第二話 負け、負け、負け
……どっかの歌姫が歌ってたっけ。
人生は選択することだって。
選択してこそ人生、ビバ、チョイス。
……だったら俺も選んでやろうじゃないか。
1、何とかごまかす
2、逃げる
俺は脱兎のごとく逃げ出した。
とにかく今は逃げる。逃げて、これから迎える死闘の事だけを考える。そして、家に帰って電話線を抜く。ぐっすり寝て新しい朝を迎える。それから、ゴールデンウィーク中はとにかく布団をかぶって「いないって言って」と言い続ける。ゴールデンウィーク後、学校で水城さんに会う。そこで新しい俺を見てもらう。全身全霊をかけてしらばっくれる俺を。
そんな素晴らしいプランを、しかし水城さんの手が止める。
しっかりと握られる俺の上腕二頭筋。
「は、はなして」
そして、殺人鬼に襲われる少女のような悲鳴を上げる俺。
夜が、地上から熱気を吸い上げていく。
寒暖の優劣が逆転し、世界の半分はこれからゆっくりと冷えていくんだろう。
なのに、俺の腕を掴んだ手は、妙に熱いままだった。
俺はといえば嫌な汗をいっぱい掻き、希望する心肺活動も儘ならない。…出来て第三希望「ぜぇはぁ」
……彼女は言った。
―――ご、ごめんね、秋名君。
何を謝ったかは解らないが重要なのは彼女が今の俺の姿を見ても秋名君と呼んだことだ。
体を包むのはパッと見、赤い全身タイツ。
近づいてみると、昆虫の外皮のような光沢と硬質さがあるのが解る。
通気性も伸縮にも不便しそうな見た目とは裏腹に、着てみるとこれが結構快適だったりする。
少しばかり大きく見える頭部は、フルフェイスのヘルメットを被っているようにも見えるが、趣味的な細部はどこのメットメーカーも連想させない。
そして、臍辺りにでんっと鎮座する派手なベルト。
初めて変身した時、鏡の前で思わず膝をついた姿が今ここで同級生に曝されている。
しかも唯一の救いであった匿名性は既に失われていた。
「あの、秋名君だよね」
一言も喋らない俺に怪訝そうな顔を向けてくる。
ひょっとして今否定したら何とか誤魔化せるんだろうか。
「イエ、違います。私は通りすがりのヒーローです」
「……」
「……」
一瞬、いけるかと思う間があったが
「それは……流石に……」
……どうやら、呆れられていただけのようだ。
それにしても、彼女はやけに落ち着いている気がする。
パニックの真っ最中の俺としては非常に羨ましいんだけど。
「……行かなくていいの?」
きょろきょろと辺りを見回した後、未だにビーッビーッなり続けている左手首をさしてそう言った。
「……行っていいの?」
コクンと頷く。
「だって呼ばれてるんでしょう」
今度は俺が頷いた。
「えと、じゃあ……」
走り出そうとした俺の腕を、掴んでいた手がグンッと引っ張る。
「あ、あれ?」
「その代わり、明日お昼に東公園ね」
腕に掛かった手に力がこもる。
どうやら逃がしてはもらえないようだ。
「…来なかったら、どうなるか分かってるよね」
そういって上目遣いの水城さん。
潤んだ目に頬が少し朱い。
典型的なおねだりフェイスだけど、俺がされてるのは脅迫だ。
そんなものに屈するヒーローなんて聞いた事……
「お昼食べてからでいいかな」
無いだけだ。
……俺は自分の不勉強を現実の所為にしたりしない。
「じゃあ一時に東公園で」
そんな約束を交わし、俺は商店街へと走り去った。
しかし、闘いを前に今日はもうコテンパンにされているような気がするのは気のせいだろうか。
ベルトを挟んで俺と祖母さんが対峙する。
十代には酷な沈黙だった。
喋ったら負けだと分かりつつも口を開いてしまう。
「あの、これは?」
事情はある程度聞いていた。
だから、この先を聞けば面倒な事になるのも分かっていた。
……しかし。
「あ、あの…」
ウチの祖母さんには妙な迫力があるのだ。
沈黙は何より雄弁な恐怖になる。
「今日から、あなたのものです」
「っお祖母様、無理で……」
ヒュっと風を切る音がする。
ほとんど、奇跡のような勘で俺はその場を飛びのいていた。
見ると俺の座っていた場所に、お祖母様の振るった刀の切っ先が突き立っていた。
