第5話、首なしの騎士、トバルカイン・ギンシュ
シャーロットは戦慄を覚える。ここはおとぎ話の世界などではない。
ここは紛れもなく、地下の国。それだけ地獄に近い場所なのだ。
「ひっ!!」
シャーロットは短く悲鳴を上げる。無理もない。何せ人間と寸分たがわぬ形の存在なのだ。だが、それはあまりにも人間とは違っていた。
首を失ってもなお歩き続けるなど、あり得ないことなのだから。
「こっちだ!」
アルベルトは恐慌状態のシャーロットの腕を引き、首なしの騎士の反対側に駆けだした。幸い、首なしの騎士は走ることはなく、人形のように一定のリズムで歩を進めているだけであった。
「あ、あ、あ、アルベルトさん!? あれは一体――」
「わからん。だが言っただろう『人間みたいなやつがいる』と」
その言葉に、シャーロットの心の中で何かが芽生えた。
それは憶測の話なのだが、それはひどく恐ろしかった。
それを認めてしまうと、世界が壊れてしまう気がした。
シャーロットは考えを振り払うように首を横に思いっきり振ると、青白い顔で背後を振りかえった。ガチャガチャという鎧のこすれる音だけが響いている。
やがてアルベルトは足を止める。ひたすらに長い地下道を走り、行きついた先は、ドーム状の空間であった。各所に溶けないろうそくが据え付けられ、天井は岩でおおわれている。
「……これが、地下の国の真相か」
シャーロットに目の前の様子を見せぬように、アルベルトは仁王立ちをする。アルベルトが見たものは、部屋の棚に所狭しと積まれた人間の首であった。それらの首はきれいに整頓され、また、防腐処理も施されているらしく、表情は最期のまま、固定され続けていた。どの首も、恐怖と苦痛をありありと浮かべ、最期がいかに唐突なものであったかを物語っている。
「ぐ……うえっ……!」
シャーロットは視界の端に移る苦悶の表情を浮かべた首を見ると、口元に手を当てて膝をついた。十四の少女に、この状況は受け入れられるものではない。
だが、現実はかくも残酷であった。がちゃっ、と鎧の音がひときわ高く鳴ると、アルベルトはシャーロットの手を引いて首の広間の真ん中へと逃げ込む。
首なしの騎士が、二人に追いついたのだ。首なし騎士は左手に持つ首を丁寧に丁寧に棚へとおろし、右手に持つさびた剣を両手で握った。それと同時に、アルベルトが構える。
部屋の隅で小さくなり、えづいているシャーロットをちらりと見たアルベルトは、大きく息を吸い込んで目の前の騎士を見つめた。
シャーロットが立ち上がろうと棚をつかんだ物音がきっかけとなり、地下の国でのパーティーは開始された。
――――
「おぉぉぉぉッ!!」
最初に動いたのは、アルベルトであった。
アルベルトは体制を低くして騎士へと突っ込み、バンテージを撒いた腕の掌底で騎士の胴体へ突きを放つ。さびた鎧は無残にもひしゃげ、騎士の体を締め付けているだろうか。表情をうかがい知ることのできない騎士には、効いているのかすらわからない。
ひしゃげた鎧に再び攻撃を入れようとした刹那、騎士の剣が凄まじい速度で横薙ぎに振られた。
「!」
なんとかアルベルトはスウェーバックでかわしたため、腕を少し切っただけですんでいる。だが、その剣は一発食らえば何もかもが終わりだということをアルベルトに刻みこんだのだ。
「(間合いが取れない!!)」
アルベルトは汗を流す。必ず攻撃を入れるためには、剣の間合いを突破しなくてはいけない。だが、それはアルベルトでも防ぎきれる自信のない、分の悪い賭けであった。
「(だめ! あんな攻撃、いくらアルベルトさんでも……!)」
ふと、何処からか視線を感じたシャーロットが背後を振りかえると、無数の首がシャーロットを見つめた。
「(首……)」
シャーロットの頭の中で、閃光がさく裂した。
「アルベルトさん! もしかしたらあの騎士の首! この中にあるかもしれません!!」
シャーロットが叫ぶと、アルベルトはちらりと背後を向いた。
