最終話 誰かが涙を流す時
―――何もかもが燃えていた。
「自滅」
水城善一郎は当時のことをそう評した。
当時の事というのは、映都東町に昔持ち上がっていた都市計画の事だ。
その所為で馬鹿馬鹿しい闘いに巻き込まれた身としては、是非とも当人の口から詳細を知りたかった。
「元々杜撰というか稚拙だった計画に限界が見えて、首魁じゃった当時の市長の醜聞の発覚が重なってな、まあ、後は早かったの」
リビング…というより居間と言ったほうが相応しい畳張りの和室に俺は座している。
こげ茶色の足の短い和風の広いテーブルに、俺と向かい合うように善一郎さんが胡坐をかいていた。
俺は今、水城さんの家に招かれていた。
木造二階建てで、昔ながらの建物の多いご近所と比べても、一巡り分くらい時代がかった外観。
目隠しの植木は綺麗に剪定され、庭には善一郎さんの趣味だろう、盆栽が幾つも並べられていた。
何とはなしに森深い洋館を想像していた俺は、その姿に呆気にとられた。
どこをとっても日本家屋。周りを見ると住宅街。
住宅地に佇む、歴史を感じさせる日本家屋が、つまりは悪の組織の本拠地だったのだ。
…悪の組織というと今はもう語弊があるか。
水城さんに招じられて、からからと音を立てる玄関をくぐる時、ココから出て行くプルームと怪人の姿を思い浮かべて、思わず吹き出しそうになった。
家の上がり口に入ると、板張りの長い廊下が目に入った。
障子や襖が連なり、外見からは決して大きく見えなかったが、そこにはえらく奥行きを感じた。
ぱっと見の印象で言うと、田舎のお祖父ちゃんち。
両親共に実家はこちらにあって、俺には田舎なんて無いからイメージ上のソレだ。
靴を脱いで上がりかけた俺の目に、イメージの中には無い物体が飛び込んできた。
……サウナ?
二階へと続く階段のそばに、人一人が入れそうな、縦に長い木の箱のようなものが鎮座していた。
俺がそれに目を奪われていると、横に居た水城さんが説明してくれた。
「それ、地下に通じるエレベーター」
……秘密基地めいてきたじゃないか。
ただ、そこまでだった。
あとは、何の変哲も無い廊下を歩き、通されたのが、この妙に落ち着く畳の空間だった。
「それじゃあ、ウチの祖母さんは結婚なんかしなくても良かったんじゃないですか?」
善一郎さんは手に持ったドライバーの先で頭をこりこりと掻いていた。
話なんか聞いていないかのような風情で口を開く。
「実際立ち退いとった家もあったしの。あの人が、ああせなんだら、もっとたくさんの人がココから出て行っとたろうよ」
そう言って目を細める。
これは別に、昔日に思いを馳せているのではなく、細かい部品を良く見るためにやっていた。
鼻の頭にちょこんと老眼鏡が乗っている。
「…に、したって…」
そうそう納得は出来ない。
橘さんたちの事もあるから、人身御供とまで言うつもりは無いが、もっと他にやりようは無かったのだろうか。
…せめてもう少し様子を見ていれば。
「まあ、当時は皆必死じゃったからな。神ならぬ身ではなかなか事の全容は見えてこんよ。…あの人は昔から頭が良かったが、それでも当時まだ十代の娘っ子じゃったし、入ってくる情報も限られとったからな」
そんなことを聞くとますます納得が出来ない。
祖母さん本人はウチの祖父さんとは納得済みで結婚したらしいけど、それとこれとはまた話が別のところにある。
…十代でそんな選択をしなきゃいけない状況ってなんだよ。
それも自分で招いた事ならともかく、どっかの業突くなおっさんの所為でそれを決意するって、昔の祖母さんが可哀相だ。
……何故か今の祖母さんに同情する気は起きないけど。
結果として俺が生まれたのだから、とやかく言う筋合いは無いのかもしれないけど…どうやら俺は憮然とした表情をしていたらしい。
善一郎さんが顔を上げて笑った。
「確かに、上手いやり方じゃなかったかもしれん。じゃがな、昔を”愚かだった”と言うのは簡単な事じゃよ。本当に愚かしいのは、そこから何も見出せん者の事を言うんじゃないかな。お前さんも言っとったじゃろ、大事なのは”どう育つか?”…どうじゃ?あの人はつまらなそうに毎日を過ごしとるか?」
……全然。
特に刀を振り回してるときが楽しそうです、とは、この人に言っていい事なのだろうか?
なんとなく空白の出来た場に、襖を開ける音が響いた。
お盆に氷の入った麦茶を載せて、水城さんが入ってきた。
「お茶持ってきたよ」
そう言って俺達の前に、汗を掻いたコップを置いていく。
水城さんは今日は三つ編みにしていなかった。
長い髪を一つにして後ろで括り、薄い生地の淡い色のワンピースを着ている。
それだけで大分印象が変わる。
完全に夏の装いだが、実はあの最後の闘いの日から一週間と経っていない。
「最近お祖父ちゃん機嫌がいいんだよ」
俺の隣に座った水城さんが、嬉しそうに小声で話しかけてくる。
なるほどそれはそうだろうと頷いた。
善一郎さんは、今、変身ベルトをいじくっていた。
それが今日ココを訪れた理由で、この間の闘いのダメージを見てくれるためだが、その後ろに、服やら髭剃りやら、生活用品が散らかり、中央に大きな旅行鞄があった。
「……それにしても、世界一周旅行ねえ」
何十年も前にした二人の約束。
善一郎さんが勝ったら、たった一度だけ祖母さんとデートする。
その答えがこれだった。
世界一周旅行。
それも、ツアー会社が企画したものではなく、自分達で行き先も日程も決めると言うのだから、何週間、いや、何ヶ月かかるかわかったものじゃない。シンエモンさんのケツあごが割れんばかりの悪知恵だ。…この悪一休カップルが。
祖母さんに、しばらく旅に出る、と、武者修行者みたいな言い方でこのことを告げられた時、俺はひとつ気になっていた事を質問した。
「もし、樹が勝っていたら、どうしてたんですか?」
二人の約束を聞いてからずっと気になっていた事だ。
祖母さんはにこりと微笑むと
「その時はこちらからお茶にでも誘っていましたよ」
ケツあごよ、割れよ、砕けよ、と言わんばかりの答えだった。
その柔軟さがもっと早くに表に出なかったのは、孫としては悔やまれる所である。
だらだらと取り留めのないことを話しつつ、俺が麦茶を飲み干した時、善一郎さんが顔を上げた。
「ふむ、特に問題はなさそうじゃな。ただ、保証はできん。あと一回が限度だ、と考えとったほうが、間違いが無いじゃろ」
そう言って、ベルトを俺の手に返す。
「……そうっすか。どうも有難うございました」
やけに軽く感じるベルトを受け取り、俺は礼を述べた。
うん、と返事をして、善一郎さんが眼鏡をはずしながら立ち上がる。
そうして、いそいそと旅行鞄の方に歩いていった。