「こ、こ、こ、こ、これ…」
うまく声を出せない俺の前髪が、遅れてはらりと数本落ちる。
「ひ、ひいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
後ずさる俺を尻目に、祖母さんが刀を鞘に納めながら呟く。
「……」
「……」
「………冗談です」
「ど、どこのっっ!?」
多分シチリアとかあの辺りのだろう。
何で今こんな事を思い出すのかは考えたくなかった。
何故ならこの後結局ヒーローをやることになった俺に祖母さんが言った言葉が
「……もし正体がばれたりしたら……そのときは、分かってますね…」
……その時は分からなかったけど、もう直ぐ分かってしまうかもしれない…。
「ぐはははははははははははははははは」
夕飯の買い物客でにぎわう商店街。
暴れまわっている怪人が、人の波の中にポッカリとオゾンホールのような空間を作っている。
「ライジング……」
人ごみの隙間を走りぬけ、俺はその場所へ駆けつける。
「おお…ようやく現れたな…」
「パーーーーーンチ」
「待ってい……ぶーーー」
何か言っていたが、気にせずパンチを叩き込む。
途中、コマンドを入れてきたから俺の両手は既にまっ赤っ赤だった。
立ち上がりながら、怪人は当然のように抗議してくる。
「き、貴様卑怯だぞ。まだ喋っていただろうが」
「うるさいっ黙れ馬鹿。日に何度も現れやがって」
なんだか今夜は変なフラストレーションを感じている所為で妙にテンションが上がっている。
どうせ倒さなきゃいけない相手なら、せいぜいそれを晴らす手伝いをしてもらおう。
俺は拳を鳴らしながら、怪人の方を見た。
どうやらこいつは、今朝現れた蜘蛛男と同じヤツらしい。
蹴りを喰らった胸に御座なりにつけられた装甲と、顔に新しいパーツが幾つかついている。
……差し詰め改修機といった所か。
「今日は色々あって機嫌が悪いんだ。悪いが速攻で決めさせてもらうぞ」
どうやら、あの女もいないようだし、俺は地面を蹴って蜘蛛男(改)に飛び掛った。
「ヒーーート、チョーーーップ」
独楽のように回転しながらバックブロー気味のチョップを繰り出す。
一撃で頭部を粉砕するはずだったそれは、しかし、しゃがんでかわされる。
「っ、まだまだ」
回転の勢いをそのままに、今度は後ろ回し蹴りを隙だらけのヤツの体に叩き込んだ。
ガキッという音と、奇妙な手ごたえを感じる。
「……っ」
蜘蛛男(改)がクロスさせた手によって、体に届く寸前俺の脚は止まっていた。
「ふわーーーっはっはっはっはっはっはっはっはっ」
足首を持たれ、ハンマー投げの要領で投げ飛ばされる。
「きゃあああああああ」
人垣が悲鳴とともに割れた。
地面に激突する瞬間、何とか受身をとって体を起こす。
その一瞬ヤツを見失う。
自分でも呆れるような隙を作った瞬間しゅるるるると手首に粘り気のある糸のようなものが巻きつき、体を引っ張られた。
視界の端にアーケードの天井に張り付いたヤツの姿が見えた。
「うわあ」
片手で器用に俺を持ち上げ、今度こそ地面に叩き付けられる。
「かはっ」
スーツのおかげで何百分の一になった衝撃が、それでも俺の体を軋ませる。
肺から空気を一気に吐き出してしまい、空っぽになったそれが酸素を求めて悲鳴を上げた。
「はっ……はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……」
呼吸が速く浅くなっている。
天井から蜘蛛男(改)が糸をつたって俺の直ぐ横に降りてくる。
ストンと地面に降り立つ瞬間、俺はネック・スプリングで跳ね起きると、着地したヤツの足を払う。
これには意表をつかれたのか、ヤツが尻餅をついた。
そこをすかさずサッカーボールキックをするが、片手で簡単に受け止められてしまった。
「むううん」
再び投げ飛ばされ、体が宙を舞った。
テナント募集と張り紙のされたシャッターまで飛ばされそのまま地面に落下した。
「くっ…」
小さな悲鳴が口から漏れる。
