9.エラ
前話でうっかりサブタイトルで誤字を発生させ、多くの方にご指摘いただき本当にありがとうございました!(参加と酸化)
これからは、よくよく気をつけます(サブタイトルは誤字脱字報告の適用外なので)。
翌日から、わたしはチーズとバターを作る製造機になった……。
助手は三女のティリス。
チーズ、バターに入れるシリリシリリ草の粉の量は厳密に決められ、お菓子作りの合間にティリスが投入してくれるのだ。
「ソレイユお姉ちゃんに任せてたら、目分量でやらかしそうだもの」
楽しげに笑いながら、できあがったバターの塊を受け取ってくれる。
お菓子作り用にまずはバターが欲しいとのことなので、優先して作っているのだ。
一日に作れる量は、余剰分のミルクのみなので、無茶苦茶作れるということではない。
父が急遽作ってくれた冷蔵箱に、作った物をストックしていく。
「今日の分は終わりー」
「お疲れ様」
万歳をしたわたしの口に、三女がクッキーを放り込んでくれる。
サクサクとした食感に優しい味で、疲れが吹っ飛ぶのを感じる。
それを伝えると、彼女はいたずらっ子の笑みで「アザリア苔の粉末」もちょこっと入れたのだと教えてくれた。
そういえば、人間も飲めるんだっけ。
シリリシリリ草入りバターとアザリア苔の粉末……使っている量はそれぞれ僅かなので、緑色は付いていない。
「それって、大丈夫なのかな?」
ドーピングという言葉が脳裏を過る。いやいや、プロテインバー系統だよね? ドーピング検査があるわけでもないし……。
軽く不安になったわたしに気づいたのか、三女が笑顔で自分でも食べる。
「ちょこっと元気になるだけだから、平気だよー」
気になって三女のステータスを見てみる。
……うーん。確かに、『滋養強壮クッキーを摂取。疲労改善中』となっているな。
「アザリア苔って、滋養強壮効果があるから、お年寄りとか、小さな子供が食べるといいかもね」
「滋養強壮って、もしかして……太りやすかったりする?」
「おいしいは、脂肪と糖でできている」
「え、なに? なに?」
わたしの不穏な言葉に、三女が動揺する。
つい頭をよぎったあのフレーズを口にしてしまったが、この世界はまだ飽食ではないと思い直す。
「食べ過ぎなきゃ大丈夫だよ」
笑顔で説明すると、三女はホッとした表情になる。
「じゃあ、食べ過ぎないように、ちょっと値段を高めにしちゃおうか? 高かったら、大事に食べるから」
ふむふむと、三女が紙にメモしている。
原価計算もはじめているようで、すでに色々な数字が書き付けられている。
「試作に掛かったお金も回収した方がいいのかな。バターの代金っていくらにするの? それによって金額がかなり変わっちゃう。身内価格でお願いしたいな」
三女に問われ、首を捻る。
「うーん……バターの代金かあ。生乳の代金と、塩と、わたしの人件費かな、シリリシリリ草の粉をいくらにするかにもよるから、相談がいるかな」
シリリシリリ草は三男の管轄だけど、草自体の価値が決まってないから、父たちとも相談が必要になる。
「そうだよね。じゃあ、夜に確認しようね」
確認事項が、三女のメモに増えていく。夕ご飯の後は打ち合わせ時間になるのは決定だね。
おいしい風味で食欲を増進させちゃうあの粉も、今後需要が増えると思うんだよね。
我が家だけの独占栽培をしていいものでもないと思うし、ライゼスも巻き込んでいるので領主様に話はもう通っているはずだから、どうするかは連絡待ちかな。
散々ステータスを確認して、やばいものではないのは確認してある植物だから、今後この地域の特産物になるかもしれないわけだし。
うん、特産物になったらいいな。この地域が発展するのは、とてもいい。わくわくする、この国屈指の酪畜地域を目指したい。
「そうなると、流通が重要になってくるよね」
ここエルムフォレスト領は、街道の整備に力を入れているので、災害で道が寸断されたまま放置なんてことはないけど、高速馬車を走らせたりできるまでは整備されていない。
領都の近くの主要街道は魔法も使ってきっちり整備されていて、馬車の速度が段違いなのだ。
それに、ここでは二頭立ての馬車がすれ違うのがやっとの道幅しかないけれど、あっちは片側二車線はある。
都会の強さを見たよ……。
そりゃあ、交通量が違うけどさ、いずれはここももっと大きな町になると思うし。
もうちょっと領都に近ければ、と思わなくもないけど、無い物ねだりはできない。
「ソレイユお姉ちゃん、今日の分のミルクが終わったなら、クッキー作り手伝ってよ」
