第三話 戦う理由と三人の事情
難産でした(笑)
夢は見るものじゃなく、掴むもの。
叶えたり、空のリュックに詰めこんだり、右のポッケに入ってたりするもの。
……だけど、大抵は儚いもの。
だったら、せめて寝てる間くらいは良い夢が見たい。
夢を見ていた。
雲の上を歩いている。
いや、本当はどうやって移動しているのかなんて分からない。
けど、俺は雲の上を前へと進んでいる。
足元にあるフワフワとした感触を、捉えている。
(スゲー気持ちいい)
その場に惜しみなくあふれる光は、心地よい暖かさで俺を包んでいた。
………風呂で言うとジャスト三十八度。
半身浴でじっくりと汗をかき、持ち込んだ文庫本も半分くらいは読みきろうかという時間を進み続けた俺は、行く先に大きな光の塊があるのを見つけた。
長時間移動したにも拘らず、不思議と体に疲れはない。
まあ、どういう手段でここまで来たかも定かではなかったし、何よりこれは夢だ。
そんな事より、俺の興味は既にこの目の前の大きな光へと移っていた。
近くで見るとかなりデカイ。
高さは俺の身長三つ分くらいで、両手を目いっぱい伸ばした人が二人いても、端と端とを繋げないくらい幅があった。
小さい頃に読んだ本に「ちょうほうけい」と書かれていた図形が、馬鹿でかくなって縦に落ち着いた感じだ。
光の直射を避け目を窄めてみると、かすかに概観が見て取れた。
真っ先に浮かんだ言葉は、窓だった。
光で形成される窓枠、その中を走る規則的な格子。
開け閉てに便利なよう、取っ手の様な物までついた両開きの扉。
ジッと観察していると無性にそれを開けたくなってきた。
反射にも似た本能の欲求で、この向こう側にはもっと素晴らしい世界があるという事を俺は何故か分かっていた。
分かっていながら、窓を開けるのをためらってしまう。
そわそわと落ち着かず、きっとそうすることが正しい事なのに、何かが服のすそを掴んだ。
突然鐘の音が鳴り出した。耳を劈くような大音量にますます焦燥は募った。
しばらく鐘はなり続け、取っ手に手をかけようかどうか俺が迷っている間に、だんだんとその間隔が長くなっていった。
やがてゆっくりと、鐘の音は静かに収まっていき……辺りは完全に沈黙を取り戻した。
「どぅわあああぁあっ」
俺は跳ね起きるようにして目を覚ました。
全身にかいた汗と、激しく上下する両肩。
体に掛けられていたと思われるシーツが腰の辺りで細くまとまっていた。
顎を伝う汗をぬぐうことなく、俺は夢の情景を思い返す。
(あ、あれはどう考えても、天国への扉だろ)
……良い夢過ぎる。
開いた先にあるのはそりゃあ素晴らしい場所だったろう。
ただ、焦りに負けてあの取っ手を掴んでいたらどうなっていた事か。
所詮は夢のこととはいえ、なんだろうこの激しい動悸。
取り敢えず、正月の中華街で破裂する爆竹みたいな心臓を落ち着けて、現状を確認する。
………ここはどこ?わたしはだれ?、なんて一度は言ってみたい台詞だったけど、あいにく意識も記憶もはっきりしていた。
ここは俺の部屋のベッドの上。
あの蜘蛛野郎と戦って意識をなくした俺は、誰かにここまで運んでもらい、傷の治療まで受けた。
視線を下げると、全身に巻かれた包帯が目に映る。
ご丁寧に下着まで変えられていて、穿いた覚えのないパンツまで穿かされていた。
これは、記憶にあるパンツと違う柄だと言う意味で、普段はノーパンだぜ宣言というわけじゃない。
まあ今の姿はパンツ一丁な訳だけど。
俺は少し痛む体をちゃんと起こして、もう一度周囲を見た。
間違いなく俺の部屋だ。見覚えのあるスピーカーに見慣れたポスター、見飽きた顔が映る鏡に見知らぬ女、いつも邪魔だと思っている枕もとのランプシェードに……。
「おはよう」
「ああ、おは……………………………………誰ッ?!」
思わずベッドの端まで飛びのく。
シーツで何故か胸までかばい、直ぐにベルトの所在を確かめる。
服より先に求める辺り、割と頼りにしてるのが分かってイヤだった。
きょろきょろと部屋を見回す俺に、事も無げに女が動く。
「…これ?」
背後からずるりと取り出したのは、今まさに探していた馴染みのベルト。
釣果を自慢するようにぶら下げられているが、彼女の顔には、もう帰りたいと言いだした子供の表情がある。
「そ、それです」
自室なのに何故か敬語。……パンツ一丁って不安。
「…はい」
そういってベルトを突き出した彼女の元へ、未だにシーツを胸に当てたまま這うように近づいていく。
警戒心もあらわに、そーっと、ベルトに手を伸ばした。
「別にとって食べたりしないわよ」
疲れたようにそう言う。
ため息と共に出てきたような言葉だったが、俺はそれがデフォルト設定なのを知っている。
「あ、あの校舎裏で会いましたよね」
放課後の校舎裏。水城さんを囲んでいた人の輪の一部。美貴一派の構成員の一人、のはず。
つまらないように欠伸をしたのが印象的で、去り際に「悪かった」と口にした意味が分からなかった。
「会った」
あの時と同じような、興味無げな顔でぼそりと口にする。
