第1章 第6話 ── 揺れる心
廃教会の奥は、昼の名残を薄く閉じ込めたような静けさに沈んでいた。
床に散ったステンドグラスの欠片が、揺れる光を拾って淡い色を壁へ映す。
その光の揺らぎが、緊張でざらついた空気をかえって際立たせていた。
小箱を胸に抱えたまま、マイラは正面の少年を見つめる。
黒髪の額。息を詰めたような灰色の瞳。
その奥には、強い敵意ではなく──切実な焦りが沈んでいた。
胸の奥がきゅっと縮む。
どうして……こんな必死な目をするの……?
「……理由を教えて。どうして、渡しちゃだめなの?」
問いかけは震えた。
責任を果たしたい気持ちと、目の前の少年が抱える痛みへの直感が、
胸の中でぶつかりあっていた。
少年は答えず、かすかに唇を噛みしめる。
何かを言いたいのに、言えない……そんな躊躇いが見えた。
その沈黙を切り裂くように、かすれた声がようやくこぼれる。
「……その箱のせいで、俺の家族は……」
それ以上は続かなかった。
握られた拳だけが震えていた。
マイラの呼吸が浅くなる。
胸に抱く小箱が熱を帯びるように重く感じられる。
後方から、気配が静かに近づいた。
レンが一歩だけ前へ進み、少年をまっすぐ見据える。
その眼差しは怒りではなく、何かを“見極める”深さを湛えていた。
「……君の言葉には、何か本当のことがある気がする。
でも理由を伏せたまま迫られても、こちらは構えるしかない。
何を背負っているにせよ、誰かを押しのけて奪おうとすれば……守らざるを得なくなる」
穏やかな声なのに、ひどく静かな強さが滲んでいた。
少年の肩がわずかに揺れる。
苦しげに顔を歪め、視線を逸らした。
「……なら、好きにしろよ。
後悔しても、もう遅いからな……」
吐き捨てるように言うと、少年は踵を返し、
廃教会の奥の闇へ駆けていった。
石床を叩く足音が遠ざかり、やがて消える。
胸に残ったのは、静寂よりも深い“ざわめき”だった。
私……何を見落としてるんだろう……
あの目……あれは、ただの敵意じゃない……
小箱を抱く腕に力が入り、 強張る指がかすかに震えた。
「……ねえ。私、間違ってないよね?」
自分でも驚くほど小さな声が漏れた。
レンは短く息をつき、そっと肩へ手を置く。
「選んだ道を否定する気はないよ。
ただ──あの少年のことは、頭に入れておいたほうがいい。
あの目は……何かを失った人間の目だ」
その言葉が胸に沈み、
マイラは小さく頷いた。
抱える小箱は、先ほどよりずっと重く感じられた。
────────────────────
◆春の宿屋の夜
────────────────────
町に戻ると、花市の灯りが夜風に揺れ、
春の甘い匂いが通りへ流れていた。
宿屋の食堂には、
香草と春野菜を煮込んだ優しい香りのスープと、
焼きたての薄皮パンが並んでいた。
湯気が頬を撫でるたび、緊張の糸が少しずつほぐれていく。
マイラはスプーンを口に運び、
「……あったかい……」と小さく息を吐いた。
けれど胸の奥には、まだ言葉にならない思いが渦巻いたままだ。
レンもルフトも、その沈黙を破ろうとはしない。
夜の静けさが、むしろ問いを深めていく。
ふと、窓の外に視線を向ける。
花市の灯が、風に揺れてまたたく。
その揺らぎの中に、あの灰色の瞳が潜んでいる気がした。
あの子……何を失って、あんな目をしてたんだろう……
答えはまだ闇の中。
けれど、心に刺さった棘は確かにそこにあった。
夜は静かに更けていく。
────────────────────
続きも読んでいただけたら嬉しいです。




