19.ダンスの先生
たのもうっ!
じゃなくて、身繕いしてからダンスの先生がいる教員室のドアをノックして中に入る。
「失礼いたします」
静かに声を掛けて中に入り、音を立てずにドアを閉める。
この教員室にいる先生は、ダンスだけでなくマナーの先生でもあるので、身を引き締めなくてはいけないのだ。
「ああ、ソレイユ・ダインさんですか、なんの御用かしら?」
年配のアヴァリス先生が優雅にお茶をしていた手を止めて声を掛けてくれる。
この学園で一番、所作がとても優雅な先生だ。
補佐の先生はまだ若く、机に向かって書類仕事をしており、ちらりとわたしを見たけれどすぐに机に視線を戻す。
「アヴァリス先生、ダンスの補習のお願いをしに参りました」
優雅さを意識しながら礼の姿勢を執り、願いを口にする。
先生は音を立てずにカップをソーサーに置くと、静かに立ち上がってわたしの前に来た。
髪に白い物が交じろうと、皺があろうと、姿勢が美しく表情も穏やかに、これぞ淑女といった佇まいの先生が、実はわたしはちょっと苦手なんだよね。
緊張しつつ、静かに先生の返答を待つ。
「ダンスパーティの時期が間近ですものね。いい心がけですが、もう他の生徒で補習は埋まってしまっているの」
本当に申し訳ないという表情で告げられ、思わず肩を落としそうになり、マナーの先生の前でそれはマズイとなんとか堪える。
「承知いたしました。もし、空きが出ましたら、お声を掛けていただけると嬉しいです」
「ええそうね、その時は声を掛けますね」
笑顔のアヴァリス先生に見送られ、最後まで猫を被って教員室を出る。
案外、補習を希望する人って多いんだな。授業ではみんな上手に踊っていたけど、さらに上を目指してるのかな。
「ソレイユさん、待ってっ」
廊下を歩いていると、補佐の先生が追いかけてきた。
よかった、ちゃんとおしとやかに歩いていて! 先生に見つかると、お小言をもらうのが確定だから、一瞬ドキッとしたよ。
「エレナ先生、どうされたのですか?」
おしとやかに小首を傾げて用件を聞くと、彼女はわたしを人目に付かない空き教室に促した。
「アヴァリス先生は補習が埋まっていると仰っていましたが、本当はそんなことはないの」
言いにくそうにしつつも、暴露してくれたエレナ先生にフムフムと頷く。
「やはりそうですよね。だって、みなさん本当にダンスの授業上手ですもの」
納得するわたしに彼女はちょっと戸惑った表情になったが、すぐに申し訳なさそうな表情に戻した。
でも追いかけてきてくれたってことは、もしかして、エレナ先生は助けてくれようとしてくれてるのかも!
「エレナ先生がわたしの補習を見てくださるのですか?」
「えっ? いえ、わたくしは、その……」
言葉を濁し、逃げ腰の先生を真っ直ぐに見る。
「では、どのような提案を持ってきてくださったのですか? まさか、アヴァリス先生のことをチクリ……いえ、教えに来てくださっただけではないですよね」
きっと、なにかいい情報を持ってきてくれたに違いないよね! わざわざ追いかけてきてくれたんだから!
期待満々で先生を見たのに、先生に視線を逸らされてしまった。
ええええー。
思わずがっかり顔になりそうになったが、なんとか表情を保つ。
「承知しました、先生は頼らずに、知り合いに見てもらうようにお願いしてみます」
「あっ、あの、もしかして、ライゼス様にお願いするのかしら?」
ソワソワとする先生に微笑んで頷く。
「はい、そのつもりです」
「あのね、ソレイユさんはご存じないかもしれませんが、女性側から男性にそのようなことを頼むのははしたないとされているのよ?」
「そういえば、ダンスの時に、女子から男子側へ誘うことはタブーとされていますよね。それと同じことでしょうか?」
ダンスパーティなどで踊る場合、孤立する女子が出る可能性がある、悪習だ。
別にいいじゃない、女子から誘っても! 男も女も積極性は大事だと思うんだけど、ダメなんだって。
「そうです! こほん、ええ、そういうことなのです」
大きな声を出したことに気づき、咳払いをして気を取り直した先生が強く頷く。
「男性じゃなければいいんですね? じゃあ誰か女性にお願いしますので、ご心配なさらないでください」
ニッコリ微笑んで言うと、先生の顔色が変わる。
「ダメです、あのね、女性から自分で頼むのがよろしくないのよ? だから、ね?」
先生必死だなあ。
「そうなんですね。ご教示いただきありがとうございます」
なんだか面倒臭くなったので笑顔を貼り付けてお礼を伝えると、先生がホッとした顔になる。
「そうなのよ、くれぐれも、くれぐれもね」
何度も念を押しながら、慌ただしく空き教室を出て行く先生を見送った。
「くれぐれも教なのかな」
「どんな宗教だい」
低く笑いながら、気配を消していたライゼスが近づいてくる。
「核心を言ったらダメな宗教、「くれぐれも」という言葉ですべてを濁す感じ。教祖様はアヴァリス先生かな?」
「ああ、わかってたんだ」
わたしの言葉に彼は笑みを浮かべる。
「あれだけあからさまだと、さすがにわかるよ。授業中も、わたしのことは一切無視だし」
「あの先生は、庶民を毛嫌いしているらしいからね。庶民でも優秀であれば、どんどん上に取り立てられるこの時代に、前時代的な人間が学園の教師をしているのはどうかと思うんだけどね」
索敵の魔法で周囲に誰も居ないことはわかっているけれど、ライゼスの辛口コメントにヒヤヒヤする。
「そういうわけだから、ソレイユ嬢、僕とダンスの練習をお願い出来ますか?」
キザな仕草で手を差し出されたので、その手に自分の手をそっと乗せる。
「ええ、是非」
視線を交わして、同じタイミングで吹き出す。
「じゃあ、彼らの鼻を明かせるように、ヒミツの特訓を頑張ろうか」
わたしの手を引いてライゼスがイタズラっ子の顔で提案する。
もちろんわたしに否はない!