名前、出身地、利き足、知りたい事はたくさんあったけど、差しあたっては取り敢えず…。
「……あの、ココで何してんすか?」
東町商店街に実しやかに流れる噂の一つに、”薫派”というのがある。
知ってる人からすればそのものズバリだが、知らない人からすれば、本当に意味が分からないという、極端な噂。
橘美晴と名乗ったこの人が言うには、彼女と彼女の父親は、この”薫派”の一員らしい。
手っ取り早く言って祖母さんの子分さん。
ビービーと俺の時計を鳴らすのも、彼らがやっている事だ。
「じゃあ、俺をここに運んでくれたのは?」
「うん」
橘さんが頷いた。
彼女のショートヘアーが浅く揺れる。
「このベッドに寝かせてくれたのも?」
「うん」
「傷の手当をして包帯を巻いてくれたのも?」
「ん」
う、を省略しやがった。
けど、だとしたら、もしかして……。
「あの…」
おずおずと顔色を伺うように俺は尋ねる。
「…下着を…替えてくれたのも…?」
「……」
何でそこで黙るんですか…。
「下着は別の男の人が替えた」
そ、そうでしたか。
「あ、それは……」
「私は横で見てただけ」
…全然意味がないですね。
「そ、そっすか」
「……ふぅ」
お願いですからそこで意味深なため息は止めてください。
プライドだか純情だかがいたく傷ついた気がするけど、おおかたの事情は分かった。
「ありがとうございました。ホント何から何まで」
俺が礼を言うと、橘さんは首を横に振った。
「いい、好きでやってることだし」
その言葉が本心からであることを表すように、するりと何の淀みもなく口から出て来た。
こういう人に出会うと、改めて祖母さんの凄さが窺える。
「それに私には君らに謝らなきゃいけない事もあるから」
謝らなきゃいけない事、と言う割には顔色が何一つ変わらない。
まあ、言い辛そうな顔、と言えなくもない表情ではあるが、この人は基本的に喋る事自体が億劫そうだ。
……にしても、君らってのは俺と誰の事だろう。
しかも、謝って貰わなきゃならない事がある程の付き合いはないはずだけど。
「誤解だって分かってて、大島美貴を止めなかった」
大島…って美貴先輩?
「私らがフォローをしているアキナ君に実際会ってみたかったから」
そう言って少し笑った。……だから「悪かったね」か。
彼女は直ぐに元の表情に戻ったが、俺としてはなんとも言いにくい。
会ってみてどうでした?、なんて聞けるほどの自信家でもないし。
ああ、それにしても、水城さんは本当にとばっちりだ。
このままじゃあ、俺は、迷惑を掛ける嫌いな人リストに名を連ねかねない。……てか、もう入ってるかも。
なんだかやけに落ち込む想像をしてしまったが、おかげで思い出した。
「すいません、今って何時の何時ですか?」
「ゴールデンウィーク初日の午前十一時十五分」
質問を予想してたわけでもないだろうに、考えることなく答えてくる。
「そっか…」
思わずため息を吐いた。
取り敢えず、遅刻してこれ以上評価を下げるのだけは避けられたようだ。
「…デート?」
あからさまにホッとした様子の俺に橘さんが聞いてくる。
とても本気で興味があるようには見えないが。
「それだったらどんなにか良かったでしょうね…」
明らかにトーンダウンした俺に橘さんが首を傾げる。
「実は…」
言いかけて俺は口を噤んだ。
橘さんは俺の正体を知っているから油断していたが、この人は”薫派”の人間だった。
正体がばれた、なんて軽々しく語ったら、彼女はともかく、そこから伝わった祖母さんに何をされるか分かったものじゃない。
三つ子の魂百まで。
幼少より祖母さんがしいた血と鉄の掟は未だに俺の中で息づいている。
……またの名をトラウマ。
その中に嘘をつくなってのが無かった訳じゃあないんだけど。
―――このことに関しては、普段から嘘つきまくってるわけだしな
それが、祖母さんに限っては何の理由にもならないと分かりつつも、思っていたことと違う事を口にしてしまう。
「…実は、その水城さんと会う約束をしてるんです」
「水城さんと…?」
「そうです。俺達昨日、一時間目を完全にぶっちぎっちゃって、数学の千葉先生にたっぷり課題を出されてまして」
ああ、と呟く。
千葉ちゃんは三年生も受け持っているから、橘さんが彼女の悪癖を知っていてもおかしくはない。
「それで、仲良く勉強会ってわけ?」
「……まあ、そんなトコです」
本当は俺は一人のほうが集中できるから誰かと一緒に勉強なんて考えられないんだけど。
そんな事を俺が考えている間、橘さんはまだ首を傾げていた。
その表情からは何を考えているのかは全く窺えない。
……と言うか何も考えてないんじゃあないんだろうか。
「アキナ君は昨日あいつらが現れたから遅刻したのよね」
「はい、そうですけど……」
「彼女はどうして?」
「え…」
まっすぐに俺を見たまま言葉を続ける。
「水城さんは普段から遅刻が多い子なの?」
「いえ、そんな事はなかったと思いますけど……」
そういえば何でだ?