「…それで、秋名君は今日はこれからどうするの?」
声を立てずに笑いながら、水城さんがこちらを向く。
「そうだな、樹の見舞いにでも行こうかと思ってるんだけど、良かったら水城さんも行く?」
「あ、迷惑じゃなかったら、そうさせてもらおうかな」
「迷惑じゃないだろ、暇そうだったし」
樹は市内の病院に入院していた。
言うまでも無く、あのときの闘いが原因でだ。
あばらを何本か折っていて、腕にも数箇所ひびが入っていたらしい。
医者からは全治三ヶ月を言い渡されているが、見た目の印象どおり、じっとしているのが苦手らしく、病院内を徘徊しては看護婦さんにこっ酷く叱られている。
顔見知りになった若い看護婦さんが言うには、既にブラックリストに載っているとのこと。
じゃあ、と俺達が立ち上がりかけたとき、ポケットで携帯電話が振動した。
「あ、ごめん」
そう断ってから、俺は一人廊下に出た。
相手を確認すると、掛けて来たのはどうやら千葉ちゃんのようだった。
「ハイ、秋名ですけど」
「秋名君、千葉です。君、今、水城さんの所にいるのよね」
「そうですけど、何で知ってるんですか?」
「薫さんに聞いたの。悪いけど、直ぐに戻ってきてくれる」
「戻るって、俺んチにですか?」
「そう、それでね……」
部屋に戻ると、準備を済ませた水城さんが待っていた。
ほんの数分席を外しただけなのに、肩越しに二本の三つ編みが垂れ下がっていた。
「電話……千葉ちゃんからだった」
「千葉先生?何て言ってたの?」
「…うん」
俺は携帯に目を落とす。
要領を得ない電話だったけど、何か慌てていたのは確かだ。
「直ぐに家に帰って来いって……それから」
俺は旅行の準備に忙しい、善一郎さんに目をやった。
視線に気付いて、顔を上げる。
「水城さんと善一郎さんも一緒に来てくれって」
俺の言葉に、二人は同時に首を傾げた。
水城さんの家から、歩いて三十分。
商店街を丁度、等距離で挟むように、俺の家がある。
そこを五分で家に到着した。
……あのエレベーター、ウチにも欲しい。
水城さんたちと連れ立って祖母さんの部屋の中に入ると、そこで行われていたのは、
「普段はとても真面目なんですけどね、時々授業中に居眠りしてしまうみたいで」
「そうですか、私からもきちんと注意しておきますので」
二者面談だった。
「うごお」
「雨後?」
「海髪?」
「た、ただの呻き声です」
ちなみに前者は雨の後と言う意味で、後者はオゴノリという海藻の別称だ。
「…何やってんですか?」
肩を震わせる俺を見やって、千葉ちゃんが湯呑みを持ち上げる。
「お茶をいただいていたんだけど…」
断じてそういうことじゃない。
「じゃなくて、何でこんな所に学期末の風景が広がってんですか」
まだ中間テストも始まってないのに。
とりあえず、後ろで呆然としている水城さんたちに座布団をすすめ、俺も祖母さんの対面に腰を下ろす。
計ったように家政婦さんが入ってきて、俺たちの前に緑茶の入った湯呑みを三つ置いた。
それを持ち上げつつ、俺は二人の顔を交互に見る。
「で、用があるのはどっちなんですか?」
「私」と小手を上げたのは千葉ちゃんだった。
俺たち三人の方に向き直り、真剣な顔に、珍しい寒声で言葉をつむぐ。
「……一昨日の深夜、とある施設が何者かに襲われました」
とある施設、っていうのは多分、”フィクション対策部”とかいうふざけた団体絡みのものだろう。
千葉ちゃんの真剣な視線の先、水城さんだけが、わけがわからないと言うように首を傾げている。
「侵入した賊達は、あるモノを奪って逃走しました。その際、施設内の職員から重傷者六名、軽傷者十二名、それから…」
キッと善一郎さんを睨むように、視線を動かす。
「髪が未だにべとついている者が、重軽傷者達も含めて数十人出ています」
べと………洗えば?
って、そういう問題じゃないか。
「この粘着性のある物質を調べたところ、先日回収した、あるモノに成分が酷似していました。……あなたの作ったあのアンドロイドが使っていた”蜘蛛の巣”とか言うやつです。……これはどういうことでしょうか?」
驚いたように顔を向けている水城さんの耳に、善一郎さんは手をそえ口を寄せた。
「なんか、ストレスの多そうな先生じゃな」
千葉ちゃんの眉の間の渓谷が一際険しくなるのを見た。
「何か知っている事があれば教えてください」
教えてくださいとは言葉だけの詰問口調に、善一郎さんはそっぽを向いて唇を尖らせた。
「…佳乃のヤツ、何もこんなタイミングでじゃなくても良いじゃろうに…」
佳乃?
俺が首を傾げていると、驚いたように声を上げたのは水城さんだった。
「お姉ちゃんもそこに居たのっ?!」
お姉ちゃん??
二駅分くらい遠回りをして、脳が映像を結ぶ。
佳乃さん→水城さんのお姉さん→プルーム。
チーン。
「あの人佳乃っていうのっ?!」
……リアクションを間違えた気がする。
それにしても、あの格好で佳乃っていうのは。
……一体何の反動なんだ。
一人釈然としない俺を残して、会話は続けられる。
「お、お祖父ちゃん又なにかやったの?」
抗議するように善一郎さんが、じと目で水城さんを見る。
「別にワシはなんも言っとらんぞ」
「でも、何か知ってはいるんですよね」
迫ってくる千葉ちゃんに困ったように、善一郎さんは頭を掻いた。
「……まあ、隠すな、とは、言われとらんけどな」
「だったら教えてください」
「おじいちゃんナニを知ってるの?」
勢い込んで詰め寄ってくる二人に困ったような顔をして、一度だけ水城さんに迷いのある視線を向けた。
しかし、ふう、と諦めのため息をつくと、静かに語り始めた。
「…確かに、アレを盗んだのは佳乃じゃろう」
ごくり、と水城さんが喉を鳴らす。
「お前さんの言うとおり、ハニ子も一緒じゃろうし」
千葉ちゃんが無表情で頷く。
「それで、彼女達は、アレを持って今どこにいるんです?」
「…あの〜、ごめんなさい」
おずおずと、俺は小手を上げた。
「さっきから気になってたんですけど、アレってなんですか?」
俺の申し訳なさそうな口調に千葉ちゃんが簡潔に答える。
「タイムマシーン」
「へ?」
「は?」
俺と水城さんが予想外の角度から来た事実に同時に声を上げる。
声を失ってしまった俺達の耳に、ずずずう〜と、祖母さんがお茶を啜る音が聞こえてきた。
「君には前に話してたでしょう?」
呆れ顔で俺に言ってくる千葉ちゃん。
「そ、そんなこと話す機会なんてありましたっけ?」
どう考えてもタイムマシーンについて千葉ちゃんと話し合った事なんてなかったと思うけど。
「ほら、前に彩音のファミリーレストランで」
彩音のファミレス?