「そんな事があったのね。ああ、だからアレなのね」
部室に戻り、事の次第をオブディティとオルト先輩に話すと、オブディティが納得顔になった。
「アレ?」
「二年生の方達が一生懸命、男子に根回しなさっているのよ」
聞き返したわたしに、オブディティが教えてくれる。
「二年? なんでウチの代のヤツが、わざわざ一年に?」
オルト先輩が怪訝な顔をする。
「大元は二年生のヴィヴィアン・クロス様よ。ライゼス様絡みでしょう?」
オブディティから出てきた名前に、ライゼスは思い当たる節があるような顔を一瞬だけした。
「僕の五歳年上のご令嬢だね」
ライゼスの、学園に通う生徒全員を把握しているんじゃなかろうか疑惑がわたしの中で再浮上だ。
「ライゼスの五こ上ってことは……」
「女性の年齢を詮索するのはよろしくなくってよ? まあ、XYZですわね」
窘めたオブディティこそ、中々酷いことを言っている。
XYZといえばあちらでの某漫画で出てきた『後がない』って意味で使ってるよね、確かに学園に入るギリギリの年齢だけどさ。英語だと『ファスナーが開いてますよ』だけど、それじゃないだろうし。
「思い切ったよな。女子でギリギリに入学する人間なんて、まずいないぞ」
オルト先輩が意味深な視線をライゼスに向ける。
「入学は十五から二十歳まで許されているのですから、本人が望むなら何歳で入っても問題ないでしょうね」
とはいえ、この世界の結婚年齢はわりかし早いから、まだ見ぬヴィヴィアン先輩二十一歳はもしかしたらライゼスの入学を待っていたのかも?
「ライゼスの頭なら、十五歳の時に入学してもおかしくないから、それに合わせるつもりだったのかな?」
「そうだろうな。それよりも、アイツが動いてるなら、本当に男子からダンスの誘いがないかもしれないな……マズイぞ」
「マズイって、なにかあるのですか?」
オブディティがオルト先輩に聞くと、彼は苦い顔をして説明してくれた。
「一年にはまだ周知されてないのか。ダンスパーティは成績に関係するのは言ったな?」
「ええ、成績が悪ければ、留年の可能性もあると聞いておりますわ」
え、ダンスパーティで留年!? 戸惑っているわたしを尻目に、二人の会話が進む。
「今年から、必ず相手を替えて三人と踊らなきゃならなくなったんだ」
それはそれは苦い顔をしている。
「三人……か」
全員、苦い顔になったんだけど、一番苦々しい顔をしているのはライゼスだった。
「ソレイユが、他の男と……」
ギリッと奥歯を鳴らしたライゼスに、オルト先輩が首を横に振る。
「諦めろ。公式に発表になった規則だ、今更変えられん」
そうだよね、わたしはライゼス以外と踊ったことがないけど、ライゼス並に反射神経のいい人じゃないとうっかり足を踏みそうだし。そんな被害出したくないよね。
今年からというのが腹立たしいな、まさかわたし対策というわけでもないだろうけれど。
「もし、誰にも声を掛けられなかったら、それだけで留年確定、なんてことはないですよね?」
「わからん。なにせ今年から追加された規則だからな。まあ、俺も踊ってやるし、あと一人くらいどうにかなるだろ?」
「あと、一人……」
オルト先輩は気楽に言うが、残念ながらわたしには心当たりがなかった。
XYZという名前のカクテルもあって、意味は『これ以上ない最高のカクテル』
ちょっと飲んでみたいな…(◍ ´꒳` ◍)