16.ソレイユなりの反撃
醜い顔の傷を晒した元『熊の一撃亭』の女将が、涙ながらにわたしにクッキーを売ってくれと頼んでくる。
「お願い、私の幼い妹が、どうしても食べたいって言うの」
幼い妹? どう見てもいい大人である女将の、幼い妹? せめて、子どもならわかるけれど。
冷静に考えれば、おかしいことがわかるはずなのに、周囲の反感はわたしに向かいつつある。
彼女の女優っぷりが素晴らしいのか、それとも野次馬の中に彼女の仲間が紛れて煽動するように話を流しているようだ、目視はできないけれど、チラホラとそれっぽい声が聞こえる。
こういうのはライゼスに任せたいんだけどな……今はわたしが頑張るしかない。
後ろには弟妹がいるんだ、これ以上好き勝手させるわけにはいかないのだ。
ダメ元で、涙ながらに訴えてくる彼女のステータスを――あ、出てきた。
■ナタリア・クロス、二十八歳、頬の傷は四年前にエンネス男爵子息のDVによってできたもの。妹はいない。
エンネス男爵子息? 知らないなあ。それにしてもDVなんて言葉、こっちにはないから、ステータスはわたしの前世の影響を受けてるんだね。わかりやすくていい。
二十八にしては老けて見えるけど、傷のせいかな。四年前の傷……傷か。
四年前っていったら、熊の一撃亭がこの町から撤退した時期かな。
彼女のステータスを見たら、頭に上っていた血が落ち着いてきた気がする。
ようは、あの傷が哀れみを誘うんだよね。
傷が、よくないんだ。
一歩二歩と彼女との距離を詰め、手の届く距離まで近づいたところでそっと彼女の両頬を手で挟む。
四年前は、この人の方がわたしよりもずっと大きい大人だと思ったけれど、今はわたしの方が見下ろす身長になっている。
「な、なに、よ」
頬に触れられ、動揺する彼女に長女から仕込まれた微笑みを浮かべる。
「綺麗になあれ」
光のエフェクトを出しながら、手のひらから『ヒーリングライト』を出して、ゼロ距離で傷に照射する。ちょっとエフェクトの光が眩しいけれど、ヒーリングライトを使っているのは誤魔化せてる。
ヒーリングライトは古傷にも効果はあるんだけど、時間が掛かるんだよね。
だから彼女の顔を両手で押さえ、治しきるまで離さないようにする。
「なに!? なんなのっ」
「おい、アンタ! やめないかっ、嫌がってるだろっ!」
わたしは顔だけを、邪魔しようとしてきた男の方に向ける。
「大丈夫、綺麗にする魔法を使ってるだけですから。さっき、レベッカ姉さんもしてたの、あなたも見ていたでしょう?」
きっとずっとこっちを見張っていたはずだと、カマを掛ける。
「き、綺麗にする魔法ったって、ありゃあ、汚れを落とすだけの魔法だろっ」
やっぱり、この店を監視してたんだ、予想が当たって笑ってしまう。
男がわたしに微笑まれて動揺を見せる。
「そうですよ。これは、汚れを、落とすだけの、魔法」
指先の感触で、彼女の頬から傷が消えたのを確認してから、ヒーリングライトを消して頬を撫でるようにしながらエフェクトの光をちりばめて手を離す。
するとどうでしょう! 引き攣れて醜かった傷跡が消え去り、つるりと綺麗になった頬が現れたではありませんか!
なんてね。
「ほうら、綺麗になったでしょう?」
みんなが見えるように彼女の顎を片手でそっとすくい上げて顔を野次馬の方へ向け、ゆっくりと大きな声で宣言する。
周囲がざわめいた。
「もしかして、あの傷って化粧で作ってたんじゃないの?」
女性の声が囁く。
「あの顔、あの女見たことがあるぞ、確か、昔ウチの隣で飯屋をやってた女だ」
「ああ、ほらアレだ、熊の一撃亭の女将じゃないか? 色んな家の悪口を言いふらして、この町に居られなくなった」
訳知りの声が大きくなる。
「ああ、そうだ、そんな店だった。よく、戻ってこれたもんだよ!」
「傷まで作って、嫌がらせをするなんて、酷いわね」
形勢逆転できたね。
自分の頬に手をやって傷が消えていることに愕然としていた彼女だが、周囲の声が大きくなるに従って、動揺して後退り、乱暴にストールを顔にまき直すと、人にぶつかりながら逃げるように雑踏の中に消える。
あっ! 逃げられた!
