第16話 噂の美少女事件
春の陽射しが2年A組の教室に差し込んでいる。昼休みのいつもの光景だった。
月美は机の上に広げた弁当を箸でつつきながら、のんびりとした午後のひとときを過ごしていた。最近の女装生活にもようやく慣れてきて、クラスメイトとも自然に会話できるようになっている。
そんな平和な時間に、思いもよらない話題が持ち上がった。
「最近さ、校門で変な奴らに声かけられるんだよ」
クラスメイトの田島が、卵焼きを頬張りながらぼやいた。
「え?ナンパ?」
隣の佐藤が興味深そうに身を乗り出す。
「違うよ。『音光学園に女子生徒がいるって本当?』とか聞かれるんだ」
月美の箸が止まった。
何気なく聞いていたが、なんだか嫌な予感がする。
「『どんな子?可愛い?』『どのクラス?』とか質問攻めなんだよ」
田島が困った顔で続ける。
「男子校に女子一人って珍しいもんな」
佐藤が納得したように頷く。
月美の心臓が早鐘を打ち始めた。まさか……まさか俺のことじゃ……。
「写真撮らせてくれって言われたこともある」
田島の言葉に、月美は完全に固まった。箸を持つ手が微かに震えている。
「その女子生徒の写真を?」
「そう。『会わせてくれ』とか『紹介してくれ』とか」
月美の頭の中が真っ白になる。
「その女子生徒ってのは、まあ当然月美ちゃんの話なわけだが」
(俺のことですよねーーーー!!!)
月美は内心で絶叫した。思わず弁当のおかずを箸から落としてしまう。
(なんで俺が……なんで俺が他校で噂になってるんだよ……)
顔から血の気が引いていく。いつかこういうことになるんじゃないかってなんとなく思ってたけど、早すぎる──
「だ、大丈夫?」
田島が心配そうに覗き込む。
「あ、うん……大丈夫……」
月美は真っ赤な顔で慌てて答えた。声が上ずりそうになるのを必死に抑える。
(俺が有名になってる……写真を撮られたら一発でバレる……)
「他校の女子にも聞かれたことある」
田島がさらに続ける。
「『音光学園の美少女転校生って本当にいるの?』って」
(美少女って……俺が……)
月美の顔がさらに赤くなった。
「おー!月美ちゃん、有名人じゃん!」
サッカー部の鈴木が大声で割り込んできた。その屈託のない笑顔が、月美にはなぜか眩しく見える。
「すげー、美人だもんな」
バスケ部の中島も素直に感動している。背の高い彼が感心したように頷いているのを見て、月美は複雑な気持ちになった。
(みんな、俺が男だって知ったらどんな顔するんだろう……)
「駅でも声かけられたんだよ。制服見て」
田島が続ける。
「『同じ学校?女子生徒の子知ってる?あれ、でも男子校だったよね?』って」
「結構有名になってるじゃん」
佐藤が納得したように頷く。
なんで俺が噂になってるんだ……。
他校の奴らに見られてるってこと?
写真撮られたらバレるじゃないか……。
「俺のクラスに美人がいるって、サッカー部でも自慢しちゃったよ」
鈴木がニヤニヤしながら言う。
「バスケ部でもみんな興味津々だぜ。『本当に可愛いの?』『今度紹介してよ』って」
中島も嬉しそうだ。
月美の顔は青ざめていった。
(部活レベルで話題になってる……これ、もう学校全体に知れ渡ってるじゃないか……)
冷たい汗が背中を流れる。噂の規模が想像以上に大きいことに、ようやく気づき始めた。
「月美ちゃん、大丈夫?顔色悪いよ」
田島が心配そうに声をかける。
「あ、ああ……ちょっと……」
「保健室行く?」
山田も心配そうに声をかけてくる。
「だ、大丈夫……」
月美は慌てて首を振った。
しかし内心ではパニック状態だった。
これはヤバい。
委員長に相談しなければ。
◆
昼休みが終わる直前、生徒会室にいる委員長のもとに美月は駆けつけた。
「委員長、大変だ!」
美月を見て、委員長が振り返る。
「どうしました?」
「俺、他校で噂になってるらしいです」
委員長は一瞬眉をひそめ、そして小さくため息をついた。
「……それは予想していました」
「え?」
「『月美さん』はただでさえ美少女なのに加え、男子校に女子生徒というのは目立ちますからね」
委員長は冷静に分析する。机の上のファイルをめくりながら続ける。
「通学路や商店街で目撃されていたのでしょう。SNSでの拡散も考えられます」
「SNS?」
「写真は撮られていなくても、『音光学園に女子生徒がいる』という情報だけで十分話題になります。今は情報の拡散が早いですから」
「写真撮られたらどうするんですか?」
美月の不安は高まる一方だった。
「その時はその時で対応しましょう」
委員長の落ち着いた声が美月を少しだけ安心させる。
「クラスメイトも迷惑してるし……」
「確かに、対策が必要ですね」
委員長が資料を整理しながら答える。
「でも、ある意味では成功している証拠です」
委員長は資料をファイルに戻しながら続ける。
「ただし、今後はより慎重な行動が必要になります。写真対策、身バレ防止策、緊急時の対応プロトコル……検討すべき課題が山積しています」
成功って、こんな形で有名になるなんて……。
でも確かに、俺たちの作戦は想像以上に効果を上げているということか。
「一つずつ対処していきましょう。大丈夫。桜井くんはよくやってくれてますよ」
委員長の励ましにより、美月の動揺は一旦落ち着くのであった。
◆
放課後、月美は委員長と一緒に校門を出ようとしていた。
すると、制服姿の見知らぬ高校生が近づいてきた。
「あ!噂の女の子だ」
月美は身を固くする。
「え、ええっと……」
月美は動揺して答えに詰まった。
「すみません、急いでいるので」
委員長がタイミングよく割って入り、月美の手を引いて立ち去る。
「助かりました……」
月美は小さくつぶやいた。
歩きながら、委員長が口を開く。
「これからは気をつけましょう」
「でも、学校のためだもんな……」
月美は複雑な表情を浮かべる。
(俺が有名になって学校が注目されるなら……)
複雑だけど、悪いことじゃないのかも……。
でも同時に、新たな不安も芽生えていた。この噂がどこまで広がるのか、いつまで嘘を続けられるのか、そしてバレた時はどうなるのか。
夕日が二人の影を長く伸ばしていた。
「委員長、もしバレたらどうなるんでしょうか」
「その時はその時です。でも今はまだ、バレないよう最善を尽くしましょう」
委員長の冷静な声が、少しだけ月美を安心させた。
月美はまだ知らなかった。
この噂は、想像以上に大きな波紋を呼び、やがて学校全体を巻き込む一大事件に発展することを。