「どうやって探す!? それに、どんな意味が――」
「不死者であれば未練を断てば倒せるかもしれません!!」
その言葉に、アルベルトは全てを賭けた。
「……男の首だ! 首の切断面は荒い! 切れない斧で何回も切られたみたいに荒い!!」
わかる限りの情報をシャーロットに差し出すと、アルベルトはシャーロットの反対側に移動する。自ら、囮となったのだ。
シャーロットはアルベルトの情報をまとめ、手早く行動を開始した。シャーロットは女性の首と、首が棚にしっかりと載っているものを除外し、ある1つを選びだす。
「(男の人の首で切断面の荒い首……この1つだけ!!)」
その首は、1つだけ瞳の閉じられている首であった。苦痛の表情を小さく浮かべてはいるが、他の首に比べれば、よっぽど安らかな表情である。
薄い銀色で短髪の、若い男性の首であった。シャーロットはその首を両手で抱え、細心の注意を払いながら今は背を向けている首なし騎士へと近づく。剣を自らの頭上に掲げているところであった。目の前には、地面に尻もちをついたアルベルトがいる。
「お願い!! 止まって!!」
シャーロットは声とは裏腹に、優しく、愛情すら感じる手で、首を首なし騎士のあるべき場所へと置いた。
淡い光が、部屋を包む。
「……?」
アルベルトが攻撃に備えていた両手をゆっくりと下ろすと、首なし騎士は首のある騎士になっていた。閉ざされた瞼の奥では、緑の瞳が隠れていた。
「……僕の、首」
光の中心で、若い男がつぶやく。切断された後は生々しいが、間違いなく、今、男は生きていた。
「君が、見つけてくれたんだね?」
男は背後を振りむくと、シャーロットに尋ねる。シャーロットがうなづくと、男は涙を流した。
「ありがとう」
感謝の言葉だった。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう、お譲さん」
涙を滴らせながら、男は何度も感謝を口にした。そして、男はアルベルトにも向き直って、言った。
「ごめんなさい」
アルベルトは首を横に振る。
「気にしてはいない」
その言葉に、青年は笑みを浮かべた。徐々に、光が弱くなっている。
「もしも、僕が消えた後になにか残るならば……それは、自由にしてください」
青白い光は空気中に溶けてゆく。
「わ……私! シャーロットといいます! こちらは! アルベルトさんです!! あなたのお名前は!?」
シャーロットがなきだしそうなかおで言うと、男はふっと笑みを浮かべて、言葉を紡いだ。
「トバルカイン。トバルカイン・ギンシュ」
笑みを浮かべたまま、男を包む光は消え去った。瞬きをするほんの一瞬の間に、男の体は骸骨となった。棚に並べられている首も皆骸骨となり、部屋には二人の生者だけが残った。
「……トバルカインさん」
シャーロットはぽたぽたと涙を流す。
アルベルトは迷ったようだが、シャーロットには触れず、トバルカインの死体を動かした。首の広間の中央へと。
そして、トバルカインの持っていた剣を拾い上げ、切断された頭の横に突き刺した。さながら、墓標のようである。アルベルトは眼を閉じ、祈りをささげた。
首を失い、首を狩り続けた哀れな男の為に。
――――
シャーロットのすすり泣きもすっかいとやんだ頃、アルベルトも祈りをやめる。そこでアルベルトは、トバルカインの鎧からはみ出すあるものに気がついた。
「……ペンダント?」
アルベルトが慎重に拾い上げ、中身をのぞく。ペンダントの中には、若い女性と二人で写るトバルカインの姿があった。
「……『永遠の愛と忠誠を誓って。女王陛下、僕の妻、リリとともに』か」
アルベルトはそのペンダントをシャーロットに差し出す。
「君が持つと良い。私には価値がわからないものだ」
目が赤いままのシャーロットは、小さくうなずく。そして、そのペンダントを自らの首から下げた。
そして、力強い瞳で、アルベルトを見上げた。
「征きましょう。次へ。先へ。もっと奥へ」