第10話、マーレボルジェ
最も早く敵に到達したのは、アルベルトであった。彼は持ち前の素早さを生かしてスキンダウナーの懐へ入り込むと、振り下ろす腕も気にせずに鋭いローキックを浴びせる。まるで鞭が当たったような炸裂音とともに、スキンダウナーは蹴られた左足を震わせて膝をつく。どうやら、効果はあるらしい。だが、振り下ろされた腕はアルベルトが防御のために差し出した腕を弾き飛ばし、内出血を起こさせたようだ。炎の明かりの中で、腕ごともって行かれた体を地面に倒したアルベルトの左腕が青くなっている。だが、エストはそんな様子に薄く笑みを浮かべて、ハルバードを振りかぶりながら突っ込んだ。
「ナイスアシスト!」
体制の崩れたスキンダウナーに向けて、エストは突っ込む。燃え盛るハルバードをその頭につきたてようとした瞬間、エストは宙を舞う。強靭な肺に圧縮された空気の弾が、エストの体を軽々と吹き飛ばしたのだ。地面との衝突音が響くと、エストはピクリとも動かない。どうやら、気絶をしてしまったらしい。
「エストさん!?」
その光景に一瞬立ち止まったシャーロットは、スキンダウナーの接近を許してしまった。スキンダウナーはぽっかりと明いた口をシャーロットへと向けると、捕食のためにそのままシャーロットへと接近する。
「ひっ……!」
剣を口内に向け、シャーロットは渾身の力で切先を口内につきたてる。肉を切る音と同時に、絶叫がとどろく。スキンダウナーは重力と自重により、自ら剣先へと突き刺さっていくような格好になっている。
その重さを支えているのは、たった一人の少女と一振りの剣であった。
シャーロットの腕が震える。それはそうだ。「100キロを優に超える巨体が剣を通して右手と左手に集中している」のだから。
「もう……だめ……!!」
シャーロットが体力の限界を感じ、震える剣を取り落とそうとした刹那、ふわりと、まるで一切合財の重力から開放されたように重みが消え去り、あろうことかスキンダウナーの巨体を押し返したのだ。そしてその瞬間、シャーロットは怪訝そうな顔をして自らの右後ろ、虚空を見つめた。
「え……?」
「しィィィィィィ!!」
弾き飛ばされ、地面に倒れていたアルベルトが動く。口内に深々と剣を突きたてられたスキンダウナーは、シャーロット以外の存在をすっかりと忘れていたらしい。アルベルトが声を漏らした方向へ向き直ろうとするが、その行動はアルベルトの右拳にさえぎられる。ぐちっ、という音が暗闇に響く。
アルベルトは攻撃の手を止めない。彼はわずかに飛び上がると、スキンダウナーの右膝の関節に向けて、全体重をかけた関節蹴りを行った。めき、という関節の折れる音とともに、スキンダウナーは苦悶の声を上げながら、左足一本だけで体を支えている。ピタリと、アルベルトの左拳がスキンダウナーの口の中の剣に添えられる。
「ハッ!」
スキンダウナーの体が、ボールのように跳ねた。完璧な正拳の構えから、口内の剣に、完璧なタイミングで、アルベルトは打撃を放ったのだ。
脳幹を損傷したスキンダウナーは、一つだけ鳴き声を落とすと絶命した。
アルベルトは魔物の口内から剣を引き抜くと、それを地面に置き、未だ意識を取り戻さないエストの元へと歩み寄る。そして、上半身を引き起こすと、背中を軽く小突いた。
「っ……ゲホッ! けほっ!!」
衝突によって呼吸さえもままならなかったのだろうか、エストは必死に酸素を取り込もうと荒い呼吸と咳を繰り返している。
どうやら戦闘結果は皆五体満足で生き残れたらしい。
だが、シャーロットは周囲を落ち着き無くきょろきょろと見渡している。
「どしたの? 周りにもう敵はいないみたいだけど?」
エストがまるでダメージを受けていないように言うと、エストは胸に突っかかる疑問の原因を吐き出した。
「……声が、聞こえたんです。あの魔物を押し返したときに『見事』って」
その言葉に、二人は一様に怪訝そうな表情を浮かべる。無理も無い、今ここにいるのは、この三人だけなのだから。
「お見事、お見事、いやはや、やはり強いのう」
暗闇に女の声が響く。声は20を少し過ぎたばかりのような若い声だが、言葉遣いはずいぶんと老いた印象を与える。
「……何物だ? どこにいる?」
「お主の目の前じゃよ」
