第32話 文化祭委員長への説得
放課後の生徒会室。
その日、生徒会委員長は文化祭委員長の藤田に連絡を取り、重要な話があると伝えていた。
「お疲れ様です」
藤田が生徒会室のドアを開けて入ってきた。
藤田は3年生で、文化祭委員長を務めている、生徒会委員長より一つ年上の先輩だ。真面目な性格で責任感が強く、去年の文化祭の失敗を誰よりも悔しがっていた。短く刈り込んだ髪に、引き締まった表情が彼の真摯な人柄を物語っている。
「藤田先輩、時間を作ってくれてありがとうございます。重要な話があるんです」
委員長が真剣な表情で立ち上がる。
「重要な話?何だ?」
藤田が首をかしげながら椅子に座った。
「今年の文化祭についてなんですが……企画について相談させていただきたくお時間をいただきました」
「文化祭の企画?」
「はい、実は例年とは全く異なる別の企画を考えています」
「違う企画って?なんで急に?」
委員長は一呼吸置いて、真剣な表情で続けた。
「実は、理事長から相談を受けたのですが……学校が継続の危機に瀕しているそうです」
「え……マジか」
「はい。生徒数の減少が深刻で、このままでは数年以内に廃校になる可能性が高いそうです」
「そんな深刻な状況なのか」
藤田の表情が曇る。
「学校を救うには、話題性を作って入学希望者を増やすしかない。ご相談したいのはそのための企画なんです」
「なるほどなぁ」
委員長はそう説明すると、準備していた企画書を藤田に差し出した。
「これを見てください」
委員長が準備していた企画書を藤田に渡す。訝しげな顔で藤田は企画書を受け取ると、表紙のタイトルを読み上げた。
「『音光学園男子校全員女装プロジェクト:女子校風文化祭企画書』……え?」
藤田の目が点になる。
「男子校全員女装で……女子校っぽい文化祭?……マジで言ってるのか?」
「本気です」
委員長の真剣な表情に、藤田は企画書をめくり始めた。しかし、ページをめくるたびに眉をひそめ、やがて顔を上げるとその表情は困惑と苛立ちの入り混じったものに変わっていた。
「待てよ。これ、文化祭の企画だろ?なのに文化祭委員長の俺になんで話が来てない?」
「だから、今こうして相談に来たんです」
「相談って……でも既にクラスで動いてるって書いてあるぞ?いくらなんでも乱暴すぎないか?」
藤田が企画書の一部を指さす。
「文化祭までの残り期間がなかったので、文化祭委員会に通す前に、まずテストケースとして僕達のクラスで試験的に……」
「それって勝手に進めてるってことじゃないか。文化祭に生徒会が口出すのは越権じゃないか……」
藤田の声に苛立ちが混じる。
「本当に申し訳ございません。勝手に動いたこと、深く謝罪いたします」
委員長が深々と頭を下げた。いつもの冷静さとは打って変わった、素直な謝罪の姿勢だった。
「……」
藤田は無言で委員長を見つめている。その目には怒りと困惑、そして何かを考えているような色が渦巻いていた。
「学校が潰れる、期間がないということもあり焦ってしまいました」
委員長が顔を上げる。
「それに……口だけで『全員女装できます』って言っても、信じてもらえないと思ったんです。だから実績を作る必要がありました」
「実績って……」
「実際に見てもらいたいものがあります。桜井くん、入ってください」
委員長が扉に向かって声をかけると、美月が月美の姿で生徒会室に入ってきた。
「失礼いたします」
月美が上品にお辞儀をする。藤田は月美を見た瞬間、がくんと息を飲み、目を疑うように細めた。その表情は驚きと困惑、そして認めたくない現実への抗いが入り混じったものだった。
「この子が僕のクラスの桜井くんです。1ヶ月間、月美として女装生活を送りました。ついぞクラスの誰も気づきませんでした」
「え……桜井くん?俺の知ってる生徒会の桜井くん?嘘だろ?」
藤田が信じられないという表情で月美を見つめる。月美は苦笑いを浮かべながら答えた。
「はい、美月です。信じられないかもしれませんが……」
「完全に女子じゃないか。声も仕草も……」
「1ヶ月間の特訓の成果です。本当に大変でした。最初は私も無理だと思ってましたが、やってみると意外と……」
月美が恥ずかしそうに笑う。その笑顔には、この状況への言い知れない罪悪感と、それでも途中で投げ出すことはできないという覚悟が滲んでいた。
「藤田先輩、私も最初は絶対に無理だと思いました。でも、クラスのみんなが協力してくれて……」
月美が真剣な表情で続ける。
「今は、この企画で学校を救えるかもしれないって、本気で思ってます」
その真摯な瞳に、藤田は何かを感じ取ったようだった。
「これが、僕たちの企画の成果です」
