閑話 ライゼス・ブラックウッドの後始末
徹夜で尋問したピオネル・エンネスを連れて、一路マルベロースの町に向かった。
外傷は治したが、疲労などは回復させていないので、死んだように眠りピクリともしない。手下の男たちまでは運べないので、ルヴェデュの町に拘留したままだ。
マルベロースはルヴェデュの町から二つ離れており、馬車を普通に走らせると丸一日かかるのだが、早朝で人目もなかったので馬を回復させながら走らせたので、昼前には到着することができた。
御者をするトリスタンは渋い顔をしつつも、馬を使わずに自ら身体強化で走るのに比べればマシかと、口を出さずにいるようだ。
代官の屋敷に着くと、既にロウエンたちによってエンネス男爵の捕縛は完了しており、必要な書類も押収されていた。
裕福な商家が前身とあって、福々しい体型に柔和な目鼻立ちをしているエンネス男爵と、横にはピオネル・エンネスとよく似た顔立ちの夫人が縄を打たれて床に座している。夫人はなんとも憎々しげな目で僕を睨み付けてくる、折れる前のピオネル・エンネスによく似た目だ。
整えられた場で、エンネス男爵へ処遇を伝える。
我が国の重罪の一つは、税金の横領だ。
我が国の法は、上に立つ者にこそ厳しくなっており、国民から徴収している税金に関する法については殊更に厳しく取り締まられている。
「税金の横領については、たった一度でも、罪に問われることはご承知のことと存じるが。あなたは、勝手に税の種類を増やし、私腹を肥やすなどという悪質なことを行った。その金の使途についても、裏が取れている」
ひざまずくエンネス男爵の前で淡々と告げる僕に、男爵は顔色が悪いまま項垂れる。
「お、夫はそのようなことはしておりませんっ! なにかの間違いです。わたくしたちは、領民たちを思い、倹しく生活して参りましたわ」
夫人がツバを飛ばして訴えるが、男爵は唇を引き結んだまま黙している。
その理由も理解せずに、夫人は尚も口を開く。
「ほらっ、あなた、あなたも誤解だとおっしゃってくださいな。わたくしたちは領主様のご意向通り、真っ当に領地を治めてまいりましたのですから、こんな風に縄を掛けられるなんて、あってはならないことだと! 怒ってくださいましっ」
なにも言わない男爵に、焦れたように夫人が発破を掛ける。
こんな茶番など一刻も早く終わらせ、ルヴェデュの町に――ソレイユの元に帰りたい。
「無駄口を叩かないでいただこう、ご婦人。あなたに発言を許していない」
僕の苛立ちを感じたのか、ロウエンが夫人を諫める。
「なっ! 失礼なっ! そもそも、わたくしたちに縄を掛けるなんて無礼をして! 無事で済むと思っていらっしゃるのっ」
「エレニアッ! もういい。頼む、黙ってくれ」
男爵が掠れた声で夫人を止めようとするが、夫人はむしろその声で逆上した。
「あなたは黙っていらして! 子どもはね、大人がしっかりと躾けなきゃいけないのよっ!」
夫人の言葉に思わず声をあげて笑ってしまった。
「ああ、ご婦人、あなたがそれを言うのか! 自らの子どもを、あのように、貴族としての矜持も持たぬ愚鈍に育てておいて」
「なんですって!? わたくしの可愛いピオネルを、愚鈍ですって!」
「自分よりも弱い者を虐げることを快楽とし、貴族としての知識も身につけず、義務を解せず果たさず、権利ばかりを主張する、そんな人間を愚鈍と呼ばずして、なんと呼べばいい?」
嘲りを向ければ、分かりやすくいきり立つ。
「たかが三男の分際でっ! わたくしのピオネルちゃんを侮辱するなんて! 何様のつもり!」
男爵が荒ぶる夫人の横で小さく縮こまり「もう止めてくれ、もう止めてくれ」と小さな声で呟きながら震えているのに気づき、急に冷めた。
「たかが、三男ですか。いまの私は、領主の三男ではなく、エンネス男爵を断じに参った領主代理です。あなたのご子息は別件で捕らえてありますのでご安心を」
ロウエンに目配せすると、彼は夫人に轡を噛ませ暴れる夫人を床に押さえつける。
