13.転売それは許されざる悪
他の店の店頭で、ダイン印のクッキーが転売されているのを見た瞬間――ソレイユではない感情と記憶が、焦土にする勢いで熱くわたしの胸を焦がした。
転売目的で買い占められたものの、思ったように売れずにスカスカになっているスタンド席。
悪意の煽動によって、店頭から消える特定の商品。
届くべき人に、届くべき物が、お金が、中間で搾取される、悪行。
怒りが、一瞬で燃え上がった。
テンバイヤー、絶対許さん。
装飾を凝らしておしゃれなセレクトショップのように色々な商品を取り扱っているその屋台に、三女のティリスが子どもが買えるようにと金額を下げて販売したクッキーが、倍以上の値段を付けて店頭に並んでいる。
それもダイン印の袋に入ったままだ。ダイン印のスタンプもかっこいいから、きっとそのまま使っているんだろう。
他の商品も、おしゃれなアクセサリーに、革小物、アンティーク風の食器などがセンス良く並べられているが、商品に統一感はない。多分、他の商品もどこかから買った物を並べているんだと思う。
ここに、魔法をぶち込むのは簡単だ。
だが、耐えるんだ、祭りを台無しにするのは、ダメだ。
明日はミスコンがあって、今年はレベッカ姉さんが出る最後の年なんだから、身内が足を引っ張っちゃいけない。
ここは、穏便に、話し合いで……。
「なあに? これが、あんたのところの商品だったからって、それがなによ? あたしは、ちゃんとお金を出して買ったでしょう。それをどうしようが、あたしの勝手よ」
先ほどウチでクッキーを大量買いしていった、ストールを首に巻いてつばの広い帽子をかぶった女が、ストールの隙間から異国情緒あふれる煙管の煙をこれ見よがしに吐き出す。
むーきーっ!
拳に訴えるのはダメだ、拳は!
彼女は流れるような動作で煙管をくるっと回して灰を小さな箱に捨てると、店先に来ていた立派な身なりの紳士とご婦人に声を掛け、朗らかに接客をはじめる。
歯がみしながらその様子を見ているわたしの前で、三倍の値段を付けたダイン印のクッキーが一袋買われていった。
そうか、ここは高級住宅街に近いから、お金持ちが多いのか。
だから多少高くても……いや、多少高めにしたほうが売れるのかもしれない。
わたしは運営のテントに一直線に向かった。
結論。
他の店で買った物を、自分の出店で売ってはいけないという規則はないため、罰することはできないということだった。
ただ、倫理的に問題があるので、来年からはこんなことがないように、出店時の注意事項として定めると請け負ってくれたし、販売しない自由も売り手にはあるので、怪しい人が買いにきたら販売しないほうがいいかもしれませんね、とアドバイスをくれた。
結局、どうすることもできずに、ダイン家の出店へと戻ることになった。無力感がひどい。
こんなとき、ライゼスがいてくれたら、機転を利かせてやり返してくれるのに!
ライゼスだったらどうするだろう……と考えてはみたものの、そもそもの頭のデキが違うから何も思いつかなかった。
「どこまで調達しに行ったのかと思ったぞ」
苦笑する長兄にちょっと冷めてしまった肉を渡す。
長女は店番をするからと後で食べるとのことだ。
その間にわたしは物々交換してきたオリーブオイルと塩こしょうでカプレーゼを作ることで気を静めながら、できるだけ感情を込めずに転売について伝えた。
「あの大量に買っていった人たち、やっぱりよくないことをしていたのね」
店番に立つ長女が渋い顔をしてつぶやく横で、冷蔵箱に腰掛けた長兄が険しい表情で肉にかじりついている。
「……運営の言い分もわかる。悔しいが、売ってしまったものはどうしようもない。気持ちを切り替えるしかないな」
長男の言葉に、わたしと長女は不承不承頷く。
できあがったカプレーゼを、トマトを提供してくれたおばちゃんにも分けて、一旦お店を止めてみんなで食べる。
ダイン印のチーズとフレッシュトマトで、震えるほど美味しい。
できれば、パンの上に載せたかった。
「想像以上においしいわね。いくらでも食べられるわ」
険しい顔をしていた長女も、表情を和らげて幸せそうに食べてくれる。
美味しくて、転売のことなんか吹っ飛ぶよね。
うん、あんな悔しいことは、吹っ飛ばそう! できるなら、本人をぶっ飛ばしたいところだけど!