ん〜と首を捻る俺に、じれったそうに千葉ちゃんが言う。
「ほら、君がどんな”人”たちがいるか聞いてきたときに」
「あ」
思わず声を上げた俺に、やっと気付いたかと言わんばかりの顔を向けてくる。
確かに、直接的にではないにしろ、それに関係しそうな類の人たちの名前が出てた気がする。
―――宇宙人に未来人に天使…はもう何十年も交流がないらしいけど……魔法使い、超能力者、改造人間、死神にミュータントに元人魚、それから希少な空想動物達の保護。他にもやることといったら敵性の説得もしくは排除、人間に溶け込んでいこうとする人たちへの助成は勿論、イレギュラー的にそこにいる人達の保護、送還まで、とにかく何でもやるのが私達の仕事
「もしかして、未来人?」
「そうそう」
千葉ちゃんが嬉しそうに手をたたく。
水城さんが本当に意味がわからないと言う顔で、俺を見てくる。
「どういう事?」
千葉ちゃんの方を見ると小さく頷いたので、俺は掻い摘んで水城さんに説明する。
「……はあ〜」
聞き終えて水城さんは、ため息みたいな驚きの声を出した。
「それで」
説明し終えると勢い込んで俺は疑問を口にする。
この場合は千葉ちゃんより善一郎さんに話を振ったほうが早そうだった。
「その、佳乃さん、は、そんなものを持ち出してどうする気なんですか?」
真っ直ぐに善一郎さんのほうを向く。
「………茅乃さん、母親を助けるつもりなんじゃろうな」
「お母さん?」
心細そうに三つ編みをいじりながら、水城さんは不安気な顔で善一郎さんを見ている。
「……ごめん、ちょっと電話してくる」
そういうと、千葉ちゃんは立ち上がって誰かに電話をかけ始めた。
早足で歩いていき、襖の向こうへと消える。
「何で、お姉ちゃんはそんなものがあるって知ってたの?」
「わしが教えたから」
「教えたって…」
あっさりと答える。
「……真琴、お前さんとも無関係な話じゃないが良いかな?」
真剣な表情に、水城さんが少し後じさる。
しかし、直ぐに姿勢を正すと力強く頷く。
それを受けて、善一郎さんも頷きを返した。
一瞬表情に優しげな笑顔を浮かべる。
襖が開いた。
黙って来いってのよ、とか、何とかぶつくさ言いながら千葉ちゃんがもと居た場所に腰を下ろす。
チラリと呆れたような顔で千葉ちゃんを見て、善一郎さんは水城さんに視線を戻した。
「これは、お前の父親の話じゃ」
架椙山は町を囲むようにその稜線を伸ばしている。
緑濃い山の頂上には電波塔がたち、今でも時折猿などの野生の動物の姿が見られている。
夜ともなると辺りをほぼ完全な暗闇が覆い、地の人間でも入り込む事は無いのだけど、二人には関係の無い事だったらしい。
善一郎さんが二十一歳、祖母さんが十五歳の頃だ。
逢瀬というほど色っぽい関係でもなかったそうだから、単に星見ついでに話をしたりしていただけだろう。
その日も二人は、山の中腹辺りの視界の開けた場所で話をしていた。
当時の事なんか俺には良く分からないが、町の灯りも頼りなく、空ばかりが明るい夜だったらしい。
小一時間ほど話をしていると、ただひたすら静かなはずの森が、何故か突然うるさくなった。
警戒する動物の鳴き声と、夏木立の騒ぐ音。
そして、光だけの爆発。
ゆっくりと小さくなっていく眩い球体を二人は追っていった。
追いつく前に光は消えていったが、その中心と思われる場所で、一人の男の子が倒れていた。
見た感じ歳は五、六歳という所、脇に大事そうに黒いバスケットボールくらいの玉を抱えていた。
全身に細かな傷をおい、命に別状は無さそうだったが、軽く呼びかけたくらいでは目を覚ます気配はなかった。
二人はこの子をどうするか迷った。
それでも結局善一郎さんの家に連れて行くことにしたらしい。
その時既に善一郎さんの両親は亡くなっていて、家には彼独りしか居なかったそうだ。
男の子は深刻な状態でも無さそうだったし、とりあえず家で応急処置をして、もし次の日になっても目を覚まさなかったり、変調があれば医者に連れて行くということになり二人は山を降りた。
翌日、男の子はあっさりと目を覚まし、善一郎さんに子供とは思えないしっかりとした態度で話し始めた。
自分が遠い未来からこの時代に避難して来た未来人であること、あの黒い球体は”フィックス”と呼ばれるもので要はタイムマシーンであること、そして出来ればこの”フィックス”を安全な場所に保管して欲しい事。
最初ナニがなんだか理解できなかった善一郎さんだったが、話を聞き、幾つか証拠となりえるモノも見せてもらうと彼に協力を約束した。
それを聞くと、彼は安心したように妙に大人びた表情でため息をつき、その段になってようやく自分が自己紹介もしていない事に気がついた。
自分の迂闊さを恥じるように、顔を赤くして笑いながら名乗った。
「僕の名前は、ノゾミといいます」
「……お父さんの名前だ」
小声で呟く水城さんに善一郎さんは頷いてみせる。
「……わしは直ぐに心当たりに連絡を取った。大学の先輩でそういった事に詳しい組織に所属している人がいての、その時はもう卒業してたんじゃが、良くしてもらっていたから、そのときも頼った。その人は直ぐに快諾してくれたよ」
「ウチの組織の人間ですね」
そう質す千葉ちゃんに再度頷く。
「その人に”フィックス”を託すと、わしは、ノゾミを養子として迎えた。行く所が無いと言っとったし、これも何かの縁じゃと思ってな」
「…当時は既に何例か未来人の来訪は確認されていましたから、そう難しい事ではなかったんだと思います」
「……そうじゃな、まあ、あの馬鹿者はワシより先に病気なんぞで死におって、とんだ親不孝モンじゃったがな」
懐かしそうに目を細めて、湯呑みを持ち上げる。
そんな善一郎さんを見ながら、水城さんが静かに口を開いた。
「……お祖父ちゃんは、お父さんの事助けようとは思わなかったの?」
どこか責めるような口調で。
善一郎さんがふっと苦笑する。
「……ノゾミがそれを望んでなかったからな。お前たちのことはもちろん心配しとったが、それと同じくらいあの”フィックス”を使う事を嫌がとった」
「それでも…」
「それにな、わしは、お前さん達より少しばかり歳をとっとてな。…わしは人が死ぬ事を知っとる」
良く分からない。
