第39話 商店街への提案
認知拡大作戦会議から数日後。
松月堂。
音光商店街の一角にある老舗の和菓子屋だ。
店内は昭和の雰囲気が色濃く残り、壁には古い和菓子の写真が飾られている。
委員長、月美、野崎の三人が店に入ると、奥から白髪の老人が出てきた。
商店街会長の松尾健三。七十代。
「音光学園の生徒が何の用だ?」
警戒した表情だった。
委員長は姿勢を正して言った。
「音光商店街を、『ほしみのひみつ』の聖地にしたいんです」
「ほしみ?聖地?何の話だ?宗教の勧誘かね?」
「違いますよ」
野崎が漫画の単行本を差し出した。
「『ほしみのひみつ』は僕が描いている漫画です。この商店街がモデルなんです」
会長は漫画を受け取り、ページをめくった。
「……ほう、確かにうちの商店街だ」
表紙には、パン屋、喫茶店、書店が描かれている。どれも音光商店街そのものだ。会長は見慣れた風景が漫画の舞台になっていることに、少し驚いた表情を見せた。
会長は漫画を閉じて言った。
「それで?」
委員長が説明を始めた。
「聖地にすれば、全国から人が来ます。文化祭当日、数千人規模です」
「数千人? 馬鹿な。この商店街にそんな人が集まるわけなかろう」
野崎が補足した。
「それがあるんです。僕の漫画は日本全国で読まれています。漫画の舞台となっている場所を訪れることを『聖地巡礼』というんですが、ファンの皆さんはここが舞台となったとわかると、遠くからでも来るでしょう」
「聖地巡礼……若者の文化はようわからんのう」
委員長が続けた。
「そういう文化があるんです。聖地で、その漫画に関連したグッズやコラボ商品があると、ファンは嬉しくなります。コラボ商品、パネル展示、聖地巡礼マップを作ります」
「費用は?」
「初期費用はこちらで負担します。グッズ関連商品は利益の一部を出版社に払う必要がありますが、残りはすべて商店街の利益になります」
会長は腕を組んだ。
「……本当に人が来るのか?」
「来ます。保証します」
「若いのに大口を叩く」
「大口ではありません。数値に基づいた予測です」
委員長はタブレットを取り出し、資料を見せた。
グラフ、表、他の聖地化の事例、SNSの拡散力のデータ。すべて根拠のある数字だ。
会長はデータを見て、驚いた表情を浮かべた。
「なるほど……」
しばらく沈黙が続いた。
会長は窓の外を見た。
「しかし、本当にうまくいくのか?」
その声には、疑念と期待が混じっていた。
「この商店街は衰退している。もう何年も客が減り続けている」
会長の表情が少し寂しげになった。
「昔は賑わっていたんだ。学生たちが毎日通っていた。放課後になると、どの店も満員だった。笑い声が溢れていた」
会長は続けた。
「でも今は……」
委員長は真っ直ぐ会長を見た。
「だからこそ、です。このままではだめ、なんでしょう?」
会長は黙った。
野崎が口を開いた。
「会長、僕はこの商店街が好きなんです」
会長が野崎を見た。
「この商店街を、もう一度輝かせたい」
野崎の声には、確かな熱意があった。
「出版社と交渉はすでに済んでいて、コラボ許諾は概ね問題なく通る見込みです。パネル、グッズ、すべて公式です」
「すでにそこまで準備しているのか……」
会長の表情が少し和らいだ。
しばらくして、会長は言った。
「すぐには決められん。商店街全体で話し合う必要がある」
「もちろんです。では、商店街の会議を開いていただけますか?」
「わかった。一週間後に集まりを開く」
◆
一週間後。
商店街会館に、約二十名の店主たちが集まった。
会長が説明を始めた。
「音光学園から、面白い提案がある」
委員長が前に立ち、タブレットを操作しながら説明を始めた。
「音光商店街を、『ほしみのひみつ』の聖地として、正式にコラボします」
画面に、漫画の表紙と商店街の写真が映し出された。
「文化祭当日、全国から数千人規模の来場者を見込んでいます。そして、その多くが商店街にも訪れます」
次のスライドに移る。グラフと数字。
「他の聖地化事例では、売上が平均3倍になっています。控えめに見積もっても、当日は通常の5倍以上の売上が期待できます」
委員長は淡々と、しかし確信を持って語った。
「初期費用は学園が負担します。各店舗にはコラボ商品の開発、パネルの設置をお願いします。聖地巡礼マップを作成し、SNSで全国に拡散します」
データ、事例、予測。すべてに根拠があった。
反応は分かれた。
老舗の魚屋が腕を組んだ。
「そんな話、信じられるか」
八百屋も同意した。
「漫画で人が来る? 馬鹿げている」
肉屋が言った。
「昔ながらのやり方で十分だ」
一方、若手の書店主が立ち上がった。三十代の男性だ。
「やりましょう!『ほしみのひみつ』、うちでもすごい売れてるんですよ」
書店主は興奮気味に続けた。
「いやー、ウチの商店街がモデルになってたなんて気づかなかったなぁ。しかもコラボやらせてくれるんでしょ? これってめちゃくちゃ破格で光栄なことですよ」
文房具店の店主も賛成した。二十代の女性だ。
「SNSで拡散すれば絶対バズります。『ほしみのひみつ』はそれだけのコンテンツなんですよ」
魚屋が反論した。
「失敗したらどうする」
文房具店の店主が答えた。
「失敗しても今と変わらないだろう。やって、悪化することがないんだったらやる価値はあるんじゃないか?」