委員長が胸を張って言った。
「これは……いや、しかし……」
藤田が企画書を再び手に取る。
「去年の文化祭、来場者は保護者だけでしたよね」
委員長が静かに言う。
「……そうだな」
「今年もこのままなら、同じ結果になります。いや、もっと悪くなるかもしれません」
「それは……」
「藤田先輩、先輩も文化祭委員長として、今の状況をどう思っていますか?」
委員長の質問に、藤田は困った表情を見せた。その表情には、隠してきた深い失望と無力感が浮かんでいた。
「正直……去年は惨めだった。準備にあんなに時間をかけたのに、結局来てくれたのは生徒の家族だけで……」
「今年はどうしたいですか?」
「本当は……たくさんの人に来てもらいたいんだ。でも現実は厳しいじゃないか」
藤田が弱々しく答える。その声には、去年の惨めさを思い出したことで再び湧き上がった痛みが響いていた。
「だから、この企画なんです」
委員長が立ち上がって、ホワイトボードに向かう。
「MHKの取材が入ります。有名少女漫画とのタイアップもあります。SNSでの話題化も狙えます」
「MHK?少女漫画?なんのはなしだ?」
「僕が提案した企画を、MHKに持ち込んだところ、ぜひドキュメンタリーにしたいと快諾いただきました。すでに取材が入ってます」
委員長が資料をめくる。
「また、今回の取組を漫画にするという企画も同時に進んでおり、こちらも出版社と合意のうえ進行してます」
「えっ、そこまで……」
「さらに、これらの動きと並行して、僕たちは既に全校展開のための標準化システムを完成させました」
委員長が新たな資料を取り出す。
「もう後戻りできないレベルまで来てるじゃないか……」
「美原君が作成した女装技術の標準化ドキュメントです。誰でも段階的に習得できるよう体系化されています」
「標準化?」
「はい。基礎から実践まで、レベル1、2、3に分けて、スタンプカード方式で進捗管理します。ゲーム感覚で楽しく取り組めるシステムです」
「なるほど……それなら確実性が高いな」
藤田が資料に目を通す。
「文化祭成功のための布石は万全です。今度こそ、本当の文化祭ができます」
委員長の熱意に、藤田の表情が少しずつ変わってくる。最初の怒りが薄まり、代わりに微かな期待の光が目の奥に灯り始めた。
「でも……リスクも大きいだろ」
「失敗を恐れて何もしなければ、結果は見えています。去年と同じ、保護者だけの文化祭です」
「……」
「藤田先輩、先輩は今年三年生。最後の年でしょう?」
「ああ……」
「最後の文化祭を、去年と同じにしたいですか?」
委員長の問いかけに、藤田は長い間沈黙した。その沈黙の中で、去年の惨めな文化祭、今年への不安、そして目の前に示された突拍子もない機会。すべてが彼の心の中で渦巻いていた。
藤田は長い沈黙の後、企画書を握りしめた。
「……条件がある」
「条件?」
委員長が身を乗り出す。
「文化祭委員会のメンバー全員が納得できる説明をしてくれ。俺一人で押し切るわけにはいかない」
「もちろんです」
「それから、失敗したときの責任も明確にしてほしい」
「すべて生徒会が責任を持ちます」
委員長がきっぱりと答えた。
藤田は深く息を吐いた。
「……わかった」
藤田がゆっくりと口を開いた。その声には、最後の躊躇いを振り切った男の決意が込もっていた。
「やってみよう」
「本当ですか?」
「正直、不安はある。でも……去年の悔しさを思い出すと」
藤田が拳を握る。その拳には、去年の悔しさへの怒りと、今年こそという燃えるような想いが込められていた。
「今年こそ、本当の文化祭をやりたいんだ。たくさんの人が来てくれる、活気のある文化祭を。本音を言えば、お前の企画はかなりぶっ飛んでると思う。でも、去年までのやり方でそれを超えられるとは思えない。俺も橘の企画に乗るよ」
委員長と月美の顔に安堵の表情が浮かぶ。特に月美の表情には、長い間抱えていた緊張が一気に解けたような、深い安堵が満ちていた。
「ありがとうございます」
委員長が深く頭を下げる。
「委員会での説明は、僕も同席させてください。企画の詳細を直接説明します」
「助かる。明日、委員会を開く」
藤田が決意を固める。その目には、もう迷いはなかった。不安よりも、期待の方が大きくなっていることが見て取れた。
「それでは詳細な作戦を練りましょう。桜井くんも一緒にお願いします」
「はい、喜んで協力させていただきます」
月美が微笑む。
生徒会室に、新しい希望の光が差し込んできた。個人からクラス、そして委員長へ。輪は確実に広がり始めている。
明日の委員会が、次の大きな山場になるだろう。




