第18話 封印された過去
姉による着せ替え地獄を経験してから、月美の生活はさらに複雑になった。
街を歩けば商店街のおばちゃんたちが月美を覚えていて、学校では他のクラスの生徒たちまで月美のことをチラチラ見に来る。
「音光学園に女の子がいるって本当?」
「なんかそういう噂聞くけど、あそこって確か男子校だったような」
「そうよねぇ……」
八百屋のおばちゃんが隣の魚屋のおじさんに話しかけているのを聞いて、月美は心臓がバクバクした。
(やばい、噂になってる……)
でも、クラスのみんなは月美を自然に「月美ちゃん」として受け入れてくれている。いつもの月美ちゃん、と覚えられる速さには驚いたけれど、地域社会での女子としての自然な受け入れられ方を実感していた。
学校内でも状況は同じだった。他クラスの生徒たちが「あの子誰?」という視線を向けてくる。3年生の先輩が「君、転校生?何か困ったことがあったら言ってね」と優しく声をかけてくれたり、1年生が「すごく綺麗な人だね」と噂しているのを耳にしたりする。
学校全体での有名人という新しい立場に、月美は複雑な気持ちを抱いていた。地域社会と学校内での認知度が急上昇していることは確かだった。女子としての完全な受け入れを実感する一方で、注目されることへの複雑な感情も湧いてくる。
放課後、月美が部活棟を通りかかると、様々な文化系部活から声をかけられた。
「文章が得意そうですね。文芸部に入りませんか?」
「品があるから茶道部に向いてそう。月美さん、ぜひ」
「美術部でモデルになってもらえませんか?」
月美は困惑しながら「どれも興味ないんですけど……」と答えていたが、そこに演劇部の部長がやってきた。
「ちょっと相談があるんだが」と部長は月美に近づいてきた。
「演劇部に入ってくれないか?演劇部は君を強く求めている」
「え、演劇……」
その言葉を聞いた瞬間、月美の頭に昔の記憶がよみがえってきた。
(演劇か……昔やってたけど……)
「文化祭で大きな劇を企画してるんだ」と部長は続けた。「ヒロイン役をやってもらいたい」
「ヒロイン……」
演技経験を思い出しながら、月美は複雑な気持ちになった。
「男子校だから、女子がいなくて長らくやりたくてもできなかった憧れの企画なんだ。協力してくれないか。たのむ」
頭を下げる部長。
(演劇か……昔やってたけど、今度は女性役……)
月美は内心で複雑な気持ちを整理していた。
様々な部活からの関心を受けながら、演劇部の具体的な企画への言及に、月美は演技経験の活用可能性への気づきを感じ始めていた。
◆
生徒会室に戻って、美月は委員長に演劇部からの勧誘について報告した。
「演劇部に誘われた」
「そうですか……実はそれについて話があります」と委員長は真剣な表情で答えた。
「?」
委員長は突然、衝撃的なことを告白した。
「実は調べさせてもらいました」
「何を?」
「桜井くん、君、昔子役をやっていましたね」
美月は動揺した。
「……どうして知ってんだよ?」
委員長の真剣な表情に、美月はさらに動揺を隠せなかった。
「君を選んだ理由は容姿だけじゃありません」と委員長は続けた。「演技の才能があるはずです。その経験が必ず活かせると思って。僕のこの見立ては間違ってませんでしたね」
「そんな昔のこと……もう関係ないだろ」
「最初から計算していました」
美月は反発を感じた。
「俺を利用したのか……」
「そうではありません。君の可能性を信じたんです」と委員長は言った。
「まさか……お前が裏で手を回したのか?」
委員長は美月の問いに答えるように、真の狙いを明かし始めた。
「演劇部での活動は、我々の計画の重要な要素です」
美月の表情が険しくなる。
「何を企んでるんだ、お前……」
「君の演技経験と、現在の女装技術」委員長は一呼吸置いた。「この組み合わせを活かせば、文化祭での注目度を最大化できるはず」
「まだそんなことを……」
「文化祭では、演劇が重要な見せ場になる」委員長の声に確信がこもっていた。「そのときに君の過去の経験が必ず活かせる」
「詳細は?」
「まだ言えません。でも、君なら必ずできるはずです」
「一体、何をするつもりなんだ……」
委員長は確信を持って答えた。
