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おまけ ”番外編2(没)編”

こんにちわ、中路太郎です。


今、番外編3の次話を書いているのですが、どうも少し時間が掛かりそうなので、その間こちらでお楽しみいただければと…………えー、没作です。

と言いましても、別に気に入らなかったとかそう言うわけではなく、番外編を一つのテーマで纏めたら良いかなーとか思って、番外編2を一杯フリを入れた方に差し替えたんですが、いざ3を書き始めてみると、他のことがやりたくなってしまってですね……はい、本末転倒です。


今となってはこちらにしておけばと……なんだか言い訳ばかりですが、良ければ最後まで読んでくださると嬉しいです。

それでは失礼致します。

 身構える俺にプルームが笑って見せた。

「……一つ提案があるんだけど」

 いつもと同じ艶然とした微笑。

……だけど、どこか…。

「今日はこれで終わりにして……次で最後にしない?」

 ………は?

「…え?何?どういう…」

「だから……」

 いや、やっぱり、いつもと同じ表情で。

「次が最後の闘いって事(・・・・・・・・)で」

 からかうようににっこりと。







 ゴールデンウィークが明けて初日。

 時計の針が八時を差したばかりの教室では、休日中の土産話を披露し合うクラスメイト達の声で賑わっている。

 聞くとも無く耳に入ってくる、どこそこに行っただの、なにそれをしただのの楽しそうな会話の輪には加わらず、俺は分厚い紙の束で顔を仰いでいた。

 青葉茂る五月。

 しかし、ゴールデンウィーク中からの先走った夏の訪れで、室内はサウナのように蒸し暑い。

 窓を全開にしても五月とは思えない陽射しが、俺の腕をミディアムレアにすべく奮闘するばかり。

 一向に涼しい風などは入ってこなかった。

 the・異常気象。

……あわてんぼうのサンタクロースだって、一ヶひとつき前にはまだ衣装もクリーニングに出していないだろうに。

「おはよ〜ぐるてん」

 暑さで呆けている俺の上に、人の形をした影が落ちた。

態々顔を向ける気にもならなくて、そのままの体勢で答えてやる。

「…弾けて混ざれ」

「要求は高まる一方だねー」

 何故か嬉しそうな声でそう言ったのは、国東くにさきあゆむだった。

 鞄を肩にかけたまま、近くにあった椅子を引き寄せて、さっさと机の一部を陣取ってしまう。

「連休どうだ……あっごめ〜ん」

 わざとらしく言って、俺が団扇代わりにしていた紙の束をひったくった。

「そういや、秋名は課題とデートだったんだよね」

「お前わざとらしいんだよ…」

「あはは、ごめん。あ、スゴイ終わってるじゃん」

 ペラペラと俺の五日間の成果をめくりつつ、国東が感心したような声を出した。

「当たり前だろ。千葉ちゃんの課題サボる勇気なんぞ俺には無い!」

「強い弱気だな〜。……そういえばその千葉ちゃんが言ってたんだけどさ。なんか今日このクラスに転入生が来るらしいよ」

「転入生?」

 聞き返す俺に国東の顔が輝く。

左右の黒目の中で大きくなる一番星。

「そう。どんなだろうね? 楽しみだね」

 こいつの中では転入生は既に女の子と決まっているらしい。

もしかしたら千葉ちゃんから詳細を聞いてるのかもしれないけど。

 国東の作りだけは無駄にいい顔が、頭に花が咲いちゃったように緩んだ。

 ……転入生か。

 他に耳を傾けてみると、クラスメイトの何人かもその情報を拾っているらしく、やってくる新たな出会いに期待に胸膨らませる言葉を交わしていた。

 残念ながら俺にそんな余裕は無かった。

暑さに脳の色々大事な部分をやられながらも、いや、だからこそ、か……頭の中で、一つの言葉が只只繰り返されていた。




 俺の目の前で、ハニ子の頭を撫でながら、プルームがいたずらに成功した子供のように笑った。

「……な、なに? 最後って……最後ぉ?」

 事態が飲み込めずに反復した言葉に、楽しそうな笑声が重なる。

「そう。最後」

 立ち尽くす一堂を見回して、もう一度、今度は言い含めるように。

「次の闘いを、最後の闘いにしましょう」

 そう言い切った。

 さ、最後の闘いって。

あ、あれか、道場六……は料理の鉄人か、って全然遠い。

……だめだ、頭がまともに働かない。

「まいったな」

 最初に立ち直った、と言うよりは最初からショックなど受けていなかったような暢気のんきな声で、樹が口を開いた。

「私はこっちに呼ばれたばかりだったんだが、だとすると、いきなりお役ごめんかな?」

 あはは、と朗らかな笑い声を上げて樹は頭を掻いた。

