第35話 ある受験生の動揺
その日、講堂に全校生徒が集められていた。
三年B組の宇佐美陸は、クラスの最後列の隅に座り、手元の英単語帳をこっそり開いていた。
「こんな時期に集会とか……ホント時間の無駄だな」
共通テストまであと一ヶ月半。一秒でも惜しい。
昨日の模試の結果が頭をよぎる。英語は目標点に届かなかった。数学も微妙だ。この時期に集会で時間を取られるのは、本当に痛い。
早く終わらせて勉強に当てたい。壁に貼られた「共通テストまであと○○日」のカウントダウンが、じわじわとプレッシャーをかけてくる。
宇佐美は英単語帳のページをめくった。少しでも、一つでも多く、覚えないと。
ざわざわしていた生徒の声が徐々に小さくなる。理事長が壇上に上がったからだ。
「今回緊急事態のため、皆さんをお呼びさせていただきました」
理事長の声が響いた。
宇佐美はちらりと顔を上げたが、すぐに視線を英単語帳に戻した。どうせ大したことじゃない。
「……来年度、このままでいくと音光学園は廃校になります」
(……え?)
宇佐美は完全に顔を上げた。講堂がざわめいている。周りの生徒たちも同じように驚いているようだ。
「こうなってしまった事態には、我々教職員にも責任があります。皆さんに、このような現実を突きつけることになってしまい……本当に申し訳ありません」
校長の声が、重く響く。
宇佐美の手が止まった。英単語帳のページが、宙に浮いたまま動かない。
(廃校……?そんなに状況は深刻だったのか。
確かに、ここ数年、受験者数が減っているという話は聞いていた。でも、まさか廃校になるなんて。
この学校が、なくなる?入学してから三年間。ここで過ごした日々が、後輩たちには訪れない?)
「廃校になる理由、それは募集人数に対する定員割れが理由です。すなわち、来年応募人数が大きく増えれば廃校を回避できます。私達は座してその時を待つようなことをするつもりはありません。
そこで私達は、生徒会委員長にアイディアを求めました」
そこまで言ったところで校長は壇からおり、生徒会委員長とバトンタッチする。
委員長は壇に立つと、生徒一同を見回す。
「文化祭で学校を全国にアピールする作戦があります」
委員長の声が、静まり返った講堂に響いた。
スクリーンに映像が映し出される。
魔女っ子コスプレをした女の子。ピンク色のウィッグ、大きな瞳、可愛らしい笑顔。
「……誰だ、あの子?」
周りの生徒が囁く。
「うちの学校に女子いたっけ?」
「いや、うち男子校だぜ。女子がいるわけないだろ」
「だよなぁ」
宇佐美も首をかしげた。確かに見覚えがない。というか、本当に女の子にしか見えない。
映像が進む。美しい「女子生徒たち」が校舎を案内している。どこから見ても、女子校のPR動画だ。男子校なのに。
宇佐美は思わず身を乗り出した。これ、本当にうちの学校か? 教室も廊下も見慣れた場所なのに、映っているのは知らない女子生徒ばかりだ。
そして最後、画面いっぱいに一人の女の子が登場した。
くるっと回転し、あざといポーズを決める。
「みんな、こんにちは♥ 音光学園の文化祭、今年は特別なの。美少女だらけの学園祭……ぜひ来てにゃん♥」
ウインク。
「可愛すぎる……」
講堂のあちこちから声が上がる。
宇佐美も思わず見入っていた。確かに、可愛い。本物の女の子みたいだ。
誰だろう? 外部から連れてきた人?
「今の映像……あれは、私です」
委員長の声。
……は?
宇佐美は耳を疑った。
「……は?」
講堂が一瞬、完全に静まり返った。
そして、爆発した。
「嘘だろ!?」
「委員長が!?」
「あのあざといポーズ!?」
「マジで言ってんのか!?」
会場が騒然となったその時。
委員長が、急に声を変えた。女の子の、可愛らしい声で。
「みんな、私のために争わないで♥」
一瞬の静寂。
そして、講堂が爆発した。
「うおおおおおお!!」
「可愛すぎるだろ!!」
「声までかよ!?」
「完璧じゃねえか!」
宇佐美は思わず英単語帳を閉じた。周りの生徒たちが立ち上がり、歓声を上げている。
嘘だろ……あれが委員長?
あの冷静沈着な、生徒会委員長が、あんな声を出せるのか?
