第12話、港街ヒューゲント
海風が潮の匂いを運ぶ。石灰岩作りの建物が陽光を浴びて輝く。海鳥が鳴き、喧騒が街を飛び交う。
「着きました! ヒューゲントです!」
瞳を輝かせたシャーロットが高らかに宣言する。どうやら、彼女は今好奇心でいっぱいらしい。
「勇者ちゃんは確かダコードの生まれだったわよね? それじゃあ、海を見るのも初めて?」
「はい! 近くに川はあったんですけれど、ずっとずっと大きいですね! 昨日の湖よりもずっと大きい……!」
いつもは冷静なシャーロットも、今ばかりは年相応の無邪気さを露にしている。元々明るい性格なのだろう。そして、そんなシャーロットの様子を見て気をきかせたのか、アルベルトは言葉を発する。
「君達はしばらく自由に動くと良い、私は宿の手配と情報収集をするつもりだ。荒っぽい事になるかもしれないから、別行動のほうがやりやすい」
「ん、わかった。じゃああの宿屋の部屋の確保をお願いね。あ、分かってると思うけど二部屋だからね?」
エストはアルベルトの意思を汲んだのか、風見鶏が揺れる宿屋を指差して言う。しっかりと、釘は差したままだ。
「心得た」
アルベルトは小さく頷き、無表情に短く呟く。そしてその様子を茶化すように、マーレボルジェは空気を揺らす。
「おうおう、初心な娘じゃのう」
「勘違いするんじゃないの、あなたが一人部屋よ」
「おぉう!?」
あまりにも意表を突いた回答に、マーレボルジェは素っ頓狂な声を漏らす。無理も無い、てっきりアルベルトが一人部屋だと思っていたのだから。
「まあ、冗談だけどね」
「お、おう、素直にびっくりした。年寄りの冷や水と良く言うが氷飛礫をぶつけられたようじゃ」
珍しくうろたえるマーレボルジェに悪戯っぽい笑みを浮かべ、口角を吊り上げる。どうやら、弱点発見、と言ったところだろうか。
そんな様子を傍目に、アルベルトは宿へと大股に歩き出す。
「あ、あの! お気をつけて!」
シャーロットが大きな声でそう声をかけると、アルベルトは振り向き、わずかに表情を崩した。
「ああ、君達もな」
そしてアルベルトは雑踏に消えていく。
「まったく、無愛想だねぇ本当に。さて、それじゃあ私達は観光としゃれ込みますか。あぁそうそう、マール、今度喋ったらあなた外で一晩過ごさせるからね」
「おう、善処しようか」
そんなやり取りを交わし、シャーロットとエストは歩き出す。傍から見れば、仲良し姉妹にも見えそうであるが、それにはいかんせん外見が似ていない。
他愛も無い話で笑いあいながら、二人もまた、雑踏に消えた。
――――
アルベルトは酒場の扉を開ける。宿の手配は終わり、背負ったテントを部屋に置いた彼は、本格的に情報収集へと乗り出すつもりなのだ。そのため、彼は人が集まる場所へと移動している。
とはいえ、彼は武道家たる身、酒気は筋肉を硬直させる上に筋肉の形成を阻害するため、彼は忌避しているのだ。そのため、異様な筋肉とその雰囲気を醸す彼がカウンター席に掛けて酒場の店主に下した注文は、とても酒場には似つかわしくないものであった。
「グリーンティとミートパイを」
酒場の主は意表を突かれたのか、おぼろげな返事をすると料理を作り始める。その合間に、アルベルトは周囲を見渡す。
海の男達の街と言う事もあり、たくましい外見の男達が多い。それでも旅の格好をした者は数人いる。そこでアルベルトは、違和感を覚える。船が定期的に出るとはいえ、旅人の顔には疲労と不安の表情が色濃く出ているのだから。
「どうぞ、グリーンティです」
「ああ、ありがとう。ところで、ヴァルコラキ行きの定期船はいつ出るか分かるか?」
軽い言葉だけを交わしたアルベルトは、疑問を率直に店主にぶつける。店主の反応は、彼にとって喜ばしくないものであった。
「……当分船は出せないみたいです。何でも、厄介な魔物が入り江にいるらしくて。おかげで商品やら材料やらが届かなくて参ってるんですよ」
心底辛そうに、店主は言う。港街で海路が使えないという事は死活問題らしい。
「討伐隊は組織されていないのか?」
「こんな街に対魔物のために組織された軍隊なんてありません。ヴァルコラキが援軍をよこしてくれたという情報もありますが、一体いつになる事やら……」
その言葉にアルベルトは少々考えをめぐらせる。何分まだ魔物の正体も何も不透明であるため、軽々しく「討伐する」とは言えないのだ。
「ふむ、ありがとう。ああ、もう一つだけ」
すっと人差し指を立て、アルベルトは言葉を付け加える。
「魔物の正体はどんなものか、分からないか?」
その言葉に店主の瞳は一筋の希望を浮かべ、言葉を紡ぐ。
「なんでも、奇妙な魔物だそうです。砲撃も網も効かないと」
アルベルトは首を縦に振り、静かに椅子から立ち上がる。そして食事の代金を払い、店主に感謝の言葉を述べて酒場を後にした。
――――
エストは嬉々として前を歩むシャーロットを見つめる。ほんの短い間ではあるが、エストから見たシャーロットはどこか背伸びをし続けているように思えてならなかったのだ。しかし今のシャーロットは年相応の無邪気さで新鮮な体験を存分に満喫している。
「(考えて見れば、勇者だもんねぇ)」
エストは目の前の小さな背中を見つめる。ある日突然勇者に任命され、その肩に大きすぎる使命を背負わされたのだろう。おそらく真面目な彼女は「勇者である事」を演じて演じて、今まで生きてきたのだろう。それがどれほどのものなのか、エストは理解する事さえ出来ない。
「(敵わないなぁ、勇者ちゃんには)」
穏やかな笑みを浮かべ、エストは息を吐く。潮風が肌を撫で、波の音が鼓膜を揺らす。ここだけを見れば、今が魔王の侵略に怯える時代だとは到底考えられない。
「ねえ勇者ちゃん、勇者ちゃんは、何でそんなに頑張れるの?」
エストはシャーロットの横に並び、他愛も無い、他意の無い疑問を投げる。シャーロットは質問の意図を理解出来なかったのか、足を止めるとエストの瞳を見つめた。
「その、さ、勇者なんて大きな仕事を任されて、後悔して無い?」
エストはなぜか罪悪感すら浮かべて、再び疑問を投げる。だが、シャーロットはまるで太陽のように朗らかに、暖かく微笑むと、回答を導いた。
「後悔なんて無いですよ。私は勇者で、勇者にしかできない事があるんです。だから私は、私にできる事をするんです」
裏の無い笑みでシャーロットは言う。エストは言葉を詰まらせると、彼女に負けないくらいの笑みを浮かべた。
「あっははは! すごいなぁ勇者ちゃんは。昔の私に爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
「へ? そ、そんな事無いですよ! エストさんは強いし、かっこいいし、なんだか頼れるお姉ちゃんみたいで……」
顔を赤らめたシャーロットが必死に言葉を紡ぐが、エストは軽く髪を揺らすと、片目を閉じる。
「ん、ありがとね、勇者ちゃん」
周囲の人波は、ほほえましく二人を見つめていた。