その姿に何だか妙な貫禄を感じる。

きっと、様々な事を夜の街で経験した所為だろう。

「じゃあ、そういう事で、また逢いましょう」

 全員が笑う樹に視線を向けていた隙を突いて、プルームが音を立ててマントを翻した。

そのままハニ子の手を引いて、駆け去って行ってしまう。

「覚えてろよー! イッチイイィィーーー!」

 お手本のような捨て台詞を残し、ハニ子達は人ごみの中に消えていった。

あんなに強く引っ張って手は抜けないのだろうか? とは多分要らぬ世話だろう。

「……薫様に報告しないと」

 橘さんがしんどそうに呟いた。




「最後、か」

 頭の中に渦巻いている言葉を、一つ取り出してみる。

それは、どこにも届くことなく消えて行って、俺は撫でるようにベルトに触れた。

 ……そりゃ、この闘いが永遠に続くとは思っていなかったけどさ。

 それどころか、早く終わって欲しいとすら願っていた。

でも、こうも唐突に終わりを示されると、胸中は複雑だったりする。

 遣る方ない思いで溜息を零した時、教室の入り口がカラカラカラカラ……と、力ない音を立てて開いた。

俺に負けるとも劣らない大きな溜息をつきつつ、入り口に姿を現したのは水城みずき真琴まことだった。

 教室に入ってきた彼女は"俺達いまいち当事者になりきれてねえ同盟"の唯一の同志である俺の顔を見つけると、にへらっと、自棄っぽい笑顔を浮かべながら、こちらに近づいてきた。

疲れた体に鞭打つような足取りで歩いてくる水城さんには悪いが、非常に嫌な予感がしている。

「おはよ……」

「お、おはよう」

 か細い声で挨拶をしてくる水城さんに、引き攣った顔で何とか笑顔を見せつつ挨拶を返す。

「ど、どうした? なんか顔が青いけど」

 俺がそう言うと、水城さんはもう一度、ぞっとするような笑顔を見せて首を振った。

心なしか揺れる三つ編みにも元気が無い。

「詳しい事はいえないけど……」

 チラッとだけ、不思議な花園で遊ぶ国東を見てから、小さく頭を下げた。

「取り敢えず先に謝っておくね……」

「え? ちょ、ちょっと、あの」

 ごめんなさいと言ったきり、踵を返して彼女は自分の席へと行ってしまった。

 不穏な言葉を残された俺の耳に聞こえてきた、はあ〜という重たい溜息がやけに心に残った。




「な」

 千葉ちゃんの紹介に俺は椅子を蹴って立ち上がっていた。

 訪れたホームルームの時間。

新しいお友達として教室に姿を現した人物に、クラス中が息を呑んでいる。

その中で水城さんだけが、堪忍してくだせえ、とばかりに俺に向けて手を合わせていた。

「只今教官殿が仰ったとおり、今日から皆のクラスの一員となる…」

 カッカッと軽快にチョークを走らせて名前を板書していく。

広い黒板を目一杯使って名前を書いた人物が、制服のスカートと青い髪を揺らしてこちらを振り返った。

「如月ハニ子である。以後宜しく頼む」

 そう言って転入生がニッカと笑った。

瞬間、クラスメイト達を縛っていたタガが、バキンと音を立てて壊れたような気がした。

「え? 転入生って、あの子商店街に出て来てた子じゃないの?!」

「いや、わかんねえよ!」

「いいの? アンドロイドって。何ていうか、いいの?」

 大騒ぎする生徒達に千葉ちゃんが叫び声を上げる。

「ほら! 静かに! 他のクラスも今ホームルームやってるんだから!」

 しかし、ボルテージの上がった十代の暴走は、教師の声くらいじゃ止まらない。

「あ、はーい、しつもーん。如月さんはどこから来たんですかー?」

「軍事機密である」

 軍事じゃねえだろ。

「じゃあじゃあ、誕生日はー?」

「一昨日産声を上げたばかりだ」

「好きな食べ物はー?」

「重油」

 クラス中から起こる引切り無しの質問に、ゴキゲンで答えていくハニ子。

やっぱり注目されるのは好きらし……重油?

 大騒ぎの級友たちに若干置いてけぼりを食らっていた俺は、目の前に恐ろしい光景を捉えた。

 フルフルと震えながら、額に血管で出来た交差点を浮かび上がらせる、千葉女史の姿。

ゆっくりと両腕を上げ、ガッと手の爪を黒板に立てて、躊躇うことなく、思いっきり、黒板を引っ掻きはじめた。

「「「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」」」

 爪と黒板のコラボレートにより、教室中で起こる生徒達の阿鼻叫喚。

「千葉ちゃん、やめてー!」

 女子生徒の一人が泣き叫ぶが、ぎぎぎぃいぃぎぃ…という喉の奥が酸っぱくなりそうな音は止まない。

やがて黒板の端まで行って……直ぐに往路に入った。

 千葉ちゃん流、こっちを見てください(アテンションプリーズ)

