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エピローグ 〜後日談 例えばそれは八月五日〜

 雲さえ蒸発しそうな陽射し。

葡萄の房の形をした真珠色の雲は、遠くの空に浮かんで、遠くの地上に影を落としている。

その恩恵にあずかる機会を逃した真琴は、額の汗を拭いつつ学校の門をくぐった。

―――八月五日。

 学校は夏休みに入っていた。



 平日の喧騒が嘘のように、校内は静まり返っていた。

廊下を占める静謐な雰囲気は、校庭から聞こえてくるクラブ活動に励む声を、どこか別の世界のものにしている。

足音すら飲み込む沈黙。

 嫌いではなかったが、今の真琴からは随分遠くにあるものだ。

その現状を思うと、溜め息が出るやら、苦笑が漏れるやら。

取り敢えず後者を選択しておいてから、真琴は足を止めた。

 目の前にある扉をノックして、返事を待つ。

部屋の存在意義を示すプレートには職員室と書かれていた。

 直ぐに「どうぞ」と声がして、真琴は扉を開いた。

「失礼します」

 中に入ると、千葉玲子が手招きしているのが見えた。

 後ろ手に扉を閉めて、そちらに駆け寄る。

「他の先生方は?」

「クラブとか補習とか、おかげで私がここに詰めてるわけ」

 他に誰もいない職員室を見回して溜め息を吐く。

「……呼び出して悪かったね」

 いえ、と真琴は小さく首を振った。

殆どキツイ思いはしていない。

彼女の家には、ここまでほぼ直通で来られる移動手段があるのだ。



 たらたらと、今日までのお互いのことを話しながらも、自然と話題は本題へと入っていく。

「……それで、今日だっけ?帰ってくるの」

 玲子はペットボトルのお茶に口をつけながら、そう訊ねた。

頷きつつ、真琴も手に持ったペットボトルに口を持っていく。

「…お祖父ちゃんからの手紙には、そう書いてありましたけど」

「…そっか。……で、どう?お母さんとの暮らしは?」

「……そうですね」

 真琴は俯き加減で微笑んだ。

 ”フィックス”を使ったあの日以来、水城家には真琴たちの母親である茅乃の姿があった。

火事で家を失い、そのまま善一郎の家に厄介になっている、と、そういう事になっている。

 ”フィックス”の近くにいた影響からか、真琴たちには以前の記憶が残っていた。

あの後「おかえり」と彼女に出迎えられた時には、感動よりも驚きが勝ってしまった。

 今ではそんな事もあまり無くなっている。

 世界はどうやら、思い出す、という形で、真琴たちの新しい記憶を作っているらしい。

その感覚は真琴には奇妙に感じられたが、おかげで、恙無つつがなく日常を送れていた。

「…普通ですよ」

「良かったね」

 祝福の笑顔を浮かべる玲子に、真琴は礼を述べる機会を失していたことを思い出した。

「遅れましたけど、本当にありがとうございました」

 そう言って頭を下げる。

玲子は意に介した様子も無くヒラヒラと手を振ってみせた。

「いいよいいよ。前もちょっと言ったと思うけど、事後処理は殆ど渡君がやってくれたから」

 あの日から、真琴と玲子は妙に忙しく、まともに話す機会をなくしていた。