そう言いたげな顔で、水城さんはじっと話に耳を傾けている。
「……運命だった、って事ですか?」
おずおずと口を挟んだ俺に善一郎さんがおかしそうに笑う。
「そんな大そうなものじゃない……いわば道理じゃな。生を受ければ、死もまた等しくそこにある。難しい事じゃなく、どんな生き物も生まれれば死ぬ。お前さんたちや、茅乃さんの事も気になったが、わしはあいつの言う事を尊重した」
「それでどうして、お孫さんを止めてくれなかったんですか」
憤るような千葉ちゃんの言葉にも、動揺する事無く善一郎さんは答える。
「簡単じゃよ、わしと佳乃が違う人間だからじゃ。わしが出来るのは説得とアレの危険性についての説明だけ、それでも聞かないと言うんならわしにやることは無いよ」
「だ、だとしても、どこにあるかとか、説明しなくてもいいじゃないですか」
「だって、ワシ可愛い孫に嫌われたくないもん」
「かっ」
絶句する俺達を意に介した様子も無く、のほほんとお茶を啜る。
……この人は間違いなく祖母さんと同類だ。
しばらく、呆気に取られていた千葉ちゃんだったが、気を取り直して、善一郎さんに向き直る。
「きょ、協力はしていただけるんですよね」
「推測でよければ、どこに行ったか位は教える。でも、それだけじゃな」
「ついて来ては貰えないんですか?」
「言ったじゃろう、とっくに説得はしとるって、それに、ワシ旅行の準備で忙しいし」
「そんな無責任な」
「あのな…」
まるで出来の悪い生徒を正すような態度で、善一郎さんは続ける。
「これは、お前さん方と佳乃の問題じゃろ。それに責任というなら、きちんとアレを管理すると言ったにも拘らず、奪われたあんた方にあるんじゃないか?」
たいした言い分だ。
しかもそれを、しれっと言うのが憎たらしい。
「そ、それは、あなたが教えたからでしょう」
「ワシはどこにあるかは教えたが、そこがどんな所かまでは言っておらんぞ、そもそも知らんし。それに、佳乃なら、場所くらい直ぐに突き止め取っただろうしな」
何だその余計な信頼感。
「で、でも」
尚も食い下がろうとする千葉ちゃんに面倒くさそうに首を振る。
「だから協力せんとは言うとらんだろ。場所は彩音町、細かな事は真琴が知っとるよ」
いっせいに水城さんの方を見る俺と千葉ちゃん。
少したじろぎながら、水城さんが髪をいじる。
「…そ、それって、私達の家があった所?」
その言葉に善一郎さんが頷いて、行き先が決まった。
車は街中を走っている。
道はすいていて、時速六十キロの景色が、目に入っては流れていく。
車は八人がけの大きなファミリーカー。
俺と水城さんが広い後部座席を占領し、助手席には千葉ちゃんが座っていて、ナビもせずにブスッと窓の外を眺めていた。
「久しぶりの休みだったんだぞ」
ハンドルを握っている男性の悲しそうな声が、カーステ代わりに車内に流れている。
車が赤信号で止まった。
男性はステアリングにあごを乗せ、恨みがましそうな目で千葉ちゃんを見る。
「それをこんな簡単に呼び出しやがって」
「「すいません」」
揃って頭を下げる俺と水城さんに、打って変わったような、快活な声で返事をする。
「いや、君らは謝る事ないよ。どうせこいつに巻き込まれたんだろ」
信号が青になり車は走り出した。
前を向いたまま、千葉ちゃんの方を親指で差す。
「こいつ、昔っからそうなんだよ。いっぺん信用した人間にはとことん甘える所があって、まあ、基本的にだらし無い人間なんだな。前も夏に……ぶへぼがっ」
「余計なこと言わないでっ」
一閃する右ストレート。
……何でもいいけど、前向いて運転してくれ。
「お、お前、危ないだろっ流石に」
頬を押さえながら片手で運転しているこの人の名前は渡 康平という。
千葉ちゃんの学生時代の友人で、同じ”フィクション対策部”の人間らしい。
「だったら黙って運転してなさいよっ」
ウチで千葉ちゃんが電話していた相手はこの人だった。
目的地までの足として呼んだといっていたが、不満そうにしながらも素直に来ている辺りで、関係は推して量るべし。
既婚者らしく、さっきから折角出来た子供との時間を潰されたと嘆いてばかりいる。
とんだ減点パパぶりだけど、こっちとしては申し訳なさで一杯だ。
隙を見ては謝っているのだが、ヒラヒラと軽く手を振り、不満は全て千葉ちゃんに向けられていた。
「そんなだから、結婚でき……べごっ」
「か、関係ないでしょっ」
……ただ、からかってるだけの様にも見えるけど。
隣を見ると、水城さんは肩をすくめて首を振った。
しらねーってことらしい。
「と、ところで、その、”フィックス”でしたっけ?それを使ったら、具体的にどうなるんですか?」
映画とかを見ていると大体タイムマシーンの弱点みたいなものは予想できるのだけど、いつまでもキャンキャンとやり合っている二人にいい加減頭痛がしてきたところで、俺は強引に話を変える。
二人はピタリといちゃつくのを止めた。
そして、渡さんが予想してなかった答えを口にした。
「別に何も起きないよ」
「ちょっと」
千葉ちゃんが慌てたように、彼のほうを向いた。
「折角手伝ってくれるって言うのに、話さないのはフェアじゃないだろ」
その言葉に千葉ちゃんが何か反応する前に、俺は口を挟んだ。
「何も起きないんですか?」
水城さんも少しだけ身を乗り出して、当事者に戻った。
諦めたようなため息が聞こえる。
「……そうよ」
体を座席に沈めて、覚えてなさいよ、と、隣に呟いてから続ける。
「タイムマシーンって言っても、”フィックス”の真価は時間移動には無い。……”フィックス”はその名前の通り”固定するもの”なの」
「……固定するもの?…なにを?」
「時間…………歴史、って言ってもいいけど。…例えばここに大量の”つくね”があるとする」
……もの凄く想像しづらい例えだ。
「それが、一列に不安定な様に置かれている。これが歴史とか時間の流れ。ここに他からの力、時間移動による変化が加わった時このつくねはどうなる」
……ああ。
「好き勝手に転げまわります」
「そう…そんなことが起きないように、串を刺すのが”フィックスの”役目。つまり、現状を記録してくれるの」
……それにしても、昨夜は焼き鳥で飲んでたのか?
