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第2章 第5話 ── 朝の集合、紙の皺

第2章 第5話 ── 朝の集合、紙の皺


ギルドの裏口で、マイラは靴紐を結び直した。

指が、いつもより言うことを聞かない。


腰のポーチが、布越しに冷たい。

昨夜より、ひと回り重い気がする。


――増えてないのに。

――重さだけが、増えるってなに。


川風が路地を抜けてきて、鼻の奥に刺さった。

ほんの少し、鉄の匂い。


「待たせたわね」


振り向くと、セリナが来ていた。

いつもの受付の顔じゃない。

髪は簡単にまとめ、手には小さな革鞄。


「……早いですね」


「“三日”なら、朝を無駄にできないでしょ」


その一言で、胸の奥がきゅっと縮んだ。

心臓が、薄い板を叩くみたいに硬く鳴る。


肩の上のルフトが、低く鳴く。

「クル……」


「上流から見ていく。人が増える前に」

セリナは歩き出し、マイラも並んだ。


石畳を踏むたび、【ウィンド・リボルヴ】が腰で小さく鳴った。

金属が風を吸って、呼吸するみたいに。


――父さん。

――“道を守れ”って、こういうこと?


川へ向かう坂を下りきると、朝の市場の匂いが広がった。

焼き台の炭の香り。

川海老の塩が爆ぜる音。

甘い草の匂いに混じって、湿った水の匂い。


「食べておきなさい」

セリナが足を止める。


「え、今ですか」


「今。空腹は判断を鈍らせる」


屋台の親父が、串をくるりと返した。

じゅっ、じゅっ、と脂が落ちて炭が鳴く。

香ばしさが、喉の奥の乾きを刺激する。


渡されたのは、清流海老の串焼きと、薄い麦パン。

海老の殻は赤く、身は白い。

塩が光っている。


ひと口。

ぱりっと殻が割れて、熱が舌に刺さった。

次に、甘い身がほどける。

噛むほどに、川の匂いが鼻に抜けた。


――温かい。

――なのに、胸の奥は冷たいまま。


ルフトには小さな麦パンの欠片をやる。

くいっと咥えて、すぐ食べた。

食べる速さが、落ち着いていない。


「行きましょう」

セリナが言う。


マイラは串の残りを飲み込んで、手を拭いた。

掌が、少し湿っている。


――怖い。

――でも、怖いから、手を動かす。


上流へ向かう道は、川沿いの木陰が続いた。

水音が近づくほど、ポーチの冷たさが増す。


「反応してるわね」

セリナが、視線をポーチに落とした。


「……分かりますか?」


「“封緘”は、封じたものだけじゃなく、周りも歪ませる。

 気温、匂い、音。ほんの少しね」


セリナは革鞄から、薄い紙束を一枚だけ抜いた。

白い紙。けれど繊維が細かく、普通のメモ紙じゃない。


「これ、持って」


「紙……?」


「感応紙。封緘の気配で皺が寄る。

 ギルドの裏依頼で使う道具よ」


マイラは受け取った。

紙は軽いのに、指先がぴりっとした。


――手札が、増えた。

――でも、増えるほど、逃げ道が減る。


「約束」

セリナが言う。


「触るのは最低限。

 開けない。ほどかない。沈んでいるものに、勝手に手を突っ込まない」


「……はい」


「破れば、あなたの資格が飛ぶ。

 それだけじゃない。封じてる“中身”が、川へ漏れる」


川が、全部飲み込む。

そう思った瞬間、胃の奥がひゅっと冷えた。


――川は、隠す。

――でも、隠したままじゃ、腐る。


そのとき。


前方で、子どもの声が弾けた。

「おじちゃーん! また、浮いてる!」


川岸に、釣り人が二人。

その足元に、銀の影が横たわっていた。


空魚。

腹を上にして、動かない。


昨日の一匹より、まだ新しい。

鱗は湿っているのに、光が鈍い。


マイラの喉が鳴った。

さっき食べた海老の甘さが、急に遠い。


――二匹目。

――“偶然”って言い切れる?


