閑話 ライゼスの帰宅
ダイン家からのお土産を手に、領都にある自宅に帰った。
帰宅後すぐに手土産のチーズとバターの入った袋を持って、領主である父の書斎へと向かう。
「戻ったか。あちらの様子はどうだった」
「ダンジョンが攻略されたので、多少活気が落ち着いておりました。折角なので、行きがけに、ダンジョンに潜ったのですが――」
ダンジョン内に未発見の部屋を見つけたことを伝え、そこにあった宝箱で『ヒーリングライト』という能力を手に入れたことを伝えると、父が長く嘆息して目を瞑った。
しばし、父が目を開くのを待つ。
「そうか、能力本の件は承知した。うかつに市場に出すよりは、使ってしまった方がいいだろう」
「お疲れのようなので、試してみますか?」
「……頼む」
父に向けた手のひらから、『ヒーリングライト』を放つ。
疲れが見えていた父の顔色がよくなる。
「うむ、確かに、回復するようだ。ありがとう、体が軽くなった」
「それは、よかったです。ダンジョンの話に、続きがあるのですがよろしいでしょうか」
回復したところで、本題に入る。
「う、うむ? まだあるのか、聞かせてくれ」
多少動揺が見える父に促されて、ソレイユが見つけたシリリシリリ草という植物について伝えた。
「シリリシリリ草? 聞いたことがないが、どんな植物なんだ」
「こちらが、その植物です」
荷物の中から、シリリシリリ草を一本取りだして渡す。
枯れないように根には湿らせた土を残して麻袋を巻いてある。
父が草を矯めつ眇めつ見て首を捻る。
「どこにでも生えていそうな草だな」
「そうですね。ですが、ダンジョン内の、隠された部屋にしか生育していませんでした。ルヴェデュの町の図書館で調べたところ、シリリシリリ草自体はすでに発見されておりました。しかし、この植物の正しい利用方法は書かれておりませんでしたが、今回ソレイユが発見し――」
先を続けようとしたのを、手のひらで止められる。
「ソレイユ嬢か……。大方、隠し部屋もソレイユ嬢が見つけたのだろう?」
「はい、そのとおりです」
だんだん父もわかってきたようだ。
父の予想を肯定してから、シリリシリリ草の使い方を教える。
その植物がチーズなどに素晴らしい風味を付けることを伝えると、父はちょっと肩透かしを食らったような顔になる。
「なんだ、調味料になるだけの話か。アザリア苔に比べれば、随分とかわいらしい発見じゃないか」
ほっとしたようにそう言う父に、持ってきたチーズをひとかけら切って渡す。
これは、ソレイユが一番最初に作った物なので、シリリシリリ草の効果がはっきりわかるはずだ。
「ソレイユが、シリリシリリ草を粉にして混ぜて作ったチーズです。どうぞ、ご賞味ください」
「うむ、普通のチーズのようだな」
そう言って手に取って匂いを嗅いだ瞬間、表情が一変した。
「これは……」
「どうぞ、食べてみてください」
父に勧めてから、自分も薄く切ったチーズを口にする。
やっぱり、凄い。
口に入れると一層強くなる、チーズの馥郁とした香りが、咀嚼すると鼻に抜けてなんともいえない幸せを感じる。
ソレイユの手作りというのを差し引いても、素晴らしくおいしい。
見れば、父も丁寧に咀嚼し、嚥下するのを惜しんでいる。
時間を掛けてひとかけらのチーズを食べた父は、口腔に残った香りが消えるまで余韻を楽しんでから、大きく息を吐き出した。
「素晴らしいな」
「そうでしょう。加えて言えば、これだけのうまみを引き出すシリリシリリ草ですが、常習性がないのが特徴です」
「確かにそうだ、あればまだ食べたいとは思うが、渇望ということはないな」
父が納得する。
「これを、我が領の新たな特産にできれば……」
思案する父に、情報を追加する。
「特産にすることは可能です。ソレイユの弟である、三男のディーゴ・ダインが、すでに栽培に成功しています」
父は目を大きくし、それから大きく息を吐き出した。
「すでにか。ダイン家は、ソレイユ嬢だけではないのだな。いや、あそこの長男も、よく新しい道具を生み出していたか。そもそも、アーバン自体が少し変わった奴だからなあ」
苦笑する父に、アーバンとはソレイユの父だったと思い出す。