中立派のパン屋が口を開いた。
「面白そうだけど、リスクは?」
委員長が答えた。
「リスクは考えうる限りほぼないです。人が詰めかけすぎて荒れるとかでしょうか? でもそれって嬉しい悲鳴ですよね」
書店主が会長を見た。
「会長、やりましょう」
文房具店の店主も続けた。
「失うものはありません。今のままなら閉店です。僕らの世代で、商店街を終わらせたくない」
中堅のパン屋が頷いた。
「そうだな。一度くらい、挑戦してみるか」
喫茶店の店主も同意した。
「若い子たちがそこまで言うなら」
会長は黙って聞いていた。
会長の目に、昔の光景が浮かんだ。学生たちの笑い声。満員の店内。賑やかな商店街。
あの頃は、毎日が楽しかった。
若手も、中堅も、みんな前を向いている。この商店街を、もう一度……。
会長は立ち上がった。
会場が静まった。
「……わかった」
一同が会長を見た。
「やろう」
若手の書店主が声を上げた。
「会長!」
会長は続けた。
「だが、失敗したら責任取ってもらうぞ」
委員長は頷いた。
「もちろんです」
会長は笑った。
「いや、冗談だ。若者がそこまで本気なら、老いぼれも付き合うさ」
会場に拍手が起きた。
反対派の魚屋も渋々言った。
「まあ、やるならやるか」
会長が委員長に聞いた。
「では、具体的に何をすればいい?」
「まず、各店舗でコラボ商品を考えましょう。パネルの設置場所、聖地巡礼マップの作成。そして、SNSでの発信」
文房具店の店主が手を挙げた。
「SNSなら任せてください」
◆
各店舗から、アイデアが出始めた。
パン屋が言った。
「メロンパンなら自信がある。第三話でほしみが頬張ってた、『ほしみのメロンパン』を作る」
喫茶店の店主が続いた。
「『ほしみブレンド』を作ろう。キャラクターの絵が焼きこんである木のマドラーを添えるとかいいかも」
文房具店の店主が提案した。
「しおりをつくって無料頒布しようかなぁ」
書店主が言った。
「あ、野崎さん、いや春野先生。特設コーナーを作るのでサイン色紙をお願いしても良いでしょうか?」
「『春野先生』だなんてやめてください、僕はただの高校生です。喜んでサイン提供しますし、なんなら『ほしみのひみつ』の単行本にサインして、店舗に提供させていただきますよ」
会長も笑顔で言った。
「うちは『ほしみまんじゅう』を作る。あんこは秘伝のレシピだ」
みんな、少しずつ乗り気になっている。
野崎が立ち上がって言った。
「みなさん、ありがとうございます。この商店街が、こんなに盛り上がるなんて」
会長が野崎に言った。
「お前さんの漫画のおかげだよ」
委員長が確認した。
「残り期間はあまりありません。文化祭は4ヶ月弱後ですが、コラボ自体は文化祭開始の50日前くらいを狙って行いたいと思ってます。それまでに各店舗のコラボ商品を完成させましょう」
一同が声を揃えた。
「おう!」
盛り上がった会場で、書店主がふと思い出したように言った。
「そういえば、『ほしみのひみつ』って男の子が男子校で女装する話でしたよね? 音光商店街が舞台なだけで、別に女装する男子がいたりしませんよね?そういえば、音光学園って男子校だったんで、まさかとは思ったんですが」
野崎が月美の方を見た。
「あ、いえ」
野崎は月美を指差した。
「ここにいる月美が、ほしみのモデルです。こう見えて男です」
会場が一瞬静まり返った。
「……え?」
「嘘でしょ?」
書店主が目を丸くした。
「え、この子が!? 本当に男の子なの!?」
文房具店の店主が月美をまじまじと見つめた。
「本名は、桜井美月と申します。こんな格好でご挨拶なんてはずかしいんですが」
急に男声で挨拶する月美姿の美月に、みんな呆然とする。
「そんな……信じられない……完全に女の子にしか見えない」
会長も驚いた表情で美月を見た。
「えぇ……そんな……うっそぉ」
美月は少し照れたように頷いた。
「本当です。声を聞いてわかると思いますが」
会場がざわめいた。
パン屋が興奮気味に言った。
「これは……すごい話題性じゃないか!」
喫茶店の店主も頷いた。
「実在のモデルがいて、しかも本当に男の子が女装してる……ファンが聞いたら大喜びだぞ」
書店主が拳を握った。
「やっぱりやるしかない! これは絶対に成功する!」
会場が再び盛り上がった。
会長が笑いながら言った。
「まったく、驚かせおって。でも、そこまで本気でやってるなら、成功しないわけがないな」
委員長が小さく微笑んだ。
「では、準備を始めましょう」
◆
帰り道。
月美と委員長は、商店街を歩いていた。
「うまくいきましたね」
「ああ。予想以上に協力的でした」
「会長、最初は反対かと思いましたけど」
「あの人は商店街を愛してますからね。だから動いていただけたのかと」
月美は委員長を見た。
「委員長、人の心を動かすの上手いですね」
「事実とデータを示しただけですよ」
「いや、それだけじゃないです。委員長の本気が伝わったんです」
委員長は少し照れたように視線を逸らした。
「……文化祭を成功させましょう。学園も、商店街も、救う」
「ええ、やるしかないですね」
夕日に照らされた商店街。
パネル設置の準備が、すでに始まっていた。
すべての準備が整い、カウントダウンが始まる。