普段は人との接触を避けるように、いつもギリギリに教室に来てたけど、遅刻というのは昨日が初めてかもしれない。
しかも、まれに見る大遅刻。
あんだけ遅れたのは俺だって初めてだ。
俺のほうは奴らと戦ってたっていう、理不尽で遣る瀬無い理由の所為だけど……。
水城さんはどうして?
「ん、疲れた」
橘さんが急にボソッと呟いた。
―――ぐううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
それにこたえるように俺の腹が鳴った。
そういえば丸一日何も口にしていなかった。
「何か食べた方がよさそうね」
鳴り続ける腹に赤面しつつ俺は頷いた。
「そうみたいですね」
そう言ったあと、何故か見詰め合ってしまう。
いや……。
「あの、服を着たいんですけど」
「……」
「……」
「どうぞ」
正座したっきりの橘さんが勧めるように手の平を見せる。
……出来れば出て行って欲しかった。
大型連休の初日とあってか、東公園に人の姿はあまりなかった。
元々が貯水池のおまけとしてくっついていた広場だから、遊具らしい遊具もない。
敷地の三分の一を占める池が貯水池として使われなくなってからは、そこにボート小屋が立てられたものの、直ぐに妙な噂が立ってしまい利用者は極端に少ない。
いわく―――この池のボートにカップルで乗ると、男女どちらか一方が、醜いアヒルの姿になってしまう。
……都市伝説というより、もはや童話の世界での話だ。一体誰のどういう呪いなんだか…。
とにかく、ここに居るのは、年中働いてて休みなんか関係ない商店街の連中か、行く当てか金、もしくはその両方のないカップルだけ。
普通の人たちは、こんな広いだけの公園なんか見向きもせずに、某大型二足歩行動物群のいる巨大パークへと出かけることだろう。
そして、ここで力なくベンチに腰掛けてる俺も、つまりは普通の人でないと言う事になる。
……現に普通ではない。おそらく今月最も普通じゃない。
一体この世界の何人くらいが正体がばれる可能性を抱えて高校生をしているのだろうか。
それもヒーローの。
その絶望的に低そうな可能性に落ち込みつつも、頭のどこかで未だに何とか誤魔化せないものかと思案している自分がいた。
まあ、ここに居る時点で九割以上自白したも同然なんだけど…。
少し遅れてやってきた水城さんが「遅れてごめんなさい」と頭を下げながら俺の前に現れたときに「違うんだよ」と第一声を発したのはつまりはそういう理由があったのだ。
妙に緊張しながら挨拶を交わした後、俺達は日陰になっているベンチへと腰掛けた。
ふう〜、と二人ため息をついて、早くも黙り込んでしまう。
予定ではこの後際限なく沈黙が続く事になっている。
と、いうか…。
(どっちがどう切り出せばいいんだ…)
それこそカップルなら話は簡単なのに。
これが告白なら好きな方から言い出せばいいし、別れ話なら嫌いになった方から言い出すんだろう。
けど、こういう場合は一体どっちから切り出せばいいのか分からない。
―――暴いた方?―――暴かれた方?
「あなたって実はヒーローなんでしょ?」
「俺って実はヒーローなんだ」
だめだ、どっちにしろ俺はヒーローの部分に引っかかっている。
ずっとこうしていても埒が明かないのは分かっていたので何とかきっかけを探す。
どんなに馬鹿馬鹿しい事でも始めなければ終わらせる事もできないのだ。
「「あの」」
…そして可哀相なくらいベタな俺達。
視線の先にお互いが来ただけで、再び沈黙してしまう。
ふと……水城さんの目の中に俺の顔が映っているのが見えた。
茶褐色の虹彩に、黒い鏡で写したような左右が逆の歪んだ姿がある。
「…それ」
水城さんが何かに気付いたように、声を上げた。
「ふぇいっ?!」
食い入るように彼女の瞳を見つめていた俺は、上擦った返事をしてしまう。
「…どうしたの、それ?」
彼女の人差し指は首の辺りをさしていた。
「それって…」
手で触れてみると、ざらざらとした肌以外の感触がする。
―――ああ、これか。
俺は首に巻かれた包帯をいじりながら言葉を探した。
「えっと、これは、その……………あそっか」
そうだ、彼女は知ってるんだ。
今日ここに居るのはそのためだった。
と言う事は、この話題はいいきっかけになる。
「実は、昨日の、そのう、闘い、の時、に、ちょっ、と、ね」
言葉が途切れ途切れなのは気持ちが少々前のめり気味だったから。
頭のどこかで、もう一度くらい、彼女が本当に気付いているか確かめとけばよかったのにー、なんて言葉も聞こえてくるけど、もう遅い。
「……怪我してるの?」
彼女が不安そうに聞いてくる。
うーん、怪我と言えるかどうか。