「エンネス男爵、横領していた金銭を私財から戻すことはできますか」
「申し訳ございません……すべてを手放しても、贖うことは叶いません」
妻の散財を諫めることもできず、更には妻が請うまま――仕事を放って妻の買い物や旅行に付き合い、妻が渋るから社交場へ出なくなったことでどんどん人が離れ、商人としての家業は傾いていた。
そのくせ生活の質を落とすこともできなかった。
火の車になっていることを妻に言うこともできず、男の甲斐性だからと自分で背負い込んで。それで見出したのが、増税と横領だった。
税務を担当する人間に少なくない金を積んで黙らせ、民から不当に徴収した金でのうのうと生きてきたのだ。
「そうですか、金を返すあてがないのであれば、爵位返上の上、苦役を科されるのはご存じですね。今回の横領については、横領の原因となる妻子も共に、連座で罪に問われます」
轡を噛まされた夫人の目が、驚愕に見開かれる。実家も貴族であるのに、知らなかったのか。
「ぞ、存じて、おります……、存じております……っ」
頭を床に擦り付け、嗚咽するエンネス男爵に哀れみよりも呆れを感じる。
「あなたはその覚悟の上で横領をなさっていたようだが、あなたの奥様は、納得していらっしゃらないようですね。最後の機会ですから、どうぞ奥様と話をなさってください。ロウエン、少しの間席を外すので、男爵と奥様に話をさせてあげてください。ゆっくり話ができるのは、これ以降ないでしょうから」
「承知致しました」
僕とトリスタンが部屋を出ると、轡を外された夫人の怒鳴り声がドアの隙間から聞こえてきた。
ドアを開けたままの隣室からキイキイとした夫人の声が聞こえる中で、ロウエンの部下が用意した朝食を食べる。
「醜いですね、男爵をずっと責めていますよ。自分のせいでこうなったのに、それを認めようともしない。それに息子が捕らえられたと聞いても、心配をする言葉の一つもない」
トリスタンが飯が不味くなりますねと続けてから口を噤んで、食事をする。
ロウエンは向こうで監視したままなので、罵声を間近で聞き続けている。次第にキイキイ声が小さくなってきて、こちらでは聞き取れなくなった。
折角馬車で連れて来たピオネル・エンネスだったが、未だに目覚めていないので、両手足を拘束したまま兵に監視させてある。目覚めたら、両親と面会させる予定だ。
隣室に赴き、再度沙汰を言い渡すころには、夫人も観念したのかすっかりおとなしくなっていた。轡を免除された彼女は、しおらしい態度で相談を持ちかけてきた。
「ライゼス様、どうか、どうかわたくしの実家に援助を求めるのをお許しください。お金をお返しできれば、苦役を免除していただけるのですよね?」
一縷の希望に懸けた夫人に、トリスタンが一通の手紙を出した。
縛られたままでは読めないので、わざわざトリスタンが便せんを広げて眼前に掲げてみせる。
「ご当主であるあなたの兄に、妹夫婦を助ける用意はあるかと確認をしましたが。法を犯す者を親族とは認めない、との返事をいただきました、こちらに入るより前に話をしたのですが……あなたたちが逃げていないということは、ご当主からは今回の件についてなんの連絡もなかったようですね」
親族から見捨てられたことを理解した夫人はぐるりと白目を剥き、そのまま倒れてしまった。
当初の予定通りロウエンにはここに残ってもらい、当座の代官の仕事をしてもらう。
領主である父が正式に次の代官を任命するまでだが、護衛よりも事務仕事が好きだという彼は喜んで中継ぎの仕事を引き受けてくれた。
「さて、やっと帰れるな」
「ソレイユ嬢のことですから、なにかやらかしているんじゃないですかね」
帰りは馬車ではなく馬に跨がりトリスタンと軽口を交わして、愛しいソレイユのいるルヴェデュの町へと馬を駆けさせた。
トリスタンの予想は外れて、バンディが一晩猛特訓して新たな魔法を習得して、ダイン家加工部門の生産力が強化されたくらいだね!