こんな風に話すのは実に二ヶ月以上ぶりの事である。

 それでも、事あるごとに、(人目もあるし、少しの時間だったが)玲子は真琴に状況を伝えてくれた。

それによると、随分とあの渡 康平が奔走してくれたらしい。

 真琴としては二人にきちんと礼をしたいのだが、康平とは何しろ接点が少なすぎた。

玲子を頼ろうにも、お互いテストやなんかの学校の用事で忙しかったため、自然と先送りになっていき、彼女への御礼も今日まで出来なかったというわけだ。

「そんな事、先生には感謝しています」

 そう言ってから、聞きにくそうに真琴は続ける。

「それで…あのう、先生は大丈夫だったんですか?…その、処分とか」

 心配そうなその質問に、しかし、玲子は一笑と共に答える。

「大丈夫。……だって、私これでも公務員だもん」

 あう、と、なんとも言えない表情の真琴に笑顔のまま付け加えた。

「冗談よ。本当は取り敢えず現状維持ってのが上からのお達し。渡君の根回しが効いたみたい」

 何て笑えない冗談なんだ。

 玲子は続ける。

「上は随分と恩着せがましい事言ってたけど、人手不足だからってのが本当のところでしょうね。お為ごかしもいいとこよ」

「はあ」

 としか真琴には答えようがない。

「……これって悪循環よね。人手不足だから、ミスも起こるし、それも許される。そんな人がやってる仕事だから、仕事の質が落ちて、周りの人から信用されなくなる。信用されなくなるから人も集まらない。……まあ、私はそのおかげで助かったんだけど、……考えてみると複雑な気分だわ」

 秘密組織も一般公募したりするのだろうか。

……もの凄く気になる真琴だった。



「そろそろ失礼します」

 気付けば随分な時間がたっていた。

慌てたようにそう言って席を立つ。

「え〜、もう少しゆっくりして行けばいいのに」

 一人職員室にお留守番の玲子は、もう少し引き止めたいようだった。

「その、色々準備とかもあるんで」

「あ、そっか。…それって、本当に私も行っていいの?」

「もちろんですよ!先生達へのお礼も兼ねてるんですから、ぜひ来てください…出来れば、渡さんも一緒に」

「…それは、分かんないけど。でも、そういうことなら寄らせてもらうわ」

 嬉しそうに笑って玲子は頷いた。

「はい。それじゃあ失礼します」

「は〜い」

 機嫌の良くなった玲子の声を背にしつつ、真琴は出口に向かった。

しかし、扉の前で急に足を止める。

「……そう言えば、先生に一つ聞きたかった事があるんですけど」

「何?」

「……どうしてあの時、私達のことを許してくれたんですか?」

「…あ〜……うん」

 真琴が振り返って、玲子の顔を見る。

彼女は照れくさそうな笑顔を浮かべていた。

「この仕事をやろうと思った理由を思い出したから、かな」

「り、ゆう?」

「うん。……水城さん達のこと見てて、思い出したの。私は人を助けたくてこの仕事についたんであって、規則を守る為じゃないって。…そしたら、良いかなって思っちゃた、ま、全然良くは無いんだけどね。けど、もし、この事実が悪用されそうになったら、私達が頑張ればいいんだし」

