第2章 第3話 ── 初夏、川辺の決意
第2章 第3話 ── 初夏、川辺の決意
川風が、濡れた足首を撫でていく。
冷たい――けれど、痛いほどじゃない。むしろ、呼んでいるような気がした。
マイラはブレストン川の下流、昨日あの空魚を見た浅瀬に立っていた。朝より人は少ない。祭りの準備は昼休みに入り、川辺は不思議な静けさを取り戻している。
足元の小石が湿って光る。水面は穏やかで、昨日と同じ――に、見える。
――同じ、はずなのに。
胸の奥が、ざわりとした。
肩の上でルフトが、羽毛の尾をきゅっと丸める。空色の翼が小刻みに震えている。
「……嫌な感じ、する?」
問いかけると、ルフトは短く鳴いた。
「クル」
肯定だ。
マイラは唇を噛んだ。この子は、嘘をつかない。
息を吸う。一歩、浅瀬に踏み出す。靴底から冷たさが染みてくる。
――泳げないのに、何してるんだろ。
自嘲が浮かぶ。けれど、足は止まらなかった。
川底を覗き込む。砂と小石、その間を流れる透明な水。
――きれい。
そう思った、瞬間。
視界の端で、何かが沈んだ。
「……え?」
反射的に膝をつく。水面に顔を近づける。
そこにあったのは、空魚の鱗。一枚。
昨日見たものと、同じ色――いや、同じ**"違和感"**。
光を、飲み込んでいる。
初夏の陽を反射せず、まるで川底に穴が開いたみたいに、そこだけが暗い。
――やっぱり、気のせいじゃない。
心臓が、どくんと鳴った。
マイラは鱗に手を伸ばしかけて――止めた。
――触ったら、戻れなくなる。
刹那のためらい。指先が、宙で震える。
そのとき。
腰元の【ウィンド・リボルヴ】が、かすかに鳴った。風が刃を撫でた音。短剣が、何かに反応している。
――父さん。
名を呼ばない想起が、胸を締めつける。
マイラは、息を吸った。
「……運び屋は」
小さく、声に出す。
「見て見ぬふり、しない」
それは、教わった言葉じゃない。自分で選んだ、線引きだった。
指先が、水に触れる。
冷たい。でも、逃げたいほどじゃない。
鱗を、そっと拾い上げた。
瞬間――
ひゅん、と風が逆巻いた。
指先に走る痛み。切れていない。血も出ていない。なのに、何かが拒んでいる。
皮膚の下で、細い針が這うような感覚。
――封じられてる。
直感が、そう告げた。
「……これ、ただの魚じゃない」
ルフトが、喉の奥で低く唸る。警戒の声だ。
川の上流から、風が吹いた。水面が波打ち、光が砕ける。
その波紋の中で、一瞬だけ――別の流れが見えた気がした。
川底へ、沈んでいく何か。魚じゃない。もっと、重いもの。
――箱?
心臓が跳ねる。
封緘クエスト。運ぶもの。開けてはいけないもの。
「……川が、隠してる」
声が、震えた。
怖い。でも。
怖いからこそ、目を逸らせなかった。
マイラは鱗を布で包み、ポーチにしまった。封じるように、ぎゅっと結ぶ。
――これ以上は、ひとりじゃ無理。
判断は早かった。衝動じゃない。学習した結果の撤退。
「ルフト、戻ろ」
肩の上で、相棒が小さく鳴く。
川を背に、歩き出す。足取りは、朝より重い。
でも。
――決めた。
胸の奥に、静かな熱が灯っている。
この違和感を、この鱗を、必ず**"正しい場所"**へ届ける。
それが、封緘運び屋の仕事だから。
背後で、川が音を立てた。
流れは変わらない。けれど、もう――マイラは、同じ場所に立ってはいなかった。
「……三日」
ふいに、数字が浮かんだ。
なぜかはわからない。でも、それが期限だと、直感が告げていた。
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