包帯は目隠しの為にしてるし、ここに付いてるのは擦り傷とか切り傷ではない。
羞恥プレイのような着替えを終え、洗面所に行った俺は鏡の前で唖然としてしまった。
首筋に真紫の手の跡が付いていた。
それも首を絞め殺さんばかりに力強く握られた跡が。
直ぐに昨日の事が頭をよぎった。
――― 吹っ飛ばされて、地面に倒れこんだ。ゆっくりと歩いてきて俺の首に手をかけ、そのまま片手で体ごと持ち上げられた。
――― 蜘蛛男(改)が俺の首を持ったまま、手を突き出すようにしてシャッターに叩き付ける。背中の衝撃と地面の感触を感じながら、俺は酸素を求めた。
「あの、蜘蛛野郎があぁ」
怒りに戦慄く俺の姿が、歯磨き粉の散った鏡に映る。
クリア・ク〇ーンも、力強く握られた手の中じゃあプラークコントロールもままなるまい。
その後、橘さんから痣になった部分に包帯を巻いてもらい、見た目は余程マシにはなったのだけど。
「だから怪我してるってわけじゃないんだ」
生半可な怪我よりよほどショッキングな映像ではあるが。
事情を説明し終えて、俺はため息をついた。
喋りだした時には、喉に何かが引っかかっているように、出て行きにくかった言葉が、最後辺りになるとすんなりと話せるようになっていた。
限定的とはいえ秘密のない体に清々しさすら感じている。
只、そんな俺とは対照的に、ただ事でない様子なのが水城さんだった。
「………っ…」
顔が真っ青になり、体が細かく震えていた。
何かを言いかけたままの形で口が開いて固まっている。
「ど、どうした?」
「ごめんなさい」
覗きこんだのと、頭を下げたのが同時だった。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
形としては鼻っ面に頭突きを喰らったことになる。
そのまま倒れて鼻を押さえながら転げまわった。
攻撃する前に謝るなんて律儀なのかなんなのか…。
「きゃ、きゃあー」
水城さんが悲鳴を上げて立ち上がった。
休みだと言うのに丁寧に編まれた髪が、揺れながら遠ざかっていく。
公園の隅にある水道でハンカチを濡らしてから走って戻ってきた。
それを、アホみたいに上を向いている俺の鼻に当ててくれた。
冷たいハンカチが熱と共に痛みをゆっくりと和らげていく。
「だ、だいじょうぶだから」
水城さんからハンカチを引き取り、姿勢を戻す。
痛みも引き、血も止まりかけてはいたが、しばらくはこのまま抑えていた方がよさそうだ。
「それで?」
すっかり落ち込んでしまった水城さんに続きを促す。
まさか、ホントに攻撃する前に謝ったわけではないだろうから、あの「ごめんなさい」には続きがあったはずだ。
それを聞けば彼女の様子が変だったのも分かるだろう。
落ち込んではいるものの、今のアホな遣り取りで肩の力が抜けたのか、水城さんは思い切って話し始めた。
「あ、謝らなきゃいけない事があるの」
…またか。
今日目を覚ましてから二時間も経っていないのに、出会う奴出会う奴に謝られていく。
「そ、その怪我とかって、うちのおじいちゃんの所為なの」
…………。
皺の少ない俺の脳みそじゃあ、言葉が入っていってくれない。
「それは水城さんのお祖父さんが、あの蜘蛛男って事?」
だとしたら不味くないか? だって俺あいつの左腕ふっ飛ばしちゃったよ。
「………」
水城さんが黙って首を横に振る。
良かった、あんな動きする高齢者なんてイヤすぎる。
「じゃなくてあれを造ったのが、うちのおじいちゃんなの」
………頭の中でクラクションが聞こえる。
思考の渋滞の中、抜け道を教えてくれる便利なナビも、スムーズに高速を乗り降りする為のETCも付いてない俺のポンコツ頭脳がもたもたと小銭を取り出していた。
「私が六歳の時に、家が火事になってお母さんが死んじゃったの」
水城さんの顔に申し訳なさとは別の暗さが宿る。
「お父さんは私が生まれる前に病気で死んじゃってて、私とお姉ちゃんの二人だけが残された」
何故か、生前彼女の母親は自分の実家のことを話したがらなかったらしい。
幼い二人は寄る辺を無くしていたそうだ。
「それから少しして私達が預けられてた施設に電話が掛かってきたの」
それが、彼女のじいさんって訳か。
「寮母さんに代わってもらった電話の声は全然知らない声だったけど、とっても優しかった」
「……その人が、一緒に暮らそうって?」
水城さんが頷く。
「私達さえよかったらって」
そう嬉しそうに笑った。
「で、でも」
……そう、でも、だ。
「行った先の家でおじいちゃんはヒーローと戦ってた、と」
心底申し訳なさそうに頷いた。
「あ、じゃあ、あの蝶々、プルームって」
「……お姉ちゃん」
…あれが?
あれが一児の、じゃないけどお姉さん?それも水城さんの?
