閑話 ギルド職員エモース(愛人三人)
※流血表現あります
この世界は金の無い人間には辛く、金を持つ人間にとってはとても素晴らしい世界だ。
エモースは最近付き合いをはじめた愛らしい赤毛の若い彼女が、楽しげに買い物をしている姿を眺めるのが好きだ。
彼女に合わせて、普段とは違う若向きの服を着て、洒落た帽子を目深にかぶっている。
彼女の買い物の支払いは、もちろんエモースがする。
自分が冒険者ギルドで働いた分の給料は妻が管理しているので、それ以外で得た収入だ。
「エモース様、ねえ、似合うかしら?」
すこし恥ずかしそうに聞いてくる彼女に、エモースは鷹揚に頷く。
「それもいいけど、さっきの服もよかったよ。どっちも買ってあげる」
「ええっ、いいの? 本当に? 嬉しいっ」
大げさに喜び抱きついてきた彼女の豊かな胸が腕に当たり、思わず鼻の下が伸びる。
服を包ませて会計を終えると、彼女と連れだって裏道を通り、彼女の住む家に向かった。
もう少し情が深まれば、他の二人にするように自分が部屋を借りてやってもいいと思っている。彼女の部屋は小綺麗なものの隣との壁が薄く、少々落ち着かないのだ。
そのためには、もう少し稼ぎを増やさねばならないとエモースは決心した。
エモースは、ギルド職員という立場を生かして秘密の仕事をしている。
領都のギルドで冒険者証を発行する人間はそう多くはない。
だから噂屋を使い、他のギルドでは登録できなくても、領都のギルドでなら『裏技』を使って登録することができると噂を流し、客を集めるのだ。
冒険者ギルドに登録しているということは、一定の信用をギルドが保証しているということで、信頼が上がる。
ギルドを通さずに仕事を受けることも可能だが、その場合、万が一依頼料を踏み倒されても、本人が交渉しなくてはならないし、依頼に一定の安全を担保されることもない。
ギルドの重要さというのは、ギルドに入れない者こそがわかっているのだ。
だから、そういう奴らは足元を見た金額でも、なんとか工面してくる。
「もう少し金額を上げてもいいかもしれないな」
独りごちながら、受付業務を真面目にこなす。
愛想のいい笑顔で、細やかな気遣いで、同僚からの反感を買わないように、信用を貯めていく。
そんなある日、隣の受付に明るい橙色の髪を一つにまとめた、まだ若い少女が田舎の町で発行された冒険者証を差し出してきた。
彼女の実績を確認して、エモースの頬が思わず緩む。
実績がほぼない割にランクが微妙に上がっている、実績にはならないもののギルドに貢献をした場合に上がることがあるので、特に気にはならなかった。
資格を失効していると伝えたときの彼女の顔といったら、彼が笑いをこらえるのに苦労したほどだ。
資格を失効したのが恥ずかしいのか、彼女もこそこそと話をしてくれるからありがたい。誰にも気づかれることなく、いい目くらましを手に入れることができそうだと内心喜びながら、親切ごかした態度で講習と実技の予約を取り付ける。
翌週、彼女はちゃんと講習会にやってきた。
同じ日に講習を受けるのは、『裏技』の噂を聞きつけてやってきた粗野な男たちだ。
講習も担当しているエモースは、賭博の借金につけ込んで手伝いをさせている後輩とともに講習の受付を行う。
差し出された申請書の下に紙に包んだ五十万が添えられていて、しっかりとそれを受けとる。
金額に偽りが無いか、講習をしている間に裏で後輩に数えさせるのも忘れない。
講習の最後にある試験も五十万の内で、ろくに回答の書かれていないそれを、筆記を似せて埋めておく。他の人間に確認されることはないだろうが、万が一に備えるのは大事だ。
金を渡してこなかった受講者については、ちゃんと採点を行って通常通り合否を判定する。
橙色の髪の彼女もちゃんと受かっていた。簡単な間違いさえなければ満点だった、という素晴らしい成績だ。
それ故に、次の実技で必ず落とさなければならないというのは心苦しいが、それでもこれがここの規則なのだから仕方がないと、エモースは内心で嘲笑う。
実技の試験のクジにも手心を加える。
万が一、『裏技』を利用した人間が落ちることがないように、配慮しなければならないからだ。
二重底になっているクジ箱から、うまい具合にクジを引かせていく。
