3.お世話になります
ライゼスが部屋の使い方をひととおり教えてくれて、ソファに座って一息つくと執事がやってきて、これから領主様と会えますが大丈夫ですかと聞かれた。
「もう少し休んだ方がいいんじゃないか?」
わたしを甘やかすライゼスに首を横に振って、執事に向き直る。
「大丈夫ですっ」
「では、ご案内いたします」
「はいっ、お願いします」
ソファから勢いよく立ち上がり、執事の後ろをついていく。隣にはライゼスがいてくれるので、大丈夫。
領主様はわたしが農家の子ってわかってるから、きっと多少礼儀がなってなくても、お目こぼししてくれるはず。
「緊張してるの?」
「してる。だって領主様だよ」
「僕は、その領主様の子だけど?」
「ライゼスは、友達だから別枠」
「ふーん。でもさ、精霊様には全然普通だったじゃないか」
「エラは、精霊だからだよ。人の理の外だから、ああしなきゃダメだと思ったの」
横を歩く彼を見上げて、はっきりと伝える。感覚的なもので、説明が合ってるのか自信はないままに言ったわたしに、彼は目を細める。
「ソレイユは、精霊様が怖くないの?」
「怖いよ、でもそれだけだよ。エラは、やろうと思えばいつでもやれるでしょ、プチッと。でもそうしないんだから、余地はあるわけだし」
「……そのプチッっていうのは、殺されるってこと?」
「殺す、っていうか。うーん、そんな血なまぐさい感じじゃなくて、もっとあっさり、存在を消される感じかな」
「ソレイユには、そう感じるんだね。やっぱり、ソレイユは精霊様に好かれてるんだと思う。僕らは、もっと圧倒的な力を感じたよ。有無を言わせない、絶対的な」
それは、相手によって見せる自分を変えてるってことなのかな。それを同時にできるなんて!
「エラは凄いんだねえ」
「そうだね、精霊様だしね」
顔を見合わせて、えへへと笑う。
「ダイン様、こちらに旦那様がいらっしゃいます」
「はいっ」
ドアの前で立ち止まり、振り向いてひと呼吸したところで、執事がドアをノックして中に声を掛ける。
「では、参りましょう」
微笑んでくれる執事に頷くと、ゆっくりとドアを開けた。
威厳が、そこに居る。
大きな仕事机の向こう側。立派な髭に、白髪交じりの紺碧の髪を後ろに撫で付け、鋭い眼光でこちらを見ている人がきっと、ライゼス父で領主様。
そしてその隣に、落ち着いた色合いのロングスカートに白いブラウスを合わせ、スカートと同じ生地のベストをキリリと着こなした、ライゼスに似た面立ちの女性が立っている。
もしかして、ライゼス母?
「いらっしゃい、ソレイユさん。疲れているのに、ごめんなさいね。どうしても、挨拶したいのですって」
頭がよさそうなキリリとした美人が、微笑んでまずは謝ってくれた。
「ソレイユ、こちらが父のエルドリック・ブラックウッド伯爵。そして、母のセリーヌ・ブラックウッドだよ」
「はじめまして、ソレイユ・ダインですっ、お世話になります」
長女に注意されたように、威勢よくならないように気をつけて挨拶をした。
「よくきたな、まあ、そちらに掛けなさい」
ソファを示され、ちょっとまごついたけれど、ライゼスがさり気なく誘導してくれて、座り心地のいいソファに腰を下ろした。
ライゼスも隣に座ってくれたから、心強い。
そして、わたしたちの前に領主様と奥様が座ると、執事がお茶を出してくれる。お茶菓子には、美味しそうなクッキー!
鳴りかけたお腹を、腹筋に力を入れて堪える。
「まずは無事に着いてよかった。道中、問題はなかったか?」
「は、はいっ。何も問題無く、真っ直ぐ着くことができました」
本当は、あちらこちらに寄り道したかったけど、トリスタンにそんな我が儘は言えなかった。
「どうぞ、クッキーも召し上がって。甘いものも、お好きよね?」
「はいっ、大好きです。いただきます」
奥様に勧められたので、クッキーを一枚口にしたんだけど……甘いはずなのに、緊張で味がしない。
水分が無くなった口に、お茶を流し込む。
そんなわたしを、前の二人は興味深そうに見てくるので、とても落ち着かない。マナーがダメだったのかな、そもそも、勧められても食べたらダメだったとか?