「いつもお姉ちゃんが迷惑掛けてごめんなさい」
水城さんが頭を下げてきて、いえいえこちらこそ、なんて意味の判らないことを返しながら頭ではまた別のことが浮かぶ。
「えっと、俺の正体っていうのは……」
「そ、それは言ってないっ!私はおじいちゃんのお手伝いしてないし…」
お手伝いねえ…。
水城さんは肩から垂れてた二本の三つ編みを両手でぎゅっと握ってそう言った。
…眼鏡がちょっとずれてる。
それにしても危ない所だった。
知らなかった事とはいえ只ばれたってだけじゃなかった訳だ…。
だけど、恐縮千万といった態度で縮こまる水城さんを見てるとなんだか何も言えなくなってしまう。
俺は溜息を吐いて、だらしなくベンチに体を預けた。…なんか妙に疲れた。
「俺さあ昨日水城さんが迷惑を掛ける人が嫌いって言ってたのが凄い気になってたんだけど、この事だったん?」
「……嫌いっていうのはちょっと違ったけど、嫌だなあって」
「でもッ…」
俺は勢いをつけて体を起こした。
「あぃ…の人たちって商店街とか普通の人とかにほとんど迷惑掛けてねえじゃん」
そう言った俺のほうを水城さんはちらちらと見てくる。
「いや、ほら、そこは…だって、秋名君には実際もの凄い迷惑を、掛けてるわけで…」
あ、そっか、俺か。
……確かにちょっと、いや、かなり迷惑は迷惑なんだけど、それを水城さんが謝るのは違うと思う。
大体、個人的な迷惑って言うなら俺のほうが多く水城さんに掛けてるわけだし。
そんな感じの事を言って俺はさらに続ける。
「それにさ、俺が一番納得いってないのは多分ウチの祖母さんになんだよね」
言われて水城さんはきょとん顔。いや、当たり前か。
……何の事情も説明せずに、俺にこんなモン預けた我が家のルール。
俺はこの闘いの間にある因縁すら良く知らない。
「水城さんは、お祖父さんが何でこんな事してるか知ってる?」
何気なく聞いた俺の言葉に、しばらく考えてぼそりと口にした。
「……約束」
約束?
俺は水城さんの方に向き直った。
「そう言ったの?」
「うん。……前に、何でこんなことしてるの?って聴いた事があるんだけど、その時に笑いながら約束だからなって」
約束……か。
…もしかしてウチの祖母さんとのなんかな。
「心当たりある?」
「いや…ない」
そう言ってからも考えずにいられない。…約束ねえ。
粗方聞きたい事を聞き終えると、話す事がなくなった。
行間毎くらいに謝っていた水城さんは、その度に頭がどんどん下に低くなっていった。
今は、膝を抱えるように顔を埋めたところで落ち着いている。
「今までならね、それでも、まだ良かったんだ」
くぐもった声が耳に届く。
「でも、今日、秋名君の怪我とか見てたら、ちょっと自信なくなってきた」
確かに昨日のあいつらは、今までと違っていた。
ただ、肝心なところでプルームは蜘蛛の事を止めていたから大きく趣旨が変わった訳でもなさそうだ。
「もし、この先何かあったら…」
水城さんの声は不安に怯えるようで、その先は言葉にならない。
この先も、あの人たちは水城さんの好きなお姉さんやお祖父さんでいられるのだろうか。
その時、ふと、脳裏にひらめくモノがあった。
「じゃあさ、それを俺の闘う理由にしていいかな」
水城さんがゆっくりと顔を上げる。
「どういうこと?」
「俺、みんなみたいに闘う理由がないんだ。水城さんのお祖父さんは誰かとの約束が在るみたいだし、ウチの祖母さんにも多分なんか思うところがあるんだと思う……じゃなきゃ俺が可哀相過ぎる。ちょうちょ……お姉さんは少なくとも嫌々やってる訳では無さそうだし…」
…俺だけが何もない。
ただ、祖母さんに言われたから、言われた事をやっている。
まあ、やらなければ命が危ないって言うのは立派な理由になるかもしれないが、積極的に闘わなければいけない理由にはならない。
極端な事をいえば負けたっていいわけだ。
「だから、もし、この先何かありそうな時には俺が全力で止める」
水城さんが、あの人たちをずっと好きでいられるように。
それは、今まで思いついた自分への言い訳の中で一番上等なものの気がした。
「だって、そんなの、何か変だよ」
「そうかな?」
「これ以上秋名君に迷惑掛けられない」
「迷惑っていうか、どっちにしろ俺は祖母さんに言われればやんなきゃいけないんだけどね」
何故なら刀を振り回すから。
言われた事が例え発情期のヒグマと闘うという事であってもそれはやらなければならないのだ。
……トラウマパートツー。
「だから、自分の気持ちとして、何か理由が欲しいんだ。どうしても、やらなきゃいけないっていう理由が」
言ってる意味は分かってくれたのか、悩むように眉根を寄せている。
直ぐに、何かを思いついたらしくこちらに詰め寄ってきた。
「じゃ、じゃあ、私にも何か手伝わせて」
「え?」
「だって、何もしないで見てるだけなんて無理。どっちも当事者になりきれてない同士、情報交換とかも出来そうだし」
いや、俺、割と君のおじいちゃんの作った色んなのと戦ってんですけど。
「…ね、おねがい」
またあのウルウル目で迫ってくる。
「…聞いてくれないと、言っちゃうかも」
ナニヲデスカ……?
しかし、今回はこちらだって弱みを握っている、条件としては互角なはずだ。
「そ、そんな事言ったって、俺だって言っちゃ…」
「これ」
俺の言葉を遮って水城さんが妙に真顔で、眼鏡のフレームを叩いてみせる。
「伊達めがね」
「え?」
「何の為にこんな物して、こんな面倒くさい髪型してまで優等生やってるか分かる?」
ま、まさか……擬態?
