第1章 第11話 ―― 封印の声が触れた瞬間(後半)
粉塵が揺れ、青白い光がゆっくりと形を帯びていく。
影とも光ともつかない“揺らぎ”は、ただ存在するだけで空気の温度を変えた。
冷たくはない。
でも温かくもない。
胸の奥に細い爪で触れられたように、ざわりと震える感覚だけが残る。
――来て
――あなた……風の……
声が、またした。
耳じゃない。
胸の奥の、もっと奥に直接触れてくるような声。
マイラは息をのんだ。
喉がつまる。
心臓が跳ねて、身体の中心が熱くなる。
「……やだ……なに……これ……」
声にならない声が漏れる。
怖い。
怖いのに――視線が離れなかった。
影と光の中で、“なにか”が羽ばたくように揺れた。
羽そのものではない。
光が羽ばたきの形を一瞬だけ描いたような――そんな神秘的な動き。
ルフトが震えながら胸元にしがみつく。
いつもは自由気ままな相棒が、子どものようにしがみつくなんて。
――ルフトがこんなに怯えるなんて……
胸がぎゅっと痛んだ。
魔霊が後退し、不規則に明滅する。
まるで“上位の存在”に怯える獣のように。
レンが叫ぶ。
「マイラ!! 来るぞ、離れろ!!」
風に声がちぎれる。
レンの声に焦燥が滲んでいて、胸の奥が軋む。
少年も叫ぶ。
「動くな! 触れるな! 本当に危ないんだってば!!」
――それでも……
マイラの足は動かなかった。
心が、どこか強く引かれていた。
怖いのに、逃げたくない。
風がうなる。
粉塵が舞い上がる。
光と影の“それ”が、ゆっくりと、マイラの正面まで迫ってくる。
ウィンド・リボルヴが脈打つ。
柄が温かい。
手に吸い付くように馴染んで、まるで“呼応”しているみたい。
――どうして……
――どうして私を呼ぶの……?
影のような指先が揺らめいた。
実体はないのに、“触れられそう”な距離にある。
胸が締めつけられる。
呼吸が浅い。
涙の気配が目の奥に滲む。
「……こないで……でも……」
何を言ってるのか自分でもわからない。
いや、心はもう知っている。
逃げたい。
逃げたくない。
触れたら終わる。
でも触れなきゃいけない気がする。
影の指先が近づく。
マイラの手も、わずかに上がってしまう。
――だめ。
――なのに……動く……!
「マイラ!!」
「やめろ!!」
レンと少年の叫びが重なる。
でも、もう止まれなかった。
光の指先と、マイラの指先が――
かすかに触れた。
その瞬間。
世界の音が、すべて消えた。
風が止まる。
粉塵が落ちる。
魔霊の明滅も止む。
静寂。
深い深い水の底みたいな静けさ。
マイラの指先から、透明な光が胸へ流れ込んでいく。
熱くない。
冷たくない。
涙が出るほど懐かしい。
――あなたは……
――風の……
――まだ……眠って……
声が、触れた。
手じゃない。
心に、触れた。
ウィンド・リボルヴが淡く光り、刃の先が一瞬だけ“風の線”となって伸びた。
鞭でも剣でもない、未完成の“風の刃”。
影と光の存在が微かに震え、羽ばたくように揺らいだ。
そして――
触れた指先が離れた瞬間。
封印の存在はふっと形を崩し、光だけを残して霧のように奥へ退いた。
世界の音が、一気に戻る。
風がぶつかり、粉塵が弾け、魔霊が悲鳴のような声を上げる。
マイラは膝をつき、肩で大きく息をした。
「……な、に……いまの……」
胸が痛いほど熱い。
震えが止まらない。
でも、怖さだけじゃない。
まるで――
大事なものを呼び覚まされたような感覚。
レンが駆け寄ろうとする。
「マイラ!! 大丈夫か!?」
少年も顔色を変えて叫ぶ。
「触れちゃったじゃないか!! なんで止まらなかったんだよ!!」
マイラは答えられなかった。
喉が震えて声が出ない。
ただ――
胸の奥に残った微かな温もりを、そっと押さえる。
――あなたは……
――また……
呼んでいる。
封印の奥で、微かに光が揺らめいた。
そして――
教会全体を揺らす“低い音”が、地の底から響き上がった。
物語は、もう後戻りできない。