 その時はきっと渡さんが苦労するんだろうなあ、と、多少の申し訳なさを感じながら真琴は苦笑する。

「と、言うわけで、君達が気にする必要は無し。……これが私の仕事だからね」

 照れくささを誤魔化すように、それでもどこかすっきりした顔で、玲子は笑った。

「はい。……失礼します」

 今度こそ真琴は扉を開けて、職員室を後にした。



 職員室を出ると、真琴の体に途端に暑気が戻った。

窓ガラスを貫く光は、既に赤みを帯びている。

窓枠ごとの影は別に涼気をもたらす訳でもなく、細めた目にを与えて、いかにも鬱陶しい。

 うんざりと額に小手を翳し、陽を避けながら歩く真琴に、背後から声が掛かった。

「アレ?水城さん?」

 思わず寄っていきそうになる眉間の皺を意志の力でねじ伏せつつ、振り返る。

「国東君…」

 が、意志の力といっても万能ではない。

こと、本人にその意思が希薄ならなおの事だ。

思いっきり引き攣った笑顔で笑う真琴に、国東 歩は心底楽しそうな笑顔を浮かべた。

「久しぶり、元気だった?」

「うん」

 そう答える声もどこかそっけない。

 真琴はこの男が苦手だった。

……いや、自分に嘘をつくのは良くない、ぶっちゃけ嫌いだったのだ。

理由は特に無い。あえて言うならば生理的にダメと言うことなのだが、それも正鵠を射てはいない。

好きになれる可能性がある分、好きになれそうにない、よりはいくらかマシだが、それでも現在いまの彼のランキングは下水処理場以下だ。

 そんな彼女の感情を知ってか知らずか、地下よりなお深い位置にいる男は、笑顔を崩すことなく語りかける。

「今日はどうしたの?」

「先生に呼ばれて」

 そんな歩の態度を見ていると、自分だけが取り繕っているのが馬鹿馬鹿しくなって、真琴は顔の筋肉を解放した。

自由を得た表情は嬉しそうに跳ね回り、直ぐに不機嫌な形に収まっていく。

「国東君は?」

「友達の付き添い、あれ」

 そう言って校庭の方を指差す。

「ソフト部の娘でさあ、ついてきてって言うから付いて来たんだ〜」

 そう、とだけ答える。

相変わらずモテモテの様だ。

なら自分一人くらい嫌ってても問題無いだろう。

そう結論付けて、真琴は踵を返す。

「じゃあ、用があるから」

 冷たいとすら感じる声を気にする風も無く、歩も答える。

「うん、じゃあね。秋名によろしく〜」

 手を振りながら、廊下の角に消えていく。

 ああいうさっぱりした所だけは、少しだけ羨ましかった。



 東町商店街。

空から見ると巨大な食パンの様な外観をしている。

腹に抱えている店舗数は二十弱。

ファーストフード店から、金物屋、八百屋から帽子屋なんてものまで、百貨店には店の種類で及ばないまでも、日常の全てをここでまかなえる。

 大きく開いたアーケードの口を見上げながら、真琴はそこへ足を踏み入れた。

 二ヶ月前、ここで一つの繋がりが切れた。

代理の代理によってもたらせられた結末は、更に新しい繋がりを生んだが、一つの終わりは確かにあった。

そう思うと、とても事に関わっていたとは言えない真琴の中にも、幾らか複雑なものも浮かぶ。

 人ごみを掻き分けつつ、真琴は歩く。

「あ」

 八百屋の前、その人物を見つけて、思わず声が出た。

「お母さん」

 人の渦の中、小声で呟いたその声が聞こえた訳でもないだろうが、茅乃は振り返って娘の姿を認めた。

「真琴、おかえり」

 母親の笑顔でそういう。

地元の人間からすれば、ここはもう『おかえり』の範疇である。

「ただいま、お買い物?」

「うん、今日の夕食の」

 そう言って大きな袋を持ち上げてみせる。

「もう、大変よ。こんなにたくさんお料理するのなんて久しぶりだから……真琴?」

 首を傾げながら娘の視線を追う。

真琴の視線は、もう片方の手に持たれたあるモノに釘付けになっていた。

―――それは杖だった。

 スチール製の機能重視の杖。

 あの火事の日以来、茅乃の手には、常に杖が握られている。

そう記憶にもあるものの、二ヶ月たった今でも、時折視界に入っては真琴の感情を揺さぶる。

「あっ、持つよ」

「いいよ、エレベーターだってあるし」

 隠し通路、大活躍。

「ハイ、二百円のおつり、あと、おまけしといたから」

「ありがと〜」

 八百屋の親父がやに下がりながら、茅乃に商品の入った袋を渡した。

茅乃が愛想よく笑いながらそれを受け取ると、八百屋の親父は「まいったな〜」とか言いながら、奥に引っ込んでいった。

……何が、まいったな〜、だ。

「お母さんって自分の事分かってるよね」

 実の娘から見ても、嫌味なくらい綺麗な母親の顔を見ながら、真琴は呆れ顔になる。

「真琴にも出来るわよ」

 無理だ。

言外にそう思うと、頭を撫でられた。

袋は杖と同じ手で持たれている。

「真琴は自分の事を知らなすぎるね。真琴がちょっと本気を出せばこの商店街なんて一挙に手玉に取れるわよ」

 それは、かなり微妙だけど。

そう思いながらも、撫でられるのが気持ちよくて、何も言わない。

「じゃあ、私は先に帰るわね」

 ガサッと音を立てて、袋を反対の手に持ち替える。

杖を突きながら踵を返す茅乃が、背中越しに真琴に声を掛けた。

「あ、そうだ。佳乃に今日は早く帰るように言っておいてね」

 お姉ちゃん?