怒りを静めるために、もう一口、チーズを載せたトマトを口に入れる。
「んーっ! 本当に想像以上だよー。幸せー」
「トマトの水分が体に染みるな」
いい勢いでトマトにチーズを載せて食べてる長男がしみじみと言ったのを聞いて、買い忘れがあったことを思い出す。
「あ! 飲み物買ってくるの忘れた! わたしたち、絶対水分不足だよ。倒れちゃうよ」
トマトだけじゃ水分補給には足りない、飲み物が欲しい!
「魔法で出した水じゃなくて、出店で売ってるジュースが飲みたい!」
力説するわたしに、長女がエプロンを外しながら立ち上がる。
「もう、しょうがないわね。それなら、私が行ってくるわ」
店番に立ち、雑踏に紛れる長女を見送る。
「ねえ、カシュー兄さん。レベッカ姉さん、なんだか元気がない?」
「あー、そうかもなあ。アレクシスと祭を回るの楽しみにしてたから、仕方ねえよ」
アレクシスめ……、お金持ちに嫁ぐのを目標にしていた長女をまんまと射止めたくせに、悲しませるとはどういうことだ。
そもそも、二人を最初に引き合わせたのはわたしだから、多少の責任を感じるのだよ。
「ねえカシュー兄さん、兄さんはアレクシスさんに会った? レベッカ姉さんが、結婚を決めるほど好きなんだよね?」
商品を整えながら、それとなく長男に探りを入れる。
「まあ、好きっちゃ好きなんだろうが。それよりも、レベッカが動くのは情じゃねえかなあ」
「情?」
長男が考えをまとめるようにちょっと黙ってから、口を開く。
「あいつは情が深いから。天涯孤独のアレクシスを放っておけなかったし、ウチのことも放っておけないんだよな」
「ウチのこと?」
「金持ちと結婚しちまったら、家を出なきゃならねえだろ? そうなると、仕事手が減る。居なきゃ、居ないなりに家のことは回るんだろうが、まあ、一人減るのは大きいよな」
居なきゃ、居ないなりに……。
「そっか、今年と来年は、わたしが学園でいないから……」
しょんぼりと言ったわたしの頭が、グリグリと撫でられる。
「お前が学園に行くことは、何年も前からわかってたことだろ。今更気にすることじゃねえ。それよりも、今は目先のバターを売るのが重要だ。チーズやクッキーに比べて、明らかに売れてねえぞ」
長兄の言葉に、むうと口を尖らせてしまう。
「だって、試食を勧め難いんだよ」
バターのままを食べてもいいって人はそんなに多くないんだよ。
「パンを用意しておけばよかったよな。今からどっかで買ってくるか? これだけ出店がありゃあ、どっかで売ってるだろ。まあ、パン屋で買ってきてもいいしな」
「じゃあ、レベッカ姉さんが戻ってきたら――あ、おばちゃん! 買いに来てくれたの?」
新たなお客さんに目が輝く。
赤煉瓦のおばちゃんだ!
「ウチの旦那が、あれだけうまいんだから、売り切れるだろうから、すぐに買ってこいって言うのよ」
朗らかに笑いながら、嬉しいことを言ってくれた上に、十個も購入してくれた!