思案していたわたしに、三女が頬を膨らませている。
「あっ、ええと、ティリス、ごめん、牛たちの確認を頼まれてたんだった! ちょっと行ってくるね!」
「お姉ちゃん!?」
三女を振り切って、母屋を出る。
バターやチーズを作るのはいいんだけど、お菓子はちょっと繊細すぎて、難しいんだよね。
粉を振るったり、バターを計ったり、オーブンをこまめに確認したり……好きじゃなきゃ無理。
「ムウー」
放牧場を目指していると、足元に白い毛玉であるユキマルがまとわりついてきた。
「ユキマル? カティアと一緒じゃなかったの?」
末っ子が朝からユキマルを離そうとしなかったんだけど、そういえば母屋にもいなかったっけ。
「ムウ!」
一生懸命わたしの裾を引いて、どこかに連れて行こうとする動きだね。
「カティアになにかあったの? 案内して」
わたしの言葉がわかるのか、裾から口を離したユキマルが跳ねるように走り出した。
そしてたどり着いたのは、わたしの当初の目的地である放牧場だ。
柵の手前の草の上に座り、板に紙を置いて、一生懸命牛を写生している末っ子と、その前で明らかにポーズを決めている牛がいた。
『人の子よ、大きくなったな』
「エラ! お久しぶり! カティアと何してるの?」
牧場の柵のところまで走っていき、今日は緑のブチの牛に付いているエラに声を掛けた。
「ソレイユお姉ちゃん、邪魔ー」
「あ、ごめん」
そっか、写生してるんだもんね、正面はまずかったか。
真剣な様子で手を動かしている末っ子の邪魔にならないように、慌てて移動する。
『そこな子が、我を描きたいと申すのでな。こうして動かぬようにしておるのよ』
「そっか、ありがとうねえ」
エラは優しいなあ。普通の牛なら、おとなしく立ったままの姿勢なんかしててくれないもんね。
『報酬は、アザリア苔ひと掴みでよいよ』
「わかった、いま持ってくるね」
大急ぎで苔の保管場所に行き、苔をひと掴みして戻る。
『うむ、これよ、これ』
もしゃもしゃと食べるエラが、とても満足そうだ。
「そういえば、アザリアの遺跡で、シリリシリリ草っていうの見つけたんだけど、エラも食べる? こう、シュッとした草で、粉にしてチーズとかに混ぜたらとてもおいしいの」
『ふむ? いや、いらぬ。それよりも、お主の足元に、面白いものがおるの』
わたしの足の後ろにくっついているユキマルに興味があるようだ。
「狐犬のユキマルです。ダンジョンで出会ったの」
『珍しい、白毛の狐犬か。大事にしてやるといい、こやつの献身を当たり前と思わず、可愛がっておやり』
「はい」
強く頷いたわたしに、エラは満足そうに目を細める。
エラの視線を受けて、ユキマルがおずおずと足の後ろから顔を出す。
『おいで、賢き子よ』
エラに呼ばれて、ユキマルが柵の上にぴょんと飛び乗る。
鼻先を近づけてきたエラに、ユキマルも顔を近づける。とてもいい、絵面だ。
目に焼き付けるように、瞬きを耐える。
『ふふ、ほんに賢い。さて、描き終えたようじゃな。では、またな』
「はい! ありがとうございます、エラ」
尻尾を振って去るエラを見送り、柵の上のユキマルを抱き上げて、草の上に下ろす。
振り返ると、さっきまではせっせと手を動かしていた末っ子が、片付けをしていた。
「ソレイユお姉ちゃんも、あの牛とお話してたの?」
「うん。あの牛っていうか、あの牛に付いてたエラっていう、精霊とね。カティアもお話ししたの?」
「んー、お話はしてないけど、お願いしたら絵を描かせてくれたの」
「よかったね。どんな風に描けたか見てもいい?」
「いいよー」
何枚も描かれた牛の絵は写実的で、単色ながら生き生きと描かれていた。
久しぶりに末っ子の描いた絵を見たけれど、こんなに上手だったっけ。
「一枚もらってもいい? 寮の部屋に飾りたいな」
「んー、これならいいよー」
何枚かある中から、最後に描いた一枚をくれた。
「ユキマルとエラだ。本当にいいの?」
エラとユキマルが鼻先を寄せ合っている素敵な絵だ。
さっきの僅かな時間で描き上げたとは思えない。
「いいよー。だって、一回描いたら、何回でも描けるもん」
自信満々に言う末っ子に、それならもらってもいいかなと受け取る。
「ありがとう、大事にするね」
「うんっ!」
これは額に入れて飾ろう。
「ユキマルちゃん、お家に戻るよー」
「ムウ」
忠犬ユキマルは、ちゃんと末っ子について母屋に戻っていった。
末っ子を心配してわたしをエラのところまで連れてくるのも偉いし、ダンジョンでユキマルと出会って本当によかったなあ。