 真琴が首を傾げた時、けたたましい警告音が鳴り出し、それにも負けないくらいの高笑いが聞こえてきた。



 白いうねうねと動く十本の足。

三角のてっぺんに、細く長く白いからだ。

―――どう見てもイカ。

活きの良さそうなイカが、網の上でこんがりと紫色に色を変える代わりに、活きの良さそうなまま、人の体の上に乗っかっていた。

……頭のつもりなのだろう。

誰もが怖気立ちそうなビジュアルのイカ男は、人間の方の手で、まるでヒゲにするようにうごめく足をしごく。

 その隣に居るのは、相変わらず露出度の高いプルームこと、水城佳乃だった。

 過去が変化して最も変わったのは彼女だった。

それは心身共に。

 彼女の格好は、今までの衣装をベースに多少は露出を抑えたデザインになっている。

「ほら改変期改変期」

 そう真琴は説明されたが、良く分からない。

ただ分かるのは、佳乃がもう仮面を被る必要がなくなったということだ。

 イカ男の隣に立つ佳乃は(凄い文章だ)派手なメイクをする事も無く、素顔を曝していた。

そこに、引き攣った火傷の痕は無い。

長かった髪も切り、前髪も常識的な長さに揃えられて、目にした誰もが声を失うような、きめ細かい陶器の肌が、ただ白く輝いている。

「ん〜もう」

 急に頬を膨らます佳乃。

拗ねた様に唇を尖らせて、腰に手を当てるその姿はかなり可愛いかった。

それだけで、そこに居た野次馬の半分を骨抜きにしてしまう。

「何で来ないのよ」

 不機嫌になった上司に、オロオロと口に手を当てるイカ男。

……お前はムックか。

 真琴はため息を吐きつつも野次馬の一部に混じる。

最前列に行こうとしている途中で肩を叩かれた。

「…や、元気?」

 最初からそこに居ただろうに、疲労困憊を思わせる声を耳に捉えて、真琴は苦笑した。

「元気です。橘さん」

 橘美晴の眠そうな体がそこにあった。



「そう言えば橘さん推薦決まったんですよね」

「…うん」

 こくんと子供のように頷く。

自分から声を掛けたくせに、かなり面倒くさそうに見える。

「おめでとうございます」

「ありがとう」

 率直な褒め言葉にも、その表情は揺るがない。

ただダルそうに顔を動かして、輪の中心に視線を向けた。

「……あの人いつも元気よね」

「す、すいません」

 何故か謝ってしまう真琴である。

それにも興味を見せずに、橘美晴は頬を掻いた。

「別に。ただ、あの人はどうして今も闘っているのかなって」

 不思議そうに佳乃の方を見る。

「……それが、私にも分からないんですよね」

 そう言って首を捻る真琴。

「…ただ…」

「ただ?」

「約束、って」

「約束?」

「はい」

「また、約束…」

「約束」

「「……う〜ん」」

 二人で首を傾げる。

…意味は分かりそうになかった。

 悩める若人を別にして、輪の中心は一気に騒がしくなった。

「あのなあ、今日は忙しいって知ってるだろう…」

 うんざりした様に現れる赤い人影。

肩を落とすその人物に、嬉しそうに表情を輝かせる佳乃。

「やっと来たわね」

 ビッと指を差すその先に、もう二つ人影が現れた。

「いや、やっぱり退院してよかったな」

「良い事あるかっ!貴様は安静という言葉を知らないんであるかっ」

 心底楽しそうに腕を組むのは枝村樹だ。

予定より一月近く早い退院。

医者の許可を無理矢理取り付けての自主退院である。

 そんな彼女に文句を垂れつつも、健気に付き添っているのは、アンドロイドの如月ハニ子だった。

自称樹の終生ライバルとしては、彼女の健康状態は最重要事項である。

 姦しい背後の非常識コンビにもため息を吐きつつ、秋名大地はよりいっそう深く肩を落とした。



 …唐突に、二ヶ月と少し前。

 大地とハニ子が未来に行った後、空き地に残った面々は顔を突き合わせていた。