本人は何故か平気。

 俺と水城さんは、事前に気付いて耳をふさいだ為難を逃れる事ができたが、見ているだけで何だか肩に力が入る。

 二分後、クラスの殆どの生徒が、机の上でぐったりとし、白目をむいて涎を垂らしていた。

「……はい、じゃあ、みんなこっちを向いてくれるかな?」

 ゴーストタウンのように静かになった教室で、千葉ちゃんがそう言った。

言われたものの、動ける奴なんかいやしない。

 結局、千葉ちゃんは五往復ほどして満足したように額の汗を拭った。

それを恐ろしいものを見る目でハニ子が見つめる。

机の上で痙攣しながら白目をむいている三十七人の人間の姿というのは、流石に生後間もない彼女には刺激が強すぎたらしい。

 震える足で、縋り付くものを探すように頭を動かしていたハニ子が、ふと、その動きを止めた。

「あっ」

 と、嬉しそうに声を上げたそこに居たのは、体を小さくして耳を押さえている水城さんだった。

彼女を見つけて、ハニ子が両手をブンブンと振り始める。

風が起こりそうな程のこの腕の振りは、船出を見送る港でか、あるいは余程カルピスも冷えていないと見る事は出来ないだろう。

「真琴様ー」

 恐る恐る音波兵器が鳴り止んだ事を確認して、水城さんがその声に小さく手を振って応える。

反応があった事が嬉しかったのか、ハニ子はよりいっそう強く腕を振り始めた。

 その隣で、千葉ちゃんの流麗に流れを打った眉が不審に顰められる。

「真琴……さま?」

 し、しまった。

 胡乱気な千葉ちゃんの声に、背中を冷や汗が流れる。

千葉ちゃんは水城家の事知らなかったんだ。

 水城さんもその事に気付いたのか、慌てて手を引っ込めるがもう遅い。

どうしてか水城さんだけでなく俺までがもの凄い目で見られてる。

「水城さん、秋名くん……ちょっと」

「ああーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 その時、千葉ちゃんの言葉を遮るようにハニ子が大声を上げた。