大量販売はしないって言ったけど、昔なじみのお得意様は話が別だ。信用が違うよ、信用が。
「『赤煉瓦』の奥さん、お久しぶりです」
「最近はバンディくんとディーゴくんが届けに来てくれるから、久し振りだけどカシューくんも、すっかり大きくなったわね」
「いや、身長は変わってないです」
おばちゃんの言葉に、長兄が生真面目に返す。
「やーねえ、そんなのわかってるわよお」
カラカラと笑って、代金と引き換えにチーズを受け取る。
「ところで、このチーズ、これからダインさんのところで買えるようにしてくれないかしら。ウチの旦那が、是非これからも、このチーズを料理に使いたいんですって」
「ありがとうございます。今回の売れ行きで決める予定なんで、参考にさせてもらいます」
「よろしくお願いね」
朗らかに帰って行くおばちゃんを見送った。
「『赤煉瓦』さんの分なら、確保はできるよね」
わたしが期待を込めて長兄を見れば、兄も頷いてくれた。
「そうだな。定期購入してくれそうな所に、今回配りに行くのも手だな」
思案するように言う長兄に、不安が過る。
「あんまり多くなると、作るの大変じゃない? 魔法で作れるように、バンディを猛特訓してみる? それとも、専用の魔道具を作る? 多分、魔道具のほうが品質が安定して、いいとは思うけど……」
「けど?」
「まずは搾乳装置が先だから、乳製品を作る魔道具にまで手は回らないんじゃないかな」
考え考え言ったわたしの肩に、ぽんと長男の手が置かれた。
「ソレイユ、お前、魔道具創造部だかなんだかに入ってたよな」
「惜しい、魔道具創作部ね、でもまだ、なにも作れてないんだよ……。部員を名乗るのも烏滸がましいくらいだよ」
自走式ボードもまだまだ完成の目処が立っていないありさまなのだ。
「カシュー兄さんと父さんが、わたしがリクエストをする魔道具を普通に作ってくれるから、簡単に作れるものだと思っていたけど、全然そんなことないんだとやっと理解してきたんだよ」
「なんだ、だらしないな。もう早、弱音か?」
揶揄う声音の長男を、ムッと睨む。
「弱音、ではないです。事実なだけです」
「作れてないのは、作ってないからだ。失敗してもいいから、たくさん作れ、作れば作っただけ、得るものがあるんだからよ」
むーきーっ!
思わず言い返しそうになったところに、「クッキー十袋」という注文が入って、笑顔をそちらに向けた。
「すみません、そちらに書いてあるように、子ども向けの商品ですので、大人への販売はしていないんです」
「はあ? さっきは売ってたじゃねえか」
よく見れば、確かさっき大量買いしていった男の一人だった。
愛想笑いを引っ込め、腕を組む。
「あんたらが、バカみたいに大量に買ってくから、こっちは仕方なく、大人には売らないことにしたの。わかる? こっちは子どもが買えるようにって、この金額で出してるのに、あんたらここで買ったクッキーを、自分とこの店で三倍の値段付けて売ってるでしょ。そんな人間に売るようなバカじゃないのよ、こっちは。大体、あなたたちの店の商品、全部他店から買った物を並べてるだけでしょう。売って欲しけりゃ、特別に売ってあげますよ。特別価格でこれの十倍にしますけど。高い? 値段を付けるのは、こっちですよ。イヤなら買わないで帰ってどう――あ痛っ! 何すんの兄さんっ」
「お客さん、そういうことなんで。申し訳ないんですが、お引き取り下さい」
わたしが言い終える寸前で振り落とされた長男のチョップを頭に受け、口を閉じたわたしを後ろに下げて、長男が店の前に出た。
言いたいことは言い終えたのでまあいいけど、チョップする必要はないんじゃないかな。
周囲には、何事かと物見遊山の野次馬たちが集まりつつある。
娯楽が少ない世の中なので、ケンカなんてはじまろうものならこうやって、どんどん人が集まるのだ。
「はっ。これだけバカにされて、引き下がれるわけがねえだろ! あんたがこいつの代わりに殴られてくれるのか、色男の兄ちゃんよお!」
ガラの悪い男が、脅すように指をボキボキと鳴らす。
「兄さん、色男だって! 褒められたよ!」
「褒めてねえっ!」
阿吽の呼吸で突っ込みが入る。
なんだか急に、オルト先輩が懐かしくなった。学園に戻るときに、クッキーだけじゃなくチーズも持っていこう、部室でチーズパーティだ。
「なめたことばっかりしやがって、こんな店ぶっ壊してやる!」
男が魔力を集中させはじめたのに気づき、野次馬の中から悲鳴が上がった。
町中での攻撃魔法の使用は禁止です。
精度の低い魔法(下手っぴ)だと、周囲へも被害が出てしまうので、大変危険です。
ガラの悪い奴らは、ちゃんと魔法の練習をしないので大抵下手っぴです。