皆一様に不安そうで、いつも余裕の表情を崩さない康平でさえ、この時ばかりは落ち着かないように煙草をふかしていた。

ちなみに、奥さんに言われて、目下禁煙中のはずである。

「どれくらいで戻ってくるの?」

 玲子がそう尋ねる。

「一応、出発の時間から余裕を持たせて設定してあるから、もう少し……」

 そう、答えかけたとき、再び、地面が震えだした。

佳乃が悲鳴のような声を上げる。

「そんなっ!まだ、十五分も早い(・・・・・・)のに」

「た、ただの地震ってことは無いの?」

「いや、これは…」

 それは確かに、時間移動によって起こる振動だった。

そんなことは、康平に言われるでもなく、玲子には分かっていた。

「みんな伏せてっ。衝撃が来るわよ」

 声を張り上げる玲子に、慌てて従う一同。

 皆が伏せるタイミングを見計らったように起こる、光の爆発。

台風の只中に放りこまれたみたいに、衝撃が風となって四人を襲った。

それぞれ、顔やら目やらを庇っていると、それは唐突に終わりを告げた。

まるで何も無かったかのように、そよ風の名残分程の余韻も残していない。

 恐る恐る立ち上がる一同の中心に、二人の姿はあった。

「……イエ〜イ無事帰還」

 そう言って、肩で息をする大地。

隣には停止して、ピクリとも動かないハニ子。

呆気にとられる一同の面前で、竹馬の友のように肩を抱き合う二人。

 何故か、”フィックス”は大地が脇に抱えるようにして持っていた。



 咄嗟に大地が”フィックス”に触れたのは僥倖とも言えた。

 確信があってやった事ではない。

しかし「で、なければおかしい」くらいは思っていた。

「こいつでエネルギー供給の代行を出来ると思ったんです」

 粗方過去での事情を説明し終えて、話がハニ子が止まったくだりになると、大地はベルトを叩きながらそう言った。

既に変身はといていて、一同車座になって耳を傾ける。

ちなみに、ハニ子も用意された重油を補給して、その輪に加わっていた。

……その補給方法は、あまり美しいとはいえない光景だったので、割愛させていただく。

「分の悪い賭けとは思ってなかったけど、流石に冷や汗掻いたよ」

 笑顔を浮かべる大地に真琴が素直な疑問を向ける。

「どうして分の悪い賭けとは思ってなかったの?」

「だって、水城さんのお父さんの隣にはハニ子なんていなかっただろ」

「あ、そっか」

 もしかしたら、他にも要因はあったかもしれないが、重要なのは、賭けに勝って、こうして戻って来たということだ。

「……とりあえず大団円って事ね」

 玲子が立ち上がりつつ、ズボンについた汚れを叩く。

「そうですね」

 皆もそれに続いて立ち上がった。

「じゃあ、渡君。今から尤もらしい理由考えなきゃ」

「だから、何度も言うように俺は………あ、はい」

 視線だけで、御しえる男、渡康平。

「本当にありがとう」

 別の一隅では、そう言って大地の手をとる佳乃の姿があった。

「いや、別にいいっすよ」

 照れくさそうに大地がそう答えたとき、突然強い風が吹いた。

「きゃっ」

 髪を押さえながら、小さく悲鳴を上げる佳乃。

 も〜、と、零しつつ髪を撫で付けていると、大地と目が合った。

……なんだか驚いているように見えた。

「え、っと、どうしたの?」

 戸惑いつつ、他に目を向けると、みんな佳乃の方を向いていた。

一様に口を半開きにして、間抜けな顔を曝している。

「な、なに?ちょっと、みんな、どうしたの?」

 誰も答えない。

間の抜けた表情のまま、真琴が「これ」と言って手鏡を差し出した。

「う…」

 ソレに少し後じさる。

こんな物はもう長いこと使っていない。

でも、まあちゃんはそんな事知っているはずだし、そう思って、佳乃は手鏡に手を伸ばした。

 背になっていたソレを,くるりと反転させて、恐る恐る顔の前に持って行く。

「……う〜……………あれ?」

 前後反対の世界に、佳乃の驚いたような表情が映っていた。