宇佐美の隣で、クラスメイトの今井が呆然と呟いた。
「マジかよ……俺、委員長のこと知ってるつもりだったけど……あんな側面があったなんて……」
「……同じく」
宇佐美も小さく答えた。
「ごほん」
咳払いをする委員長に、ようやく一同は静まり返る。
「私達はこの学園の危機に対処するため、今年の文化祭に、誰も見たことがない、爆発的に話題性のあるテーマを提示することにしました。そしてそのために、様々な施策に取り組んでいます。御覧ください」
壇上に、美しい女子生徒たちが並んだ。
約三十人。どの子も自然で、本物の女子高生にしか見えない。
制服姿、スカート、ウィッグ。身のこなしも、表情も、全てが女の子だ。
「皆さんが見ている彼女たちは……2年A組の皆さんです」
「嘘だろ!?」
「マジで!?」
「2年A組全員があのレベルまで女装できてるってことか!?」
講堂が爆発的にざわめいた。
宇佐美も目を見開いた。あれが……男子?
信じられない。どう見ても、女子高生だ。
「今年の文化祭は、男子校全員が女装して、女子校風の文化祭をやります」
委員長の宣言。
一瞬、おもしれぇ!って思った。
確かに、こんな企画、誰もやったことがない。話題になるのは間違いない。学校が救われるかもしれない。
「全員参加とします」
その瞬間、宇佐美の心の中で、悲鳴が上がった。
(全員……? 受験生も?)
(受験勉強どうすんだよ! 共通テストまであと一ヶ月半しかないのに……)
英語の点数を上げないといけない。数学の苦手分野を克服しないといけない。やることは山積みだ。
でも、と宇佐美は思った。
(廃校は嫌だ。この学校、嫌いじゃない。むしろ好きだ)
この学校がなくなったら、後輩たちはどうなる? 来年入学するはずだった中学生たちは?
(どうしたらいいんだ……)
宇佐美は拳を握りしめた。胸の中で、二つの想いが激しくぶつかり合っていた。
◆
翌日の朝、三年B組の教室。
生徒会委員長と文化祭委員長の二人が教室に来ていた。
「参加レベルについて説明します」
委員長がホワイトボードに書いた。Sランク、Aランク、Bランク。
「今回の企画は『女子校の演出』です。基本的に、全員に女装をしてもらいます」
教室がざわつく。
「ただし、みなさんには受験があります。また、人によっては部活動が忙しかったり、体格が女装に向かなくモチベーションが上がらないなど、人それぞれ事情が違います」
委員長が続ける。
「そこで考えたのが、役割分担です。わかりやすく表に立つメンバーは完璧な女装を目指す。一方、視界の端で気にならない程度の女装をするメンバーもいる。この組み合わせで、総合的に無理なく女子校を演出できる、という戦略です」
なるほど、と教室のあちこちから声が上がる。
「三段階の参加レベルを用意しました。Sは完璧な女装を目指す。Aは基本的な女装。Bは最低限の女装と裏方作業です」
教室がざわついた。
「受験生の皆さんは、無理のない範囲で選んでください。Bランクなら学業への影響は最小限です」
文化祭委員長が付け加えた。
クラスメイトたちが調査票を記入している。
宇佐美も手元の調査票を見つめた。
音光学園女子校文化祭大作戦 参加レベル調査
□ Sランク(完全女装・週5日程度練習)
□ Aランク(基本女装・週3日程度練習)
□ Bランク(最低限女装・週1日、30分程度練習)
Sは論外。週5日なんて、受験勉強が完全に止まる。
Aも無理。週3日は厳しい。共通テストまであと一ヶ月半。一日たりとも無駄にできない。
Bランク……週1日、30分程度。
宇佐美はペンを持ったまま、手を止めた。
週1日、30分。
英単語なら50個は覚えられる時間だ。過去問も一題解ける。模試の結果が伸び悩んでいる今、一分一秒が惜しい。
でも。
学校が廃校になったら、後輩たちはこの校舎で過ごせない。入学式も、体育祭も、文化祭も、全部なくなる。
俺がここで経験したこと。友達と笑い合ったこと。悩んだこと。成長したこと。
それが、全部、失われる。
週1回30分……。
これくらいなら……なんとかなるか?
「お前、どうする?」
隣の今井が声をかけてきた。サッカー部のエースで、普段は軽いノリだが、成績も上位をキープしている。
「……B、かな」
宇佐美は正直に答えた。
今井も頷く。
「俺もB。受験あるし。つーか、Sとか週5日練習とか無理ゲーだろ」
「俺もBにする」
前の席の佐々木が振り返った。運動神経は悪いが、真面目で几帳面な性格だ。
「体格的にSは厳しいし、何より恥ずかしい……」
「というか三年生は、推薦組以外ほぼ全員Bだろうな」
クラス委員の遠藤が冷静に分析した。成績優秀で、将来は医学部志望。
「委員長もその辺は計算してるはずだ。受験生に無理はさせないって明言してたし」
宇佐美は深く息を吸い、Bランクにチェックを入れた。
週1回30分……なんとかなる。
そう自分に言い聞かせながら、調査票を提出した。