「じゃあ、お姉ちゃんのしてる事は意味の無い事なんですか?」
……そう、いう事だよな。
”フィックス”は現状を固定して、変化が起きないようにする物らしい。
何をやっても、”フィックス”を使った時点でその瞬間に影響は無い。
しかし、そうなると、”フィックス”での時間移動は出来ない事になるし、そもそもする意味が無くなる気が、する…けど………あれ?
「…でも、水城さんのお父さんは、この時代にやってきて、子供まで出来てますよね」
渡さんがハンドルを切りながら話に加わる。
「”フィックス”自体は一種の特異点のような物らしいんだ。そして”フィックス”が固定するのは、世界や歴史にとって重大な影響を及ぼすものだけだ。その基準がどんなものかは知らないが、少なくとも、”フィックス”がこの時代に存在する事や、人の生死なんかは、世界やあの玉っころにとっては大して重大な事じゃないみたいだな。歴史的な事実を補完するなら、それが実際に本人でなくてもいいって事なんだろう」
いい加減だろ、と、付け加えて再び運転に集中する。
「…まあ、そのオカゲで大国やテロリストに狙われる事も無いんだけどね」
そりゃそうだ。
苦労して手に入れても、使って変化が無いんじゃ骨折り損も甚だしい。
「……じゃあ、どうして、”フィックス”を使っちゃダメなんですか?」
「困るからだよ」
そう言いながらハンドルを切る。
外の様子が変わって、街から住宅地へとシフトしていく。
「命の価値がどの辺りにあるかは知らないけど、あんなものポンポン使われたんじゃ、人は多分今より命を軽んじるようになる。それじゃあ今まで築いてきた価値観の根底がおかしくなるからね。常識とかってのは疎んじられがちだけど、概ね正しいからあるモノなんだよ」
「……お母さんの命が掛かってる水城さんには悪いけれど、そう言う訳で、前例を作るのは避けたいの。……解ってくれるかな?」
申し訳ないような千葉ちゃんの言葉に水城さんは頷いた。
「……なんとなく解ります」
「…ありがとう」
そんな風に水城さんは答えたけど。
……俺だったらココまで割り切れるだろうか。
無意識にベルトを撫でながら、体の中心で何かが揺れているのを感じた。
「ココです」
水城さんのその言葉で、車は停止した。
列座する家々の中に、ぽつんと置き去りにされたような空き地。
立て看板が背中を見せて倒れているその場所に、二つの人影があった。
「お姉ちゃんっ!」
そう叫んで車から飛び出していく水城さんの後を、俺達もあわてて続く。
「まあちゃん?」
こもった声で人影の一つが振り返る。
「そんなものどこにあったのっ?」
「イヤ、水城さんそうじゃない」
追いついた俺は、脱力して彼女の肩に手を置く。
……まあ、そう言いたくなる気持は解らなくもない。
彼女の普段露出度の高いお姉さんは、この暑い中何故か宇宙服を着ていた。
「NASA?」
反問調でそう答える。
胸元にアメリカの国旗が見て取れた。
「だからそうじゃないだろ」
俺の言葉を無視するように、二人は続ける。
「そんな物どうやって手に入れたの?」
「ネットで買ったの。払い下げ品であったから」
「それを、何で、今着てるのっ」
「ん〜」
と、俺のほうに意味深な笑顔を向けた……んだと思う。
黒いシールドの張ったバイザーからは、表情が見えない。
「だって時間移動って大変らしいんだもん。普段着じゃだめだってお祖父ちゃんが言うから」
腕を広げて、もたもたと一回転してみせる。
「これって思ったより着心地が悪いのね」
「もうっ、こんな事止めてよ、お姉ちゃん」
「何で〜?」
ちまちまとした動きを止めずにオドケタ調子で逆に訊ねてくる。
「だって、お母さんの事助けられるのよ、まあちゃん。話は聞いたんでしょ?まあちゃんは、お母さんに会いたくないの?」
「それは………」
言いよどむ水城さんをフォローするように千葉ちゃんが割って入る。
「水城佳乃さん。私は”フィクション対策部”の千葉玲子です」
「あら、千葉先生お久しぶりです」
「ああ、おひ……じゃなくてっ。水城さん!こんなことは止めて、アレを返してください」
そう言って指差した先に、もう一つの人影、ハニ子が居た。
いつものうるさい口は黙り、目を閉じて大事そうに黒い球体を抱え込んでいる。
……アレが”フィックス”か。
「どうしてですか先生?」
「せ、先生はやめてください。……アレが危険なものだからです」
「でも、”フィックス”の性質上、他の人達に迷惑を掛けることはないと思うんですけど」
「現に今掛かってますっ!…それに、一度使ってしまえば、それは次に使う時の理由になりかねません。今返してくだされば他の事は不問にしますから」
「……諦める理由としては弱いわね〜。……それで、もし、断ったら如何するんですか?」
「…残念ですが、その時は実力を持って……」
事態の推移を見守っていた俺の肩がポンッと叩かれる。
「……………………………………え、俺?!」
「当たり前でしょ何のために君を連れてきたと思ってるのっ」
グイッと襟首を引かれ、顔がアップになる。
「い、嫌だっ、何で俺が」
「ここまで来といて、それは無いでしょ。君もそのつもりだったんじゃないの?」
「そんなわけあるかっ!大体そういう事ならもう一人いるでしょ適任がっ」
そう言って渡さんのほうを指差すと顔の前で手を振っていた。
「あ、俺今日オフなんで」
……なんてビジネスライクな。
「いいから早く変身しなさいっ」
「無茶苦茶言うなっ。自分でナントカしろよ」
「協力してくれるって言ったでしょ。ほら、取り押さえるだけでいいから」
「うわっ」
ドンッと背中を押される。
つんのめる様に前に出てきた俺に、文字通り、表情の見えない顔が向けられる。
「こんにちわ」
「こ、こんちわ」
「久しぶりね」
「そ、そっすね」
当たり障りの無い挨拶をしている間に、姿勢を正した。
「……そ、それで、諦めてくれる気は無いんすか?」
「君なら諦められる?手段が無いならともかく、目の前にそれがあって、大切な人を救えるチャンスが自分の手の中にあった時、それを不意にする事ができる?」
そんなの……。
「……無理だと思います」
「ちょっと」
千葉ちゃんが慌てて駆け寄ってくる。
「しっかりしてよっ。君ヒーローでしょ。弱きを助け強きを挫き、みんなのピンチを助ける為にそのベルトがあるんじゃないの?」
「そりゃそうかもしれないけど……」
「そのベルトはそんな事の為にあるんじゃないわよ」
「「………は?」」
肩を揺さぶっていた千葉ちゃんの手が止まり、二人して間抜けな声を上げる。
「だって、それ防護服だもの。”フィックス”を使う時の」
腕を組んだ宇宙服が、一歩前に出てくる。
「他の戦うための機能は、行った先で危険に遭遇した時にあるモノで、本当は時間移動をするときの衝撃に耐えるように使われてるものよ」
「ああっなるほど!そいつは未来のモンだったのか。いや、出所は気になっていたんだが、そっかそっか」
うんうんと、渡さんは頷いている。
「何でウチの祖母さんがそんな物持ってんすかっ?」
「お父さんが”フィックス”と一緒に処分してくれってお祖父ちゃんに頼んだときに、だったら頂戴って持って行っちゃったんだって」
………あの、ババア…。
じゃあ、ホントにヒーローでも何でも無かったんじゃねえか。
「でも、あなたのしてる事は犯罪よ。今の話は彼が戦わない理由にはなっても、あなたが許される理由にはならないわ」
千葉ちゃんが睨むように宇宙服を見る。
「そうね。でも私はお母さんを助けるの。どんな事をしても」
「お姉ちゃん…」
にらみ合う様に対峙する二人に、水城さんが呟いた。
一見余裕の佳乃さん(そんな風に見える)に一際厳しい顔をしている千葉ちゃん。
弥が上にも緊張感が増していく中、俺は考えていた。
―――弱きを助け強きを挫き、悪は絶対に許さない。
それは、テレビでヒーロー番組を見ていた殆どの男の子の中にある、絶対のヒーロー像、そして、正義の形。
……でも…。
それは、ずっと感じてた疑念。
「よっこいしょ」
そう言って、佳乃さんがヘルメットを外す。
ふぁさりと音を立てるように髪が垂れて、長い前髪が顔の半分を隠す。
けったいな化粧も、仮面もかぶっていない、素顔。
分厚い手袋が、顔を隠した前髪に伸びた。
「お姉ちゃんっ?!」
「「「……っ」」」
そこに表れたのは顔半分を占める引き攣った火傷の跡だった。
炎によって縮んだ皮膚が凄惨な表情を作っている。
その場に居た誰もが息を呑んだ。
佳乃さんは俺達の様子を見て、ふっと笑ってから、手を下におろした。
深い闇色の髪が、夜が落ちるみたいに傷跡を隠していく。
「お姉ちゃんっ」
駆け寄っていった水城さんの頭を、佳乃さんは優しげに撫でた。
水城さんは泣きそうになっていた。
「……どうして、……見せたりしたの?あんなに嫌がってたのに」
「何でもするって言ったでしょ」
胸元に抱きついている妹の頭を撫でながら、俺達の方を向いた。
「今のは、お母さんが亡くなったときについた傷よ。私もその場に居たから。……私はお母さんに突き飛ばされて助かったけど、その後気絶してしまって、玄関に倒れていたところをやって来た消防士さんに助けてもらったの」
「……どうして、俺達に傷跡を見せたんだ?」
感情を押し殺した声で、渡さんが尋ねる。
「…少しでも同情しなかった?何でもするって言ったけど、私だって暴力とかは嫌なのよね。ちょっとでもあなた達が同情して、助けてやってもいいかなって気になれば、私も楽だもの」
あっけらかんと答える佳乃さん。
裏にある感情の何物も感じさせない声。
優しい手つきで、しゃくり上げる水城さんの頭を撫でていた。
きっと、ずっとそうやって守ってきたのだろう。
「…足りないんだったら、土下座でも何でもするけど」
千葉ちゃんが泣きそうな顔で渡さんのほうを向いた。
「…決めるのはお前だよ千葉。彼女は屈辱を武器にするくらい本気だ。……お前がどう結論を出そうと、俺だけは絶対許してやるから自分で決めろ」
そう言われて千葉ちゃんの表情が揺れる。
やがて、そこに決然とした光が宿った。
「……あなたには、とても同情する。……でも、…」
「ちょっと、待って」
弾かれた様に三人の顔が動く。
怪訝そうな顔色が一様に向けられた。
ゆっくりと、水城さんが顔を上げた。
その泣き顔を見た俺は、頷いて一歩前に進んだ。
「準備完了でありますっ」
場違いに明るい声が響いて、俺は頭からこけそうになった。
「”フィックス”へのアクセスに成功し、時間設定も終わったのであります。後はタイムジャンプするだけなのであります」
黒い玉を両手で持ち、それを頭上に掲げる『とったどー』のポーズ。
「……あのな、空気読めハニ子」
「貴様に軽々しくハニ子とか呼ばれる筋合いは無いっ………って、あ、あれ?」
頭を抱える俺たちを見て、ようやく状況が理解できたらしい。
保護者の方を振り返り、不安そうに尋ねる。
「な、何か、あったのでありますか?」
「ん〜、ちょっとね」
愛しげに水城さんの頭を抱えながら、佳乃さんが笑う。
「あ、ああ〜っ、どうして真琴様は泣いておられるんでありますかっ?!………ま、まさか」
そう言って、俺のほうを向くハニ子。
「あ、あほかっ、違うわっ。何で俺が水城さんの事泣かさなきゃいけないんだよ」
「貴様が不逞な劣情に駆られて、口にするのも憚られる行ないをしたんじゃ……」
「するかああぁぁっ!目ぇ覚ました途端わけわからん事口走ってんじゃねえっこのエロポンコツがっ!」
「エ、エロポ……」
あまりの悪口に虚脱状態になったハニ子を無視して、俺は千葉ちゃんの正面に立った。
「……どういうつもり?」
「悪いですけど、俺、こっちに付きます」
「……どうして?」
……ス、スッゲー怖い顔してんだけど。
「…………」
「……彼女の言葉に同情したから?」
どこまでも厳しく千葉ちゃんの声は響く。
「……それもあります」
千葉ちゃんが全然可愛くなく首を傾げる。
―――で?