 少し赤みが刺した頬に、なお赤い唇。

髪は風のせいでグシャグシャに乱れていて、手で撫で付けたくらいでは太刀打ちできなかったらしい。

 問題はそこから覗く顔だった。

…いや、何も問題は無い。

だからこそ、おかしい。

 佳乃はゆっくりと、自分の顔に手を伸ばした。

希代の嘘つきが、分を越えた嘘をついていないか確かめるために。

震える指先に滑らかな感触が乗る。

「…なくな、ってる」

 何度も何度も手の平を頬に滑らせる。

まるで、信じられない事実を縫い付けるようだった。

 そうしていると、いつかの思い出が浮かんできた。

 あの火事の時の記憶。

 それはデジャヴュのように唐突で、作りかけのクレイアニメのように不細工だったが、それでも、佳乃の目から涙を溢れさせる。

「思い出した。ううん、ちょっと、違う気がするけど、でも」

 大地の方にその泣き顔を向ける。

「……え〜と、全然そんな感じしないけど……おひさしぶりっす、で、いいのかな?」

 大地は頭を掻きつつ、それから納得がいったような顔になる。

「過去が変わると、そういう風になるん、うわあっ」

 彼の言葉は最後まで言わせてはもらえなかった。

感極まった佳乃が駆け寄っていって、その首っ玉に飛びついたのだ。

「思い出した、約束っ!」

 ギュ〜と力強く柔らかい感触に顔を真っ赤にさせる大地、嬉しそうに抱きつく佳乃。

「ありがとう、ありがとう」

 ゼロ距離感謝攻撃に、もはや撃沈寸前の大地だった。

「「「………………………ええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ」」」

 皆の叫び声も、その耳には届いていないことだろう。



 そして、八月五日現在。

「だからって、何もこんな日にまで……」

 イカ男とプルーム(の格好をした佳乃)を前にして大地は頭を抱えていた。

「だって、約束でしょう、貴方が言ったのよ」

 確かに言った。

でもそれは、週に一度で勘弁してください、という意味で、週に一度は絶対に会いたい、という意味ではない。

「なるべく放課後に」という約束を守って、夕方辺りにしか出て来なくなったのは健気にも感じたが、それだったらこんな風に会わなくても、と、大地は思う。

……普通に遊びに来ればいいのに、何だそのイカ関係の何かは。

「とりあえず。今日は祖母さん達が帰ってくるらしいんすから、とっとと終わらせますよ」

 そう言って構えを取る。

 三日前、突然ハワイから届いたエアメール。

善一郎、薫の連名で出されていたそれを見て、大地は「随分ベタな所にいるな」とため息を吐いたが、内容は硬派そのものだった。

―――ハチガツ イツカ ニ イチド カエル。

……電報…じゃ無くってエアメール。

その簡潔で読みにくい文章を読み終えて、大地は一度ならずその正体を確認してしまった。

……エアメールだよな。

 水城家にもその手紙は届いていた。

内容はもう少し充実していたが。

 佳乃は頷くと、イカ男に顔を向けた。

「いいけど、この子強いわよ」

「イカ〜カッカッカッ」

 胸をそらしながら、ベタな笑い声をあげるイカ男。

「強いのか、やってみたいな…」

「だから、貴様はまだ骨もちゃんとはくっついていないんだぞ」

 大地の背後からは随分勝手な遣り取りが聞こえてくる。

「…ったく、どいつもこいつも……大体あの不良老人共だ、なーんで突然帰ってくるんだ」

「あなたは自分の祖母の誕生日も忘れたんですか?」

 ヒュッと風を切る音。

……あ、この音は覚えてる。

 錆びた音を立ててゆっくりと大地の首が動く。

視界の端から表れる鈍く光る刀身には見覚えもあった。

「お、お、おおおおおお御祖母様?」

「はい」

 上ずった声を上げながら、大地は思い切って後ろを振り返った。

すると、いた。

彼の祖母である秋名薫が。