セリナがしゃがみ、目だけで観察した。

触れない。距離を保つ。

その仕草が、封緘の人の“手つき”だった。


「……見て」

セリナが言う。


マイラもしゃがむ。

空魚の腹のあたり。

一枚だけ、鱗が暗い。


昨日の“違和感”と同じ。

光を、飲むみたいな黒。


マイラは感応紙を近づけた。

手が震えそうになるのを、肘で止める。


紙が、すうっと息を吸ったみたいに波打った。

次の瞬間、端が細かく皺を作る。


「……反応、してる」


「してるわ」


セリナの声が、いつもより低い。


「五年前の記録に、もう一つあった。

 “鉛の札”が川辺で見つかったって」


「札……?」


「封緘物を管理するための、識別札。

 正規なら、沈めない。沈める理由がない」


言葉が、頭の中で小石みたいに跳ねた。

沈める理由がない。

なのに沈めた。


――理由があるってことだ。

――隠したいってことだ。


「上を見ましょう」

セリナが立つ。


「え?」


「魚は結果。原因はもっと上」


上流へ。

木陰が濃くなり、水の匂いが冷たくなる。

岩が増え、流れが速い。


マイラは足元を選びながら進んだ。

濡れた石は、油を塗ったみたいに滑る。


――泳げない。

――落ちたら、終わる。


その不安が、足首に重りをつけたみたいに絡む。


「止まって」

セリナが言った。


川が、細い滝みたいに段差を作る場所。

石積みが不自然に整っている。

誰かが、ここだけ“手を入れた”跡。


「ここ、去年はこんなに整ってなかった」

釣り人の一人が、遠巻きに言う。

「最近、石が増えたんだよ。誰かやってんのかと思って」


セリナが頷いた。

「ありがとう。近づかないで。危ないから」


釣り人は首を傾げつつ、離れた。


マイラは石積みに近づいた。

感応紙を持つ指が、汗で滑る。


紙が、また皺を作った。

さっきより深い。

まるで、紙が痛みに顔をしかめるみたいに。


「……ここ、強い」


「石をどけたいけど、雑に崩すのは危険ね」


セリナが周囲を見回す。

視線が、マイラの腰へ落ちた。


「……ウィンド・リボルヴ、使える?」


マイラの喉がきゅっと鳴った。

父の形見。

ただの短剣じゃない。


――頼っていいの?

――頼ったら、巻き込まれる。


でも。

今は、迷っている時間が一番高い。


「……はい。切るだけなら」


「切らない。引っ掛ける」


セリナが指差した。

石積みの隙間から、細い縄の端が見えている。

水で濡れて黒い。

結び目が、何かを固定している。


「縄……」


「引き出して、確認する。

 中身には触れない。外側だけ」


マイラは息を吸った。

胸の中の膜が、ばちんと張る。


【ウィンド・リボルヴ】の柄に指を掛ける。

冷たい。

でも、掌に吸い付く。


――父さんの手の温度が、残ってる気がする。

――わたし、今、同じ持ち方してる?


刃を抜き、岩の隙間へ慎重に差し込む。

刃先で縄を“切らずに”引っ掛ける。

少し引く。


ずるり。


縄が動いた瞬間、石積みの奥で何かが擦れた。

ごり、と鈍い音。

水の音に混じらない、重い音。


「……来る」

セリナが言った。


マイラがもう一度、ゆっくり引く。

縄の先に、黒い布。

油布だ。

水を弾くような、ぬめった光。


そして、油布の端から――


鉛色の小さな札が、覗いた。


札は石に当たって、かち、と鳴る。

その音が、胸骨に直撃したみたいに響いた。


――箱じゃない。

――でも、“荷札”だ。


セリナが目を細める。

「……識別札、間違いない」


「触っても…いいですか?」


「指先だけ。持ち上げない」

マイラは札の縁に、そっと指を当てた。

氷より冷たい。

指の中の血が引く。

同時に、ポーチの鱗が布越しに脈打った。

どくん、と。

――同じ封じ。

――ここに、繋がってる。

札の表面には、刻印があった。


擦れているのに、

その文字だけが妙に鮮やかだ。


マイラは、息を止める。


――読める。


意味までは、分からない。

ただ、記号や番号じゃないことだけは、はっきりしている。


胸の奥で、

何かが強く引かれた。



鉛の札に刻まれていたのは、


『カイ』。


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続きも読んでいただければ嬉しいです。


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