「……俺も男なんで、ちっさい頃にヒーローのテレビとか見て、憧れてたりとかしてたんですよ」
「話が見えないけど…。だったら、なおの事解らないわ。ヒーローっていうのは弱きを助け強きを挫くモノなんじゃないの?悪いヤツを憎むものじゃないの?」
「……それなんすよね。ヒーローとか大好きだった筈なんですけど、ちっさい頃からそれだけが分かんなくて。……じゃあ、強い人とか悪い人とかはどうしたら良いんですか?」
「……は?」
「……だって、どんなに強い人だって、助けて欲しい時くらいあるんじゃないですか?……悪い事した人全部が、手助けもして貰えないほど酷い人なんですか?」
「それは、そんなことはないでしょうけど、それとこれとはまた話が別でしょ」
「そうっすかね?…………俺は、祖母さんにこんな物押し付けられて、遅刻とか課題とか良い目なんて一つも見てないし、しかも、こいつ、本当はヒーローのベルトとかじゃ全然ないインチキベルトらしいっすけど…………………それでも、こいつを付けてる間は俺はヒーローなんですよ」
ぺチンとベルトを叩く。
抗議するみたいに、きらりと光って見せた。
「どういうヤツがヒーローになれるかなんて俺には解らない」
……想像くらいはつくけどね。
それはきっと、心から悪を憎める人。
弱い人達の為に自分が傷つく事を厭わない人。
苦しみながらも、絶対に自分の信念を曲げない人。
そして、結果的に正しいことが出来る人。
公正で決して折れることのないヒーローの条件。
……とてもじゃないけど、そんなものにはなれない。
「解らないですけど、小さいときにずっと思ってた。もし、俺がヒーローだったら……」
多分、見境なく色んな人に同情しまくって、そのくせ中途半端で、ぶつぶつ不満を零して、敵に負けても割りと平気で。
―――それでも。
「…俺にもし、ヒーローって呼ばれるような力があるんだったら……」
視界の端に、抱き合うようにして話を聞いている水城姉妹が目に入った。
不思議と、今から言おうとしている事は、間違っていないと信じれる気がした。
「……俺は……目の前で泣いてる人を助けてあげたい」
……例え誰かに否定されても。
「ただの我がままだけど、それでも」
可哀相、なんて、単純で軽い動機で、手を差し伸べたい。
「……だから、俺は、水城さんのお母さんを助けます」
「……秋名君の言いたい事は分かったけど、それでどうするの?」
「えっと……見逃してくださいっ!」
思いっきり頭を下げる。
「……はあ?」
頭の上から冬の雨のようなもの凄く冷たい声が降ってくる。
「それで通じると思ってるの?」
「まあ、通じるだろうな」
渡さんが口を開く。
「ここにいる俺達全員が口を拭ってしまえば、誰に伝わる事もなく、隠し………すいません」
千葉ちゃんの錐よりも鋭い目線に刺されて、押し黙ってしまう。
「お願い千葉先生」
「お願いします先生」
俺の両隣で水城さん達も頭を下げる。
深々と腰を折る、三つのブーメラン。
「うっ」
流石にたじろいだ様子で、千葉ちゃんの足が下がる。
……あ、水城さんあのウルウル目だ。
「……な〜んか、お前悪いヤツみたいだぞ」
「う、うるさいな。き、君達もね、そんな事くらいで、私が頷くとでも思って……」
「思ってます」
「え、ええぇえ〜」
俺は顔を上げて、千葉ちゃんの目を見つめる。
気圧される様に彼女の足が更に一歩下がった。
「千葉ちゃんとは、言っても一年以上付き合いがありますからね。俺だって、先生の事、少しは知ってますよ」
「ぐう……ちょ、ちょっと、あんたも何とか言ってよ」
「…お忘れのようですけどねえ、さっきも言ったように、俺は今日オフなんですよ、残念ですけど」
恨みがましくそう言って、財布から写真を取り出す。
そこには、綺麗な奥さんと可愛らしい女の子が写っていた。
その二人を抱きしめているのは、ここには居ない幸せそうな渡さんだ。
「ちょ、……だって……くう………ああ、もう、……わかったわよっ、好きにすれば良いでしょっ」
「マジでっ」
俺たち三人がいっせいに顔を上げる。
「だって、しょうがないでしょ。君達に私一人が力ずくでって言うのも無理な話だもの」
「あ、ありがとう先生」
水城さんが千葉ちゃんの手を取って、ぶんぶんと振り回す。
「あ〜、もう良いから。……その代わり、こうなったからには、絶対秘密は守ってもらうわよ」
「「「は、はい」」」
悪魔すら怖気を震いそうな笑顔で俺達の手を取ってくる。
「そうそう、人間素直が一番だよ千葉…」
「あ、あんたが言うなあああああああああああ」
「ふぎゃああああああああああああああああああああああああああああ」
肘鉄を胸に食らって、吹っ飛ばされる渡さん。
……何ていうか、千葉ちゃんなら俺達くらい簡単に鎮圧できた気がする。
敷地の柵に叩きつけられて、渡さんはぴくんぴくん痙攣していた。……とんだホリデーだ。
「それから、秋名君っ」
猫の威嚇音みたいにフーッフーッ唸っていた千葉ちゃんが、キッとこちらを向く。
「ひっ、は、はいっ」
「君は色々私の言った事を覚えてるみたいだから、勿論他の事も覚えてるわよね」
「な、何のことでしょう?」
ばきばき拳を鳴らしながら、眼前まで迫ってくる。
ヒュッと音を立てて拳が振るわれた。
「ひいいいぃぃぃぃ」
思わず目を瞑った俺は胸のうちで思いつくだけの祈りの言葉を吐いていた。
そして、胸の中心辺りに感じたのは、しかし、軽く触れるような感触だった。
「教会、教会をいっぱい建てますから命だけは……て、え?」
腕の伸びた先、固く握られた拳は、心臓の上にそっと置かれていた。
……これはこれで、なんだか酷く居心地が悪い。
「……怪我せず絶対に帰ってきなさい。前も言ったけど、教師って言うのは生徒を危ない目にあわせちゃいけないの。だから、これからやる事が危ない事にならないくらいに、君は頑張りなさい。それから、やるからには、水城さんのお母さんを必ず助けるのよ。……もし、これらが守られなかったり、学校を欠席、遅刻したりしたら、その時は見たことも無い様な量の課題を出すから」
「き、肝に銘じておきます」
良しっと腕をポンと叩かれ解放……いや、激励される。
「大丈夫か?」
いつの間にか立ち直っていた渡さんが俺の隣に立って笑いかけてくる。
「いや、完全に、こっちのセリフですよ」
「大丈夫、大丈夫慣れっこだし」
それはどんな地獄絵図ですか?
「そんな事より、気楽にな。まあ、人の命が懸かってるから、そうも言ってられんだろうが、緊張しすぎても良い事無いぞ…」
そう言って、ぶっ倒れた。
「ちょっと、渡さん?!」
「い、いいか、俺の、ようには、なるな、よ」
がく。
「わーたーりーさーーーーーーーーーーーーん」
………。
……まあ、大丈夫だろ。
取り敢えず、千葉ちゃんが平気な顔をしているので、渡さんは放って置いた。
俺はハニ子のそばで、何事かを話している水城姉妹の方へ駆け寄っていった。
「あ、秋名くん」
俺の姿を認めて、水城さんも小走りで近寄ってきた。
「本当にありがとう。先生を説得してくれて」
「ああ、うん。これで、約束は守れたかな?」
「やくそく?…ああ、あはは、うん」
そう言って嬉しそうに笑った。
―――だから、もし、この先何かありそうな時には俺が全力で止める。
「お姉さんのやろうとしてる事を俺が代わりにやる、っていうのは随分曲解した、って言うか屁理屈っぽいけどな」
「そんな事無いよ、本当に感謝してる。ありがとう」
「いや、もういいよ」
「二人とも」
ハニ子を引き連れた佳乃さんが後ろから声を掛けてくる。
「仲がいいところ悪いけど、そろそろ、お願い」
「分かりました」
俺が頷くと心配そうに水城さんが三つ編みをいじっていた。
「気をつけてね」
「うい〜」
目を瞑ってベルトを触る。
鼓膜を圧迫するような感覚が久しぶりに訪れる。
……自分から望んでって言うのは初めてだな。
水城さんの祖父さんとウチの祖母さんの大事な思い出のベルト。
実際は馬鹿馬鹿しくて、はた迷惑な闘いだったけど、大切な二人のつながり。
……まあ、だから今日くらいは、最後だし。
胸を張って、
「変 身 ! !」
体を心地よい違和感が走り、外皮が構築されていく。
一秒と掛からないうちに、俺は、多分、最後の変身を終えた。
俺とハニ子を囲むように皆が立っている。
「向こうに着いたら、なるべく迅速に行動してね。ハニ子のエネルギーに、もうあまり余裕がないから」
つっても、こいつのエネルギーって重油だよな?
だったら向こうでも手に入るんじゃ?