 見つかるはずの無いものを見つけたような表情で、何故かその視線は俺を捉えている。

ビッと指まで差されていた。

「き、き、き、き、き、き、……貴様!……」

 がっつりどもりながら指を振るわせるハニ子に、嫌な予感が駆け巡る。

「貴様! サンレッ……ひだっ」

 あわやというところを、千葉ちゃんが平手打ちのような勢いで、ハニ子の口をふさいでくれた。

急に口を叩かれたハニ子は、驚いた顔を千葉ちゃんに向けている。

目尻にはきらりと光るものが…。

「あーっと。秋名君と水城さん。転入生連れて彼女の机取りに行ってくれる?」

 ハニ子の口を押さえたまま、話の転換としてはかなり強引な感じで千葉ちゃんが叫んだ。

「「喜んで!」」

 二人して居酒屋のバイトのような掛け声を上げて、直ぐに教壇に駆け寄る。

「事情は後から聞くからね…」

「「よ、喜んで…」」

 背中の冷や汗が凍るような千葉ちゃんの言葉から逃げるようにして、俺たちはハニ子を抱えて教室から出て行った。




「あ、あの教官殿は、何かわたくしに思う所でもあるのでありますか?」

 目に涙を浮かべたハニ子が、水城さんに取り付くようにして服の裾を引っ張っている。

……まあ、ない事はないだろうけど。

 サーフボードのようにハニ子を担いで俺たちが逃げ込んだのは、中央棟の校舎裏だった。

周りを壁に囲まれた、小さな花壇があるだけのかなり人目に付き難いスポットだ。

 寒々しい雰囲気に身を晒していると、いつかの事が思い出された。

……そういえば、初めて橘さんに会ったのもこの場所だったっけ。

たった六日前の事なのに、なんだか半年も経った様な感じがするから不思議だった。

……まあ、それは良いんだけど。いや、良くはないけど。

 とにかく、ここでなら落ち着いて話が出来るだろうと言う事で、俺たちはこの場所にいた。

「ハニ子ちゃんが皆の前で秋名君の正体を叫ぼうとしちゃうからだよ」

「いや、逆、逆」

 仕方ねーなーって感じで腕を組んで言う水城さんに、首を振る。

系統で言うと、俺は大きい人でなくバイク乗りの方だ。

生身の方が正体ですから。

 小さい子に言い聞かせるような水城さんの言葉に、ハッとした様にハニ子が飛び上がり、彼女を庇うようにして俺の前に立ちはだかる。

「真琴様下がって下さい! 危険であります! わたくしに内蔵された全てのセンサーが、ヤツをサンレッドだと言っております!」

 全然話を聞いていないような事を言って、ハニ子の左手が彼女自身の右手首に伸びた。

だから、サンレッド止めろ、まず。

 ハニ子がフンヌっと力を入れると、手首から右手が抜け、そこから物騒な銀色が飛び出した。

―――四十二ミリハニ子 カノン

本当ならもっと相応しい呼び方もあるんだろうけど、俺にとっては関係なく脅威だ。

 その砲口が完全にこちらをロックオンしている。

「ダメだよ、ハニ子ちゃん。冗談でもそんなもの向けたら」

「本気だから大丈夫であります」

 鼻息も荒く血走ったような目がその言葉に真実味を与えている。

「余計悪いわ!」

 威勢の良いのは言葉だけで、俺自身は完全ホールドアップ状態。

あの銀色の筒から発射された黄色い光の映像は、忘れようったって中々忘れられるものじゃない。

 なんだか足場を固め始めたハニ子の肩を、慌てたように水城さんが掴む。

「だ、ダメ! だって、えーと、ほ、ほら! コレって、公私混同でしょ!」

 この場合、学校と闘い、どちらが公で、どちらが私であるかが微妙な所だが、ハニ子の表情は一変した。

「こ、公私混同……! な、なるほど、確かに言われてみればそうであります。今はプライベートタイムでありました」

 やっぱ私なのか。

「え、あ、わ、分かってもらえて嬉しいよ」

 水城さんが引き攣った顔でハニ子の肩を叩く。

「やはり公私の区別は大切でありますからな。サンレッド。と言うわけで、今日から同じ釜の飯を食らう仲間としてよろしく頼むぞ」

 なんだかやけに恩着せがましい口調でそう言って、ハニ子が鷹揚に頷いた。

「……だったら、まず、その物騒な物を下ろしてくれ……」

 万歳の格好のまま力なく零した俺の言葉に反応するように、花壇の花が小さく揺れた。




「どういう事なんですか!?」

 半泣きだった。

 あの後、用具室に寄った俺たちは、ハニ子の机を確保して教室に戻った。

戻った時にはHRも終わっていて、ちょうど教室を出て来るところだった千葉ちゃんを、俺は半ば縋り付くようにして捕まえた。

「そ、そんなに興奮しないで」

 千葉ちゃんは周囲を確認するように首を動かして、大きく溜息をついた。

水城さんたちには先に教室に戻ってもらっている。

「私だって分かんないの」

 朝礼終わりの廊下にはちらほらと人影があり、それを意識してか千葉ちゃんは小声で話し始める。

「校長からのお達しなのよ。知り合いから頼まれて昨日急に決まったって。なんでも勉強の為とか何とか」

 勉強って……今のあいつに必要なのは躾教育のような気がするんだけど。

「どうやってかは知らないけど、手続きはちゃんと踏んでるみたいだし……まあだから悪いけど、秋名君。君、彼女の面倒見てくれる?」

「どこでそうなったっ!?」

 要するにハニ子はより人間らしい所作を学ぶ為に、この学校に来たってことなんだろう。

その手助けを俺がするって、もう意味が分からない。

……何で自分の首を絞めるような事をしなきゃならない。

「だって、君あの子に勝つ糸口すら掴めてないでしょ」

「いや、まあ」

 と、言うか、それ以前に闘いにすらなっていないのが現状だ。

女の子は殴れない。

……祖母さんは"女の子"じゃないから別。

稽古中その事を本人に言った所……まあ、ぶっ飛ばされたんだけど。

(あの頃からだったなあ……祖母さんが日本刀振り回すようになったのは……)

「だったら、これは君にとってもチャンスなのよ」

 にがっぱから不味まずい思い出に浸っていた俺を、千葉ちゃんの言葉が引き戻した。

「は、はあ…?」

 話が全く見えてこない俺に、千葉ちゃんの目は爛々と輝く。

「あの子の成長にどれだけ期待できるかは分からないけど。学校にいる間だけでも一緒に居れば、ちょっとは情だって湧くかも知れないでしょう?」

「はあ……なるほど」

 目には目をという訳か。

次に戦う時、こっちが攻撃できない代わりに、向こうにも躊躇うぐらいの心を期待しようという、どこまでも茨の道くさい戦法だ。

「大丈夫よ。ここで何か悪さをする感じでもないし。私もいざとなったら……」

 慰めるように千葉ちゃんが言い掛けた時、背後の教室が急に騒がしくなった。

「っきゃーーーー!」

「た、大変だ! 転校生が机を叩き割った!!」

 激しい破壊音と、絹を裂くような叫び声。

 何事かと他のクラスからも野次馬達が集まる中、俺たちの間に訪れる真顔と沈黙。

「…………」

「…………」

「…………じゃあ、私授業があるから」

「待て」

 いそいそと立ち去ろうとする千葉ちゃんの肩に手を伸ばすが、手刀で叩き落される。

「疲れかなあ、何も聞こえない」

 疲れているという割には競歩選手並みの早足で、廊下を突き進む。

「千葉ちゃん今がいざって時だって! ……いざーーーっ!」

 何て厳しい審査基準なんだろう。

 廊下に響き渡った道場破りのような叫び声も、生徒達の不振を煽るばかりになった。




 水城さんの家の事情を深く突っ込まれなくて助かりはしたけど、後始末が大変だった。

 恐る恐る教室に入ると、どういう状況だとこうなるんだ? と聞きたくなるくらい机が真っ二つになっていた。

鋭利な凶器を思わせる断面を眺めながら、やけに憤慨しているハニ子を宥めつつ、水城さんと三人、新しい机をとりに行く。

 千葉ちゃんの提案を無条件に受け入れるわけではないが、こうなってはハニ子にはやはり監視が必要のようだった。

その役目を自分が仰せ付かるというのは全く持ってありがたくない話だけど。

 まあ、火の勢いが増してから消火作業に当たるよりは、火種の内に手の出せる位置にいる方が後悔が少なそうだ、というのが最終的な言い訳になった。

既にどこかの段階で関わる事を覚悟しているあたり救われない気もするけど、精神衛生上も関わってたほうが幾らか楽そうな気はしている。

 使い物にならなくなった机をゴミ捨て場に投棄して、俺たちは用具室に向かった。

その道すがら、どうして机を真っ二つにしなければならなかったのか事情を聞いた。

「ハニ子ちゃんも最初は嬉しそうに質問に答えてたんだけど、途中から皆がいっせいに違う事聞き始めちゃって……」

 突然、机を叩き割ったんだそうな。

……処理能力の限界を超えちゃったんだね、きっと。

「一度に聞かれても分からないのである」

 水城さんの説明に拗ねたようにハニ子が呟く。

……お前は本当にアンドロイドか?

