15.不穏
アレクシスは帰還が遅れた経緯について教えてくれた。
「ダンジョン自体は、二つ隣の町にあるそれほど大きくないものだったんだが。今回の指名依頼は、ちょっとおかしくてな――」
指名依頼とは、名うての冒険者を指名して出される依頼で、依頼料は相場の二割から五割増しとなる。
指名依頼を出されると余程のことが無い限り、依頼された冒険者は拒否しない。間にギルドが入っているのでおかしな依頼はあらかじめ弾かれているし、拒否しないことが信用に繋がるからだ。
今回の依頼はさほど難しいものではなく、指定されたダンジョンでの魔物が落とす特定のアイテムの入手だったそうだ。
「指定されたダンジョンに行ってみれば、ダンジョンの点検日とやらで数日間閉鎖されているところだった」
彼の言葉に首を傾げる。
「点検日、なんてあるんですか?」
「俺は他で聞いたことがないけどね。ダンジョンを管理している、冒険者ギルドがそう言うんだから、まあ仕方ない」
ダンジョン自体は領の持ち物だが、管理運営は冒険者ギルドに委託されている。
ギルドに変に目を付けられると、冒険者としての活動がやりにくくなるから、多少思うところがあっても文句を言わないものらしい。
「仕方がないから、そのまま帰ろうとしたのだが、ギルド職員がもう一つ向こうのダンジョンを勧めるんだ。確かに依頼にあった魔物のアイテムはそっちのダンジョンでも入手することが可能だ。とはいえ、そこに行くまでに往復で二日程余計に掛かるし、そっちのダンジョンは二倍は広い。となると、アイテムの入手が困難になると予測できる」
「でも行ったんですよね?」
「ああ。ギルドに行ったら、依頼者から追加の料金が上乗せされることになったと言われてな。俺も、レベッカとの結婚もあるし、少し貯めておきたかったから、その話に乗ったんだ。経験上、ギリギリなんとか戻ってこられる計算だったからさ」
渋い顔を見れば、その計算は失敗したのだとわかる。
「俺の判断ミスだった、色んな意味で」
しょんぼりと項垂れるアレクシスの背を、準備を終わらせた長女が優しく撫でる。
「でも、ちゃんと間に合ってくれたわ。ありがとう」
力なく微笑む彼の頬にキスをして元気を与え、まずは着替えてくるわよと、彼を促して歩いていった。
「……力関係が、すでに出来上がってる……」
雑踏に紛れる二人を見送り、呟いてしまった。
「平和だから、問題ない。それよりも、サボってないで手伝え」
長男に注意されて売り子に戻った。
それから程なくして、三女が様子を見にやってきたので、そのまま売り子として引きずり込む。
快く売り子を引き受けてくれた三女は天使だ。すぐにエプロンと三角巾を着け、試食を持って店先に立ってくれる。
「あれ? クッキー、子供限定にしたんだね」
店の前の板に書かれた文字を見た三女が気づく。
「売れ過ぎちゃったから、大人の人には遠慮してもらうことになったんだよね」
「へえ! そうなんだ。頑張って、もっと作ればよかったかなあ」
嬉しそうに言う三女に、胸が痛む。
すべてあの悪い大人のせいだ、ううむ。
男は一人捕まったけれど、元凶と思しきあの女性にお咎めはないので腹の虫が治まらない。
「ソレイユ姉さん、怖い顔になってるよ」
振り向いた三女に眉間の縦皺を指摘される。
我が家で一番のんびりしていて、穏やかな性格をしている三女は、外見もわたしや長女のようにキツい感じではなくてほんわかした可愛い系だ。
因みに末っ子もどちらかといえば可愛い系なんだけれど、あざとさが見え隠れするんだよね。
そして三女には、もう二年付き合っている同い年の彼氏がいる。
二人のほのぼのとした仲の良さは両方の家族公認なので、わたしを差し置いてなんて言うつもりはないけれど、姉として、ちょっと、思うところがなくもない……。
