でクロスさせ、口の中だけでコマンドを呟く。

「ライジング……パンチ」

 目の前を走る赤い光の群れ。

右腕に集まる力を感じながら、俺はさらに加速した。

 なるべく周りの人間から離れて、ハニ子に近づいて、発射された砲弾をパンチで叩き落す。

……頭の中で描いていたそんな絵図面は、直ぐに音高く崩れ去った。

 きゅいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃと耳を押さえたくなるような音を立てて、砲身の中に吸い込まれていく光の粒子。

いや、ビーム系かよっ。

 早速作戦をオジャンにされた俺は、陸上の三段跳びみたいな大股でハニ子に駆け寄っていく。

 ハニ子が腰を落とし、体を安定させる為に足を開く。

銃口の先で陽炎のように空気が揺れるのが見えた。

「……ハニ子 カノン…発…」

 発射と言い切る前に、俺は、ハニ子の右手を蹴り上げていた。

つま先で捉えた手ごたえを信じて、思い切って力を入れる。

 ハニ子は下手クソな操り人形師のパートナーのように、弾かれた右腕を不自然に吊り上げた。

その瞬間、恐竜の咆哮のような鳴き声を上げながら、右腕から黄色い光の柱が立った。

 一秒にも満たない時間で光は消えたが、後には、アーケードの天井にポッカリと人の頭くらいの穴が残った。

「……お、お前…これはシャレになってねえ…だ……ろ?」

 抗議の声を上げる俺をハニ子が満面の笑みで見つめていた。

いつの間に装着したのか元の位置に右手が戻っている。

……あれ?

「……ふふふ……ハニ子っラーーーーッシュ!!」

 そう叫んだかと思うと突然パンチを連打してきた。

「民間人が大勢いる場でこんな物本気で使うわけがなかろうっ」

 顔、胸、腹、上半身のあらゆる部分を叩きながら、ハニ子が嬉しそうに叫ぶ。

「そんなことも分からんとは貴様も相当の、バ、カ、だな、馬鹿がっ、ばーかっ」

 な、なんて心の狭いアンドロイドなんだっ。

殊更に、ばか、という言葉を強調しつつ、俺に乱打を浴びせる。

…よっぽど悔しかったらしい。

「うりゃあっ」

 高速で繰り出される打撃を、長時間かわすのは不可能だった。

それでも何発かを逸らしていた両手を、ハンマーナックルのような攻撃で弾かれる。

裂帛の気合と共に繰り出された蹴りを喰らい、俺は吹っ飛ばされてしまった。

「ぐうっ」

 俺を倒したハニ子を見て周りから歓声が沸き起こる。

…うう、俺だって地元民なのに。

 ハニ子が手を上げて歓声にこたえた。

こいつは、今まで戦った敵の中でダントツの馬鹿だし、考えられないくらい心が狭いけど、それでも一番の強敵だった。

 俺は地元でアウェイの洗礼を受けつつ、唯一の味方といっていい千葉ちゃんの方を見た。

千葉ちゃんはスケッチブックみたいなのを掲げて、しきりにそれを叩いては何かを俺にアピールしている。

……なに?……あ、何か書いてある…えっと…。

『キ・ニ・セ・ズ・ヤ・ッ・チ・マ・エ・!』

 それが出来りゃあ苦労してねえんだよっ!!

 役に立たない助っ人のアドバイスに俺が憤激していると頭上に影がさした。


「…こまってる?」


 背後から、頼りになる疲れたような声が聞こえてきた。




「橘さんっ………その人、だれ?」

 振り返ると、珍しく本当にしんどそうな橘さんがそこに居た。

肩で息をする彼女の隣に、見たことのない、何ていうか、個性的な格好をした女の人が立っていた。

「…迷子」

 整わない息でそう答える。

隣に立つ女の人が申し訳なさそうに笑いながら頭を掻いた。

…よく見ると、二人はしっかりと手をつないでいた。

「枝村樹だ、樹でいいよ秋名大地君」

 快活な笑顔で空いたほうの手を差し出してくる。

今、おもいっきり本名で呼ばれたけど。

……気にしてる人もいないから良いけどさ。

「ど、どうも」

 おずおずと差し出した手を力いっぱい握られる。

「…分かってる。この子が誰かって事が気になってるんでしょ」

 いいえ。

いや、勿論それも気になるんだけど、今はこの人がなんでこんな格好してるかって事で頭がいっぱいです。

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、橘さんは彼女の素性を説明してくれる。

「彼女、樹は秋名の分家の子なの。薫様がこの間の戦いの後、アキナ君の助っ人として呼び寄せていたの」

「す、助っ人すか?」

 この人が?