「学校救済には、インパクトのある企画がどうしても必要なんです。そしてその企画には、桜井くんのその演じる才能がどうしても必要なのです。今はまだ準備段階で、まだ未確定のことが多くお伝えできないのですが、本当の勝負は文化祭です。協力してください」
「お前の計画、いつも一歩先が見えないんだよ……」
委員長の事前調査と戦略性、演劇部勧誘の裏工作、そして文化祭での演劇の重要性。詳細は秘匿されているものの、美月の子役経験と女装技術の戦略的組み合わせが明らかになった。
「そもそもどうして演劇をやめたんです?」
「どうせ知ってるんだろ?」
「表面的なことしか知らないです。一体何があったんです?」
◆
美月は小学3年生から6年生まで、男の子の子役として活動していた。
人気ドラマ「青春家族物語」で注目の少年俳優になり、「天才子役」として雑誌にも取り上げられる人気ぶりだった。
「美月は本当に演技が好きで、みんなに愛されてた」と母はよく言っていた。
しかし、小学6年の時から状況が変わった。同級生からの嫉妬といじめが始まったのだ。
「調子に乗ってる」「テレビに出てるからって偉そう」
学校で一人ぼっちになり、友達がいなくなった。それでも演技への情熱は消えなかった。
決定的な事件が起きたのは中学1年の時だった。声変わりの時期とネット誹謗中傷が重なった。
「声変わりして終わった」「もう子役は無理」「消えろ」
「思春期で演技も下手になった」という心ない書き込みがネットに溢れた。ある日、学校でも「ネットで叩かれてる子」として陰口を叩かれるようになった。
母は泣きながら美月に言った。
「もうやめましょう、美月。あなたが苦しむのを見てられない」
「でも演技は好きなんだ……」
「普通の子として、普通に生きていこう」
母は泣きながら事務所に引退を申し出た。
美月は完全に演技の世界を封印した。「もう二度と人前に出たくない」「注目されることが怖い」という気持ちで、演技関連のものを全て処分し、過去を完全に隠蔽した。「普通の男子として静かに生きる」と心に誓ったのだ。
人気子役から一転、いじめとバッシングの標的になった。ネット誹謗中傷による精神的ダメージは大きく、母親の愛情による引退決断で美月は救われた。
一方で「注目されることへの恐怖」というトラウマが残り、過去の完全な封印と隠蔽につながった。
委員長の指摘が美月の心に響いた。回想から現在に戻ると、改めて今の自分の状況を実感した。
◆
美月の独白に委員長は耳を傾ける。
「でも今、君は再び演技をしています。それも子役時代を超えるレベルで」
「これは演技じゃない……生活だ」と美月は答えた。
「注目されることを恐れていたのに、今は自然に人を魅了している」
委員長はトラウマとの向き合いについて話し続けた。
「最初は怖かったでしょう?また注目されることが」
美月は少し考えてから口を開いた。
「……そうだ。バレたらどうしようって毎日思ってた。朝起きる度に『今日こそバレるんじゃないか』って」
「でも今は違う」
「今は……」美月は言葉を探した。「確かに違う。みんなに受け入れられてる」
「あの時とは状況が違います。今度は君を守る仲間がいる」
美月の表情が少しずつ和らいでいく。
「女装をしている時、昔の感覚が戻ってくる瞬間がある」美月の声に実感がこもっていた。「ゾクッとした時も確かにあった。でも……今は怖くない」
美月は深く息を吸った。
「みんなが味方だから」
「それが君の本質なんです。表現することへの純粋な愛」と委員長は言った。
「あの頃の気持ちを……思い出してきた」
しばらく沈黙が続いた。美月は自分の心と向き合っていた。
「俺……また演技の世界に戻ってるのか」
委員長は静かに頷いた。
「委員長は最初から知ってて俺を選んだんだな。俺の過去も含めて」
美月の声に恨みはなかった。むしろ理解してくれたことへの感謝が込められていた。
「演劇部の勧誘、どうしますか?」委員長が静かに聞いた。
美月は長い間考えていた。過去の痛み、現在の充実感、そして未来への可能性。
「まだお前の全体計画は分からない」美月はゆっくりと言った。「でも……演劇自体は嫌いじゃない」
「桜井くんなら必ず素晴らしい演技を見せられます」
美月は委員長を見つめた。信頼できる仲間がいる。もう一人じゃない。
「……明日、演劇部に返事をしよう」
桜井美月、女装時は月美として生きる少年の新たな挑戦が始まろうとしていた。