 隣を歩くのが、只の馬鹿だという説が濃厚になった頃、短い行程を終えて目の前に用具室を向えた。

 目的地に着いた途端、ハニ子は飛び込むように部屋の中に入っていった。

その勢いのまま、状態の良い品を見つけるべく、机の吟味に入る。

「ホントにごめんね」

 蚊の鳴くような声で水城さんが言った。

乱雑に詰まれた机の間を器用に駆け回るハニ子を見ながら、もじもじと三つ編みを弄っている。

「いや、まあ、そういうのは、もう言いっこなしってことで」

 それに首を振って答える。

 仕方ないって諦めるには大分理不尽な気はしているが、それは多分俺たちの間で言い合ってても解決しないものだ。

「だから、気にするなって言われても無理かもしれないけど、……なるべく努力してみて」

 そう言って笑うと、水城さんも笑顔を返してきた。

どう見ても苦笑いだ。

「これに決めたであります!」

 渋い笑いを浮かべあっていた俺たちの耳に、快活に叫びを上げるハニ子の声が聞こえた。

 彼女の指差す先、うずたかく詰まれた机の群れの中、クライマックス・ザ・ジェンガって感じの重なりがそこにはあった。

「……あの、本当にごめんね」

「……まあ……うん」

 にこやかに、ジェンガの土台みたいな位置にある机を指差すハニ子を見て、俺たちは何とか乾いた笑い声を搾り出すのだった。



 窓外でユルユルと太陽が移動し、いつもと変わらない景色が訪れようとしている。

目の端でその光景を眺めつつ、本日最後の授業である世界史を、俺は、重たい瞼の向こうで透かし見ていた。

 二代目の机を持って戻ってきてからは、そう大きなトラブルも無く、一日が過ぎていった。

昼食時に、ハニ子の食事風景が弁当組の食欲を根こそぎ奪っていくという惨事があったものの、それ以外は拍子抜けするくらい静かな日だった。

……ハニ子を取り巻いていた俄レポーター達も、朝の机両断事件を聞いてからは、ぱったりと姿を見せなくなったし。

 欠伸を一つ噛み殺して、俺はハニ子に視線を向けた。

見ると、彼女は青い髪を小さく揺らしながら、黒板の内容を必死でノートに書き写している。

何故ノートをとる必要があるのかとか、まさかこいつテストが始まる時期まで学校にいる気かとか、そういう細かい事は置いておくとして、俺が今考えているのは、これから何をすべきかだった。