 俺はにっこりと頷いた樹の方を見た。

 まず背が高い。俺と同じか少し高いくらいか。まあ、履物がハイヒールだから確かな事は言えないけど。

すらっと伸びた体にはあまり肉はついておらず、何故かラインの良く分かる細身の体はとても武道をやっているようには見えない。

「ん?……なるほど、ホントに私が戦えるかが気になっているんだな」

 いいえ。

あ、いや、ホントにそれも気にはなるんですけど、今はやっぱりその、なんでそんなものを着てるのかな〜って。

 怪訝そうな俺の表情を取り違えた樹が、俺の肩に手を置く。

「心配しなくてもいいぞ」

 繋いでいた手を離して、パンと拳を叩く。

細い逆三角形に歪めた唇を楽しそうにぺロリと赤い舌が撫でた。

「え、ちょっと」

 ズイッと身を乗り出し樹は円の中心、ハニ子の元へと歩いていく。

高いところで一つに括られた髪が揺れる背中を見ながら、橘さんが愚痴をこぼすようなトーンで言ってくる。

「大丈夫。あの子から強さをとったら残るのは方向音痴だけだから」

 ……うーん。

そうかあ、方向音痴なのかあ。

………。

 結局、俺は、樹が何故真っ赤なボディコンを着ているのかを聞くことは出来なかった。




 最近はヤクザ映画でも見ないような格好で樹がハニ子の前に対峙する。

突然現れた血の気の多そうな水商売風の女の子に、周囲は沈黙を選んだ。

…賢い。

「誰ですか?」

「枝村樹」

 怪訝そうな顔のハニ子に簡潔に樹が答える。

「下がりなさい。ここは闘いの場です」

 警告を孕んだハニ子の言葉に、ハイヒールを脱ぎながら樹が笑顔を返す。

そんな仕種に少しだけ周囲がどよめく。

しょうがねえヤツらだと思いつつ、気持ちは分かる。

「私は彼の代理だ」

 そう言って視線で俺のほうを指し示す。

視線を追っていったハニ子とばっちりと目が合った。

言外にこのバトルホステスはなんだと聞いてくる。

…俺だって良く知らないよ。

「どうやら、彼はあんたとは闘いにくそうだし、私が代わろうということになってな」

 コキコキと首を鳴らしたり足や腕の筋を伸ばしたりと準備に余念が無い。

そんな光景を見ながらハニ子はふいっと顔を逸らした。

「下がりなさい。私は民間人とは闘いたくありません。ですが、敵性と認めた時点で貴方を攻撃しなくてはなりません」

 えらく常識的な事をいうハニ子の肩を叩いて樹が不適に笑った。

「それは重畳」


 ……果たして、この場にいる人間で、たった今何が起こったか理解できた者が、いただろうか。


「へ?」

 ハニ子が目の前にある樹の顔を見て頓狂な声を上げた。

―――な、なんで、樹があそこに居るんだ?

 樹は特に走るでもなく、ゆっくりと、ハニ子に近づいていった。

大体、半歩分くらいの歩幅で六歩歩き、またゆっくりとした動きでハニ子の肩を叩いた。

 俺だけでなく恐らくその場に居た人間全てがその光景を一部始終見ていた。…見ていたはずだった。

にも拘らず、そのことを正しく理解した人間は多分一人も居なかった。

 呆気にとられている俺達の前で、樹が体を捩る。

0、10、0、の線グラフをなぞるように肘の先が動く。

細く鋭い山形やまなりを描き、その先端にあるハニ子の顎めがけて暴力の風が吹いた。

「くっ」

 気合の声一つ無く放たれたそれを、上半身を反らしてハニ子がかわす。

それでもチッと音がして、顎の先に摩擦の跡が浮かんだ。

「ほう」

 感心するような声が樹から漏れた。

心底楽しそうに「やるなあ」と笑みこぼしている。

 ハニ子が余裕をなくした顔で後ろへと飛びのいた。

それを見て樹が上半身を倒し、追う格好を見せた。

―――まただ……。

 先程よりは速い速度、それでも駆け足程度でハニ子の方に駆け寄ると、なんでも無いように懐に入り込み体を縮める。

胸の前でクロスさせた腕を収縮できるだけ収縮させ、限界点を迎えたところで一気に解放させた。

弾丸のような速度で打ち出された右拳がハニ子の鳩尾にモロに叩き込まれた。

もう片方の手は空気を叩くように反対側に突き出されている。

 両足も開いて綺麗なシンメトリーになった樹の視線の先で、未だに何が起こったか理解できていないようなハニ子が苦痛に顔をゆがめながら、運動の法則にのっとって吹き飛ばされていく。

