閑話 ナタリア・クロス
あたしは不幸の星の下に生まれた。
目を引く華やかな容姿は純情さよりも婀娜っぽさが強く、いつも年齢以上に見られる。
遊び慣れた女に見られて、近づく男は根無し草のような浮ついた男ばかり。
そんなだから、同性には煙たがられる。
いいのよ、あたしはこの容姿を武器にして、馬鹿な男から搾取して生きていくの。
マルベロースの代官であるエンネス男爵の息子である、ピオネル・エンネスと関係を持つようになったのも、この容姿のお陰。
放蕩者と陰口を言われるピオネルだけれど、一人っ子のために親は甘かった。
美しい彼の母親の血が濃く出た容姿に親の財力で、彼は女性に不自由はしていなかったけれど、長続きする女は少なかった。
あたしは二十歳からの三年間を彼に捧げた。
彼を彩る花として、彼に侍り、彼をおだて、短気な彼の暴力の的となった。
見えない所ばかりを殴る、そのくせ頭が冷えるとこんなつもりじゃなかったと謝罪し、愛していると甘え、お詫びと称して高いプレゼントをくれる。
縋ってくる彼を愛しく思い、赦してしまう。
彼と付き合うようになって、怪我を治す魔法は上達したわ。
だけどこれ以上はもう体が持たないと思ったから、彼が他にいい女を見つけたときに手切れ金代わりにお店をもらってあっさりと別れた。
マルベロースの町から二つほど離れたルヴェデュの町。
小さな町だけれど、近くにあるダンジョンに新しい階層が見つかったことで、最近注目されている町で、人の流入が激しくなっているらしい。
ここなら、きっと新しい人生の一歩が踏み出せる。
出資者である彼の要望で『熊の一撃亭』なんて店名になってしまったけれど、内装は小洒落ていて、一目で気に入ってしまった。
「ここが、あたしの城!」
料理人を雇って、給仕はあたしがした。
お客さんも入って、楽しく店をしていたんだけれど、段々雲行きが怪しくなっていく。
お店のお金が足りないのだ。
ちゃんとお客さんも来ているのに、店のお金が足りなくなっていく。もしかして、料理人がちょろまかしてるんじゃないかと問い詰めたところ逆に怒られてしまった。
「女将さん、あんた客からちゃんと料理の金を受け取ってるのか。客に勧められるまま酒を飲んで、あやふやになってるときがあるだろ。あと、ツケで飲んでる奴らから集金はできてるのか? ツケがいくらになってるのか、ちゃんと帳簿に付けてるんだろうな」
指摘されたことは、全部心当たりがあった。
言われたときは、料理人に言い返して終わったけれど。一人になってから、ツケで飲み食いしている人を思い出せる限り書きだしてゾッとした。
最初は気前よく払っていた人たちだったから、途中からツケを許したけれど、そういえば一度も払ってもらっていない。そんな人が、何人も居た。
帳簿も最初の頃こそ付けていたけれど、すぐに忙しさを理由に付けなくなっていた。
帳簿を付けていないからツケの金額もわからない、わからなければ満額を催促することも難しい……。
「どうしよう……削れるところを、削るしかないわ」
焦る。
焦ると判断を誤るのだと、後になって気づいた。
一番わかりやすく削れるのは、仕入れだった。
毎日使う材料をなるべくギリギリにする、足りない時はその都度注文するようにした。
なるべくツケを許さず、常連客にはツケの催促をしたけれど。次来たときに払うから、と調子の良いことを言った後にプツッと店に顔を出さなくなってしまった。
料理人の目が冷たい。
今までたっぷりあった食材は滞り、出す料理の幅も少なくなった。
「こんな古い野菜なんて使えるかっ!」
「煮込めばわからないわよっ!」
そんな言い争いなんてしょっちゅうだった。
そんなときに、ミルクや卵を仕入れていた所から、もうウチには卸せないと言われてしまった。
「はあ!? 買ってあげてるのはこっちでしょ!」
「お買い上げいただいているのはありがたいことですけれど。それ以上に、不利益があるのです。毎日のように、至急の追加を求められ、関係の無い仕事を手伝わされ、挙げ句に勝手な理由で値引きされる。そんな所とは、もうお取り引きはできません」
ダイン夫人からはっきりと言われた。
あたしの頭にカーッと血が上る。
「ああそう! ああ、そうなの! こっちだって、アンタの所から買わなくったって、いくらでも仕入れ先はあるのよ。もう二度と、ウチには来ないで頂戴っ!」
きっぱり言ってやり、店から追い出した。
一番近いから使っていただけ、別にあの家から買う必要なんてないのよ。
ミルクと卵の仕入れ先を変えることを料理人からは渋られたが、もう決定したことだからと押し切った。
「あそこの牛乳も卵も、質がいいから、わざわざ指定して仕入れてたのに、勝手なことをしやがって」
その日一日料理人の機嫌が悪かったけれど、この店はあたしの店なんだから、あたしの言うことを聞けばいいのよ。
あたしが、この城を守らなきゃいけないのよ。
取り引きを止められた腹いせに、あたしの話術でダイン家の悪い噂を流した。