ていうかキャラ変わりすぎじゃないかっ?!
「何を言うつもりか知らないけど……信じてもらえるといいよね」
そういってにっこり笑った顔はまるで天使のようだった。
……何で俺の周りにはこんな女しかいないんだろう。
こうして、近年まれに見る不平等な条件の下、”俺達いまいち当事者になりきれてねえ同盟”は結ばれることとなった。
……ただ。
「秋名君………ありがと」
そう言って赤く染まった頬が、レンズの中で微かに歪んでいるのを俺は知っていたけど…。
黄金週間二日目。
二日目にして既に、どこがっ黄金っ?!と、問いただしたくなる俺の状況は置いとくとして、街はそれなりに賑わっていた。
道行く人、人、人、の波は連休らしい幸せなオーラに包まれている。
何故俺が大量の課題をほっぽらかしてまで、こんな楽しくもないオーラの泉にいなきゃいけないかと言うと、その原因は一時間前に掛かってきた電話にあった。
数度のコール音に、充電器につないでおいた携帯を開く。
ディスプレイを見るとそこには見知らぬ番号が表示されていた。
「……もしもし、秋名ですけど」
「あ、秋名くん?担任の千葉です……今、何やってた?」
…千葉ちゃん?
俺はテーブルの上に眼をやった。
そう広くも無い四角形に、PCの取り説のように分厚い課題と、一、二年時の教科書とノートが所狭しと広げられていた。
「…どっかの誰かさんに出された課題をやってました」
「あら、どこの誰子さんかしら、その美人さんは?」
「……」
…切ってやろうか。
しかも何か言い回しが微妙におばさん臭いぞ。
「……今、何か、そっちからネガティブな波動を感じたけど」
「い、いえ」
電話越しにそんなもの感じないでください。
「そ、それで何か用ですか?…てか、どうして、俺の携帯番号知ってんすか?」
「国東君に聞いたの」
頭の中に国東の馬鹿面が浮かんでくる。
あいつはいまいち、個人情報とかプライバシーとかって言葉に疎い気がする。
「それで、何か?あの、出来ればとっとと、課題を終わらせたいんですけど」
多少言葉に含ませた皮肉にも、特に意に介した様子もなく答える。
「秋名君今から出てこられる?」
人の話し聞いてないのかこの人?
「だから、課題が……」
「話があるの。君の隠しておきたいことについて」
特に含みのある言い方をしたわけでもないのに、千葉ちゃんの言葉は冷たい塊となって胃の腑に落ちてきた。
―――い、いや、千葉ちゃんが知ってるわけない。
昨日の事があったから必要以上に動揺してしまったが…橘さんたちは元々特別なんだ。
水城さんには俺の不注意からばれたけど、あの場に千葉ちゃんはいなかったはずだし。
多少不自然な間を作ってしまったものの、何とか落ち着いた声を出すことに成功した。
「それは、一昨日ちゃんと説明したじゃないですか」
電話の向こうから一瞬沈黙が聞こえた。
電話の持ち手を替えたか、姿勢を変えたかでもしたんだろう。
「…簡単に言うと事情が変わったの。それで、電話じゃあ話しにくい事だから会って話がしたいんだけど」
軽い口調だったけど断定的な物言いに俺は誤魔化すのを諦めた。
とにかく、会って話を聞いてみる必要を感じた。
「…今、どこに居るんすか」
その時指定されたのが、電車で二駅行った彩音という町にあるファミリーレストランだった。
「ファミレスなんてこっちにもあるじゃないですか」
という俺の言い分には
「私の家から近いし、もうそこに居るもん」
とのお言葉。
腑に落ちないものを感じながらも、こうして俺は今見慣れぬ町を、僻み根性丸出しで歩いていた。
駅から歩いて十五分くらいの所に、指定されたファミレスはあった。
驚くほど、家の近所にあるモノと同じだ。
改めて理不尽さを感じながら俺は店の中へと入っていく。
いらっしゃいませーと、見てて逆に悲しくなるマニュアル笑顔で店員が寄って来る前に、手を上げた千葉ちゃんを見つけた。
窓際の禁煙席でコーヒーなんか啜っている。
そちらへ歩いていくと、俺が席に着くのを待ってから声を掛けてきた。
「お腹空いてない?」
「いえ…」
時計を見ると、まだ十一時前だった。
朝飯を食ってこなかったから正直空腹感はあったけど、我慢できないほどじゃない。
それに今は食べたい気分でもなかった。
「こっちが持つから何頼んでくれてもいいよ」
にっこりと笑いながら言ってくる。
