2.上京
アザリア苔のお陰で家畜の飼育状況も大幅に改善したし、わたし発案の技術の特許料のお陰で家計が潤っていること、そしてライゼスのお父さんが後見をしてくれるということで、両親の強い勧めもあり領都エルムヘイブンにあるコノツエン学園に入学することになった。
本来なら、貴族の人やお金持ちの人しか入らない場所なので、本当にわたしが入って大丈夫なのかという意見も(主に弟のバンディから)あるけれど、一度しかない人生なんだよ? やれるなら、やっちゃうでしょう!
長兄と長女からみっちりと勉強を教え込まれたお陰で、ルヴェデュの町の庁舎で半年前に受けた筆記試験は余裕で通った。試験官が領都のコノツエン学園から派遣されて、厳戒態勢での試験だった。
絶対に不正は許さない、という心意気が凄かった。
試験の翌日には結果が使者によって届けられた、ドキドキして待つ時間が少なくてありがたいよね。
さて、アザリアの遺跡を満喫してから三日、なんとライゼス父がお迎えの馬車を寄越してくれた。
のんびり徒歩で行こうとしていたのは問答無用で却下され、うちの両親が荷物もあるのだから好意に甘えようとライゼス父の気遣いに一も二もなく飛びついた。
長兄カシューからも「お前は絶対に道草を食って、まっすぐ領都に行かないから、馬車に乗せてもらえ」と言われてしまった。
それから、長女レベッカに荷物を見られて、怒られた。
「本当にこれしか持っていかないつもりなの!? 着替えは一着!? ありえない! 荷物を詰め直すわよ!」
鬼気迫る勢いで荷物の確認をされ、当初の大きめの肩掛け鞄ひとつだったのが、持ち運べる小ぶりな衣装箱がひとつ増えてしまった……そんなに要らないのに。一緒に荷物を詰めていたけれど、途中から記憶がない。
出発の前日には、我が家にいる全部の家畜を念入りにステータスの確認をして異常がないことを確認し別れを惜しんだ。
特に『ミカン』はわたしと同じ色味ではじめて名前をつけた牛でもあるので、念入りに確認したしブラッシングも目一杯した。
出発する日、長女が餞別としてくれたワンピースを着て、いつもより丁寧に身だしなみを整えた。
長女に髪のまとめ方を教わり、ハーフアップで頭にお団子を作り、緑色のクシで髪を留める。
「立派なオレンジだな」
お団子頭を見て、いつか聞いたような感想を口にしたバンディの頭を、長女がひっぱたく。
緑色のクシというのがポイントなんだと思うよ、レベッカお姉ちゃん。
「髪がスッキリするし、動いても案外解けにくいんだよね」
「だからといって、走ったり暴れたりはしちゃダメよ」
長女にしっかりと念を押され、荷物を持って家族を振り返る。
「じゃあ、いってきます!」
馬車での苦行の五日間を乗り越えて、たどり着いたのは、エルムフォレスト領主であるエルドリック・ブラックウッド伯爵様の邸宅ことライゼスのお家だった。
「ソレイユ!」
馬車が邸宅の前に着くやいなや、外で待っていたライゼスが駆け寄ってきた。
「ライゼス! 久し……大きくなったねえ」
駆け寄ってきた彼を見上げ、挨拶よりも驚きが先に出てしまった。
四年前に別れた時よりも、更に身長差は大きくなっていて、それにヒョロヒョロだった体格はその形跡もわからないほどがっしりとした筋肉がついている。服の上からでもわかるんだから、よっぽどだよ。
紺碧の髪は整髪剤で横を後ろに流すように整えられ、角度によって赤く見える目は目元がきりりと切れ長で……初恋泥棒の異名を持つうちの長兄が霞むくらいの、立派な色男に成長していた。
「ソレイユ嬢、口が開きっぱなしですよ」
トリスタンが小声で注意してくれて、慌てて口を閉じた。
彼は馬車で御者をしてくれたのだ。ライゼスが、五日もかかるんだからわたしが知ってる人の方がいいだろうって、配慮してくれたんだって。お陰で、馬車の中でおとなしくしてるのは大変だったものの、和気藹々と移動できた。
「ライゼス坊ちゃんも」
トリスタンはわたしを凝視していたライゼスにも声を掛けると、荷物を持って中に入ってしまう。
「ソレイユ、本当に、久し振り。会いたかった」
ライゼスがそう言って、嬉しそうに目を細めて両手を大きく広げる。
「うん! わたしも、会いたかった」
彼の腕に飛び込んだらダメだろうと、強く頷いて同意すると、大きく広げていた彼の腕に抱きしめられた。
「ソレイユ、成長したね」
「もう十五歳ですから! だから、子供みたいにしたらダメなんだよ、ライゼス」
抱きしめてくる彼の背をぺしぺしと叩くと、やっと彼の腕が緩んだ。
「四年も再会を待ちわびてたんだから、少しくらいいいじゃないか」
「お姉ちゃんから、お淑やかにしていなさいって厳命されてるの。ハグは、お淑やかじゃないよね?」
「ソレイユじゃなくて、僕がする分にはいいということかな」
彼が真面目な顔で言ってくるけど……。
「よくはないよね? 年頃の男女だよ?」
「……ソレイユに諭されてしまった……」
衝撃を受けた顔をするくらいなら、無茶なことを言わなければいいのに。子供っぽいんだから。
ん? もしかして、もしかすると!