新しく取り引きをはじめた牧場は、少し距離があるから配達の料金が高い上に、時々古い牛乳を混ぜる質の悪い所だった。
それでも他に取り引きできる所がなかった。……あたしが流したダイン家の悪い噂が仇になって、警戒されてしまったのだ。
そうなると料理人の機嫌が悪くなるし、料理の味が落ちれば客も離れていく。
あたしの城が潰れるなんて、すぐだった。
僅かな荷をまとめて去る料理人を、泣いて引き留めたけれどダメだった。
もう一度だけ、ピオネル・エンネスに縋ろう。
それはあたしの犯した、最悪の判断だった。
「必ず利益を出して、資金を返すと大見得を切ったのは、どこのどなただったかな?」
「そ、そんなこと、言ってないわ」
口答えをした途端、彼の持っていた短い鞭が壁を打った。
鋭い音に体が竦む。
怯えるあたしを見て、彼の薄い唇の端がククッと上がる。
それは、あたしに暴力を加えるときの、愉悦の表情だった。
あたしは彼に、罰を与える名目を与えてしまった。
治すのが追いつかないペースで、何日も鞭で打たれた。
はじめこそ服に隠れる場所を叩いていたが、調子に乗った彼は最終的に顔や腕など見える場所も鞭を打った。
「ああ、あああ……っ」
頬に走る裂傷が消えない、魔力が足りなくて、傷が消せない。
ピオネル・エンネスがあたしを罰するのに飽きた頃には、自慢の顔には醜い傷が残った。
その傷はピオネルのお気に入りで、彼は気まぐれにあたしの前に現れると醜さを指摘し、顔を歪ませるあたしを笑う。
あたしは彼の住む、屋敷の離れを掃除する掃除婦になった。
美しさを奪われ気力を失ったあたしは、言われる通りに床を磨くだけの日々を過ごしていた。
給金なんて出ない、朝と晩にご飯が出て、生かされているだけ。
そんなある日、珍しく上機嫌の彼が離れにやってきた。
平伏するあたしに、彼は機嫌良く顔を上げさせる。
「素晴らしい女性と出逢ったんだ。美しくて、気品があって、思いやりもある、そんな素晴らしい人だ」
彼が何を言いたいのかわからずに、戸惑ったまま話を聞く。
「どこで出会ったと思う? なんと、君に昔、店を持たせたことがある、あのちんけな町だよ! まるで運命じゃないか!」
両手を広げて大げさに感動を表す彼に、悲しみなんか感じないと思っていた胸が疼いた。
「彼女の名前は、レベッカというんだ、名前まで品があって美しいだろ? レベッカ・ダイン、いや、すぐにレベッカ・エンネスに変わるかな、ふふ」
「レベッカ……ダイン。ダイン家の、長女……」
呆然とつぶやくあたしには気づかず、彼は上機嫌で話を続けている。
「実はパパも乗り気なんだ。君は知らないだろうけど、ダイン家というのは庶民ながら優秀で、今まで数多くの特許を取得しているし、領主であるブラックウッド伯爵家とも懇意にしているらしい。ボクがその家を取り込めば、我が家はますます繁栄するだろうね」
得意げに明かされたが、どうしてそれをあたしに言うのかがわからない。
あたしが、そのダイン家に煮え湯を飲まされたことを知っていて言っているのだろうか。
レベッカ・ダインについても知っている。
その容姿と朗らかさで、町の男たちの人気がとても高かった少女だったから、だから敢えて会わないようにしていた。
「その人と、結婚するのですか」
あたしの喉から出た声は、掠れていた。
「するよ! もちろんだ! もうすぐ、あの町の豊穣祭がある。彼女は、ミス・ルヴェデュを何度も獲っているらしいじゃないか。今年も出るという情報だからね、彼女がミス・ルヴェデュを獲った時に、ボクがステージに上がって、彼女に求婚するのさ。そうすれば、彼女は感動するだろうね」
「求婚……」
大衆の面前で男爵子息に求婚されてしまえば、それはもう拒否することなんてできるわけがない。
いい気味だ。
この男に絡め取られて、暴力の餌食になってしまえばいい。
あたしのように、顔を裂かれて絶望すればいいんだ。
傷跡を隠すように首に巻いているスカーフを、ぎゅっと握りしめる。
「あたしに、なにかお手伝いすることはございますか?」
その言葉に、彼はちょっと目を見張り、それからゆるりと薄い唇で楽しげな弧を描いた。
「珍しく察しがいいじゃないか。なに、なんてことはない、ちょっと困らせてやって欲しいんだ」
「困らせるのですか?」
聞けば、ダイン家は今年、乳製品の出店を出すということで、その出店を妨害しろということだった。
「きちんと役目を果たせれば、お前には相応の金を渡してやるから。それを持って、この町から出て行くといい」
新妻を迎えるこの屋敷に、元恋人のあたしが居ると具合が悪いのだろう。
最後まで使って捨てようとする、その心意気は商人としてはいい素質なのかもしれない。
「……わかりました」
だが、こちらにとっても都合がいい話だ。
レベッカ・ダインを陥れることができる上に、金まで手に入るのだから。
顔に巻いたスカーフの下、久しぶりに笑みを作ろうとした頬が引き攣れて痛んだ。