母からマナーは習ってきたけれど、時と場合でよかったりダメだったりすることがあって、全部を覚えきれなかったのですよ。
困って、隣に座るライゼスを見る。
「美味しい?」
「う、うん」
緊張で味がしないとは言えずに、曖昧に頷いたけど、ライゼスは眉をちょっと上げてから口の端を少し上げたが、すぐにそれを下げてご両親の方へ顔を向ける。
「ソレイユが緊張しているので、もう部屋に戻ってもいいですか」
ええええっ、来たばっかりなのに、流石にダメだよねっ。流石にわたしでもわかるよ。
「ごめんなさいねソレイユさん、実はあなたのこと、ライゼスから聞いていて、会うのをとても楽しみにしていたの」
だからもう少し付き合ってと、微笑まれた。
「アーバンからの手紙は報告書のようだから、実際の君はどんな人なのか、楽しみだったんだ」
そう言ってから領主様がクッキーを口に放り込む。因みにアーバンというのはうちの父だ。
領主様に出すんだから、報告書のようになるのは仕方ないと思う。そうでなくても、父の文章は事務的なので、気軽な手紙を期待するのは無理なのだ。
「ん? んん?」
「あら、どうしたの?」
クッキーを摘んで首を傾げた領主様が、隣にいる奥様の口にクッキーを放り込んだ。
「んぐ……。味がないわね」
クッキーを飲み込んだ奥様が、怪訝な顔をする。
「少々失礼いたします」
執事が口元を隠しながらサッとクッキーの欠片を食べると、素早くクッキーの入った器を下げた。
「あっ」
執事の早業に思わず声をあげてしまう。
「申し訳ありません、なにかの手違いがあったようですので。代わりの物をお持ちいたします」
味がしないなんて面白いクッキーはじめてだったから、もうひとつくらい食べたかったな。
クッキーを持って行ってしまう執事を、名残惜しく目で追う。
「もっと食べたかった?」
ライゼスが普通の声で聞いてくる。
「うん、だって、味がない食べ物なんて、凄いよね! 匠の技だよ。だって、素材の味をすべて殺すんだよ、どうやったんだろう、本当に凄いよね」
思わずライゼスに力説すると、向かい側から吹き出す声が聞こえ、慌ててそちらを向いた。
奥様が少し横を向いて、口元を押さえている。
領主様は軽く咳払いしていた。
「んんっ。いや、すまなかったね、次はちゃんと味がついたのを持ってきてくれるから、楽しみにしていてくれ」
「はいっ」
味がないのは面白いけれど、どうせ食べるなら美味しいほうがいい。
「ソレイユさん、やっぱりここから通ってはいかがかしら?」
奥様が微笑んでそう言ってくれるけれど、ライゼスがすぐに否定してくれた。
「それについては、何度も話しましたよね。僕が散々口説いてもダメだったんだから、諦めてください」
確かに、ライゼスには手紙で何度もこの屋敷に住むことを誘われていた。もちろんそんな僭越なことなんてできないので、却下し続けたわけなんだけど。
「寮も申し込んでありますし、寮で学友を得るのも楽しみなので。申し訳ありません」
「そうね、確かに級友を得るには、寮は悪くないものね。でも、いつでもこちらに移ってかまいませんからね、私たちはいつでもあなたを歓迎するわ」
「ありがとうございます」
万が一、寮で馴染めず辛い思いをすることがあったら、こっちにおいでと言ってくれる。優しいなあと、嬉しくて頬が緩む。
でも万が一のときは、ダンジョンで稼いだお金で、町で下宿を探せばいいと思っている。両親と、兄姉と、あとひとつ下の弟と、この四年で色んな事を話し合った。
楽観的な予想と、悲観的な予想を出して、わたしの心構えを作ってくれた。
だから、どんな状況になっても大丈夫。
わたしが『学ぶ』という目標を見失わなければ、きっと大丈夫。
「ソレイユ君は、ライゼスよりも大人に見えるね」
「えっ?」
「ええっ?」
領主様の言葉に、わたしとライゼスは驚いて怪訝な顔をしてしまう。
奥様はクスクス笑うけれど、どう見てもライゼスの方が大人びているし、実際に年齢だってひとつ年上だよ。
領主様はもしかして、目がちょっと節穴なのかもしれない……。
いい領主様として有名だけど、領地運営と私生活は別なのかも。