 大まかな計画としては、千葉ちゃんの言っていた通りでいいと思う。

ハニ子が何時いつまで学校に居るつもりかは知らないが、基本的には四六時中くっ付いて回って、出来るだけ仲良くなっておく。

今日一日過ごした実感として、思ったより酷い目にもあわなかったし。

 ただ、やっぱりそれだけじゃあ不安があった。

実際この作戦が上手くいくかどうかとは関係なく、何もしないというのはそれだけで不安だ。

 先生の声を斜めに聞きながら、頬杖をついて首を動かす。

 視界に再び外の光景が映った。

まだ強い日差しに当てられた校庭の隅に、小さく色の群れが見える。

光に反射し、鮮やかな色を揺らすそれを見て、脳裏に微かに閃くものがあった。

「……何もしないよりは……」

 ココからだと一粒三百メートル分くらいの大きさの花壇を見ながら、俺は一人呟いた。



 校庭の方から運動部の練習の声が聞こえて来る。

校舎一枚挟んでいるというのに、元気のいいことだ。

辺りは放課後だという事実を否定するには十分なくらいに、まだ明るかった。

 俺とハニ子の前には、ニコニコと人の良さそうな表情の女の子。

彼女は、つい六日前、千葉ちゃんに嵌められて花の水遣りを手伝う事になった時に知り合った、園芸部の一年生の子だ。

ハニ子を見ても特にびびった様子もなく、その時と変わらぬ笑顔で俺たちの前に立っている。

「それじゃあ、先輩達には、この間やってもらった花壇の水遣りをお願いします」

 そう言って手渡されたホースを、頷いて、そのままハニ子に渡す。

「なんだこれは?」

「これはホースというモノだ」

「それくらい分かっている。何故わたくしが花の水遣りなどしなければならないのだ?」

 いかにも不満そうに言うハニ子の頭をぺしぺし叩く。

「お前は何しにココに来たんだ?」

「決まっている。学校で色々な事を学び、より完成度の高い存在となる為である」

 俺の手を払いながら、ハニ子が答える。

より完成度の高い存在とやらがどんなものかは分からないが、はたかれた右手の激痛を思うとそれも遠そうだ。

「そうだな。だから俺が手伝ってやろうというんだ」

 痛む右手をさすりながらそう言うと、分からないという顔をしながらハニ子が首を傾げた。

「いいか。生き物を育てる。これは情操教育の基本だ」

 情操教育。

ドラマや漫画などで、子供が犬を拾ってくると、必ずと言って良いほど家族会議で出て来る言葉だ。

 俺が思いついたのはこれだった。

流石にこいつに哺乳類を預ける気にはなれなかったから、目の前にいる心優しい後輩に頭を下げたというわけだ。

今日は園芸部のほかの部員も居るらしく、彼女の後ろで遠巻きにこちらの様子を窺っていた。

「つまり、花に水をやることで、お前はより完成度の高い存在に近づけるというわけだ」

 ……多分。

「んーむ」

 園芸部員達の視線に気付いた様子もなく、ハニ子は腕組みをはじめた。

「本当なら真琴様のお手伝いをしたかったのであるが」

 どうやら気になっているのは水城さんのことらしい。

 彼女は既に帰宅済みだった。

水遣りの事を言うと、一緒に残ろうとしてくれたのだが、夕食の準備があるらしいので無理矢理に帰ってもらった。

彼女には水城家のお腹を満たしてもらわなければ。

でないと、どこからどんな苦情が来るかわからない。

「……分かったのである。他ならぬサンレ…いたい……そうだった」

 ペロッと秘密を洩らしそうになったハニ子の頭を小突き、俺は園芸部の面々に顔を向ける。

「じゃあ、本当にありがとうな。こっちは任せてくれていいから」

 近くにいる、後輩の子が笑みを深めて頷いた。

「はい。よろしくお願いします」

 そう言ってぺこりと頭を下げる。

……本当に何ていい子なんだろうか……。

未だかつて出会ったこともないような、人間の出来た後輩に感動しながら、俺達は中央棟の校舎裏花壇へと向かった。



 目の前をとりどりの花が並ぶ。

園芸部の手入れがいいのだろう、この暑さにもへたった様子は無い。

 校舎裏まで来ると流石に薄暗く、気温も少し低かった。

オマケに周囲を灰色の壁に囲まれているから、必要以上にお寒い雰囲気になっている。

そんな場所にも拘らず咲いてくれている花たちが、やけに可愛く見えてしまう程だ。

 一度水をやった所為か、何となく愛着を持ってしまった花の前で、俺は腰に手を当てた。

「それじゃあ、始めるか」

 言うと、ハニ子がこっくり頷いた。

 相変わらず花壇の近くにある蛇口は閉められていたから、今回もズルズルとホースを引きずっての事だ。

ホースの先に付いたシャワー部分をハニ子に手渡し水遣りを始める。

 が。

何故か、シャワーのレバーを引いても水が出てこない。

「……出ないのである」

 不思議そうにハニ子がノズル部分を覗き込んだ。

「あれ、何でだ?」

「くううぅーーーーーくくっ!」

 いや、壊れるから。

 何の躊躇いも無く力ずくで何とかしようと、レバーを力いっぱい握りしめるハニ子を止めて、ホースに目をやった。

「……あ、なんだ、あそこで絡まってるじゃん」

 校舎の角から出て直ぐのところで、ホースの一部がこんがらがっていた。

「ちょっと解いてくる」

 ハニ子に声をかけ、小走りで駆け寄っていく。

「……あーあ」

 そこにあったのは、一言で言うと青い団子虫。

近くで見ると、薄汚れ古びたホースが、鞄から出したイヤホンみたいに絡まっていた。

……ていうか、いつの間にこうなった?!

 そのまま呆然と見ているわけにもいかないので、地面に蹲っている青い団子虫を起こしにかかる。

……えーと、ココがこうなって、こっちがあっちに行ってるから…………あ。馬鹿だ。端っこ持ってこないと解けるわけないや。

 そう気付いた時には、出来損ないの毛糸玉に右腕を半ば以上入れていた。

 巻き込まれた形の右腕は放っておいて、照れ臭さから左手で頬をかきながら、顔を上げる。

「なあ、そっち側持って…………っ」

 言葉の先は目に入った光景の所為で遮断された。

 健気に色を咲かせる花壇の前で、何を思ったか、ハニ子がホースの先を体に巻きつけていた。

二周ほど腰にそれを巻き付けて、今度はピンと伸びた部分を両手でしっかりと掴んだ。

……ぐっと腰を落とす。

蹴るようにして足場を確かめているその姿は、完全に綱引きのアンカースタイルだ。

「ちょ、待っ……だ、い、いだだだだだだだだだだだだだだっ」

 ふんっというハニ子のおっさんみたいな気合の声と共に、右腕に信じられない位の激痛が走った。

思いっきり引っ張られた為、腕を巻き込んでいた玉が、見る見るうちに小さくなっていく。

複雑にもつれたホースの中で、右腕がミチミチと音を立てた。

「……んぎいいいぃぃぃ!」

 んぎいいい、じゃない。

 こちらの様子には一切頓着無く、ハニ子は足を突っ張ってホースを引いている。

 それで解けるわけが無い! とか、お前は力を過信している! など、言いたい事は山ほどあったが、口から出て来るのは「あー」とか「うー」とかのゾンビばりの悲鳴と慟哭だけだ。

 いい加減腕の色がおかしな具合に変わり始めたころ、決して楽しいとはいえない音が、狭い空間に響き渡った。

 ――ブチイイィィぃぃ。

 右腕が、右腕がもげた!

……訳ではなく、古びたホースがネを上げた瞬間だった。

遠く視界の片隅で、ハニ子が勢い余って転がる姿が。

 無残にも中途から引きちぎられたホースは、ゴムの性質、もしくはユートピアの法則によって、引っ張られていた力の反動分、唸りを上げてこちらに戻ってきた。

 狙ったように顔に来たそれを辛うじてかわす。

俺を打ち損ねたホースは、勢いのまま青い玉の中に吸い込まれていき、反対からの水の力と相まって、ブベベベベベベベベと音を立てながら、一気に塊をほどいていった。

 右腕の解放感と体に当たる水の冷たさも、目の前で起きた出来事から思考を呼び戻すことは出来なかった。

 呆然としたまま、のたうちながら水を吐き続けるそれに全身をびしょ濡れにされていると、いつの間にか立ち直ったハニ子が、トテトテとこちらに駆け寄ってきた。

自分の所為で濡れ鼠になってしまった俺を無視するように、制御不能のウルトラホース一号の首根っこをがっと掴むと、そのまま花壇の方へと取って返して、とっとと水遣りを始めてしまった。