思っていた事をそのまま口にすると嗜める口調で佳乃さんが答える。
「ハニ子自体のことはそれでもいいの。問題は”フィックス”の方。”フィックス”はハニ子から直接エネルギーを吸収してるんだけど、一瞬でもエネルギーの供給が切れると、”フィックス”のデータが初期化しちゃうのよ。データの再編はハニ子でも出来るだろうけど、正確さの面でやっぱり頼りないのよね。だから、なるべく早く行動して欲しいってわけ」
「分かりました」
「……一応、調べた通りに行けば本当に火事の真っ最中に放り出されると思うけど…」
「大丈夫っすよ。ちゃんとお母さんは助けますから」
そう言って拳を叩いてみせると、初めて見せる真剣な表情で、佳乃さんは頭を下げた。
「……母を、よろしくお願いします」
「は、はい、承りました」
見慣れない態度に、呆気にとられつつ、ハニ子のほうに近寄る。
「…サンレッドとわたくしとの初めての共同作業であるな」
「だからなんで一々お前はそういう表現をするかな、てか、サンレッドは止めろって」
苦笑しつつ、彼女の肩に手を置く。
「よし、じゃあ始めるぞ」
ハニ子が目を瞑り、修験者が瞑想をするような集中を見せる。
それに呼応するように”フィックス”が鳴動を始めた。
ベルトのモノとは比にならないほどの圧力。
俺とハニ子以外は皆片膝をついていた。
「アクセス」
”フィックス”に無数の幾何学の光の線が走る。
大地の揺れは更に激しくなり、それに伴って圧迫感も尋常ではないものに変わって行った。
「&%'UHUIOYFDDYTNZ?L~|\\II%$#2"!&RUO>>POIP」
ハニ子の口からは人間の言語形態から著しくかけ離れた音が発せられている。
「アクション」
そういった途端ピタリと全ての現象が無くなった。
音、揺れ、そして、不可視の圧迫感。
「来るぞっ。……レッツ、バーーーーンーー
唐突に起こった光の爆発。
ハニ子の声は飲み込まれ、ただ、真っ白なだけの世界が視界に広が……
―――何もかもが燃えていた。
今まで、火事なんて一度も見たことが無かったが、真っ先に、強烈に、視界に入ってくるのは、頭上の煙だった。
根の深い雨雲のように、圧倒的な広がりを見せる黒い影。
真昼間にも拘らず、自身と同質量の暗影を地上にもたらしていた。
そして、その中に潜むように時折姿を見せる真っ赤な炎は、生身ではとても耐えられない熱波でもって、周囲を傷つけている。
光が収まった時、視界に現れたのは、そんな光景だった。
不思議なほど物が燃える匂いを感じられず、正常に機能していたのは視覚と聴覚のみ。
胸を締め付けられるような赤い色と、何かが爆ぜる音。
肩をつかまれ、呆然としていた俺をハニ子の声が現実に引き戻す。
「何ボーっとしてるんだ。時間が無いって言われただろ」
「あ、ああ」
未だに半覚醒状態だったが、ようやく、思考がまともに働き始める。
……聴覚が正常でホントに良かった。
「そうだっ、水城さんのお母さん、い、入り口は」
冷静な状態とは言えないまでも、見回すとここがどうやら裏庭であることに気付いた。
炎に煽られて倒れた物干し台や、辛うじて原型をイメージできるガーデニングの跡があちこちで朽ちかけている。
「落ち着くのである。……ほら、あそこ」
そう言ってハニ子が指差した先に、炎の中にぽっかりと開いた口があった。
裏庭に降りる出入り口。
ガラスが割れて、窓枠だけが炎に飾られる様に虚しく残っていた。
「お、おう、じゃあちょっくら行って来る」
「時間があんまり無いからなっ。急げよ」
ハニ子の声を背中で感じつつ、俺は炎の中に飛び込んでいった。
「水城さーーんっ」
大声を上げて名前を呼んでみるが、返答は無い。
いたる所に炎の川が流れていて、およそ目に付くもの全てを飲み込んでは黒い塊に変えて行く。
思ったより広い家だ。
しかも想像以上に炎の勢いが激しい。
スーツが無ければ、入り口に近づく事すら出来なかったと思う。
「誰かっーいたら返事してくださ……」
その時、俺のほうに向かって赤色を纏った柱が倒れ掛かってきた。
「くっ」
腰ダメに拳を固めて、叫ぶ。
「ヒーーーート、パーーーーーーンチッ!!」
派手な音を立てて呆気なく柱は粉々になる。
……やばいな、別の意味で時間が無いぞ。
「水城さーーん、どこですかっーーーー?」
足の裏にかすかに熱を感じつつ、俺は叫び続ける。
佳乃さんの話の感じじゃあ、二階って事は無いだろう。
リビングを出て長い廊下を慎重に歩きつつ、廊下に面した一部屋に入った時だ。
……声が聞こえる。
俺はその部屋から飛び出した。
細い糸を辿るように、頼りない小さな声を頼りに俺は足を急がせた。
…そして。
……………………………………………………………………居たっ!!
炎の先端に揺らぐような二つの人影。
小さな十歳くらいの女の子が必死で、倒れこんだ女の人手を引っ張っていた。
女の人の足には、燃える瓦礫が詰みあがり、とても幼い少女一人での救出は無理だった。
……急がなきゃ。
駆け寄ろうとした俺の目の前に、天井の一部が落下してくる。
「くっ、……邪魔だあああああああああああああ」
腕をふるって、それを横合いに吹っ飛ばす。
かなり大きな音を立てたが、二人に気付いた様子は無い。
母親の方が、少女を抱きしめて必死で何かを伝えている。
やがて身体を離し、少女はこくんと小さく頷いた。
悲しそうに母親が少女を抱きしめる。
俺はというと、必死で足を進めてはいるのだが、炎に邪魔されて思ったように近づくことが出来ない。
―――みしり。
不吉な音に俺は視線を上に向けた。
……天井が崩れる?
先程落ちてきた一部を失ったことで、均衡を保てなくなった天井が嫌な音を立てつつかすかに揺れていた。
母親の方もそれに気付いたのか、抱いていた手を緩めて少女を離す。
何事か言葉を交わしてから、母親が俯く。
頭上から聞こえてくる音はますます不吉の度合いを増している。
……マジでやばい。
焦りが水草のように俺の脚に鈍く巻きつく。
……いくつかの事が、同時に起こった。
母親が顔を上げて、信じられないくらい綺麗な顔で笑う。
炎に照らされた、どこか非現実的な表情を脱力して見ていた少女が母親に突き飛ばされて廊下に身を投げる。
天井がバリバリと音を立てて、その重い体をゆっくりと地上に沈めようとする。
「ライジング……」
目の前を走る赤い光の群れ。
炎にも負けない真摯で力強い紅。
「パーーーーーーーーーーーンチ!!!!!!!」
全身から力がみなぎり、それに合わせる様に白い光が沸き溢れてくる。
拳があたった天井の一部が弾けて砕ける。
……まだまだまだまだまだっ!
そのまま続けて拳を繰り出す。
音よりも早い連打。
流石にこの天井全てを破壊するのは無理でも、完全に落ちてくる前に、俺達が入るくらいの穴を開ける事は出来る。
名づけて、ドリフ大作戦!!
……スッゲェかっこ悪い。
「オイーーーーーーーーーーッス」
突然現れたコスプレしたドリフファンの存在に、二児の母は呆気に取られていた。
……それはそうだろうなあ。
なぜか鷹揚にそう思いつつ、俺は狂ったように天井を叩く。
そして……。
ズシーンと音を立てて、天井が落ちてきた。
「よっしっ」
会心の出来に思わずガッツポーズ。
作戦通りに二人が余裕で通れる穴を開けて、念のために水城さんのお母さんの上に覆い被さっていた俺は勢いをつけて立ち上がった。
「いや〜、ここまで上手くいくとはなあ〜。すげ〜完全にドリフじゃん」
「あの、すいません」
変な方向に興奮してた俺に、申し訳無さそうな声が掛かる。
辺りを見回していた俺は、慌てて彼女のそばに駆け寄った。
……水城茅乃さん。
水城さん達の母親だ。
彼女達はどうやら正確に彼女の遺伝子を引き継いだらしい。
顔は煤まみれだったが、かなりの美人だった。
「あなたは?」
そう問われてもなんと答えたものか。
「……と、通りすがりのヒーローです…」
「……はあ」
なんか可哀相なものを見る目で見られた。
「それで……つっ」
呆れたような表情をしていた茅乃さんが急に顔をしかめた。
「あ、ちょっと待ってて」
そう言って足に力を籠める。
「ヒート、キーック」
彼女の足に乗っていた瓦礫を文字通り一蹴する。
重みから解放された茅乃さんが立ち上がろうとして、苦鳴をもらす。
「いや、無理っすよ。ほら、抱えてくんでしっかり掴まって」
彼女を抱きかかえて、来た道を戻ろうと走る。
何とか助けることは出来たが、決してのんびりしてる暇は無い。
「ま、待って、娘がまだいるんです。どこに居るかは分からないんですけど、私のことはいいから助けて」
そう言って俺の頭をブンブン振り回す。
「い、い、や、だいじょ、ぶ、なんす。あの子は……」
もう直ぐ出口だった。
探している時間がなければ、ものの一分と掛からず入ってきた裏庭が見えた。
「だ、いじょぶ、だ、あ、っす。消防士が……」
そう言い掛けて、脳裏に水城さんの声が響く。
―――……どうして、……見せたりしたの?
