10.ヒミツ
翌日、朝食の前にライゼスと合流して、まだ人けのない中庭に向かう。
「どうしたの、ソレイユ。元気がないね、頭のオレンジがいつもより下がってるよ」
わたしをひと目見た途端にそう指摘するライゼスに、中庭のベンチに座り昨日のオブディティとの会話をざっくりと伝えた。勿論、前世も込みでだ。
「へえ、前世が別の世界ね。輪廻転生だっけ? 面白い思想だね。ソレイユは、その記憶の中の世界が懐かしい? そっちへ戻りたいと思う?」
「戻る? ううん、思い出したといっても、知識ばっかりなんだよね。家族とか、そういうのはほとんど思い出せないんだ」
不思議と人間関係についての記憶がないんだよね。もしかすると、今世に影響しないように、記憶にストッパーが付いてるのかな? それとも、元々人間に頓着しない性格だったのかも、牛との記憶はあるから。
「あっちでは、酪農と和牛の育成をやってたんだよね。黒毛のちびちゃんたちも可愛かったなあ」
思い出した牛たちに思いを馳せる。
「……やっぱり、ライバルは牛なのか……。いや、あいつらは、経済動物だ、恐れることはない」
ブツブツ言ってるライゼスに、黒毛と乳用牛の違いについて教える。
「牛にも色々あるんだね。それにしても、オブディティ嬢が差別主義者だとは思わなかったな。ソレイユ、何かされたら、すぐに言うんだよ」
「差別主義者……うーん、そういう感じでもなかったけどなあ」
「とにかく、何かあれば、僕に教えてね」
ライゼスが念を押すので、頷いておいた。
「学園内では、常時一緒に行動はできないだろうから、これを着けていてくれる?」
そう言って渡されたのは、ライゼスの瞳に似た赤い石のついた繊細なチェーンのブレスレットだった。
「すぐに、切っちゃいそうで怖いな」
ライゼスに左手首に着けてもらいながら、その細さに心配になる。これ、きっとお高いやつ。
「ソレイユが、切ろうと思わなきゃ切れないよ。もし何かあったら、このチェーンを引きちぎれば、僕に危険が伝わるからね」
手首を太陽にかざせば、キラキラと輝いて綺麗だ。
「うん、わかった。絶体絶命の時に、使うね」
「そんなギリギリだと、助けが間に合わないかもしれないから、早めに使いなよ。まだ何本か、予備は用意してあるからね」
何本か……そうか一本じゃ足りないと思ってるわけだね。
「わかった、早めに判断して使うね」
わたしがしっかりと頷くと、彼は安心したように口元を緩めた。
その日から学園がはじまり、初日はオリエンテーションで終わり、ライゼスと一緒に取得教科を決めて提出した。
ストルテは終始離れた場所にいた。
数日は、仲違いしている設定だそうだ。色々あるんだろうけど、ライゼスに任せておけば間違いないので深くは聞かない。
本格的に授業がはじまり二週間、毎回変わる教室移動についても慣れてきた。
ライゼスとは取りたい教科、取るべき教科が被らなかったんだよね。その代わり、オブディティとはかなり被っていたのだ。魔法関係の教科、取るよね、わかるー。
「あなたねえ、どうしてわたくしの行く先々に出没するのよっ!」
授業を終えて部屋に戻り、開口一番に言われた言葉に、わたしも腰に手を当てて言い返す。
「ええええ、それはこっちのセリフですよ」
今日の魔導学の授業も被ってたもんね。それも、最前列の真ん中の机の両端に座って受けてたんだけど、先に着席したのはわたしだ。
「特等席は貴族に譲るものでしょう!」
「真っ正面の席なんて、誰も座らないじゃない。特等席だなんて思ってるの、わたしとオブディティさんくらいだよ。優等生かっ!」
「ええそうよ! 転生前から優等生よっ! 乙女ゲームを癒しにしてなにが悪いの、小説だって漫画だって大好きでなにが悪いのよっ。折角剣と魔法の世界に転生した上、こんな美少女に生まれたんだから、チートであって然るべきでしょうっ」
「チート? 七対子?」
「麻雀じゃありません、親父ギャグは嫌いです。あなた、まさか、転生前はオヤジだったのではありませんか? オッサン転生も流行っておりましたもの!」
「転生前の自分についてはよく覚えていませんが、おっさんじゃないです」
覚えてないけど、言い切る。なんか嫌だから、きっぱりと否定しておく。
それにしても、チート能力って言われて思いつくのってステータス鑑定なんだよね。もしかすると、オブディティもアレが見れるのかな? いや、もしかして別の能力を持ってるのかも。
「オブディティさんは、チート能力を持っているの?」
わたしの質問に、彼女はグッと言葉を詰まらせた。
「……あるわよ」
「本当に!? 凄い! どんな能力!?」
悔しげに視線を斜め下に落とし、小さな声で彼女がボソボソと言った。
「え? なに? 聞こえない」
「しゅ、収納よっ! こんな使えない能力なら、無きゃよかった!」
「えええええ! 収納!? 凄い! 超凄いよっ! 全然使える! むっちゃ使える! 最高の能力だよっ!」
どうして、使えない能力だと嘆くのかがわからない!