ライゼスのステータス、確認っ!
彼の胸辺りを凝視して、ステータスよ出ろ! と念じるが……。
彼の顔が、ちょっと意地悪そうに笑みを作った。
「どうやら、アレは見えなかったみたいだね」
その得意気な声に、悔しくて歯がみする。
「くうっ! 学園でたくさん勉強して、絶対に見てやるんだからっ」
「学園では僕も勉強するから、追い越すのは難しいんじゃないかな。さあ、家を案内するよ」
子供の頃のように手を取り先に立って歩く彼についていく。
手も、大きくなってる。
包み込むように大きな手に握られ、その温かさに頬が緩む。
「学園の寮には明日行くんだっけ?」
ライゼスに確認すると、しっかりと頷かれた。
「ああ、一緒に入寮する予定だけど、領都を観光するなら一日ずらすことはできるよ」
魅力的な言葉だけど、そうするとこの立派な邸宅に二日もお世話になることになる。それは、ちょっと気まずい。
畜産農家の二女が、領主様のお家に泊まるなんて、恐れ多い。とはいえ、一日くらい経験してみたいかな、それに後見人になってくれる領主様にもお礼を言わなきゃってことで今回ライゼスのお誘いに乗った。
「ようこそいらっしゃいました」
屋敷の入り口で、ロマンスグレーの執事から丁寧にご挨拶をいただく。
「ソレイユ・ダインです、よろしくお願いいたします」
挨拶を返すと、ニッコリと笑顔を向けてくれる。
「ライゼス様が、ダイン様が緊張なさるからと、旦那様方のお出迎えを拒否されたのでこちらにいらしてはいませんが、とても楽しみにしていらっしゃいますので、後ほどご挨拶させていただけますか」
「レイモンド。ソレイユは疲れてるんだ、挨拶は次で構わないだろ」
ライゼスが少し不機嫌そうに言うが、その手を引いて注意を引き、彼の手を離して一歩前に出る。
「領主様にお礼を伝えたいと思っております。ご都合のよろしい時にご挨拶させていただけると幸いです。ご都合をお聞かせいただけますか?」
母と姉に躾けられた言葉遣いで執事のレイモンドにお願いすると、ニコリと微笑まれた。
「承知いたしました、後ほど部屋へお伝えに上がります。ありがとうございます」
意味深にライゼスに視線を向けた執事に、ライゼスは気まずそうに視線を外していた。
もしかして……ライゼスは、わたしに過保護なのでは……?
手を繋いでいたのだって、子供にするのと同じ意味合いだとすると、迷子対策だったかも。
「では、ライゼス様、ダイン様のお部屋へご案内をお願いいたしますね。私は、旦那様へお伝えして参ります」
「ああ、頼む」
頷くライゼスは、貴族の子弟らしさがある。
威厳? っていうのかな。
執事はわたしたちが邸内に入り、扉を閉めた後に丁寧に見送ってくれた。
「ソレイユの部屋に案内するよ。本当は僕の部屋に近いところにしたかったんだけど、止められたんだよね」
「それはそうだろうねえ」
ちょっと呆れてしまう。
歩きだそうとして、床に絨毯が敷かれているのに、今更ながら気づいた。さっきは執事とのやり取りでいっぱいいっぱいで、気付かなかったけれど、この綺麗な絨毯の上を汚れたままの靴じゃ歩けない!