あの火傷の跡。
―――あんなに嫌がってたのに
………あんなの、無い方が良いに決まってるよな。
………うん。
裏庭に出ると、嬉しそうにハニ子が駆け寄ってくる。
「時間ぴったりである。やるでは……あ、おいっ」
彼女に茅乃さんを預けて、俺は踵を返した。
「ハニ子、悪いけど五分くれ」
「はあっ?」
茅乃さんに手を貸しつつ、素っ頓狂な声を上げる。
「そ、そんなの無理であるっ。もうホントに時間が無いのである」
「もたせて見せろよ!美少女アンドロイド!」
悲鳴のようなハニ子の絶叫を無視して、俺は再び炎の中に飛び込んだ。
彼女は直ぐに見つかった。
俺達の時代での、佳乃さんの言葉。
―――玄関に倒れていたところをやって来た消防士さんに助けてもらったの
言っていたとおりに、この時代の佳乃さんは玄関付近で倒れていた。
小さな体に火の手が及ぼうとする所を間一髪で掬い上げる。
しっかりと抱えなおすと、軽いからだが一瞬身じろいだ。
……良かった生きてる。
助かる事は知ってたんだけど、なんとなくホッとしてしまう。
顔についた煤を優しく払ってやり、確かめる。
今に通じる面影。
幼いながら整った顔立ちの、どこにも、火傷の跡は無い。
「…っし」
小さく拳を握り、炎から小さな体をかばう。
しかっりと抱え込み、そのまま、玄関を飛び出した。
転がる様に飛び出した俺達を見つけて、野次馬達の歓声響く。
その声で、佳乃さん……ちゃん?が目を覚ました。
「ん、……誰?」
「通りすがりのヒーローです」
芸の無い事だが、そう名乗って体を起こすのを手伝ってやる。
立ち上がる様子を見てると、顔の火傷以外にも怪我はどこにも無いようだ。
「ヒーロー?……助けてくれたの?」
「まあ、うん」
「……ありがとう」
花も恥じ入るような笑顔で感謝の言葉を口にする。
まだ、ちっさいのにしっかりした子だ。
……これがあんな感じになっちゃうのか…。
なんか複雑だった。
「………っ、おかあさんは?!」
跳ね上がって家に駈け戻ろうとする佳乃さんを抱えあげて止める。
「大丈夫、お母さんも助けたから」
「コラーッ!サンレッド!」
折りよくハニ子が裏庭から姿を現した。
茅乃さんに肩を貸しつつ、鬼の形相で迫ってくる。
「佳乃っ!」
「あ、こら」
佳乃ちゃんの姿を見て、堪らず駆け寄ろうとした茅乃さんが、ハニ子の肩から手を離して転んでしまう。
「おかあさんっ」
代わりに佳乃さんが駆け寄って、二人は抱き合った。
茅乃さんは一通り佳乃さんの体を確かめてから、またギュウッと体を抱きしめる。
嗚咽を漏らしつつ、娘の名前を呼んでいる。
周囲から拍手が沸き起こった。
タイミングを見計らったように、サイレンの音が聞こえてくる。
「大丈夫だよ、おかあさん。あの人に助けてもらったから」
そう言って俺のほうを指差した。
邪魔しちゃ悪いと思って距離を置いていた俺は、頭を掻きつつ二人に歩み寄る。
「本当にありがとうございました、サンレッドさん」
ガンッ。
あたまっから転んで、地面とキスをした。
「お、お前何言ったっ!!」
「何って…」
さも当然だと言わんばかりに、ハニ子は腕を組んでいる。
「貴様の名前だろう」
その言葉に周囲が反応した。
「サンレッド…あの勇気ある人はサンレッドと言うらしいぞ」
「なるほど確かに赤い」
「でも、サンって?」
「馬鹿、太陽のような存在だって事だ」
「そうか、よしこの名前はこの町で永遠に語り継ごう」
そして伝説へ。
……勘弁してくれ。
「そんな事より、早く帰るぞ」
ハニ子が裏庭に走っていく。
一見無謀な行動に周囲に制止の声が上がる。
「…じゃ、またっ何年後かで」
「あ、ありがとうございました」
軽く手を上げ、俺もハニ子に続く。
………そうだ。
思いついたことがあって俺は足を止めた。
屈みこんで、母親の胸できょとんとしている佳乃さんに視線を合わす。
「ねえ、佳乃ちゃん。今は意味が分からないだろうけど、覚えてて欲しいことがあるんだ」
「…どうして私の名前知ってるの?」
その言葉には答えずに、佳乃さんの頭を撫でながら、俺はなるべく優しく聞こえるように、そして、ちゃんと覚えててくれる事を祈りながら、口を開いた。
「……『お願いだから、週に一度くらいにして下さい』…いい?今は意味が分からないだろうけど、絶対覚えててね」
「……うん」
「ありがとう〜」
「何やってるんだっ!」
ハニ子に怒鳴られて、俺は立ち上がる。
「いい?週に一度だよっ、それからなるべく放課後にして。覚えててよ〜絶対だよ〜」
裏庭に駈け戻りながら、振り返りつつ振り返りつつ、手を振った。
……覚えててくれると良いな〜ホントに。
「遅いぞ、時間にルーズな人間は信用されないのであるっ!」
「悪かったよ」
「む〜、じゃあ、いくぞっ。……アクセス」
そして光に包まれた。
光の中に入ってしばらく。
「イヤ〜ここまで上手くいくとなんか怖いくらいだな」
自然と楽しげな声になる。
まあ、いいよな。こんだけちゃんと出来たんだ。
しかも商店街での闘いでは得られなかった、この充足感。
「あ〜、なんか気分良いな。俺消防士とかなろうかな」
「…………」
「や、まあ、それは言い過ぎか、…それにしても助かって良かった」
「…………」
「うおっ、ほら、見てみろ今頃手が震えてきてる。あ〜〜〜〜ホント助けられてよかった」
「…………」
「………どうした?」
さっきからやけに静かなハニ子の顔を覗く。
じっと、”フィックス”を見つめてキュッと唇を引き結んでいる。
「………やっぱり」
「な、何がやっぱり?」
その表情にもの凄い嫌な予感の波が。
「……転移先の軸がずれてる気がする」
「はああ〜〜〜?}
そ、それってどういう事?
「つまり、もと来た時間に帰れないって事だ」
「な、なに、じゃあいつに行くの?」
「わからん」
わからんって、何でそんな落ち着いてんの?
「何でそんなことになったんだよ」
「やっぱり、焦ってアクセスしたのが良くなかったのか」
「冷静に言うなっ!!!」
「むっ、わたくしは貴様に言われたとおり、ちゃんと五分時間を持たせたぞ」
「それが何でこんな事に」
「貴様はその後のことなんて何も言ってなかったじゃないか」
「なんだそりゃああああ」
………ああ、やっぱりこんな落とし穴が。
「しかも……」
「な、なんだよ」
これ以上なにがあるんだよ。
「イヤ、凄く言いにくいんだが」
「良いから言えって」
「……じゃあ、言うけど聞きたくなかったとか後で言うなよ」
「良いから早く言えって」
「………エネルギーが切れそうである」
……じゅ、重油が?
「嘘だろっ」
「イヤ、ガチ。今にも無くなる」
「ふざけんな頑張れよほらっ」
そう言ってハニ子の頭を平手で連打する。
「が、んばれッて、言われても、…ぺちぺち叩くな」
俺の手を振り払ってハニ子がため息をつく。
「もう、そろ、そ、ろ、………あ…」
「……いや、黙るな、おいっ。………ハ、ハニ子さん?」
クイズ番組の早押し張りに頭を小突くがうんともすんとも言わなくなった。
「何とか言えって、ほら、や、だめ、なんかスゲー寂しいんだけど、おいって、………いやあああああああああああああああ」
そして魂の叫び。
「お家帰してエええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
光の渦の中心はまだちょっと遠い。