追いかけようとしたけれど、後ろにいる弟妹を置いて行くのに躊躇してしまった。
あの男もいつの間にか消えて――と思ったら、屈強な野次馬に捕まっていた。
「すまねえな、勘違いしちまってよ。コイツは俺らが、責任をもって本部に突き出しておくからよ」
「俺はなにもしてねよ! 放せっ! くそっ!」
「うるせえ馬鹿野郎っ」
男は屈強な野次馬三人によって担ぎ上げられて、運ばれていった。
安堵しているわたしの前に、屋台のおじさんが肉串を包んで渡してきた。
「差し入れだ、これでも食って元気出しな」
「あいつらがもう近づかないように、私らも気をつけておくよ」
周りの屋台から次々と差し入れが届き、気に掛けてくれると請け負ってくれた。
一気に味方ができて、嬉しくて泣きそう。
たくさんお礼を言って、差し入れを受け取った。
人が引いていき、すぐに普通の活気に戻ったところで、やっとホッとした。
こんな時のアレクシスだろうに、本当に間の悪い……。
後で詰っておこう。
「ソレイユ、なんだったんだよ、アレ」
テントでおとなしくしてくれていた二男が、険しい表情で声を掛けてきた。
「ああ……うん」
説明したら、三女にも転売のことを聞かせてしまうことになるな……それは避けたい。
「ソレイユ、なにがあったの!?」
長女が駆け寄ってくる、その後ろにはラフな格好に着替えたアレクシスもいる。
もう少し早く戻ってきてくれたらよかったのに! という、用意していた文句は、二人の顔を見たらホッとして出てこなかった。
暴力沙汰にならなくてよかった。
弟妹が無事でよかった。
「……ほんっと、よかった……」
ヘナヘナとしゃがみ込んでしまう。
「ちょっと、ソレイユ、大丈夫!?」
長女が隣にしゃがみ込み、心配してくれる。
「さっきまで、変な女が来てたんだけど……熊の一撃亭の女将って、言ってたよな。それって、前に取引しなくなって、逆恨みでウチに嫌がらせしてた奴だよな」
二男の言葉に、長女の眉がつり上がる。
「まさか、あの大量買いの女が熊の一撃亭の女将だったの!? アレクシス! ちょっと本気で締めてくるわよっ」
立ち上がり、袖をまくり上げて、ヤル気満々の長女の腕を掴んで止める。
「周りのお店の人たちも、こっちに来ないように注意してくれるって。それに、町の人がアノ人の仲間は本部に突き出してくれたから。だから、大丈夫だよ」
大事になったら、明日のミス・ルヴェデュに影響があるかもしれないし、ランクの高い冒険者であるアレクシスの仕事にも影響が出るかもしれない。
一応わたしだって考えてるんだよ。
「わかったわ。ケガはしてない? なら良かった。戻るのが遅くなって、ごめんね」
言いながら抱きしめてくる長女を抱きしめ返す。
「レベッカ姉さん、エンネス男爵子息って、知ってる?」
長女の耳元で聞いたわたしに、抱きしめていた長女の体が強ばった。
これは、知ってるってことだよね。
「ソレイユ……誰が、言ってたの」
低い声で問われる。
「熊の一撃亭の、女将の知り合いらしいんだけど」
その言葉で、納得したのか長女がスッと体を離す。
実際に熊の一撃亭の女将から聞いたわけじゃなくて、ステータスに載ってたんだけどね。
それに、知り合いじゃなくてDVの加害者。
「ソレイユ、ちょっと来て。アレクシスは店番お願いしてもいい?」
「わかった」
素直に売り子に入ってくれるアレクシスに、二男のテンションが上がっている。
高ランクの冒険者は、男子の憧れだもんなあ。
そしてわたしは、長女に連れられて、ちょっと離れた木陰へと移動した。