橙色の髪の彼女には、難易度が高いクジを引かせた。
植物の採取は事前の確認が重要だが、それをさせぬうちにダンジョンに向かわせる。
立会人はフィリプスという、こちら側の人間だ。
多少の小遣いを渡せば簡単に汚れ仕事をする、便利な冒険者ではある。
試験の参加者たちを待ちながら、受付業務をこなす。
今日だけで二百の稼ぎになった。自分の取り分は百四十で残り六十を協力者たちに渡す。
いい調子だとほくそ笑みながら、これから先も無事にこの仕事ができるようにと、窓から快晴の空を見上げて神に祈った。
例の橙色の髪の彼女が、依頼の植物を完璧な状態で納品に来たことから、雲行きが怪しくなる。
視線でフィリプスに問うが、彼は肩をすくめるだけだ。
使えない男だ、報酬を減らさなくてはとエモースは頭のメモに書き留める。
納品されたハイネジアから素早く一本を引き抜き、足元のゴミ箱に捨て、間違いの見本用に用意してあるロウネジアを隙を見て混ぜる。
「でもねえ、ほらこれ。ハイネジアじゃなくて、ロウネジアなんだよね」
納得しない彼女に、実際にほんのわずかな違いを見せて説明するが、頑として聞き入れない。
絶対に自分は間違えないのだと、強情に言い張るのだ。
「いい加減にしなさい、君はもう失格になったんだから。フィリプス、申し訳ないけど、この子を連れ出してくれますか」
「わかったよ。ほら、来るんだ」
「いーやーだっ!」
フィリプスが決して弱いわけはないのに、踏ん張る彼女に手こずっている。
速やかに彼女を排除できていればよかったのに、よりにもよってあの副ギルド長が出しゃばってきた。
そこからはあっという間の転落劇だった。
馬鹿なフィリプスの杜撰な証言は覆され、そればかりか奴は冒険者証まで剥奪された。
新たな協力者を見つけなきゃならないと歯噛みしている間に、副ギルド長が橙色の髪の彼女に冒険者証を発行するなどという馬鹿なことを言い出したせいで、今回冒険者証を取りに来たカモ共が余計なことを言い出した。
「五十万も出させておいて! 金を払ってない奴に冒険者証を発行するなんて、どういうことだよ!」
「話が違うだろうがっ」
あの馬鹿共の口を塞げるなら、エモースは大切な彼女の一人や二人を差し出そうとさえ思った。
絶望を感じながらも、どこかに起死回生の一手はないかと頭を動かす。
「ふ、副ギルド長っ、か、か、勝手に規則を曲げるのは、どうかと……っ」
なんとかひねり出した言葉に、副ギルド長が怒りの表情でエモースを見る。
「君たちの話をまとめると。不正な金を受け取ることで、本来合格に満たない人間にも冒険者証を発行していたということですね。そして、本来受かるべき人間を落としていたと」
それでも、まだ落とし所があるはずだと、言い訳をするエモースに、副ギルド長が驚きの事実を明かす。
「この方は、かの有名なアザリアの遺跡にて、遺跡の新層とアザリア苔を発見した功績者ですよ」
その言葉を、フィリプスが即座に否定する。
「いやいや、副ギルド長、こんな若い子が、そんなわけないでしょ。あの遺跡の新層が発見されて、もう五年くらい経ちますよ」
彼女の年齢を考えれば、どう考えてもおかしいことは明白だ。
だが、副ギルド長の説明により、彼女は真実あの苔の発見者なのだと知る。
そして、エモースたちの犯罪は明るみになり、待ち構えていたかのようにバラバラと現れた者たちによって協力者諸共捕まえられた。
抵抗した奴らは容赦なく制裁されていたが、エモースは早々に諦めて捕まり、負傷することはなかった。
今回、お金を払った男たちについては、金を戻され冒険者証の発行はされなかった。
エモースの協力者であった冒険者たちは、冒険者証が剥奪され、一定の賠償金を求められた。再度冒険者証を取ることは可能だが、ランクは最低からとなり、今回の犯罪に加担した履歴も残される。
協力者であったギルド職員は、ギルドの信用を失墜させたとして、賠償金を請求される。金のない者については、労役を科されることとなった。
エモースだけは、主犯としてギルドにある独房に入れられた。
何日にも渡る取り調べが行われ、その間の食事は最低限で朦朧とするなか、金の使途についても詳しく供述させられた。
