20.朝の支度
早朝から長女レベッカに叩き起こされ、母が朝の支度をはじめる前のキッチンの一角に陣取り、入念に綺麗にする魔法を掛けられる。
「ま、まだ、早いんじゃないかな……」
「時間に余裕を持って行動することが、態度の余裕にもなるのよ」
わたしのオレンジ色の髪を掻き上げながら、根元から綺麗になる魔法を掛けてくれる。
産毛を剃り、眉の形を整える。
ついでに髪も綺麗にカットしてくれた。
わたしも思いついて、円筒を探してそれに熱を加えて両サイドの髪を巻き付け、カールさせてみる。
「……面白いわね。もしかして、貴族のお友達がこういうの使ってるの?」
「ううん、友達は真っ黒で真っ直ぐな髪だから使ってないよ」
前世の知識であることは、大っぴらにはできないので、誤魔化して伝える。
「オブディティ様だったかしら?」
「うんそう! 面白い人なんだよ、くじ運が悪くてね、冒険者登録でくじを引いて試験内容が決まるんだけど、毎回苦手なのを引いちゃうから、三回も落ちちゃってるんだ」
「……あなた、まさかとは思うけれど。無理矢理、冒険者登録させようとしてないわよね?」
長女の疑問を慌てて否定する。
「流石にそんなことはしないよ。ちょっと、強めにお勧めしたくらいで」
「ソレイユ、あなたねえ、貴族のご令嬢を冒険者に誘うのはやめなさい。万が一のことがあったらどうするの」
眉を怒らせる長女に、慌てて弁解する。
「安全な所しか行かないし、ライゼスも一緒だから大丈夫だよっ」
「そのライゼス様頼りなところ、少し改めた方がいいわよ」
溜め息交じりの長女の言葉に、ちょっと思うところがあって頷く。
「やっぱり、そうだよね……。ライゼスを頼りすぎたら、学園を卒業してバラバラになったときに大変だよね」
ライゼスの居なかった四年間を思い出したけれど、あの頃は四年後に学園で再会できると解っていたから、そんなに大変でもなかったかな。
でも今後、学園を卒業してしまえば、ライゼスは貴族として、わたしは農家の娘としての人生がはじまるんだ。
まるっきり別々の道。
たまに会うことはできるかもしれないけれど、今のように気安くなんてできないだろうし、彼は領都で、わたしはこのルヴェデュの町だから距離的にも遠い。
「わたしも、レベッカ姉さんくらいの歳になったら、誰かと結婚するのかな」
肩を落として呟くと、髪をアップにしてくれていた長女が、動揺して持っていた櫛を落とした。
「な、な、なに言ってるのよ。カシュー兄さんだって結婚してないんだから、ソレイユはまだ結婚なんて考えなくてもいいのよ」
「レベッカ姉さんみたいに、旦那さんが理解してくれて、ウチの仕事を続けられたらいいのにな。姉さんは良い人を自分で見つけたけど、わたしは無理そうだから、誰かに紹介してもらってお見合い結婚になるのかなあ。そうなると、やっぱり酪農家の息子だよね」
恋愛結婚に憧れはないから、それでもいいけど。
「ちょ、ちょっと待ちなさいっ、勝手に暴走しちゃダメよ! ま、まずは学園を卒業することよ。ちゃんと成績を出していないと、留年してしまうんでしょ?」
焦るように言う長女に、頷いて肯定する。
「うん、そうだよ。でも、ライゼスも友達も、先輩も、みんな勉強を見てくれるから、わたし結構成績優秀なほうなんだ」
だから、留年はないと胸を張る。
ダンスのように、どうしても苦手な科目はあるけれど、赤点は回避できているから大丈夫。
「そうなの? そういえば、私が教えていた時も、あなた要領よく勉強を覚えていたものね。さ、服を着替えてから、化粧をしましょう」
長女に指示されて、ライゼスの髪と似てる青色のワンピースを着た。
「わあ! サイズがぴったり!」
「制服を作ったときと、サイズが変わってなくてよかったわ」
「もう身長も止まっちゃったみたいなんだよね」
低い方ではないけれど、もう少しあってもよかったかも。
「あら? ソレイユ、ブレスレットなんて着けていたのね」
長女が目敏く左手首に着けている細いチェーンに赤い石の付いたブレスレットに気づいた。