いやいや、わたしは今は学園が優先で、勉強を頑張らなければならない時なので、仕方がないんだよ、うん。
ライゼスの顔なんて思い浮かんでないし。
「さあ、午後からも頑張って、売ろう! 商品はまだまだあるんだし」
「ここにある在庫は、もうギリギリだな。多分、最後まで持たないぞ」
テーブルの下の日陰に置いてある冷蔵箱をチェックしていた長男から指摘が入る。
風通しのいい場所に置いてあるクッキーも、残りひと箱の半分しかない。
ううむ、これは追加するしかないよね。
「カシュー兄さん、ひとっ走り取りに行ってください、お願いします」
「わかった。ティリス、クッキーはどのくらい残ってるんだ?」
長兄は素早くエプロンと三角巾を取り、すぐさま家に向かおうとしている。……きっと、売り子から逃げたいんだな。
午前中だけでも、かなりの貢献をしてくれた長兄なので、ここらで一度息抜きをさせてあげたい。
「二日分だから、四箱あるよ。だから、二箱までなら持ってきても大丈夫」
「それって、予約してくれてる分も入ってるの?」
心配になって確認すると、三女は首を横に振った。
「ううん、ご近所さんの予約分は、別にしてあるの。三日目に買いに来てくれるって言ってたから、大丈夫よ」
わたしよりも三女の方が、しっかりしているのではなかろうか。
「わかった、クッキーは二箱、チーズとバターをひと箱ずつでいいか」
長兄の言葉に、思わず怯んでしまう。
だって、ひと箱も持って来ちゃったら、間違いなく三日目の分が足りなくなるよ。
「え、それは、流石に多いのでは……?」
「レベッカが宣伝してるんだぞ。まだ売れるに決まってるだろ」
長男の説得力のある言葉に、頷くしかなかった。
意気揚々と帰って行く長男を、三女と一緒に見送る。
「ソレイユ姉さん、明日、一緒に頑張って作ろうね」
「…………そうだね、頑張ろう」
三日目の分を、急遽量産することが決定してしまったものね。
なんとか在庫だけでしのげたらいいな、なんて日和った考えが甘かった。
頑張ろう……アザリア苔の粉末(人間用)で、徹夜できるかな。
明日はミス・ルヴェデュを決めるコンテストがあるし、長女が優勝したら宣伝効果が更に上がるからどうしたって足りなくなるよね。
家族の贔屓目だけどさ、優勝するって決まったわけじゃないけど、何かの賞は取れると思うんだ。
来年は結婚するから今年で最後だし有終の美を飾って欲しいよね、十八歳でまだまだ花盛りなんだからさ。
「しけた面してんな、ソレイユ」
「あ、バンディ。手伝いに来てくれたんだね! ありがとう!」
言いながら、問答無用で二男の腰に長男が着けていたエプロンを巻き、テントの下に引きずり込んで店頭に立たせる。
「バンディ兄さん、ありがとう! カシュー兄さんが抜けて、心細かったの」
逃げ腰だった二男だが、三女の笑顔で逃げることを諦めた。
「カシュー兄が戻ってくるまでだぞ」
「ありがとうっ」
わたしと三女が店頭で売り、二男が商品を用意して釣りを出す。
「バンディ! 買いに来たぞ」
町の学校に通っている二男の友達が、数名連れだって買いに来てくれた。
「おお、たくさん買ってくれ」
「たくさんは買えねえよ。クッキーは子どもだけか、妹たちに買っていってやりたいんだけど、俺が買うのはまずいか?」
藍色の短髪の男子が二男に聞いて、二男がわたしを見た。
「そういうことならいいよ。いいお兄ちゃんだねえ」
リクエストのあった、色々な種類が入っているアソートの袋を二つお買い上げいただいた。
「僕は、母さんからチーズを頼まれてるから。チーズを三つお願いします」
眼鏡男子が、素敵な注文を入れてくれる。
チーズは高いので、大量に買う人はなかなかいないんだよね。いまのところは、『赤煉瓦』の奥さんと最初に買ってくれたご夫婦くらいだ。
「わあ、たくさん買ってくれてありがとうね。内緒で、味見用のバターを入れておくから、気に入ったら買いにきてね」