「ち、ちっ」

 ハニ子は滑走する体を地面を叩く事で無理矢理跳ね上げ、空中で翻り片膝をついて着地した。

 満身創痍と言った体に悔しそうな表情が浮かぶ。

人間だったら肩で息しているだろう。

「…どうなってんだ?」

 思わず呟いていた。

マスクが無ければ目を擦っている所だ。

 樹の動きにはどうしようもない位の違和感があった。

例えば、振りかぶる、だとか、殴る、だとかの行動アクションを”点”とすると、”点”と”点”とを繋ぐ”線”に当たる部分に幾つも穴とか途切れがあるように感じるのだ。

―――行動の間の部分が掴みづらいというか、曖昧というか。

「歩行と呼吸」

「え?」

 突然口を開いた橘さんの方へ俺は顔を向ける。

「…の、工夫らしいんだけど、専門家じゃないから詳しい事は良く分からない。樹の動きでしょ?」

 頭を掻きながら面倒くさそうに語る橘さんに、アホみたいに首を縦に振ってみせる。

「人の虚をつく方法って言ってたからどうかと思ったんだけど、ロボットにも問題なく通じるみたいね」

 視線を闘っている二人にやってボソリとこぼす。

「…でも、あの子って加速装置で三倍くらい速くなれるんじゃないの?」

 それは違う上に、何かが混ざっています。

……赤いボディに立派な角のついたハニ子。

『悪い子はいねがぁ』

 …まさかのナマハゲ仕様だった。




「名前は?」

 ゆっくりと立ち上がりながら、ハニ子が問いかける。

「いつき」

 樹が律儀にもう一度答えてやり、にっこりと笑う。

「では、イッチー」

 ……何故?

「あなたを正式にわたくしの敵と認定します」

 サーッとハニ子の周囲を風が巻いた。

ふわりと青い髪が浮き上がり、近くにあった塵芥を一緒くたにして風は空中に舞い上がっていった。

「もう手加減は無しである」

 ハニ子の両手が淡い黄色い光を帯び始めた。

 気を張って様子を見つつ、それでも樹は楽しそうだった。

ゆっくりと腰を落とし構えをとる。

―――迎え撃つ気か…。

 辺りを緊張が包んだ。

張り詰めた風船のように膨れ上がり、あとは針が落ちるのを待つだけとなった時、場違いな声が響き渡った。

「もうっ、ハニちゃん!」

「…プ、プルーム?」

 そこに現れたのは人の姿をした蝶だった。

俺がギャラリーの中に居るのを見て少し首をかしげながら、ハニ子のほうへ駆け寄っていく。

何かシュウシュウとオーラみたいなのを出しているのも気にせずに、ハニ子の頭をガキンと叩いた。

「い、痛いであります」

「勝手に出歩いたらダメって言ったでしょ」

「で、でも、わたくし、いてもたってもいられなかったんで……い、いた…イタ…」

 口答えするハニ子を容赦なくガンガン叩くプルーム。

言う事を聞かない子供を持った母親みたいで、このままいけばハニ子に頭を下げさせかねない勢いだった。

 そんな光景を見て樹は息をついて構えを解いた。

「……どうやら保護者が出てきたようだな」

 少し残念そうにしながらも笑いながら肩の力を抜く。

直ぐに俺と橘さんは樹の元へと駆け寄って行った。

「おつかれさま」

 橘さんはそう言って、樹の脱いだハイヒールを差し出している。

 そちらは任せるとして俺はプルームのほうに向き直った。

「おい」

 俺の声に説教を続けていたプルームが振り返る。

「あら」

「あら、じゃねえよ…ですよ」

 ああ、変な言葉遣いになってる。

 これが水城さんのお姉さんかと思うと、今までみたいにぞんざいな口も聞けない。

かと言って今更敬語っていうのも変な気がするし。

 案の定プルームは変な顔をしていた。

「どうしたの?」

「どうしたのじゃねえのですよ」

 なんだそりゃ。

「お……あ、あんた、ゴールデンウィーク中は来ねえみたいな事言ってなかった、ですかい」

 一体俺は誰なんだ。

 プルームは心配そうな顔をしながら首をかしげた。

「……まだ調子悪い?」

「ほ、ほっといてくれ……さい。こっちにも事情があんだよ…っす」

 そう言うと「ふーん」と唇に指を当てた。

「そ、そんなことよりっ」

「ん?あそっか。ほら、ハニちゃん」

 プルームがハニ子の背中をぽんと押す。

不本意な力で一歩前に出たハニ子がついッと横を向いた。

「イヤであります。こんなヤツに頭を下げたりしないであります」

 駄々っ子モードに入ったハニ子に、笑顔で拳を振って見せるプルーム。

「うっ」

 いや、目が笑ってないって。

「く、屈辱である、こんな屈辱生まれて、はじ……」

「先刻もおんなじ事言ってたじゃねえか」

「ぬ、塗り替えたんである。記録更新したんだ」

 陸上競技かよ。

「…うう、二度もわたくしの初めてを…」

「誤解されそうなんで二度とその表現は使わないように」

 本当にしぶしぶといった感じでハニ子は頭を下げた。

どうやら今回の事は目を覚ましたばかりの彼女の暴走だったらしい。

 頭を下げる姿を見て満足そうに頷くとプルームはこちらに向き直った。

「じゃあ、また日を改めてってことで」

「ん、ああ、そうだ………じゃなくてっ!」

 思わず乗せられそうになってしまった。

俺は頭を振って構えを取った。

「今度こそ逃がさねえぞ」

 身構える俺にプルームが笑って見せた。

「……一つ提案があるんだけど」

 いつもと同じ艶然とした微笑。

……だけど、どこか…。

「今日はこれで終わりにして……次で最後にしない?」

 ………は?

「…え?何?どういう…」

「だから……」

 いや、やっぱり、いつもと同じ表情で。

「次が最後の闘いって事(・・・・・・・・)で」

 からかうようににっこりと。

…後編に続きます

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