父とは旧知の仲らしく、手紙のやりとりがあるのは知っている。子供の頃、あの町で療養することになったのも、その関係があるようだし。
「父上のおかげで、私の人生がとても素晴らしいものになっています。本当にありがとうございます」
頭を下げた僕に、父が愉快そうに笑う。
「どういたしまして。君が楽しそうでなによりだよ」
それから、咳払いをひとつするとチーズの追加を願ってきた。
「バターもありますよ」
「それは、パンに塗りたいところだな」
「夕飯で用意するように伝えておきます」
チーズを切って父に渡し、残りを仕舞っていると、父の恨めしげな視線に気づいた。
「母上や兄さんたちの分を残しておいた方がいいでしょう」
「うむ、そうだな。それで、栽培方法については、後で報告が来るのか?」
「いえ、既にまとめてあります」
地下畑の作り方から定植、育成について書いた書類を取り出して渡す。
「おまえは本当に、そつが無いな」
「褒め言葉を、ありがとうございます」
「まあ、褒めてはいる」
呆れた表情で書類を受け取った父が、ざっと目を通す。
「これの特許は、ダイン家が行うのか?」
「これからディーゴ・ダインの名義で取ります」
「取ります?」
父が怪訝な顔をする。
「私が請け負いましたので、明日にでも申請してきます」
「ああそうか、資格を持っているんだったか」
「はい。学園の部活でもいくつか出していますが、農業分野ははじめてなので、いい機会です」
魔道具創作部でかなり慣れたし、特許は領ではなく国の管轄なんだが、特許部門の専門官とも顔見知りになった。
「そうか。成績も申し分ないと聞いているし、部活でも充実しているようでなによりだ。貴族主義の教師の処遇についても、あれで問題ない」
ダンスパーティーのことを示唆される。
「事前に手を回していただき、ありがとうございました」
学園の運営について、領主として口出しすることは難しい中で、父は事前に伝えてあった貴族主義の教師が行動を起こした際に切れるカードを、あらかじめ渡してくれていた。
だから早々に、あのダンス教師を学園から追い出すことができたのだ。
「現行の体制と逆行する人物の専横は、国としても問題視されるものだ。実際に内部に入らねばわからぬことも、多々ある。これからも、何か気になることがあれば、報告を頼むぞ」
「承知いたしました。では、荷ほどきがありますので、失礼いたします」
「ああ、帰宅早々の報告、すまなかったな」
「いえ、急いでお知らせしておきたかったので。お時間をいただき、ありがとうございました」
三男が出て執務室のドアが閉まるのを待ってから、思わず長く息を吐き出す。
「さすがは、ダイン家だな」
一ヶ月ほどの秋休みも早々に、面白いものを見つけてくれる。
アザリア苔は畜産物の育成に大きく貢献しており、ごく最近人でも摂取できるように工夫されたものがダイン家から献上されていた。
添えられていた手紙には、風邪っぽい時に飲むといいとされていたが、栄養補給にいいのならば、乳児や高齢者が摂取すれば、家畜の生存率が上がったように……という期待ができる。
「貴族が、家畜と同じものを口にするのは、抵抗があるとは思うが」
考えて苦笑いしつつ、薬の形にして原材料がわからなければ摂取するだろうと考える。
「それにしても、シリリシリリ草か。また面白いものを見つけたものだ」
シリリシリリ草に驚き忘れていたが、息子が得た能力もまた素晴らしいものだった。
宝箱自体が希少だが、そこから能力本が出てくるのはとても希なことだ。
それを売らずに使うという思い切りのよさも、天晴れだといえる。
もしも、息子とソレイユが世にも珍しい『ヒーリングライト』という能力を身につけたと公になれば、その身辺は騒がしくなることだろう。
領主として父として、二人の才能と強運をこのまま伸ばしていきたい。
そのためには、自由が必要なのだ。
「この手が伸ばせる限り、守ろうじゃないか」
自身の手を見つめ、ぐっと握りしめる。
ひいては領の発展にも影響するであろう二人の行く末を、見守る覚悟をするのであった。
ライゼス「あ……(白毛狐犬のことを報告するの忘れてた)」