営業スマイルを付けて、お金と引き換えに商品を渡す。
「はいっ、ありがとうございますっ」
去り際に二男に声を掛けてから去る友人たち。
「いい友達を持ったねえ」
「あいつら、ソレイユの本性を知らねえから、見た目に惑わされてんだよ。まあ俺らの年代にも、あの人が釘刺してたから大丈夫だろうけど……」
後半をごにょごにょ言う二男に、食ってかかる。
「本性ってなによ、本性って」
わたしは自分を偽った覚えなどないからね。
「そういうところだよ。ほら、店に出てるときは、猫被ってろって、レベッカ姉さんに言われてただろ」
猫を被るのは苦手なんだってば。
わたしと二男がやり合っている横で、小さい子を連れた家族を相手に三女がクッキーの試食をすすめて、しっかり二袋売り上げていた。
「ありがとうございましたっ」
声を可愛く弾ませ、お客さんを見送った三女が、わたしたちを振り返る。
「バンディ兄さんもソレイユ姉さんも、たくさんの人に買ってもらえるように、がんばろうねっ」
自分の商品が売れた喜びに、頬をほんのり赤くしてわたしたちに声を掛けてくる三女、カワイイ。
「じゃあ、私にもクッキーを売ってもらえるかしら? お嬢ちゃん」
猫なで声に振り向くと、つばの広い帽子に口元をストールで隠した女性が立っていた。
きょとんとする三女を庇うように前に立ち、彼女を睨み付ける。
「貴方にはお売りできません」
「あら、どうして? さっきは売ってくれたでしょ?」
笑いながら聞いてくる彼女に、三女の前で声を荒げないように、意識して口を開く。
「そちらに書いてありますように、もう、子どもにしか売らないことになりました」
「つれないわねえ。私も、子供たちの分で買いたいのよ? さっき、男の子には売ってたわよね」
二男の友達に売っていた所を見られていたようだ。
「貴方には、売りません」
買い手を選ぶ権利は、こっちにある。
買い手だって、売り手を選ぶ権利がある。
だから、わたしは彼女には売らないという権利を行使する。
金を払うから偉いんじゃない。お金……貨幣は流通の仲立ちでしかない。
売買が成立するのは、売り手と買い手が双方納得した時なんだから。
「あら酷い。私がこんな顔だから、売ってくれないのね」
顔半分を隠していたストールを取り払うと、口元から頬に掛けて大きく引き攣れた傷の痕が現れた。それに痩せすぎて顔色も悪く、目だけがぎょろぎょろしている。
凄く人相が変わっていたけれど、わたしは彼女を覚えていた。
「熊の一撃亭の……」
思わず呟いた声に、彼女は引き攣れた頬を歪めて口の端を小さく上げた。
この町に居た頃にはなかった傷だ、ダイン家のみならず色々な家にケンカを売ってこの町に居られずに姿を消した先で、彼女にどんな人生が待ってたんだろう。
「あら覚えていたの? 光栄ね」
自嘲するような顔の後、がらりと表情を変え、ポロポロと涙をこぼす。
「こんな醜い顔だから、さっさと店先から追い払いたいのでしょう? 病気がちの妹に、買っていってあげたいだけなのよ。お願い、どうかクッキーを売ってください」
通り掛かっていた人たちが、ギョッとした顔で彼女の顔を見て、それから彼女の大袈裟な声にわたしを見ていく。
同情を誘う容姿と、涙ながらの声に、聴衆は彼女の味方の空気になる。
「おい、ソレイユ、ひと――」
顛末を知らず、わたしを諫めようとする二男に鋭い視線を向けて黙らせる。
余計なことは言うな。
わたしの剣幕に怯んだのか二男は口を噤んでくれた。
二男の目に合わせていた視線を、くっと三女に向けてからもう一度二男に戻す。
三女を下げて、喋らせないで。
わたしの視線の意図を理解した二男は小さく頷くと、素早くわたしの後ろにいる三女をテントの中へと引っ張り込んだ。
ソレイユの目力 (`ФωФ’) カッ