第7話、普段優しい人ほど怒らせると怖いよね
「さあ! 今日も元気に行きましょう!」
まばゆい日の光が3人を照らす。はたから見れば、これはひどく奇妙な集団であった。
少女に、小柄な女性に、岩のような男という3人は、美女と野獣を通り越した、「美女たちと狂犬」である。
長い金色の髪を持ち、茶の混じった黒い瞳の少女の名は、シャーロット・シュナウファー。彼女はダコード村で正式に任命された「勇者」なのだ。まだ幼いが、性根は一本の鉄の棒のようにまっすぐで、堅い。
その前を歩くのは、岩のような男である。短い黒髪に、炭のような黒い瞳の男の名は、アルベルト・ウェンディ。彼が身にまとう胴着はところどころ血にまみれ、その胴着の上からでもわかるほどに鍛えられた肉体が見て取れる。近接格闘に関しては、おそらくエキスパートである。
シャーロットと並んで歩く、ハルバードをかついだ小柄な女性は、人懐っこそうな印象を与える女性であった。栗色のウェーブのかかったセミロングの髪を揺らす栗色の瞳の女性の名は、エスト・アイギス。大陸中部、ヴァルコラキ帝国のエリート部隊、鉄后騎士隊に所属していた女性であり、魔法剣士である。
この三人の目的は、魔物の鎮圧並びに魔王の討伐である。数十年前にこの世界に君臨した魔王は、ほんの数年でこの世界を統治した。魔王の拠点に近い水場はあらゆるものを溶かす酸の海となり、森は致死性の黴をばら撒く死の森となっている。魔王の目的は誰もわからないが、すくなくとも、人間と協調するつもりはないらしい。
この魔王を討伐するために選出されるのが、勇者なのだ。
シャーロットとエストはガールズトークに興じているが、アルベルトは周囲に警戒を張り巡らしながら先に進んでいる。アルベルトは根っからの武人であり、女性に戦闘をさせるべきではないと考えていたのだが、先日のグリーンゼリーとの戦闘で考えを改めたようだ。
だが、彼は彼女らの話を中断させたりはしない。いつ死ぬかもわからない行軍では、何よりも隊列の協調が重要であるのだ。そして、アルベルトはシャーロットとエストの二人を信頼していた。
シャーロットは臆病にも見えるが、やる時はやる人間である。それはグリーンゼリーに切っ先を向けて
突撃したように、少々向こうみずな様子もあるが、アルベルトはその行動を高く評価していた。
そして、エストは言うまでもなく、戦士である。ヴァルコラキ帝国という、大陸の要のエリート部隊で
戦い抜いた、屈強な戦士である。それをアルベルトは雰囲気から感じ取り、それだけで全幅の信頼を置いているのだ。
この「小隊」は、3人が3人とも、背中を預けられる関係なのだ。
ぴくり、と、アルベルトの眉が跳ねる。それと同時に、エストも背中に背負った巨大なハルバードに手をかけた。その二人の様子を察知し、シャーロットも腰の剣を抜いた。
アルベルトとエストが、ほぼ同時に敵に向かって突っ込んでいくところだった。
――――
小隊の前にいたのは、5匹の狼であった。ただ、その大きさは並ではない。体長は2メートルはあるだろうか。鑢のような牙が唾液に濡れ、咆哮が大気を震わせる。その狼の体は銀の体毛に覆われ、きらきらと陽光を反射していた。
まるで針金のような体毛を持つ、ひときわ大きな一匹の狼は、向かってくる三人に気付くと遠吠えをした。それを合図に、残りの四匹が一斉に三人へと襲いかかった。
二匹の狼は口を大きく開け、アルベルトの頭部を噛み砕かんと跳ぶ。だが、アルベルトは微塵も臆さず、それどころか更に踏み込み、狼の眉間に拳をブチ当てた。眉間に拳の形を刻まれた狼は数メートルほど吹き飛び、痙攣をおこす。
そして、もう一匹の噛みつきに対して、アルベルトは地面に這うように伏せたのだ。虚を突かれた狼は、一瞬アルベルトを見失う。次の瞬間、狼の下顎を砕かんばかりの、強烈なつま先での蹴りが狼をとらえた。
咆哮をあげて、狼は地面を転げ回った。アルベルトはその狼たちに向けて、追撃を開始した。
――――
二匹の狼が、エストを襲う。
だがエストは飄々とした様子で、ハルバードをバットのように握った。そして、惨劇の幕が開かれた。