言い募ったわたしに、顔を上げた彼女がキッと睨む。
「使えないわよっ! だって、貴族の女性は、荷物を従者に持たせてなんぼよ? 荷物の多さを見せつけるのもステイタスなの。収納に入れて、手ぶらになんてなったら、貴族として箔が付かないわ。馬車十台分収納できたって、どうしようもないのよ」
貴族うううううっ。
思わず膝から崩れ落ちてしまう。
馬車十台分も収納できるなんて! ダンジョンに入って取り放題、狩り放題じゃない! それだけじゃないわ、ロールにした麦稈を畑から移動させるのだって、ちまちま魔法で浮かせて持ってくる必要がなくなるよ、素晴らしすぎる。
「ううっ、わたしが喉から手が出るほど欲しい能力なのに……っ」
「それで、あなたにはどのような能力があるの? 当たり前にわたくしに聞くということは、あなたも能力をお持ちなのでしょう? おっしゃいなさい!」
頽れているわたしの前にしゃがんだオブディティに詰められる、力いっぱい詰められる。
「い、い、言えないんですうぅぅ。ライゼスと約束してて、言えないんですっ」
「ライゼス様と? ということは、ライゼス様はご存じなのね?」
詰めるのをやめた彼女の問いに、コクコクと頭を上下させる。
「あなた、ライゼス様のなんなの? 幼馴染みってだけで、領主様から後見を受けるなんて、普通あり得ないわ」
「どうして後見してくれたのかなんて知らないよ。だって、先方から話が来たから乗っかっただけで」
「普通確認するでしょうよっ! あのイケメンの幼馴染みってだけでも羨ましいのにっ!」
んん? 妙にライゼスを気にするよね。領主様の三男だから? 玉の輿狙い?
「わたしと仲良くしたら、ライゼスともお近づきになれますが、いかがですか?」
ダメ元で、ライゼスで釣ってみる。
「無理っ、あんな氷の魔王みたいな人は、遠くで見るだけでいいわ」
ライゼスでは釣れないのか。
「それで、わたくしの能力を教えたのだから、あなたの能力も教えなさい。大丈夫、他の人には絶対に言わないわ」
「わたしも、オブディティさんの能力は口外しないから安心してね! オブディティさんの収納力がどれだけ大きいかによるけれど、下手をしたら戦争の道具になるもんね!」
わたしの言葉に、彼女がきょとんとする。
「どうして、たかが収納が戦争の道具になるのよ」
「ええ? だって、戦争には、物資の輸送が重要な課題じゃない。兵糧でも武器でも、大人数になったら、それの確保と運ぶのが大変でしょ? それを一人で解決できちゃったら、戦局だって変わっちゃうよね!」
「笑顔で怖いこと言わないでよっ」
「それだけじゃないよ? もし、誰にもバレることなく、その収納に入れる事ができるなら、どんな大泥棒にだってなれちゃうわけよ? そんな人、悪い人が目を付けないわけがないよね?」
顔を引き攣らせて後退りする彼女に、今度はわたしがジリジリと迫る。
「わたしの他に知ってる人は?」
「い、いないわよ……。だって、この能力に気付いたの最近だし、使いようがない能力だと思ってたから……」
「よかったねえ、ナイス判断だよ」
サムズアップすると、涙目で彼女が頷いた。
わたしがはじめて収納魔法が欲しいと言ったときに、後日ライゼスから言われた言葉なんだけど。オブディティ、あの時のわたしと同じ反応で効果覿面だね。
ふふ、でもわたしはまだ収納魔法を諦めてはいないけどね!
本当にいいなあ、収納の能力。
「オブディティさんが危険を冒してまで教えてくれたから、わたしも教えるね。わたしの能力は、わたしより知能が低い生物のステータス鑑定ができるのよ!」
「なんですの、それは……。意味はありますの?」
胸を張るわたしに、怪訝な表情を向けてくる。
「意味はあるよ! だって、ウチは畜産農家だよ? 家畜の健康管理とか、バッチリなんだから」
「ああ、なるほど。確かに、適材適所ね」
わたしの説明を、オブディティはすんなり納得してくれた。
「獣医さんにもなれるのではないの?」
「できるとは思うけど、獣医って仕事はこの世界にないみたいだよ」
「そうね、聞いたことがないわね」
「それに獣医が認知されたとして、わたしひとりでソレをやったら、わたし過労死すると思うんだ」
「……そうね、多分そうなるわね」
「仕事を選べばいいのかもしれないけど、わたしの性格上それはちょっと嫌だし。貴族から、ペットを見て欲しいって言われたら、絶対に断れなさそうなうえ、万が一往生しちゃったら大惨事がおきること請け合い」
「そうね、わたくしの考えが浅はかだったわ。ごめんなさい」
素直に謝ってくれるオブディティは、良い子なのだと思う。
因みに今の意見も、ライゼスからの受け売りだ。ライゼスは深く考えていて本当に凄いな、って思う。あとでお礼を言っておこう。
「ところで確認したいんだけど。オブディティさんって庶民が嫌いな、差別主義者なの?」
「ええっ? だって、わたくしは前世で平凡な女子高生だったのよ? 差別意識はない方だと思うわ。あなたと距離を置いたのは……ごめんなさい、酷い噂話を真に受けてしまっていたの。女子会のようなお茶会で、茶飲み話になるのは噂話ばかりなものだから。庶民でこの学園に入るあなたの存在は、格好の的だったのね、どんどん改変されていく話を、もっと疑わなければならなかったのに」
もう一度、ごめんなさいと謝ってくれた。
「本当は、もっと早く謝りたかったのに」
「いいよ、これから仲良くしてくれたら嬉しい」
「ありがとう。わたくしもとても嬉しいわ」
床に座ったまま抱きしめ合って、和解した。
どうして、わたしのことを認めてくれたのか聞いたら、「毎日、この共用部を魔法で綺麗にしてくれていたでしょう? そんな人の心根が悪いなんて、思えないじゃない」と言われたんだけれど、この部屋に案内されたときに、綺麗に使いなさいと言われたからやっていただけ、なんてことは絶対に言わないでおこうと心に決めた。