 ……。

 ……あ、虹だ。

 太陽の位置が変わった所為か、いつの間にか日光の入り込んだ校舎裏に虹の存在がある事に気付いた。

ハニ子がくるりとこちらを振り返って大きく手を振る。

「終わったぞー」

 機嫌よく報告してくる生後三日児に応える為、俺は立ち上がる。

「……よーし良くやった。じゃあ今のどこが悪かったか教えてやるからこっちに来やがれこの野郎」

 口から出てきた呪詛の言葉は届かなかったらしい。

身振りに応じてハニ子が近寄ってくる。

嬉しそうなその顔は褒めてくれと言わんばかりだ。

 ニコニコと顔だけは笑顔を作り、そんな彼女に相応の報いをクレテヤルべく、俺は親指とで丸を作った中指にグッと力を込めた。



 …………背中に刺さる視線が痛い。

 夕方の商店街は買い物客でごった返しているのに、足を進めるごとに人の波が微妙に裂けていく。

気分的にはプチモーゼ。

……すいすい進むのに、歩きにくい。

「全く! 信じられないヤツである!」

 視線を横に向けると、その一因であるアッパッパーロボが歩いている。

「お前が悪いんだろうが!」

 商店街の皆さんが目にしているのは、昨日現れた規格外アンドロイドと、部屋干しっ! みたいな生乾き男子高生。

そんなコンビが口論しながら歩いてたんじゃあ、人波だって、そりゃ割れる。

「でこが痛い!」

 嬉しくないVIP待遇を受けながら、ハニ子が嫌味ったらしくそう叫んだ。

両手でいかにも大事そうに、赤くなった額を撫でている。

そんなハニ子の横を、若い男が見惚れながら過ぎて行った。

「しつこいぞお前。たかがデコピンくらいで」

 背中にまたぞろ視線を感じつつ俺は答える。

振り返ると、予想通りたった今すれ違った男が、敵意に似た色を湛えた目で俺を見ていた。

 肩を落としながら、溜息をついて前を向く。

「……なあ、そんな事より視線が気にならないか?」

「? いや」

 あ、そうっすか。

 開発コンセプト通り、見てくれだけは上等なハニ子だ。

連れ立って歩く俺に対して、道行く男達の無言のブーイングが聞こえて来る。

……いや、こいつ手からビーム出るんだぞ?

 余程説明してやりたかったが、そういう訳にもいかないので、再び不満を漏らし始めたハニ子に向き直る。

 こうして一緒に居ると、ハニ子が確かに人目を引く存在である事が分かる。

青い髪や緑の瞳は日本人離れしているが、逆にその容貌は、いかにも大和魂とかいうモノをくすぐりそうだ。

パッと見清楚な印象に、庇護欲をそそるだろう小柄な体躯。

 今は手を振り回しながら怒りの表情を露にしているが、その姿も人によっては元気が良いとなるかも知れない。

ただ、こいつの元気は机を叩き割りホースを引きちぎる。

今日一日に学校で出来上がったのは、憐れ二本足の机二つと、鳴き声をあげるようになったホースだけだ。

 作り物めいた、とか、人形のような、といった成立していない比喩を使いたくなる程の美意識を持つ、水城さんの祖父さんには感心するが、もっと凄いと思うのはハニ子の細かい所作がいかにも人間らしい所だ。

現に今、額を押さえて口を尖らせる姿は、同年代の女の子にしか見えない。

……一般人にはとても見えないけど。

ハニ子を見ていると、わざわざ学校にまで来て、人間の事なんか学ばなくたって良いように思えてくる。

「……お前、何でまた学校なんか来たんだ?」

 という訳で俺は素直に質問した。

こいつの場合、必要なのは弁巧よりも率直さだ。

……なんたって、口が垢すり並みにかるいし。

 案の定、嬉しそうにハニ子は顔を輝かせた。

「貴様などに教えてやる理由は、全く、これ――っぽちも無いのだが、いいだろう教えてやる」

 嫌みったらしく言った後、少しの沈黙を前置きにする。

「……わたくしくらいの歳の人間は、学校に行くものなのだろう?」

 ……お前は0歳児だ。

いや、設定年齢の事を言ってるんだろうけど。

自分で言ってて、なんだ設定年齢って。

「…………それだけ?」

 考えてもみなかった答えに、俺の足が止まった。

 ちょうど俺の頭上、アーケードの一部に、昨日ハニ子がこさえたばかりの人の頭大の穴がポッカリ空いている。

応急処置だろう、上からブルーシートをかぶせていて、足元にはここだけ青い影が落ちていた。

……お前くらいの歳の人間はあんな所に穴なんか空けないけどね。

どうでもいいけど、こういうのって誰が修繕費出してんだろ?

「それだけだが?」

 歩みを止めないで、ハニ子は頷いた。

ぼうっと上を眺めていた俺は、慌ててその後を追いかける。

「それだけって、他になんか無いのか? ほら、例えば敵を調査するためーとか、人間を知って…………って、お前言ってたじゃん! より完成度の高い――とか何とか、あれ」

 その疑問に対する答えもとてもシンプルだ。

「貴様達は違うのか?」

 ……違いません。

「よ……プルーム様が言っていたのである。わたくし位の歳の人間は自らを高める為に、みな学校に通っているのである」

 普通の事だから。

それが理由……?