「ちぇりゃあーっっ!!」
なんともかわいらしい掛け声とともに狼の口に振られたハルバードは、あろうことか狼の上顎と下顎を切り分け、余力で空を切った。
当然絶命した一匹は地面に転がり、仲間の惨殺死体を目にした一匹は一瞬硬直する。
その瞬間、再び力を加えて加速したハルバードの斬激に、その狼は首をはねられて絶命した。
「う……あ……ひ……!」
剣を抜いて構えていたシャーロットは、小さく悲鳴を漏らし、地面にへたり込む。
アルベルトで慣れていると思っていたが、何もかもが違っていた。普段から危険をにじませるアルベルトと、普段は温和な彼女とでは、直面した時の衝撃は全く違う。
だがエストはそんな彼女に向かって笑みを浮かべ、言った。
「ごめんごめん。ちょっとはりきりすぎちゃった」
――――
アルベルトは、苦戦していた。
既に二匹を拳と脚で絶命させ、残りの一匹に攻撃を仕掛けていたのだは、なるほどさすがは狼の指揮官、戦闘経験も並ではないのであろう、攻撃が巧妙である。深追いはせず、自らの優位な点を使って確実に攻撃をしている。
牙、爪、尾、そして、体躯。全てを用いて、最大限効果的な攻撃をアルベルトに向けていた。
さらに、全身を覆う体毛は見かけと同じく針金のような強度を持ち、攻撃を与えたアルベルトの拳に今も深く突き刺さっている。
「まるでこれは岩打ちではないか」
アルベルトが言う。
彼が普段行っている狂気の修練の一つ、岩打ち。
それは文字の通り、ただただ岩を殴り続けることである。そうして手足の皮膚を殺し続け、より強力な、まるで踵のように角質化した皮膚を手に入れるのが、その修練の目的であった。
アルベルトは考える。明らかに、これは分が悪い相手であった。
「伏せて!」
エストの声がアルベルトの耳に届き、考える間もなくアルベルトは地面に伏せる。肉を焼く臭いと咆哮が響いた。顔を上げると、狼は火だるまとなっていた。必死にもがき、炎を消そうとする狼だが、体毛に燃え移っているためになかなか消火できないでいる。
一旦アルベルトは距離を開け、隊列を組み直した。
「君の魔法か?」
「そうそう。基本的な炎系統の魔法だけど、こういう手合いには良く効くのよ」
二人は狼から視線をそらさずに、簡単な問答を行う。シャーロットは鼻をふさぎ、細かく震えている。
「……残念ながら、私の拳はあいつを殺せそうにない」
アルベルトは心底悔しそうに、言う。
「それじゃあ、私『たち』がやるしかない、かぁ」
ちらりと視線を向けると、シャーロットが小刻みに震えながら剣を構えた。
その様子に、エストは小さく嘆息を漏らした。
「行けます……! 征きます……! 征きます!!」
徐々に震えは収まり、シャーロットの瞳が目の前の狼をとらえる。狼の体毛はほとんどが燃え落ちたが、まだ狼は鋭い眼光で「敵」を見つめている。
「ん、じゃあ、征こうか」
ハルバードを振り上げ、エストは突進する。その後ろから、シャーロットは剣先を向けて狼に向かった。
狼が前足を振り上げた瞬間、肉を切り裂く音とともにその前足が空へと放たれた。
「一ぉつ!」
切断面から赤黒い血がほとばしる。そして、返す刃でエストは再び攻撃を見舞った。
「もうひとぉつ!!」
不安定な前足を斬り払うと、エストは真横に跳んだ。
「やっちゃえ! 勇者ちゃん!」
ウインクをするエストの背後から現れたシャーロットに、狼は驚愕を覚えたのだろう。
狼がちいさく口を開けた瞬間、狼の眉間に向けて剣が突き立てられた。
咆哮が周囲を震わせる。
やがて――静寂が三人を包んだ。
シャーロットは深く深く突き刺した剣を抜こうとするが、肉が絡んでいるためになかなか抜けない。
それを見かねてか、歩み寄ったアルベルトが其れを引き抜いた。
「見事な働きだ、勇者」
「すっごいわね。さすがは勇者さま」
荒い息で、シャーロットは地面にへたりこむ。
わずかに笑みを浮かべ、シャーロットは震えていた。
「さて、こいつらの戦利品はどうやって回収するか」
あまりにも場違いな発言に、二人は苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。