(……こいつ、違うっ、強い……)
体中に痛みを感じながら、頭の中で呟く。
ヤツは余裕を持ってこちらに近づいてくる。
何とか上半身を起こすが足に力が入らない。
立つ事もできず、見ているだけの俺の顔を、蜘蛛男(改)が無造作に蹴ってきた。
「ぐあっ」
吹っ飛ばされて、地面に倒れこんだ。
ゆっくりと歩いてきて俺の首に手をかけ、そのまま片手で体ごと持ち上げられた。
グッと喉を絞められ息が出来ない。
「……っは………かっ……っは……」
浮いた足で蜘蛛男(改)の腹を蹴るが、びくともしなかった。
「あら?もう終わりなの?」
霞む視界に、プルームの姿が映る。
「…プル……ム……」
蜘蛛男(改)が俺の首を持ったまま、手を突き出すようにしてシャッターに叩き付ける。
背中の衝撃と地面の感触を感じながら、俺は酸素を求めた。
「ごほっ…けほっ……ヒィー……ハァー……ハァー……」
這いつくばって、呼吸をする俺にプルームが哀れっぽく声を掛けてくる。
「…もう無理みたいねえ……。クモちゃん帰る?」
そういって踵を返そうとするプルームの足を掴む。
「じょ、…冗談……だ……だろ…」
プルームにしがみ付く様に立ち上がろうとする俺を、蜘蛛男(改)が蹴り飛ばす。
「あん、もうっクモちゃんっ」
頬を膨らませて蜘蛛男(改)を叱るプルーム。
完全に舐められている。
……もういい、わかった。
いいよ、はっきり言って甘く見てた。
今朝の事もあったし楽勝だと思ってた。
自分がまさかこんなになるとは思っても見なかった。
……これじゃあ、祖母さんにぶっ殺されても文句言えねえ。
けどなあ。
俺は脚に力を入れて何とか立ち上がる。
それを見ていたプルームが驚いたように口元に手を当てる。
「もう……そ、れ……終、わりだ……」
蜘蛛が耳障りな笑い声を上げた。
「それは、お前の事かっ」
プルームが止めるのも聞かず、蜘蛛が飛び出してきた。
顔に拳がめり込み、腹に膝が入る。
「もう止めなさいっクモちゃんっ」
「ですが……」
プルームの言葉に蜘蛛の攻撃が一瞬やむ。
今だっ。
ちょっと卑怯だけど……俺はその隙を見逃さずに叫んだ。
「ヒーーーーート」
ぐるっと体をいっ回転させチョップを繰り出した。
それに気付いた蜘蛛が、先ほどの軌道を見ているかのように体を沈めた。
俺はあらかじめ予想していた通りにチョップの軌道を変える。
顔を狙って斜めに打ち下ろされたチョップは蜘蛛男に難なく受け止められる。
こいつ…。
顔が蜘蛛の癖に笑っているのが分かった。
勝ち誇ったように叫び声を上げる。
「バカがっ!!!」
そりゃ、おめーだっ。
「クモちゃんっ」
プルームが叫ぶ。
おせぇっ。
俺は受け止められていた右手でこちらから蜘蛛の手を掴んだ。
「パンチッ」
―――ヒートパンチ。
バイザーを緑の光が一瞬でよぎる。
ベルトが命令を受けつけ身の内を焼くような力が全身を駆け巡って行った。
その力が左手に集まっていき、青白い光を放つ。
それを、体を捩りながら、がら空きの顔面へ……。
「………っ…」
蜘蛛が信じられないスピードで空いた左手を顔の前に持ってきた。……まるで生き物が反射をするように。
俺は左手の拳にさらに力を籠める。
――――もろとも…
「貫けエええええええええええええええええええ」
当たったところから紙細工のように、蜘蛛の左手がばらばらになっていく。
しかし、それで軌道が逸れたのか、顔にはかすっただけで直撃はしなかった。
「ぐああああああああああああああああ」
それでも吹き飛ばされていく蜘蛛男。
「くっ、引くわよクモちゃん」
しかし、今朝ほどのダメージは無いのか、プルームがそういうと直ぐに立ち上がり、さっさと撤退して行った。
今の俺に奴らを追う力は残されていなかった。
倒れそうな体に、プルームの声が聞こえてくる。
「今日は格好良かったわよ。心配しなくてもゴールデンウィーク中は勘弁してあげるから、しっかり体直しなさいね。それじゃあ、まったねーー」
「……二度と来るな……っつ…った、だろ…」
おそらく誰にも聞こえないようにそう言い、俺は意識を失った。