あまりにもいつも着けているので、気にならなかった。
「うん、ライゼスにもらったんだ。このチェーンを切ったら、ライゼスに危険が伝わるんだって」
わたしの言葉に、長女が聖母のような微笑みを浮かべる。
「そうなの。それは心強いわね」
長女の言葉に強く頷いた。
イスに座り、服を汚さないように首にスカーフを巻いたところで、熊の一撃亭の女将の頬にあった引き攣れた傷跡を思い出した。男爵子息からのDVで付けられた酷い傷だった。
一体どんな最低男なのか見て見たい気もするけど、目に入れるのも嫌な気もする。
咄嗟のことだったけど、あの傷を治した自分を褒めたい。
いくら悪い人だといってもあんな傷はない方がいいだろう。
転売をする嫌な人だけど、それだってDV男の指示だったかもしれないわけだし。
もっとしっかりステータスを見ておけばよかっただろうか、望めばもっと詳しいことも見えたはずだから。
「なにぼんやりしてるの、できたわよ」
あっという間に化粧を終わらせてくれた長女が、手鏡を渡してくれた。
「レベッカ姉さんに似てる!」
思わず長女と鏡に映る自分を見比べてしまった。
「土台が似てるから、化粧で似せるのも簡単だったわ」
そうこうしているうちに、母と父が起きてきて、長女と並ぶわたしを見て褒めてくれる。
「よく似ているねえ」
「本当だわ、こんなにそっくりだとは思わなかったわ」
長女の髪色はわたしよりも赤くて目は青色だから、オレンジ色の髪と緑の目のわたしと似てなくもない。きっちり髪をまとめれば、オレンジ色も濃く見えるし、目の色は日の光で多少は違って見えるものだ。
あとは笑顔の作り方と、しゃべり方を気をつけなきゃね。
長女は全開で笑うことはないし、しゃべり方も気持ちゆっくりではっきりとしている。
わたしは大笑いするし、ちょっと早口で喋ってしまうから、かなり気をつけなくてはいけないのだ。
「今日は天気がいいから、出るときに日よけの帽子をかぶりましょう」
母が出してきたのは、ワンピースと同じ布でできたツバの広い洒落た帽子だった、透けるような赤いレースがとても素敵だ。
「お母さん、準備万端だね」
「ふふふ。そうね、こんなのもあるわよ」
そう言って出したのは、同じ青色に染められた革でできたちょっとヒールのある靴だった。
「わあっ」
カワイイ! と叫びたいのを堪えて、その靴を受け取る。
これもサイズがぴったりだった。
「……引くぐらい、自分色ね……」
長女がなにか呟いていたけれど、靴と帽子でテンションが上がったわたしの耳には入らなかった。
全部身に着けてくるりと回ってみせる。
「とてもよく似合っているわ」
「回ったときの、スカートの感じがとても素敵だったわ。今日はたくさんダンスをするといいかもしれないわね」
長女の言葉に肩が落ちる。
「わたし、ダンスが苦手なんだよね。ライゼスたちのお陰で、なんとか落第は免れたけど、本当は危ないところだったの。でもそのお陰で、重力の魔法を覚えたんだけどね」
「ダンスからどうして重力の魔法に繋がるのかが、わからないわ」
真顔の長女に突っ込まれてしまう。
父も知りたそうにしていたので、簡単にかくかくしかじかと説明する。
「ソレイユは本当に発想が自由だね。素晴らしいことだよ、これからもその長所を伸ばせるといいねえ」
褒めてくれてから、父は朝の仕事をしに牛舎に行き、わたしと長女は朝の支度を手伝った。
起きてくる家族みんなが、わたしが長女に似ていると驚いた。
アレクシスだけが驚きもしないで、馬子にも衣装だねと褒めて(褒めてない)くれた。彼にとっては長女は別格だから、似てる気がしないんだろうな。長女から鋭い拳を脇腹に叩き込まれていたけれど、さすがは冒険者だよね、少し呻いただけで、平気な顔をしている。
「ダンスのことだけど、町のダンスなんて、適当にくるくる回るだけなんだから、難しいことなんてないわよ。なんなら、最初はカシュー兄さんに相手してもらえばいいわ。一回踊れば度胸もつくものだから」
という姉のアドバイスを受けて、わたしはいざ決戦の地へと向かうのだった。