 頭の中に、白い文字で書かれた「まさか」と「いや、しかし」の二択が浮かぶ。

経験則でいくなら「いや、しかし」さんに5000点だ。

あいつらの性格を考えるに、本当にそんな理由で通わせてそうな気がする。

 うじうじと結論を出せないでいると、いつの間にか商店街の端まで来ていた。

アーケード入り口のアーチをくぐり、蛍光灯のついた商店街を抜ける。

俺の直ぐ横を、別の高校の集団が楽しそうに歩いていった。

 赤い世界が広がる。

 空が濃くなった分だけ気温は下がっていたが、地熱がまだまだ暑い一日を終わらせてくれない。

ピカピカに磨いたオレンジみたいな夕陽が雲の中に隠れるのを見ながら、ハニ子が呟いた。

「聞きたいことはそれだけか? ならそろそろ帰るのである」

 ここからウチと水城家はちょうど等分くらいの距離で、対極に位置している。

ハニ子が俺が向う方向と反対の方に体を向けて、早速歩き始めた。

輪郭のぼやけた背中に、俺はどうしても聞いておかなければならない質問を慌てて投げた。

「最後に一個だけ……えーと、俺の正体とかって言っちゃったりする?」

 別に正体がばれたからって帰らなければいけない故郷も無い。

その事でこいつらが如何どうこうするとも思えなかったし……だけど悲しいかな、人の口に戸は立てられないと言う。

いつどこでどういった経緯からバレタという事実が祖母さんの耳に入るか分からない以上、秘密を知っている人間は少ない方がいい。

味方にばれる事を恐れて敵に口止めしなければいけない立場は、あんまりヒーローのプロフィール向きじゃない気はするけど。

 一瞬考えるような間があって、ハニ子は振り返った。

「言ったろう。学校に通っている間はプライベートな時間なのである。その間貴様は只の級友だ。……そうだろうサン……いや、……………………あれ?」

「あん?」

「……まだ名前を聞いてないのである……」

「…………大地」

「そうだった」

 確かに、自己紹介はしてなかったけどさ……。

「その間貴様は只の……」

「そっからやり直さなくていい」

 途中で止めると唇を尖らせ分かりやすく不満を表した。

「ちっ、まあ良い。……また明日なのである。秋名大地」

 シュタっと手を上げ、言った途端の全力疾走。

あれで器用に人ごみを避けているから、アンドロイドというのもあながち嘘じゃないのかもしれない。

それでも俺の中では五分五分だが。

 だって、

「……どう見ても人間だし」

 呟いてみて、なるほど、合点がいった。

……人間だったら学校に来るのは当たり前だ。




「……また強引に整理したわね」

 翌日。

HR終わりの千葉ちゃんを捕まえて、昨日の事を報告した。

朝の一連の騒ぎから帰宅まで、自主検閲後の大発表だ。

 それを聞いた千葉ちゃんの品評が先の言葉だった。

「良いんです。それで良いんですもう」

 腰に手を当てて、呆れたように溜息をつかれる。

「君がいいならそれでいいんだけど」

 投げやりっぽく言うと、それで、と言葉を繋げた。

「上手くいきそう?」

「解んないですけど、なんか無駄っぽいっですよ」

 ハニ子は基本的にはファジーな性格のくせに、公私の区別ははっきりとしているようだった。

目の前の不良公務員と違って、公職にでもつけば、しっかりした公人になれそうだ。

「いくら仲良くなった所で、手心とか加えてくれそうな雰囲気じゃないんすよね」

「そうみたいね。けど、他に良い手も思いつかないし」

 茨の道も、いよいよ極まれリだ。

ここに至っても未だ強引な手を提示しないのは千葉ちゃんの人の良さだろう。

「ま、現状維持かな。どうせ受身なのは変わらない訳だし」

「……そうですね」

 その辺り何とかならんのかとは思うものの、どうにもならない事も分かっている。

それに、こちらから積極的に動くには情報と動機が無さすぎた。

"俺達いまいち当事者になりきれてねえ同盟"のメンバーとしては、なるようになれが基本方針だ。

「ほら! 元気出して!」

 俺の様子を見かねてか、千葉ちゃんが殊更に声を張った。

手に持った出席簿で、痛いくらいに背中を叩かれる。

「今のところ仲良くやってるんだし、それに私もいざとなったら……」

「うわあー! 転入生が重油零したー!」

 お願いですから、慰めるんならバリエーションを増やしてください。

 間違い探しのような既視感に包まれながら、つんと鼻にくる油っぽい匂い。

集まり始めた野次馬が重油の匂いに顔をしかめた。

「……歯医者に予約してたんだった」

「まだ朝の九時ですけど!?」

 繰り出された手刀を受け止めて、千葉ちゃんの腕を掴む。

千葉ちゃんはしばらく俺の手から逃れようと身を捩っていたが、それが無理と見るや、直ぐに揺さぶりをかけてきた。

「あのねぇ、いつまでも大人の手に頼ってたら成長できないよ」

「あんた今回ほぼノータッチだろ!」

「だから最後までやり通しなさいってば……もう、たーっ!」

 無理矢理に俺の手を解き、目の前でパシンと拍手を打った。

……なんだ? 猫騙し?

「……?」

「……はい。じゃあ、授業があるから」

 今までで一番強引な話の転換だった。

「な、なんなんすかその便利な拍手かしわではっ?!」

「……大人になれば分かる」

 なんだそれ……。

 不覚にも膝から崩れてしまった。

いつもより低い視点に、小さくなっていく背中がうつる。

「大人って……」

 憐れっぽく呟いて床に手をついた俺の周りに、濃厚な重油の香りが漂っていた。

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