幕間 〜…………〜
白い廊下、白い壁、白い天井、白い照明。
雪の女王も辟易しそうな白一色の内装は、人の主観を拒否するように清潔なフリをしている。
そこに蔓延る好奇心や探究心を無視するように、高らかに靴音が響いた。
続けて起こったのは怒号と悲鳴。
各所で時間差と共に響いていた銃声は今は鳴りを潜めていた。
つい数分前までの喧騒が嘘のように、静かに入り口が開く。
「首尾はどう?」
「ばっちりであります」
アルコール度数の高そうな声と、知能指数の低そうな声。
後者から前者に渡されたのは、黒い球体だった。
愛おし気にそれを撫でると、二つの影は月明かりから逃れるように姿を消した。
堆く詰まれた教材を前に、千葉玲子はため息をついた。
今彼女の頭を悩ませているのは、目の前の小山とは関係ない、商店街での顛末である。
―――報告書になんて書こうか。
玲子の感覚では、小二レベルの恋愛偏差値しかない二人が、中学生日記を第四十シーズンくらいまで、オールキャスト変更なしで続けていた、という感じである。
そんなものを、どうやって、もっともらしく書けばいいのか。
ノートパソコンの画面では、小さな黒い棒が、「早く書け〜早く書け〜」と彼女を急かしている。
「…分かってるわよ」
睨むように画面を見つめていた彼女の懐で、携帯電話が音を立てた。
「もしもしっ」
苛立ちを隠そうともせず、相手も確かめずにそれに出る。耳に入ってきたのは少々懐かしい声だった。
「…ご注進」
「切るわよ」
ぷち。
懐に携帯を戻そうとすると、手の中で再び振動が起こる。
ディスプレイに表示された名前に目をやる。
『渡 康平』
「す〜は〜………もしもし」
「深呼吸してたろ」
電話に出ると楽しそうに図星を突いてくる声。
「いや、切るな切るな」
ボタンに伸びかけた指が、慌てた声によって止められる。
いちいち行動を読まれているようで、ますます不機嫌を募らせながらも、玲子はようやくまともに受け答えする気で声を出した。
「何か用?」
酷く冷たい声に相手の笑声が重なるように響く。
「ああ、相変わらずだな」
それはあんたでしょうがっ。
口には出さずに、その言葉は身の内で燃える炎にくべられた。
「聞いたぞ、そっちの事」
思わず眉間に皺ができる。
いけないいけない、と、そこを指で撫ぜながら、声からはトゲが抜けない。
「それが何?笑いたいんだったら、忙しいんで次の機会にしてくれる」
「いやいや、ご苦労だったなって……お前ますます被害妄想に磨きがかかってるな」
「大きなお世話よ」
机を叩いて立ち上がった玲子に、職員室に居たほかの教師達が驚いた顔を向ける。
「…そこ、まだ学校の中だろ、そんな地を出していいのか?」
良いわけがない。
笑顔で同僚に手を振りつつ、額に浮き上がりそうになるバッテンを何とか抑えた。
電話口を手で隠すようにして小声で話し始める。
「それで何の用なの?私本当に忙しいのよ」
「報告書か?昔っから書類仕事に時間かけてるよな」
「うるさいってば、用が無いなら本当に切るわよ」
「いやあ、あのな、アレが奪われた」
「アレ?」
「タイムマシーン」
危うく、口に持っていこうとしていたマグカップを落とすところだった。
「それ本当?」
「ああ……水城善一郎は映都東町にいるんだよな?」
「うん」
「そっか…多分、直ぐにお前に命令がいくと思う。その前に教えとこうと思ってな」
玲子は口につけずじまいのカップを机の上に置くと、本日何度目かのため息をついた。
「……疲れてるな、ちゃんと飯食ってるか?」
聞きとがめられて、心配そうな声で聞かれる。
こういうところも学生時代と何も変わっていない。
「食べてるわよ、あんたは私のお母さんか」
「俺がお前の母親だったら、そんな事よりお前の婚期を心配してるって」
「…殺すよね、もう、文句無いよね」
ゆら〜と立ち上る玲子の怒気に、隣に座った若い女の教師が、ひっ、と悲鳴を上げた。
「あはは、んじゃあ、そういう事で、なんかあったらまた掛けるわ」
「…うん、奥さんと澪ちゃんによろしく」
「うい〜っす」
電話を切ると、息をついて肩を落とした。
一難去ってまた一難。
これから、学校では中間テストも始まるというのに。
空白の多いノートパソコンの画面を見ながら、耳の奥に残る康平の声がリフレインする。
頭を掻き毟りたくなるような衝動に駆られながら、玲子は机に伏した。
……それにしても、もしかしたら自分の偏差値の低さは、人のことを言えないのかも知れない。
小声で呟いた言葉の八割くらいはため息で出来ていた。