25.別れ
父なら知ってると思った。
だって、ライゼスの護衛であるトリスタンとも親しいし。もし知らなくても父は魔法が上手で、連絡魔法を使うこともできるから、きっとすぐ噂がウソだってわかるはずだし。
「お父さん! ライゼスが領都に行ったってウソだよね!」
魔法を使って堆肥盤で堆肥に水を撒き、撹拌していた父に真っ直ぐに聞いた。
父は作業の手を止めて、わたしに向き直る。その表情に明るさはない。
「本当だよ。先週、領都に帰られた」
「どうして教えてくれなかったの! わたし、ライゼスとさよならしてないよ!」
淡々と答える父に、思わずカッとなり怒鳴ってしまう。
「先方にも事情があるんだよ。急な事情で、領都に帰らねばならなくなったとおっしゃっていたからね」
「トリスタンさんと話したんでしょ? どうしてその時、教えてくれなかったの? ライゼスはなにも言ってなかったの?」
「聞き分けなさい、ソレイユ。ライゼス様のことだから、落ち着けば手紙をくれると父は思うんだけど、ソレイユはどう思う?」
「……くれる、と思う」
小声で言ったわたしに、父は穏やかに頷く。
「……お手紙、待つ」
「うん。偉いね、ソレイユ」
父の手に頭を撫でられても、いつものようにウキウキはしなかった。
地面を見たまま、仕事に戻る。
いつもなら仕事を中抜けしたことを怒る次男なのに、今日は何も言わずに黙々と手を動かしていた。
「……ライゼス、領都に、帰ったんだって」
「ふーん」
「……なんにも知らなかった。教えてくれて、ありがと。バンディ」
「礼を言われることなんて、してねえよ。ばかソレイユ」
「ばかって言う方がばかなんだよ、バンディ」
「なんだよ……心配して損した」
それだけ言うとわたしに背中を向け、フォークを持つ手を黙々と動かした。
わたしも次男に背を向けて、魔法で汚れた敷き藁を牛舎から運び出す。
両手を対象に向けて広げ、魔法を使ってよっこいしょと持ちあげて外に運び出すから――勝手に目からあふれる涙が拭えない。
子どもじゃないから、手放しで泣くなんてできない。
だけど、涙が勝手に出てきて止まらない。
ライゼスがいなくなったことが悲しい、なにも言われなかったことが悔しい、もう会えないのが切ない、もうお喋りできないなんて信じられない。
ずっと一緒にいられるんだと思ってた。
もう少ししたら一緒に町の学校に通って、一緒に勉強するんだと思ってた。
声をあげて泣きたい。
悲しい、悲しいって、駄々をこねたい。
でも、いつも困った顔で、頭を撫でてくれるライゼスはいない。
だから、奥歯を噛み締めて我慢する。
学校に行ってる長兄と長女の分も、ちゃんと仕事する。
ライゼスならきっと、手紙をくれるから。そうしたら、その返事に目一杯文句を書く。
こんなに胸がギュッって苦しくなったんだって、文句を書く。それから……会いたいよって書いて困らせる。
それから半月程経ってから、待望の手紙が届いた。
わたし宛のライゼスからの手紙だ。
夕食が終わってから母から渡された手紙に、どうしてすぐ教えてくれないんだと文句を言いそうになったけれども我慢して、手紙を持って外に駆け出す。
家の前にある丘の、いつかライゼスと魔法の勉強をした大きな木の根元まで走った。
あの時は、一瞬しか光らせることのできなかった光の魔法も、いまでは長い時間光らせることができる。
わたしの手元を明るくするだけの光の玉を出して浮かせておく。
しっかりと封をされた封筒を慎重に開けて、折り畳まれている便せんを取り出す。
ふわっと、懐かしい彼の匂いがした気がして、胸がギュッとした。
便せんを開けば、見慣れた彼のはっきりした文字が並んでいる。
お祖父さんが亡くなって急いで帰らなきゃならなかったこと。
魔力が暴走する体質のためにこの町に来ていたけれど、本当は治ったらすぐに帰らなきゃならなかったのに、わたしといるのが楽しくて、無理を言って長引かせていたこと。
だから……もう、こっちには戻れないこと。
そんなことが、丁寧にはっきりと、わかりやすく書かれていた。誤解しようがないように。
「ライゼスらしいなあ」
ちょっと呆れながら、読み進めると、最後の一枚にとても大事なことが書かれていた。
「一緒に、領都のコノツエン学園に通う?」
領都の学校は、町の学校とは違って入学試験のある学校だ。
試験に受かることと、誰か偉い人の推薦がなければ入学することはできない。だから、貴族とか、大店の商家の子どもとかが入るところなんだけど。
推薦はライゼスのお父さんがしてくれるらしい、だけど、畜産農家の次女であるわたしが、そんな学校に行ってもいいんだろうか。
家に帰ると双子たちと末っ子は既に部屋に入り、次男以上の家族はまだ起きている。
父に学園に通ってもいいか聞くと、あっさり「いいよ」と言われてしまった。
「ソレイユはたくさん特許も取っているし、ダンジョンの先を見つけた功労者でもあるからね、そりゃあ推薦もしてくれるだろうさ。元々父さんと母さんも、ソレイユにはコノツエン学園に行って欲しいと思ってたんだよ。君は、得た知識を面白い方向へ発展させるからね。もっともっと、勉強してみるといい」
「でも……試験に受からないかもしれないよ?」
「あら? 受からないと、ライゼス君と一緒に学校に通えないわよ?」
受かるわよね? と母に聞き返されて「受かる」と答えてしまった。
「大丈夫、十五歳まであと四年あるわ、余裕ね」
「四年……それなら、できるかも」
母に言われて、頷く。
「私も勉強を手伝うわ。町の学校で習ったことを教えてあげる」
「レベッカお姉ちゃん」
長女の後ろで長兄も、任せとけと頷いている。
「領主様の推薦を受けて、試験で落ちたなんて言えないから、頑張らないとね」
「領主様? ライゼスのお父さんって、領主様なの?」
聞き捨てならない言葉に、思わず聞き返す。
あれ? 知らなかったっけ? と両親が首を傾げる。
「護衛の人がついてるし、貴族なんだろうなとは思ってたけど、領主様の息子だとは思わなかった」
「でも、領主様の息子だとしても、友達になるのには関係なかっただろ?」
父が軽い調子でそう言うので、そういうものかと頷いた。
「関係ないけど……、そっかそうだよね、関係ないから、まあ、いいか」
「よくないよな。それって、まあいいかで済ませていい話じゃないよな?」
次男がツッコミを入れるが、長男が苦笑いする。
「まあ、いままでは、いいんじゃないか? ダメなら指摘があるだろ。問題は学園に行ってからだけど、ソレイユなら、それなりにできるだろうし」
長男から思いのほか信用されてて驚いてしまう。
「カシュー兄は妹に甘いよな」
「俺は弟にも甘いっての」
そう言って次男の頭をわしわしとかき混ぜ、次男は嫌がって逃げる。
楽しそうでなによりだ。
「さあ、明日も仕事があるから、今日はもう休みましょう」
母の一声で臨時家族会議は解散となり、わたしは四年後、領都にあるコノツエン学園を目指すことに決まった。