何日も帰らぬ夫にギルドまで探しにきた妻が事の次第を知ると、三人の愛人に尽くす為に夫が犯罪に手を染めていたことに気づかぬ自分が情けないと泣きながら離縁を申し出た。
「ま、待ってくれ、マリリアンヌ、本当に愛しているのはおまえだけなんだ。いつだっておまえだけなんだよ」
鉄の柵越しに言葉を重ねる夫を、妻は深く静かな瞳で見つめた。
「愛してるんだ、マリリアンヌ」
涙まで流して柵にすがりつく夫の姿に、妻が口を開く。
「あなたの、昇進したから出張が増えたという言葉を鵜呑みにして、女のところに行っていたことに気づかないような、馬鹿が妻だと都合がいいものね」
淡々とした言葉が妻の口から吐き出される。
「そんな、そんなことない、絶対に」
「ご両親や親戚づきあい、身の回りの世話に、ご近所付き合い……面倒くさいことは、全部妻である私にやらせて。あなたは、外で女と恋愛を楽しんでいたのでしょうね、それも三人も」
妻の声が震え掠れる。
「子供は私が引き取ります、離縁してください」
「おまえの収入では、子供が育てられないだろう? どうか、考え直してくれ」
柵にすがったまま、どうにか妻をつなぎ止めようと説得するが、妻は静かにエモースを見つめた。
「いいえ、私の気持ちは変わりません。さようなら」
「ま、待て、待ってくれ、待ってくれよぉ」
牢に背を向けて去る妻を引き留める言葉をエモースは持っていなかった。
やがて牢の中からすすり泣きが聞こえたが、それもすぐに止む。
しおしおとしたエモースが、終始存在感を消している牢番に声を掛ける。
「他に、女が面会に来たりはしていないですか」
牢番は前を向いたまま、それに答えない。
エモースは小さく舌打ちして、それ以上声を掛けるのをやめて、壁を背に膝を抱える。
空腹で眠れず、体力がなくてうまく魔法で体を清めることもままならない。
牢は地下にあり、日が差さないので、何日経ったのか、今が昼間なのか夜なのかもわからない。
ぼんやりする頭で何度も反芻する。
そして、一つの結論を得た、あの橙色の髪の女がすべての元凶なのだと。
あの女が、すべての幸せを破壊した。
あの女が、あの女が、あの女が……。
ぼんやりと眠り、人の気配で目が覚める。
暗がりの中から声だけが聞こえた。
「エモース・ベンド、君の処遇が決定しました。君には、ギルドへの賠償を求めます――」
告げられた金額に、エモースは言葉も出ない。
人影は離れた場所にいる。
副ギルド長ではないが、落ち着いた、上から目線の嫌な声だ。
「そ、そんな金、あるわけがない……」
「そうでしょうね、働いて返すことになるでしょう。あなたは、全額返済するまで、こちらの監視下で労働することになります」
「監視下……まるで、犯罪者の、強制労働では……」
呆然とした言葉に、人影が乾いた笑いを漏らす。
「犯罪者ですよ、あなたは。奥様の離縁については、特別に即日許可されましたので、ご家族まで金銭の支払いが及ぶことがありませんので、ご安心ください」
そうか、妻を働かせて返すという方法もあった。それに、妻の実家を巻き込むという選択もあったのだと知る。
「離縁なんか、私は認めてない……っ」
往生際悪く訴えるが、にべもなく却下される。
「犯罪者に人権はありません。少なくとも、罪を償うまでは」
沸々と怒りがこみ上げる。
なぜ、自分ばかりがこんな目に遭うのか。
何もかもがうまくいっていたのに――あの橙色の髪の女のせいで。
「あいつだ……あの、女のせいだ。ソレイユ・ダインの」
口に出した瞬間、顔の横を鋭い風の刃が飛んだ。
耳の端に熱さを感じ、肩にポタポタと血が落ちているのに気づいた。
喉の奥で息を呑み、切られた耳を両手で押さえる。
「逆恨みは、身を滅ぼしますよ」
いくつもの風の刃が、牢の柵の間からエモースの体を傷つける。
悲鳴も上げられず、両手で頭をかばうエモースの耳が、硬質な足音が近づくのを聞いた。
「ぼくのソレイユを、よくも嵌めてくれましたね。逆恨みなどできないくらいに、躾けなきゃいけないね」
目を上げれば、あの日彼女の横にいた冒険者の姿を認めた。
「お、おまえは……」
そうしてエモースは、心神耗弱状態のまま領都から遠く離れた場所で労役に就き、二度と領都に戻ることはなかった。
ブラック★ライゼスのお仕置き(物理)が炸裂です☆