声はアルベルトに自らを導く。アルベルトの前にいるのは、シャーロットだけだ。
「はい、もうちょい下」
言われるがままに、アルベルトは視線を下げる。喉仏、鎖骨、わずかに膨らんだ胸、腹、腰……。
「んで、左」
アルベルトは視線をわずかに左に移す。下腹部だ。
そしてアルベルトは珍妙な勘違いを起こす。どうやら、彼女の体に新しい命が宿っているとでも思ったのだろうか。ちなみに、アルベルトに心当たりは無い。
「うっわー、エッチー。どこみてんのよヘンタイー」
おちゃらけたようなその言葉に、一瞬にしてアルベルトの周囲の空間が歪む。それこそ、空気すらも圧縮するように。
「ごめん、ちょっとふざけた。だからその殺意の波動しまって。さすがの儂でもトラウマになるくらい怖い」
声は心底許して欲しそうにそういう。寸劇を繰り広げるアルベルトと声にかまう事は無く、エストはシャーロットを上から下まで見つめ、そしてシャーロットが腰に差す鞘に触れた。
「いやん、貴女テクニシャン」
エストはいつもの穏やかな表情で、虚空に炎を生んだ。
「ごめん、本当ごめん。でもやめられないの、辛いところだわね」
「え? つ、つまりどういうことなんですか?」
訳が分からない、と言った様子のシャーロットに、エストは簡潔な説明を行う。
「んーっと、つまり、勇者ちゃんの鞘は、とんでもない曲者ってわけよ」
「おー、正解。ご褒美に2ポイントあげちゃう」
エストはその言葉を聞いた瞬間、にっこりと笑みを浮かべてシャーロットの腰からゆっくりと鞘を抜き、虚空に炎を浮かべた。
悲鳴が一つ、大気を揺らした。
――――
簡易テントの中では、鞘を取り囲んでの質問攻めが行われている。誰も彼も、目の前の光景が信じられないらしい。
「つまりあなたは、生きている鞘ってことですか?」
「その通り、儂は生と死の狭間でワルツを刻むモノ、永遠と刹那の隙間に墨を垂らすモノよ」
なんとも分かりにくい説明を取り入れて、鞘は空気を揺らす。
「……なぜ今まで喋らなかった?」
「いや、色男のハーレムを邪魔しちゃいけないとおもったから」
けろりとそう応える鞘を、アルベルトはゆっくりと掴む。そして一気に力を込めた。
「あだだだだだ!! 折れる! 折れる! っていうか曲がる! アンタ何?! ゴーレム!?」
ミシミシと悲鳴を上げる鞘から手を離すと、鞘は荒い息遣いでアルベルトに非難の声を投げる。そして、落ち着いたのか回答を導いた。
「まあ、要はあなた方の力量の見極めさね。最初から喋る鞘と旅してたんじゃ、それは『普通じゃない』からさ」
淡々とそう喋る鞘に、アルベルトは一つ頷いた。確かに、喋る剣ならまだしも、喋る鞘なぞ聞いたことも無いのだから。
「しっかしアレよ、ただでさえその怪力男が一騎当千の有様だってのにお嬢ちゃんがパーティに加わったでしょ? どう見ても過剰戦力よこれ、どっちが魔王だかわかったもんじゃない」
鞘の言葉に、アルベルトは一つ息を漏らす。そして、続いてエストが言葉を紡いだ。
「っていうか、あなた一体いくつなのよ?」
「さてのう、少なくとも嬢ちゃんよりは長生きしとる。五十か、百か、はたまたそれ以上か」
からからと、笑い声のような音を出しながら鞘は応える。そして、最後にもう一度、シャーロットが質問を行った。
「あなたの、お名前は?」
「ふむ? 武器に名をつけたがるとは不可思議な娘っ子よ。儂はただの道具、それ以上でもそれ以下でも無く、それ以上もそれ以下も望まぬ。好きなように呼べばよろし」
その言葉に、エストの瞳が輝いた。まるで、悪戯を思いついた子供のような瞳である。
「そんじゃあ今日から君の名前は『マーレボルジェ』ね。決定!」
エストの言葉に、初めて鞘――マーレボルジェは異議を唱える。
「呼びにくいし覚えづらい。そもそも、マーレボルジェは『悪の嚢』という意味じゃったと記憶しているが」
「あなたに御似合いの名前だわ。口を開けば災いばかり、これを悪の嚢と呼ばずに何と言うのかしら?」
「『ぷりちー』な天使とでもよんでくりゃれ」
マーレボルジェのその言葉に、たまらずエストはため息を漏らす。そして、シャーロットを見つめた。
「まあ、悪い奴じゃなさそうだわ」
皮肉な笑みを浮かべて、エストはそう言った。