…なんだか別の意味で食ったらダメな気がしてきた。
きっと、ヘンゼルとグレーテルはお菓子の家でこんな笑顔を見た事だろう。
「や、け、結構です」
「そお?……」
残念そうにしながら千葉ちゃんはその先の言葉を飲み込むように口を閉じた。
ただ、間に合わずに漏れ聞こえた小さな声が……でも、どっちにしろ……だったのが非常に気になる。
「それで、話っていうのは何ですか?」
直球で放られた俺の言葉に千葉ちゃんは少しだけ姿勢を正した。
「…まあ、この際回りくどい言いかたしてもしょうがないか」
そう言ってハンドバッグから取り出した小さな長方形の紙片をテーブルの上に置いた。
俺の目の前にスーッと差し出されたそれはどうやら名刺らしかった。
―――いや、今更千葉ちゃんの名刺なんか貰ったって…。
俺がそれを覗き込もうとしたとき、対面からとんでもない言葉が飛んできた。
「商店街のヒーローって君でしょ」
「えっっ!!?」
ガッと大きな音。
口に水を含んでいればブーッで、それが牛乳なら掛かったやつは悲惨、ホットコーヒーならあっちーだったけど俺は何も口に入れていなかった。
その代わり勢い良く立ち上がろうとして、テーブルで膝を強打した。
「っつっ……」
「大丈夫?」
通路に飛び出して、膝をさすりながら飛び跳ねる俺に掛かる呆れたような声。
「な、な、な、な、な、な、な、な、な、な、な、なん……」
即興の素人スクラッチ。
な、を繰り返しながら千葉ちゃんの方を差した指をピコピコ上下させて口をパクパクさせる。
「ちょっと…落ち着いて」
千葉ちゃんは思わずといった感じで失笑しつつ、そういって俺を席に座るよう促した。
「な、な、なん、な、な、なな、なんで……………………なんでっ?!」
座る事だけには成功した俺が、「お、お客様」とウェイトレスに宥められながら、身を乗り出す。
「大丈夫だから」
そう言って、ウェイトレスを引っ込めると、黙ってテーブルの上の名刺を指差した。
俺は文句を言いながらも一応それに従う。
「今更千葉ちゃんの名刺なんか見たって仕方ないだろっ、それより、今……の…………………………………………………なにこれ?…」
まじまじと名刺を見てしまう。
驚きよりも不可解さが勝った。
そこに書かれていたのは……。
―――フィクション対策部 千葉玲子
…うん、フィクション対策部ってなに?
ウェイトレス達が今度は急に静かになった俺達に不審の目を向けていた。
フィクション。
本当ではない作り話。
本当ではない作り話ではないから本当ってかなり遠回りな意味のノンフィクションって言葉の生みの親。
映画評論なんか見ててこれらの言葉と一緒にリアリティーなんて評論家が言い出したら俺なんかはもう意味が分からなくなる。
―――え?フィクションの映画なのにリアリティー?ノンフィクションって言ったって映画は作りモンじゃないの?
あと、オフ会とか天然パーマとか……言葉って奥が深い。
「…そのフィクション?」
「うーん、どのフィクションか良く分からなかったけど…多分」
困ったような顔の千葉ちゃんを見てると、どうやら俺の説明は分かりにくかったらしい。
(に、しても)
俺はもう一度手の中にある名刺をまじまじと見た。
これは所謂子供の遊び道具とかじゃないの?オモチャ銀行的な。
「一応、国の機関よ、非公式だから組織図のどこにも名前はないけど」
―――なのに名刺がっ?!
とは、素直な疑問だろう。
…いや、そんなことより、彼女の言っている事は本当のことなのだろうか?
千葉ちゃんの表情を見てると少なくとも嘘を言ってるようには見えない。
もちろん俺なんかに見破られないようにはしてるんだろうけど、なにより、こんなものまで作って俺を担ぐ意味も分からないし。
疑いよりも戸惑いに近いモノを感じて俺は眉をしかめた。
「で、千葉ちゃんはここの人なの?」
名刺から目が離せず、顔も見ずに尋ねる。
「そうよ」
あっさりと肯定された。
まあ、名刺まで見せてるわけだしな。
千葉ちゃんは立て続けにされた俺の疑問にその都度きちんと答えていってくれた。
「いつ俺のこと知ったの?」
「最初から。……あのねえ、一体どこに問題抱えてそうな生徒をほったらかしにする教師がいると思うの?」
それはもしかしたら居るかも知れないけど…。
「やっぱ詐欺じゃねえか」
「だから否定しなかったでしょ」
そういう問題か?