品のいい藍色の着物に旅行鞄を持って、反対の手で大地に突きつけているのは、やはり日本刀だ。

「な、何でそんな物を…」

「……海外は何かと物騒でしたからね」

 ココよりもですか、とは思っててもいわない。

なんせ首筋には、まだ刀の切れる方が当たっているのだ。

「久しぶりじゃな」

 その更に後ろからは、重そうな荷物を持った水城善一郎が現れる。

相変わらず仕立てのいいスーツに身を包み、シュッと姿勢を正した姿は、幾つも逆にさばを読んでいるようだ。

「おかえりなさい」

 佳乃がそう言い、真琴が彼に駆け寄った。

「お帰り、お祖父ちゃん」

「うん」

 どういう経路からか、旅行デート中だったにも拘らず、二人は事の顛末を知っていた。

「茅乃さんは家にいるんじゃな」

「うん、二人の為に料理してる」

 嬉しそうな表情の真琴に、善一郎も笑顔を浮かべる。

心和む光景を優しい笑顔で見つめる薫。

ただし、手にした物騒なものは孫に突きつけたまま。

「そ、そろそろ、これ外して欲しいんですけど」

 暫くの沈思の後、鮮やかな手つきで刀身を鞘に収める。

大地は深く息を吐き、その場に屈みこんだ。

 そのタイミングを見計らったように、美晴は薫に声を掛けた。

「お誕生日おめでとうございます」

「…この歳になると嬉しさも半分ですけどね」

 そう言ってにこやかに笑む。

「でも、ありがとう。……どこかの薄情な孫は誕生日すら覚えてはいなかったようですしね」

「覚えてましたよ〜。でも、今までそんなの気にした事無かったじゃないですか」

 屈んだままの大地が恨みがましい目でそう言う。

見下ろしていた薫の顔に、何故かポッと赤みが差した。

「…だって、善一郎さんが皆でお祝いした方がいいって」

 頬を押さえながら身を捩る薫。

(ファ、ファーストネームで呼び合う仲なのか)

 二ヶ月の間何があったと想像しかけて、慌てて大地は首を振った。

「と、とにかく、俺は忘れてたわけじゃないですからね」

 勢いをつけて立ち上がると大地は佳乃の方へと駆けて行った。

「ほら、とっとと、始めるぞ」

「なんなら私が代わっても……イタ」

 横から出てきた樹が、ハニ子に小突かれガミガミと説教をされていた。

 呆れたようなため息を吐いた薫の隣に善一郎が寄り添う。

旅行の間中そうしていたように、そっと薫の手を握った。

「……相変わらずですね」

「そうみたいですね」

 二人してニッコリと顔を見合わせる。

「……それで帰って来ましたけど、これから、どうするんですか?」

「あら、これは言わば小休止ですよ」

「は?」

「あら?お嫌ですか?」

 そう言って薫は殊更に楽しそうに微笑んでみせる。

(敵わないな)

頭を掻きつつ善一郎は苦笑を漏らした。

「いいえ、どこまでもお供いたしましょう」



「さあ、行きなさい、イカちゃん」

「ツマミかっ……うわあ、ヌメヌメしてるっ」

「だから、私が…」

「ダメだっ!」

「あ、そうだ、お姉ちゃん。お母さんが今日は早く帰ってきなさいって」

「は〜い」

「なんでっそんな普通の会話をあんた達はっ、てヌメヌメが〜!!」

「イカ〜カッカッカッカッ」

「うるせえ、笑うな!」

「だ、だから、私が闘うと…」

「だ〜め〜だっ!」

「じゃあ、私先に帰ってるね〜」

「は〜い、気をつけてね〜」

「だから、何でそんな普段通りなんだよ〜」



 再開された闘いに歓声を上げる野次馬の中、橘美晴は本当に疲れた声で呟く。

「まあ、今更よね」

少しだけ楽しそうな顔で。



 こうして、東町商店街のいつもの日常は、まだ当分続いていく。

………ヒーローの哀れな悲鳴と共に。

一生懸命書きました。

今はこれが精一杯です。

長々とお付き合いいただいて本当にありがとうございました。

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