17.エンネス男爵子息
丁度よく空いていた木陰で、頭に巻いていた三角巾を取り、ついでにまとめていた髪も解く。
「頭皮が生き返る」
バッサバッサと髪を広げるわたしに、真剣な顔をした長女が口を開く。
「実は少し前に、エンネス男爵の息子と一度会ったことがあるの」
一度という割には、しっかり名前を覚えているあたり、インパクトの強い人だったんだろうな。
「たまたま給仕の仕事をしているときに声を掛けられて、一度お茶をしたんだけれど――」
長女は家の仕事の手が空いている時に、『小鳥の隠れ家』という食堂で給仕の仕事をしているから、その時にお客として来たってことか。
長女の話によると、男爵の息子がするのは自分の自慢話ばかり。
「お陰で、はじめて会ったのに、すっかりご家族のことまで覚えてしまったわよ」
祖父である先代が商家を盛り上げ、先代国王時代に国に多額の寄付をして叙爵。
あ、学園の授業で習ったぞ。
先代の国王は気前よく爵位を贈ることで有名で、男爵家が乱立したんだよね。爵位を贈るくらいしか渡せるものが無かったのよね、なんてオブディティが説明してくれた。
せめて、騎士爵なら一代限りなんだけれど、男爵だと継承されてしまう。
義務を果たすことができずに爵位を返上する場合もあるらしいけれど……それはよっぽど家が傾いた場合だけみたいなんだよね。
それで、商才のあった祖父の跡を息子が継いで順調に商会は大きくなっているらしい。そこだけ聞けば、長女が子どもの頃から目指していた『玉の輿』にバッチリ合うように思うんだけど。
「庶民を下に見て、自分じゃ動かない、怠け者よ? 三代目は身代を潰す、なんて言葉があるけれど、まるでその言葉通りの人だったわ。私の仕事も邪魔するし、貴族の息子だから、無下にもできなくて話を聞いたけれど」
働かない人が嫌いな長女だから、口ばっかりの男が嫌いなんだよね。
「でも、よく粘着されなかったね、レベッカ姉さん」
「二つ隣の町に帰る途中で、たまたまこの町に寄ったそうだけど、小さくて面白みのない所だってこき下ろしていたから、二度と来ることなんてないわよ。適当に相槌を打って、話を聞いてあげたら、それで終わり」
上手に話を聞いて、上手にバイバイしたんだろうな。
「お茶一杯飲む時間だもの、向こうもどうせ行きずりだし、忘れてると思ったわ」
そう言って嘆息する長女に、わたしはハッと気づく。
「あれ? 二つ隣の町って言った? 確か、アレクシスさんが受けた指名依頼も、二つ隣の町のダンジョンだったよね」
「そう、なの? ……もしかして、エンネス男爵が代官をしている町かしら。確かマルベロースという町だったはずだわ」
だとしたら、男爵子息は長女のことを諦めていないのかもしれない。
ゾワッと嫌な感覚が背筋を這う。
長女も同じだったようで、鳥肌が立つ腕を擦っていた。
「情報共有しておいた方がいいわね」
長女の意見に強く頷き、急いで出店に戻った。
心優しい三女と血気盛んな二男に伝えるのは憚られ、アレクシスと商品を持ってきた長男にだけこっそり長女が伝えた。
一日目はそれから変なちょっかいはないまま、夕方の鐘で出店の終了となった。
なにもなかったことにホッとして、売れ残った商品を荷車に積んでみんなで帰路に就いた。
短いので、今回はもう1話、閑話を投稿いたします。