「ライゼス、ちょっと待って、靴を綺麗にするから」
右手の人差し指を立てて、クルンクルンと円を描いてから指先を靴に向ける。その時に、指先からキラキラした光の粒をちりばめるのがポイントだ。
指先から放たれた光の粒が靴に当たり、パッと飛び散る。すると、靴がピカピカになっているのです!
「無駄に派手な割に、地味に凄い技巧だよね」
思いっきり呆れている声だ。
「そうなの! この光をちりばめるっていうのが難しいんだよね。光を狙った場所に当てるのも、地味に難しいし、それを弾けさせるのもかなり難しかったんだよ。これ、カティアが小さかったころ凄くウケが良くてさ。今でも、小さい子には無茶苦茶喜ばれるし」
「ああ、末っ子の、確か六歳だっけ?」
「そうそう、よく覚えてるね」
「ソレイユの妹だからね。さあ、行こうか、こっちだよ」
先に立って歩き出した彼に続き、綺麗になった靴で足を踏み出す。
部屋については聞きかじっていて、貴族の邸宅はお家の人の過ごす区画と、お客さんの泊まる区画、それに使用人の区画に分かれてるって。
聞いた時は、区画ってなに、って思ったけど、こういうことか……。
玄関の扉をくぐり広がる吹き抜けのホール、そして正面には二階に上がる広い階段。一段一段にちゃんと絨毯が敷かれているし、手すりの支柱にもお洒落な模様が彫られている。
その階段を使って二階に上がり左手側の通路を行くと、客用の部屋がある区画に入る。こちらの廊下にも漏れなく絨毯が敷かれているし、通路には絵や彫像や壺などの美術品が飾られている。万が一壊したら怖いので、なるべく壁に近づかないように緊張しながら廊下の真ん中を進む。
壊したらマズイという分別はちゃんとあるのだ。ライゼスの少し後ろにぴったりとくっついて歩けば、安心だよね。
「そんなにビクビクしなくても大丈夫だよ」
苦笑いした彼がちょっと振り向き、わたしの手を取り歩き出す。
半歩遅れてライゼスの隣を歩くことになる。
「子供じゃないから、手を繋がなくても迷子にはならないよ?」
「子供じゃないから、手を繋ぐんだよ」
彼の言葉に首を傾げる。
「迷子対策、ではなく?」
「ではなく、だね」
謎かけなのかな。
「さて、ここが、今日の君の部屋です」
手前の方に部屋があってよかった。これ以上長く手を繋いでいたら、手汗をかきそうだから本当によかった。
ライゼスが開けてくれたドアの向こうには、豪華でお洒落な部屋が広がっていた。
天蓋付きのベッド、ソファとテーブルがあるのに、机とイスもあって物書きができるようにペンも常備されている。それにうちの長女が目を輝かせそうな素敵な鏡台に、大きな窓に大きなカーテン。
廊下よりもふかふかの絨毯が敷かれている……靴で上がるのに、罪悪感を感じてしまう。
「……靴を脱いでもいいでしょうか」
綺麗にはしたものの、それでもなお抵抗がある。
「え? ああ、ちょっと待ってて」
先に一歩入ったライゼスだったが、わたしの表情で言わんとすることがわかったのか、手を離すとスタスタと部屋の中に入り、備え付けの素敵なタンスの下から、オレンジと緑で刺繍の入った真新しい布の靴を持ってきてくれた。
「こっちに、履き替える?」
「借りていいの?」
履きやすそうな柔らかな布の靴に目が奪われる。
「もちろん。ソレイユのために用意したんだから、使ってくれた方が嬉しい」
ライゼスは部屋の入り口でまごついているわたしの前にひざまずくと、床に布の靴を置いてくれた。
し、紳士だ、紳士がいるっ!
「脱がせてあげようか?」
片方の膝を突いたまま、わたしを見上げてそんなことを言うのは紳士じゃない。
「じじじじ自分でできるからっ!」
布の靴を奪って彼から離れ、廊下の隅で履き替えた。
はあ……足が生き返る。
脱いだ靴に、こっそり消臭の魔法を掛けておく。
今回はキラキラはなしで、こっそりとね。
うっかり、ソレイユに試験を受けさせるのを忘れていたので追加しました。月緒様ご指摘ありがとうございます。2025.3.24
彼女の他にも近くの貴族の子が数名受けてますが、ソレイユに面識はないですし、試験に集中していて記憶に残ってもいないです。