「先生っていうのは?」
「監視の為の方便。ただ教員免許は本当に持ってるけどね」
「監視?」
「そ、映都東町商店街に出没する悪の組織とヒーロー、私は特に君のほうね」
そう言って意味深な笑顔を浮かべる。
「えと、もう一回聞きたいんだけど、この、組織は本当にあるモンなの?」
だって非常識だろう、とは、ヒーローやってる俺が言えた義理じゃないんだろうけど。
やっぱりおいそれとは信じられない。
「うーん……秋名君は”空想できるものは、存在できるもの”って言葉聴いた事ある?」
…あるような気がする。
そんな風な言い回しで聞いたわけでは無かった気はするけど、多分ある。
「…それがどうかしたんですか?」
頷いてから、俺は尋ねた。
「…ある国の然る絶大な権力者が、遊びに来ていた友人からこの言葉を聞いたの。普段なら気にもしないような言葉だったんだけど、その時、彼は寝室のキャビネットの上にある今読んでいる本のことを思い出した」
何か嫌な予感がする。
もの凄く馬鹿馬鹿しい事を聞かされそうな。
「その時、彼が読んでいたのが、シェリダン・レ・ファニュの”カーミラ”だった」
「……真に受けちゃったんすね…」
千葉ちゃんが力が抜けたように頷く。
「…だから、シェリダン法とかカーミラ条約とか呼ばれたりするんだけど…」
非公式だから統合できてないのか。
それにしても、やっぱりそんな、なんともいえない理由からだったのか。
「ただ、大事なのはどう生まれたかよりどう育ったかよ。シェリダン法は全世界であらゆる人の役に立ってる」
自分に言い聞かせるように拳に力を入れる千葉ちゃん。
「あの、その人、って人にはどんな人がいるんですか?」
ああ、ややこしい。
千葉ちゃんは少し躊躇うようにしながらそれでも教えてくれた。
「…まずは、もちろん吸血鬼でしょ、狼男にフランケン…」
…怪物王国か。
「宇宙人に未来人に天使…はもう何十年も交流がないらしいけど……魔法使い、超能力者、改造人間、死神にミュータントに元人魚、それから希少な空想動物達の保護。他にもやることといったら敵性の説得もしくは排除、人間に溶け込んでいこうとする人たちへの助成は勿論、イレギュラー的にそこにいる人達の保護、送還まで、とにかく何でもやるのが私達の仕事」
思った以上に沢山いる。
というより、ごった煮という印象の方が強い。
ジャンルは一体なんになるんだ。
「…あ、忘れてた」
一瞬空中を見上げるようにして、千葉ちゃんが言う。
まだいるの…?
「……それから、ヒーローもね」
殊更に口の動きを強調するようにそう言って俺のほうを見る。
先程とは比べ物にならないくらいの嫌な予感が悪寒となって全身を駆け巡った。
そうだ、俺も一つ聞き忘れてることがあった。
「…そ、それで、なんでそんな事を俺に話してくれたんすか?」
良くぞ気付いたと言わんばかりに、にや〜と口の端を持ち上げる。
表情から俺の考えている事は分かっているんだろう。
「んふふふ、先生、君のそういう察しのいいトコ好きだなぁ。……それで、秋名君にはちょっと、先生のお手伝いをしてもらいたいな〜なんて思ってるんだ」
さも、決定事項であると言わんばかりの表情で千葉ちゃんが笑った。
……どこが黄金週間?
「と、言っても、秋名君には今までと変わらない生活をしてもらうだけでいいんだけどね」
目の前のフォークを取りながら千葉ちゃんはそう言うとカルボナーラをそれに巻きつけた。
思った以上に話が長引いた所為で、いつの間にか昼食の時間を少し過ぎていた。
今度は奢るという言葉をそのまま受け入れ、俺も注文させてもらった。
目の前にジュージューと音を立てるステーキが置かれている。
普段はあまり頼まないのだけど、気持ち的には自棄食いに近い。
俺もナイフとフォークを手にそれに取り掛かる事にした。
「そうなんすか?」
口に肉片を放り込むと、醤油ベースのソースの味が口内に広がった。
「実は今までの行動を見てて、あまり、彼らを重要視してなかったの。だから圧倒的に情報が足りなくて。…まあ、それだけじゃなく、意外と巧くやられてたっていうのもあるけど…」
少しだけ悔しそうにそう語る。
「それで、なんで今更俺のことを」
「……昨日の戦いを見たから」
やっぱり、そうか。
「昨日の戦いを見て、少し危険だと思ったの。今は、君との戦いに夢中だけど、いつ、そのベクトルが変わるとも限らない」
だから、せめて、目的くらいは分かっておきたいのだそうだ。
「その為の時間稼ぎですか俺は?」
「君も、負ける気でやってるわけじゃないと思うけど、モチベーションって大事でしょ。昨日みたいな強いヤツが出てきた時、負けられないって思いは力になる」
まるで自分がそうであるかのように、力を籠めて言う。
「俺が断るとは思わなかったんですか?」
あれだけ話しておいてそれが一番不味いんではなかろうか。
しかし、千葉ちゃんは笑いながら「そんな事微塵も思わなかった」と言った。
「俺がヒーローだからですか?それとも先生が秘密を握ってるから?」
俺がそういうと千葉ちゃんは首をゆっくりと振った。
直ぐには口を開かずに、答えになっていないような事を口にする。
「……言ったでしょ。少しなら君の事分かってるって」
そう言って笑った千葉ちゃんの顔を見てると、なんとなく何もいえなくなってしまって、無言で肉を切る作業に没頭した。
「あ、それより君、課題は進んでるんでしょうね」
急に教師に戻った千葉ちゃんの言葉に口の中のものを吹き出しそうになった。
「え、だって俺、ほら、色々事情があるし、千葉ちゃんも遅刻の理由知ってんでしょ」
俺がそういうと千葉ちゃんはため息を吐いて首を振った。
通訳すると”あ〜あ、これだ”
「あのね、相手の事情で罰の重さが変わってたら罰の意味がないでしょう。罰はどんな時にも平等であってこそ意味があるんだから」
刑事裁判にだって情状酌量はあると言うのに。
その辺、諸々含めて、あえてもう一度問う。
……ねえ、ホント、どこが黄金週間?